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【好きなことに全⼒で浸る】 ⼦どもの頃の話を聞かせて! 第8回「翻訳家・番由美⼦」


⼩学⽣に⼤⼈気の「暗号クラブ」「スパイ暗号クラブ」シリーズや「マジック・ツリーハウス」シリーズの翻訳を⼿がける番由美⼦さん。番さん⾃⾝はどんな⼩学⽣で、いつ翻訳家になろうと思ったのでしょうか。⼦ども時代から作品についてまでいろいろお聞きしました。

【プロフィール】
番 由美子

英語・フランス語翻訳者。訳書に『暗号クラブ』シリーズ、『ふたご探偵』シリーズ、『新訳 十五少年漂流記』、『新訳 海底2万マイル』、『新訳 レ・ミゼラブル』(すべてKADOKAWA刊)などがある。米国ニューヨーク州在住。

 

無⼈島ごっこ、⻤ごっこと公園遊びを満喫

――「暗号クラブ」シリーズは、暗号好きでクラブを結成した⼩学⽣ 5 ⼈の仲良しグループがさまざまな事件に巻き込まれ、暗号を解読しながら事件を解決していくシリーズ。続編の「スパイ暗号クラブ」では中学⽣に成⻑した 5 ⼈も描かれます。番さん⾃⾝は、どんな⼩学⽣、中学⽣でしたか? 

 ずっと外で遊んでいる⼩学⽣でした。⼩4から千葉県松⼾市の団地に住んでいて、学校から帰ると同じクラスの⼦たちが公園に集まって、男女混じり、鬼ごっこや缶けりをしていたんです。
 5年生のときは仲良しの女の子たちと「無⼈島ごっこ」にハマりました。公園の東屋(あずまや)を家に見立て、⽔飲み場はお料理場、ツツジの植え込みは砂浜と海……ということにして、ツツジの花の蜜を「デザート」にしたり、いろいろなシチュエーションを作りながら1年くらい飽きずに遊んでいましたね。



 5、6年⽣はドロケイ(泥棒と警察に分かれる⻤ごっこの⼀種。ケイドロ)や野球、誰かの家にドドッと流れてみんなで漫画を読むことも……。塾に通う⼦も少数いたのですが、ほとんどは地元の公⽴中学に進むので、「勉強しなさい」と親に⾔われることもなく、⼣⽅のチャイムが鳴り、⾒回りの⼈が「帰りなさいよ」と⾔いに来るまで遊んでいました。 

 中学校ではバドミントン部に⼊りました。部活やクラスの友達と楽しく過ごしていたのですが、⼀⽅で突然思春期に⼊って。⼈に話しかけるとき緊張するようになり、新しい友達を気軽に作れなくなったことを覚えています。

――特別に楽しかった思い出はありますか。

 ⼩学校⾼学年のとき、インコのお世話係で、週末はインコを家に連れて帰っていたのが幸せな思い出です。学級で飼育していたつがいから⽣まれたペコちゃんとポコちゃんという 2 ⽻の可愛いインコで、⼿に乗るとあたたかく、ヒエとアワの⾹ばしい匂いがふわーっとして……。うちではペットを飼えなかった分、当番の週末は幸せな気持ちでいっぱいでした。でもいろんなお家で預かるうちに 1 年ほどで脱⾛しちゃった悲しい記憶でもあります。

幼い頃は負けず嫌い

――もっと幼いとき、2、3歳から幼稚園頃はどんな⼦どもだったのでしょうか。

 常に3歳上の姉と同じことをしようとする⼦だったそうです。姉と同じ本を読もうとしたり(読めないのに)、姉が⽂字を習って家で書いていると、まだ2、3歳なのに「わたしもかく」と⽂字じゃないものを書いて満⾜するとか。姉にくっついて歩き、姉の友達と⼀緒に遊んでもらうのが当然で、負けず嫌いだったと⾔われます(笑)。

――習い事はしていましたか?

 ピアノが唯⼀の習い事でした。小2くらいから中 2 まで習いましたが、とにかく楽譜が読めなくて……。発表会でもみんながスラスラ弾くのに、私は「つっかえてたね」と友達から言われるくらい(笑)。姉がピアノを頑張っていて、親の意向で⼀緒に通っていたので……決して嫌いじゃなかったのですが上達しなかったです。



――ご両親は厳しかったですか?

 ⽗も⺟も昭和の親らしい厳しさがありました。ガムもジュースもだめ、買い⾷い禁⽌、漫画もだめでしたが、本だけは読みたいものを買ってもらえました。

 漫画で唯⼀許されたのが、くらもちふさこさんの『いつもポケットにショパン』。実は漫画より先に、朗読のカセットテープに出会っているんです。⺟が原作は漫画だと知らずにテープを買ってくれて。ストーリーの中でピアノの場⾯になるとショパンやラフマニノフが流れてくる、そのテープが姉と私は⼤好きでした。姉が⾼校⽣になった頃、漫画を買って読むことができた思い出深い作品です。

なりたかったのは考古学者や新聞記者、でも⼀番は作家

――⼩さい頃に好きだった本は?

 モーリス・センダックの『こぐまのくまくん』、アーノルド・ローベルの『とうさんおはなしして』は特に好きでした。かこさとしさんの「ことばのべんきょう」というペーパーバックの生活絵本シリーズは、絵をいつまででも見ていられました。小学生のときは角野栄子さんの『ズボン船長さんのお話』です。角野さんのブラジル時代が下敷きになっているようですが、明るく爽やかで、国籍不明なユーモラスさが大好きなお話です。



ものの名前を楽しく覚えられる『ことばのべんきょう』


 

――憧れた職業はありますか?

 幼稚園から⼩3年まで3 年半くらい、⽗の仕事で中東に住んでいて。⼩3のときはエジプトのカイロに住んでいた影響だと思いますが、考古学者に憧れていました。⽗はダムなど建築物の仕事に関わっていたようです。⽇本⼈学校には駐在員の子たちがいたので、友達のお⽗さんがテレビに出ているのを⾒ると「記者ってかっこいい」と思ったり。シャーロック・ホームズなどミステリーが好きなときは警察官に憧れたこともあります。



 

 でもやっぱり本が好きだったので、作家になりたいとずっと思っていました。帰国後は絵本雑誌「MOE」を購読し、ますむらひろしさんや、東逸⼦さんの好きな絵を切り抜いてコルクボードに貼ったりしていました。幻想的な絵から想像を膨らませて童話みたいなものを書いていました。

パリの格安アパートでアルバイト三昧

――今まで、いちばん頑張ったことは何ですか。

 翻訳者になるため、フランスのパリで語学学校や翻訳学校に通いながら、アルバイトをたくさん掛け持ちしていたことですね。生活費を自分で稼いでいたので、まるでサバイバルのような⽣活でした。 アルバイトは、お⼟産物屋さんの店員、ベビーシッター、ブティックの店番、商品の買い付けなどです。パリコレのモデルさんの着替えをバックヤードで⼿伝うアルバイトも何回か経験しましたが、現場の凄まじい緊張感は怖かったです。でも今思えばどれも面白い経験でした。




 

――パリには何年くらい住んでいたのですか。

 パリには全部で 4 年半くらい住みました。そのうち約2 年はスレート屋根のアパートの最上階、昔の⼥中部屋を借りての1 ⼈暮らしでした。夏は灼熱で冬は寒く、天井は斜めだし、⼈がすれ違うのもやっとの狭さで 13平⽶くらい。当時、家賃3、4万円だったでしょうか。エレベーターも最上階まではなく、1階分は歩いて登っていました。

――翻訳家になろうと思ったのはいつですか。

 ⼤学を出て、⽇本で就職しましたが、社会⼈になってすぐ挫折して……。翻訳者になろうと思ったのはそのときです。海外に⾏きたかったのもあり、イギリスのロンドンやフランスのパリの通訳・翻訳学校を探しました。 

 パリには⼤学附属の通訳・翻訳者養成コースがあり、1 年という短い期間で⽇本語とフランス語のコースを受けられること、⽇本の⼤学で取得した単位が認められることから決めました。ただ⼤学附属のコースなので、まず試験に合格しないと通うことができない。渡仏直後はとても合格できるレベルではなかったので、働きながら語学学校に通ったのです。 

 何回かチャレンジしてようやく翻訳コースに通えるようになったときはほっとしました。卒業後、翻訳家志願者向けのポータルサイトを通じて、翻訳コンクールや翻訳出版企画のトライアルに参加するようになり、出版社からお仕事をいただけるようになりました。

翻訳するたび、学びがあることはラッキー

――翻訳の仕事の魅⼒は?

 本が好き、⽂字が好きという⼈には楽しい仕事だと思います。好きなジャンルの作品に出会えると幸せです。翻訳中、ずっとその世界に浸っていられますから。また、世界中どこに引っ越してもできるのがありがたいですね。翻訳には調べものが必須ですが、毎回、作品ごとにいろんな学びがあり、勉強になるのがラッキーな仕事だなと思います。

――「暗号クラブ」シリーズは、友達同士で暗号を解きながら読んでいるという声も聞きます。翻訳にあたり⼯夫していることはありますか?

「暗号クラブ」は、本国アメリカ以上に⽇本で人気で、実は⽇本の⼦たちが楽しめるように暗号や物語をかなり編訳させてもらっています。5 巻から「リカ」という⽇本⼈の⼥の⼦が加わり、メンバーが 5 ⼈になるのですが、これは作者が⽇本の読者のために作ったキャラクターなんですよ。英語の暗号はそのまま使えないので、暗号事典やネタ本を買い集め、⽇本語にできそうな暗号を探して組み込むなど、編集者さんと工夫しています。⽬次の指⽂字表記も、⽇本版オリジナルのアイデアです。 

 また、このシリーズは主⼈公たちが世界中のいろんなところに⾏くのが楽しいところです。「監獄島」と呼ばれるアルカトラズ島や、⾸都ワシントン D.C.で事件に巻き込まれたり、 9 巻では⽇本へ、20 巻ではハワイへ旅をします。京都の⼆条城で歴史を学んだり、ハワイでは現地の⾷べ物や踊りを知るなど、⾏った先々で学びがあって、謎解きの冒険と体験学習、⼀⽯⼆⿃のワクワクドキドキを味わえると思います。




――「マジック・ツリーハウス」は51巻から訳を手がけていますが、どんな思いで訳していますか。

「マジック・ツリーハウス」は、私が翻訳者としての道を歩み始めたときすでにベストセラーで憧れのシリーズでした。前任の翻訳者、⾷野雅子さんのお仕事を引き継いだことをとても光栄に思っています。⾷野さんが訳されたアニーとジャックの口調や雰囲気をなるべく壊さないようにしながら、51巻以降の訳をしています。




 翻訳を引き継ぐことが決まったとき、作者のメアリー・ポープ・オズボーンさんにご招待いただき、アメリカ東海岸にあるご自宅を訪れるという機会に恵まれました。「マジック・ツリーハウス」は世界で1億5000万部超も出版されているという大大ベストセラー作家なのに、本当に⾃然体で、まっすぐで優しさのかたまりのような⽅でした。 
 動物好きなアニーと優しいジャックの、互いを思いやる気持ちがそのまま⽣きているようなお⼈柄で。ワンちゃんを飼っていて大事にしている様子と、ご自身がちょっとケガをされていたときだったのに、私たちを気遣ってくださる様子は、アニーとジャックが持つ思いやりや正義感そのままだなと。作品の根底に流れるあたたかさを、訳を通じて皆さんに伝えられたらと思っています。 

 現在翻訳中の52 巻はアメリカではすでに刊⾏されていて、ガラパコス諸島の絶滅危惧種がテーマになっています。ゾウリクガメを⽕⼭の噴⽕から守るため、アニーとジャックが奮闘します。夏頃発売予定なので、楽しみにしていただけたらと思います。

ライター:大和田佳世


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