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【好きなことを極めてきたからこその今】 ⼦どもの頃の話を聞かせて! 第10回「絵本作家・シゲリカツヒコ」


『だれのパンツ?』『なわとびょ~ん』などの絵本でおなじみの絵本作家シゲリカツヒコさん。緻密な描写で奇想天外なストーリーを描き出すシゲリさんは、どんな子ども時代を過ごしたのでしょうか。子どもの頃に夢中だったことや得意だったことについて、お話を伺いました。

【プロフィール】
シゲリカツヒコ
1962年生まれ。岐阜県各務原市出身。阿佐ヶ谷美術専門学校卒業後、フリーのイラストレーターとして装画などを手がける。『カミナリこぞうがふってきた』(ポプラ社)で絵本デビュー。2018年、『大名行列』(小学館)で小学館児童出版文化賞受賞。他の作品に『ガスこうじょう ききいっぱつ』(ポプラ社)、『だれのパンツ?』『なわとびょ~ん』(KADOKAWA)、『かぜがつよいひ』(作・昼田弥子/くもん出版)などがある。

 

クワガタを求め、真夜中の林へ

 小さい頃の僕はすごく内弁慶で、外ではおとなしいのに家の人間に対しては態度が大きい子どもでした。2つ上の兄がいて、兄を含めた近所の子たちとよく遊んでいましたね。兄が興味を持つものに自然と興味を持つので、世代的に少し先取りしていて、幼稚園の頃からプラモデル作りにはまっていました。ただ幼稚園児には難易度が高くて、水彩絵の具で色を塗ろうとして、はじいてうまく塗れなかったり、途中で投げ出して未完成で終わったりした記憶があります。




 昆虫採集にも夢中になりました。夜中の3時に起きて、懐中電灯片手に一人で近所の林に出かけたりして。木の上の方にいるカブトムシやクワガタを、木の幹を蹴とばして、落として捕るんです。特に好きだったのはクワガタ。中でもノコギリクワガタのフォルムがデザイン的にかっこよくて気に入っていました。わざと手を噛ませて、痛ければ痛いほど「こいつは強いぞ!」とうれしくなったりしてね。



 僕が住んでいたのは岐阜の美濃地方なんですが、飛騨地方に行くともっとたくさんの昆虫がいたんですよ。親が飛騨の出身で、お盆には帰省したので、その間はもう昆虫天国で。街灯にわんさと集まった昆虫を捕りまくって、たくさん持ち帰っていましたね。甲虫のにおいも好きでした。あのにおいを嗅ぐと、子ども時代を思い出します。

少年漫画をつけペンを使って模写

 絵を描くのも幼稚園の頃から好きでした。テレビで「キャプテンウルトラ」を見ては、新聞の折り込みチラシの裏に怪獣を描きまくっていましたね。当時は録画もできなかったので、テレビで1回見ただけの怪獣を思い出しながら描いていました。

 小さい頃は、大きくなったらウルトラマンか仮面ライダーになりたいと思っていましたね。仮面ライダーになるために、絵の具でズボン下を緑に染めて、えらく怒られたこともありました(笑)。今だともっと手軽にコスプレできそうですよね。

 小学校高学年の頃は、よく漫画の模写をしていました。「週刊少年ジャンプ」で連載していた『荒野の少年イサム』が好きで、ひたすら描き写していましたね。他の同級生も模写していたんですが、みんなサインペンで描いていたんです。でも僕は、家にあった製図用のつけペンを使っていました。つけペンで描くと筆圧で線に強弱がついて、プロっぽい仕上がりになるんですよ。友達からも描いてとリクエストされるようになって、それがうれしくて、たくさん模写しましたね。



 当時は将来、漫画家になりたいと思っていたんです。ただ、いざ漫画を描こうとすると、たいてい扉絵だけで終わってしまって……絵を描くのは得意でしたが、ストーリーを考えるのはやっぱり難しくて、なかなか中身まで描けなかったんですよね。でもひとつだけ、「仮面ライダーSファイブ」という僕のオリジナルの仮面ライダーだけは、ストーリーも考えて随分描きました。自分なりにコマ割りをしていくと、だんだんとコツみたいなものがわかってきて。続けていたらよかったなと、今にして思いますね。


人体のビジュアルに興味津々


 本の思い出としては、小学1年か2年の頃に買ってもらった『幼年世界文学全集』(偕成社)に、すごく印象に残っているお話があって。旅の老人をもてなそうと、猿と狐が木の実や魚をとってくるんですが、何もとってこれなかった兎が「自分を食べてください」と言い残して、火の中に入っていく、というお話です。仏教の説話のひとつで、月の兎の由来となる話らしいのですが、ラストがあまりに悲しくて、衝撃を受けました。



 小学2年生のときに課題図書として読んだ『八月がくるたびに』(理論社)も、よく覚えています。原爆の話で、戦争の悲惨さが文章でも絵でも表現されていました。今出版されている愛蔵版は絵が変わっているようですが、僕が読んだ初版の絵は色味もタッチもどこか不気味で、忘れられないほどのインパクトがありました。



 物語の本以上に僕にとって身近だったのは図鑑です。小学館のなぜなに学習図鑑シリーズの『なぜなにきょうりゅうと怪獣』が好きで、よく見ていましたね。講談社のスクール図解百科事典は、動物、植物、産業、歴史など、家に全シリーズあったのですが、中でも人体に夢中になりました。といっても、臓器の名前をたくさん覚えたりはしていなくて、ビジュアルとして楽しんでいたんだと思います。自分の体の中もこんな風になっているのか、と驚きながら、ぼろぼろになるほど眺めていました。



好きを極めて、絵本の世界へ

 学校では、好きな教科は図工と理科でした。図工は絵が得意だったからで、理科は図鑑をよく見ていてなじみ深かったから。昆虫をはじめ、生き物に興味がありましたしね。自由研究でクモのことを調べたこともありました。嫌いな教科は体育。父も兄も運動神経がよかったんですが、なぜか僕には遺伝しなかったんですよね。特に球技が嫌いで、ボールを投げても飛ばないし、キャッチすることもできないしで、球技大会が憂鬱でした。




 絵は得意だったので、市展で毎年賞をもらっていました。受賞作を展示する市の施設が家の近所にあったので、うれしくて何度も見に行った記憶があります。両親は基本的には放任主義でしたが、賞状をもらってくるとすごく喜んでくれましたね。

 市展には一般の部というのもあって、地元で活動するデザイナーやイラストレーターの作品も展示されていたんですが、そこで見た作品のひとつがあまりにうまくて、衝撃を受けたのを覚えています。鉛筆で車を描いた細密画だったんですが、きっと今の自分よりもうまいんじゃないかなと。大人の仕事だな、かっこいいな、と思いましたね。

 高校では美術科に進んで、画家を目指して芸大を受験したんですが、一浪しても受からなかったんです。画家は難しいからイラストレーターになろうと考えて、専門学校に進みました。卒業後は、医学書の解剖図やゲームの背景などを描いたり、装丁や雑誌のイラストの仕事をしたりしていたんですが、個展で描いていた妖怪の絵をきっかけに、絵本の世界に入りました。妖怪も、小学校時代に「ゲゲゲの鬼太郎」が流行った頃から好きだったんですよね。好きなことを極めてきたからこその今なのかな、と思っています。

鬼たちが小学校に給食を食べにくる

 新作『きゅうしょくたべにきました』(2024年4月24日発売)は、鬼たちが小学校に給食を食べにくるというお話です。最初は空から巨大な冷凍みかんが降ってきて、それをみんなで食べる、という展開を考えていたのですが、何度もラフを描き直したり、編集者さんと打ち合わせを重ねたりするうちに、ストーリーがどんどんシンプルになっていきました。



 給食というと思い出すのは、小学校の頃、母が臨時で2週間だけ給食の調理の仕事をしたときのこと。給食の残りを持ち帰ってきて、夕飯に食べたのがうれしかった覚えがあります。昼間と同じものを食べることになるんですが、普段家で食べないメニューが食べられるのがうれしかったんでしょうね。給食自体も好きだったんだろうなと思います。

 僕は絵本の原画を描き終えると毎回、もっともっと描き込みたかったと感じてしまうんです。今回も圧倒的に時間がなくて、満足いくまで描けなくて……いつも同じ反省をして、この連続でこれからの人生も終わるのかな、なんて思ったりもします。ただ、締切がないと延々と描き続けてしまうので、それはそれでありがたいんですけどね。

 今後も、読者の皆さんが喜んでくれるような絵本を出していきたいと思っています。僕自身は、こういう作品を出したいといった作家的な強い思いというのは特にないんですね。ただ得意不得意はあるので、自分の得意な画風で、皆さんに楽しんでもらえる絵本を作っていけたら本望です。

取材・文:加治佐志津


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