10代、主に「思春期」や「反抗期」と呼ばれる時期にさしかかった子どもたちのこころは、センシティブでこわれやすいもの。
子どもたちとの向き合い方に加え、スマホやSNS・ゲームと課金、不登校・OD(オーバードーズ)・自傷行為など、今どきの子どもたちを取り巻く背景や事例を取り上げ、子どもへの寄り添い方や解決策をやさしく探ります。
連載第4回は、『子どものSOSに向き合う』の中から、『「学校に行きたくない」と言われたら?』と『「学校を休みたい」と言う子どもにかけてほしい言葉』を紹介します。
※本連載は『児童精神科の看護師が伝える 10代のこわれやすいこころの包みかた』から一部抜粋して構成された記事です。
「学校に行きたくない」と言われたら?
子どもから「学校に行きたくない」と言われる。これは多くの保護者にとって大きな衝撃です。「ここで休ませたら休み癖がつくのでは」「嫌なことがあるとすぐ休む子になるのでは」と不安が押し寄せ、つい「もう少しがんばってみたら?」「そんなこと言わないで」と登校を促す方もいるでしょう。しかし、子どもがその言葉を口にした背景に目を向けてみると、違った意味が見えてきます。
子どもの「学校に行きたくない」は、多くの場合「もう限界」というサインです。友だちとうまくいかない、勉強についていけない、教室で孤立している……。そんな状況の中でも、その子なりになんとかがんばってきたはずです。それでもうまくいかず、「親に言ったら迷惑かけるかな」「嫌な顔をされるかもしれない」と葛藤し、勇気を振り絞って出した言葉なのです。だからこそ、そのひとことの裏には、積み重なった苦しさや葛藤が隠されていると考え、まずは受け止めてほしいのです。
「特に理由はない」と言われる場合もあるかもしれません。けれど、その言葉の裏にも、「気持ちを言葉にするのが難しい」「理由を言ったらもっと困らせるかも」「疲れ切っていて説明する余力がない」といった気持ちが隠れている可能性があります。大切なのは、今何が起きているのかを一緒に考え、整理していくスタンスです。
「学校に行かないと将来が大変になるかも」という大人の不安は、子ども自身も強く感じていて、不登校の子どもの多くが「将来が不安」と答えているという調査結果もあります。つまり、子どもは決して気楽に休もうとしているわけではなく、自分を責め、周囲と比べて落ち込み、罪悪感を抱えていることが多いのです。だからこそ大切なのは、「子どもの今を知り、安心と安全を確保すること」です。
学校で孤独を感じ、家でも安心できなければ、子どもは居場所を失います。「居場所がない」と感じたとき、人は力を発揮できないだけでなく、自分の存在そのものを、自分自身で否定してしまいかねません。まずは「休みたい」という思いを否定せずに受け止め、「苦しいときには休んでも良いこと」を保証する必要があります。そして、「休むことも選択肢のひとつだよ」「午前中だけ保健室に行くのもいいし、全部休んでもいい」と、子どもが休み方を選べる余地を残してあげてください。「登校か不登校か」の二択で迫ってしまうと、子どもはますます追い詰められてしまいます。
このように、対応の柱は「受け止める」「安心を保証する」「選択を尊重する」の3つです。伝え方は、小学校低学年には短くやさしい言葉で話す、高校生には自己決定をより尊重するなど、年齢に応じて変えていただけると良いと思います。
一方で、「学校に行かせる」という前提でかかわると、その思いを子どもは敏感に察知します。そもそも「行かせる」という考え方自体が、学校に行けない子どもを否定する前提に立っています。目標を「再登校」に置いた時点で、その子のためのかかわりではなくなってしまうのです。無理に連れて行ったり、「行かないならスマホやゲームを取り上げる」といった強制的な対応は、一時的に効果が出るように見えても、実際には子どもの不安や不信感を強め、子どものこころに大きな傷が生じるなど、長期的には逆効果になることを忘れないでください。
不登校はかつて「登校拒否」と呼ばれ、問題行動と見なされてきた歴史があります。しかし今では、文部科学省も「不登校は問題行動ではなく、心理的・社会的要因が背景にある」と明確に定義しています。つまり、不登校は決して「怠け」や「サボり」ではなく、ストレスや適応困難などの影響が複雑に絡み合った状態なのです。
「自分の育て方が悪かったから」と自分を責める方もいるかもしれません。しかし、育て方だけで不登校になるかどうかが決まるものではありません。むしろ、親が自分を責める姿を見ると、子どもは「迷惑をかけている」と罪悪感を深めてしまうかもしれません。大切なのは「一緒にゆっくり考えていこう」という姿勢です。自分を責める気持ちは、子どもを大切に思うからこその自然な反応です。その思いを少しずつ「これからどう支えていけるか」に変えていくことが、子どもの安心につながります。
学校に行けるかどうかと、その子の価値は関係ありません。「学校に行きたくない」とあなたに言えたのは、子どもがあなたを信頼している証です。そのSOSを受け止め、「話してくれてありがとう」と伝えてください。そして、子どもが心から安心して休めるように、家を安心できる居場所に整えることから始めてみましょう。
「学校を休みたい」と言う子どもにかけてほしい言葉
子どもから「学校を休みたい」と言われたとき、「いいよ!」と即答できる大人は多くないでしょう。自分の仕事や予定の調整が必要だったり、不安を感じたりして、思わず強い言葉を返してしまうこともあります。だからこそ、あらかじめ「こんなふうに声をかけてみよう」という心構えを持つことが大切です。
前項でもお話ししたように、大切なのは子どもの「休みたい」という気持ちを否定しないことです。すでに苦しい思いを抱えた上での言葉だからこそ、私たち大人にできるのは「苦しいときは休んでいいんだよ」と伝え、「1日休む」「午後だけ登校する」など、子どもの判断を尊重する姿勢を言葉と行動で示すことです。
避けたいのは「休むなら家で勉強しなさい」という言葉です。勇気を出して「休みたい」と言えたのに、心身を休めることが認められなければ、家でも居心地が悪くなり、親への不信感にもつながりかねません。子どもが望んでいるのは「休みたい」であって、「勉強したい」ではないのです。「学校を休みたい」という言葉の裏には、学校での苦しさが積み重なっていることが多いです。その子が無理をして勉強したり登校したりするようになるよりも、安心して生きていけることのほうが大切です。
まずは「安心の回復」を最優先に、睡眠・食事・日中の過ごし方といった生活の土台を整え、少しずつ社会との接点を広げます。家での手伝いや短時間の外出、別室や保健室の利用など、小さな一歩から始めると良いでしょう。
長期的には、学びの再接続を視野に入れます。在籍校での配慮、通信制や定時制、高卒認定の活用、専門学校や職業訓練など、進路はひとつではありません。立ち上がりがゆっくりでも、その子らしく育つことができる道がいくつもあることを、親子で共有しておくことが安心につながります。
自分を責めない、無理をしない
大人が思う以上にこわれやすい10代の子のこころ…。
ぜひやさしく包んであげたいところですが、保護者のみなさんは「全然できていない」とご自身を責めすぎる必要はありません。
ここに書かれていることは、できることだけやってみていただくので大丈夫です!
お子さんも保護者のみなさんも、自分をいたわってくださいね。
【著者プロフィール】
こど看(kodokan)
精神科認定看護師。精神科単科の病院の児童思春期精神科病棟に10年以上勤める。現在も看護師として病棟勤務をしながら、「子どもとのかかわりを豊かにするための考え方」をSNS等で精力的に発信中。著書に『児童精神科の看護師が伝える 子どもの傷つきやすいこころの守りかた』
(KADOKAWA)がある。メンタル系YouTuberの会所属。一児の父。
X・YouTube @kodokanchildpsy