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今も“恐竜研究者”という山を登り続けている最中!! 子どもの頃の話を聞かせて!第7回「古生物学者・小林快次」


恐竜研究のトップランナーとして、世界各国で発掘調査を行いながら恐竜の研究を行っている北海道大学総合博物館教授の小林快次先生。カムイサウルス、ヤマトサウルス、パラリテリジノサウルスなど日本の恐竜を命名したり、恐竜に関するさまざまな本を執筆・監修したりと、恐竜好きの子どもたちならば誰もが憧れる存在です。そんな小林先生に子どもの頃の話などを聞いてみました。

【プロフィール】
小林快次
北海道大学総合博物館教授。1995年米国ワイオミング大学地質学地球物理学科優秀賞を受け卒業。2004年米国サザンメソジスト大学博士号取得。現職の他、大阪大学総合学術博物館招聘教授、米国ペロー自然科学博物館招聘研究員、米国ナショナルジオグラフィック財団助成金審査員などを務めている。恐竜の「鳥化」という研究に着目し、恐竜から鳥へと移るマクロエボリューションにおける食性や繁殖の進化を研究。さらに、モンゴルや中国、米国アラスカ州、カナダなど北環太平洋地域の調査を行い、恐竜の大陸間の移動や極限環境への適応なども研究している。角川まんが超科学シリーズ「どっちが強い!?X」や「恐竜キングダム」など、多数の児童書の監修も手掛ける。

 



©渋谷文廣

 

仏像が大好きで、何ごとにも三日坊主だった子ども時代

 子どもの頃は、お寺めぐりや仏像が大好きな、ごくごく普通の小学生でした。僕は普通だと思っていたのですが、多くの人が「変わった子どもだったんだね」と言うんですよね(笑)。僕が生まれ育ったのは福井県なのですが、親戚が京都に住んでいたので、たまに遊びに行ってはお寺を訪れ、仏像に魅了されていましたね。一番好きな仏像は、京都の広隆寺にある『木造弥勒菩薩半跏像(もくぞうみろくぼさつはんかぞう)』です。そんな子ども時代の僕を、両親は自由にさせてくれましたね。「行きたいところがある」と言えば「行ってきたら」とこころよく送り出してくれました。



 仏像だけでなく、古墳やお城など、さまざまなものに興味を持っていたので、よく言えば知的好奇心が旺盛な子どもでしたが、悪く言えば三日坊主。ちょっと手を出してはすぐ飽きて、また別のことへ手を出すといった感じでした。その上、勉強は本当に何もしない。そんな息子にも、両親は何も言わず、応援してくれていました。でも、僕が仏像に夢中になっていた頃は、さすがに「変わった小学生だな」と思っていたらしいです(笑)。

 僕が子どもだった昭和50年前後は、習い事といえば、そろばんや習字、公文式などでしたが、僕は水泳教室に通っていました。水泳は、ここ数年はお休みしていますが、大人になった今も続けています。発掘調査に向けた体力作りといった目的もありますが、実は水泳はストレス発散に最高なんですよ。泳ぎながら、大きな声でグチを言うと誰にも迷惑かけずにすっきりできるのでオススメです(笑)。

 いまだに「楽しかったな」と思い出す子どもの頃の記憶は、小学校時代に学校で行った体験授業です。田植えをして稲刈りをして、というのは多くの学校でも行っていると思いますが、僕の通っていた小学校では、そのわらで校庭に小屋を建てて、みんなで泊まったり、小屋を解体していかだを作って川下りし、最後にいかだを解体してキャンプファイヤーをする、という稲わらを最大限に活用する授業でした。本当に楽しかったな、と今でも思い出します。

「苦手なものは苦手」「好きなものにはとことん夢中に」を貫き通した

 多くの人は、苦手な分野を克服しようと努力すると思いますが、僕は「苦手なものは苦手」とほったらかしにしていました。親からは「机の前に15分以上座っているのを見たことがない」と言われるほど、勉強していませんでしたね。得意科目は算数や数学で、大好きだったのは理科です。数学は、ゲーム感覚で問題を解いていましたし、理科は覚えることの多い生物は苦手で、実験の多い化学が得意でした。

 中学生になって、理科クラブに入りましたが、そのきっかけも理科が好きだったから。顧問の先生の「福井県はアンモナイトや三葉虫の化石が出ます」という言葉を聞いて、興味本位で入部しました。化石を発掘する中で、泥だらけの汚い石を見つけて、それを割ると中から、すごく綺麗なアンモナイトが出てくるんですよね。その時に、化石ってタイムカプセルなんだな、と感じました。仏像やお城も同じなのですが、1億5000万年前や数百年前に作られたものが目の前にあって、そして今の自分と時を超えて出会う。そんな瞬間に魅了されました。そんな状況でも、恐竜には興味が持てなかったのは、覚えることが苦手だったからです。恐竜の名前や種類、生きていた年代などを覚えるのが嫌で、距離を置いていましたね。



 読書はほとんどしたことはありませんでした。読んだ記憶が残っているのは、芥川龍之介の「羅生門」と、ロバート・A・ハインラインの「夏への扉」ですね。ただ、僕が小学生の頃は、ちょうど子ども向けの学習マンガシリーズがブームになっていたので、そういったものは読んでいましたし、大人気だった「機動戦士ガンダム」などのTVアニメも、みんなと一緒で夢中になって観ていました。SF好きでしたが、いろいろ覚えたり、勉強したりというのはもちろん苦手なので、将来の仕事にしたいとは思ってはいませんでした。

 

アメリカで出会った「今を大事にしろ」というメッセージ

 子ども時代、将来は普通のサラリーマンになりたいと思っていました。しっかり仕事をして、家族を養う。父がそうしてくれていたように、僕も普通の人生を送りたいと思っていました。高校三年生の時、理科クラブで化石を発掘していた縁で、横浜国立大学へ進学することになりました。好きなことは夢中になって打ちこむものの、基本的には自主性がない僕は、大学進学も、そしてアメリカ留学も、周囲の人たちの言うがままでした。そんな中で「本当に自分がやりたいことって何だろう」と立ち止まったのが19歳の時でした。その頃、たまたま観た『いまを生きる』という映画に大きな影響を受けたんです。

 ある全寮制の名門校に、型破りな英語教師が赴任してきたことをきっかけに、生徒たちが詩の愛好会を結成する、という映画で、物語の中で、主人公の教師が生徒たちに伝えるのが「カルペ・ディエム(Carpe diem)」というラテン語です。日本語で言うと「いまを生きる」「今を摘め」といった意味で、「今を大事にしろ」というメッセージをその映画から受け取ったことをきっかけに、人の言うことに従っていた自分の人生にさよならし、今、この一瞬を大切にしながら生きていこうと決めました。この言葉は、今も、いろいろな方にサインを求められた時に書いているほど、大事なものとなっています。

 1年間のアメリカ留学から帰国後、大学の図書館で恐竜図鑑を何気なく開いた時、素直に「あ、面白そうだな」と感じました。ごくごく自然に興味を抱き、そして、子どもの頃から変わらない調子で夢中になり、再びアメリカで、恐竜に関する勉強をしました。英語も恐竜の名前も、僕が苦手とする「覚えること」だらけでしたが、「好きなことを深く知るため」という目的ができたので、まったく苦にならないどころか、楽しくて仕方なかったです。
 



 

 

恐竜好きな子どもたちは、僕にとって「仲間」

 僕がなぜ、恐竜研究者になれたかを自分なりに分析すると、周囲の人たちが研究者という道を選ばなかったなか、僕ひとりが最後まで残っていたからなんです。目標に向かって努力している最中に、すごく高い頂上を見て「ああ、もう無理だ」と思ってしまったであろう他の人と違って、僕は、今、踏みしめている足元や、今、やっていることを大事にする、ということを続けていたら、知らないうちに恐竜研究者という頂上に近づいているだけなんです。今もまだ、頂上に向かって登り続けている最中です。

 子どもたちと触れあう機会があるたびに、僕が楽しそうに恐竜の研究をしているからこそ、「小林先生みたいになりたい」と言ってくれているんだろうな、と思っています。「恐竜が好き」というだけでも、「恐竜研究者」という山の五合目には到達していますので、僕は彼らを仲間だと思っています。そういった小さな仲間たちが、僕が監修した、角川まんが超科学シリーズ「どっちが強い!?X」や「恐竜キングダム」を読んで、恐竜愛を深めてくれているのは、本当にうれしいです。
 



 研究者という仕事の面白さは、まだ誰も知らないような発見を自分で見つけられること、そして、今まで描かれていなかった新しい恐竜像を発信できることです。知識や歴史を作り出すという仕事は、本当に楽しいですね。恐竜研究という分野は、まだまだやることがいっぱいあるので、一人でも多くの恐竜好きの仲間が研究者になってくれて、一緒に発掘しに行けるといいな、と思っています。

ライター:中村実香


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