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小菅正夫先生のライバル 上野動物園第15代園長 小宮輝之先生の動物愛


上野動物園元園長である小宮輝之先生は、『集める図鑑GET! 動物』総監修の旭山動物園元園長 小菅正夫先生と長年のご友人であり、よきライバルでもあったそうです。小宮先生のたくみな日本動物の繁殖術に、小菅先生は「やられた!」と悔しがったこともあるそう。いったいお二人は、どのように日本の動物園を盛り立てていったのでしょうか?

小宮輝之先生と小菅正夫先生が持つ同じ思い

――小菅正夫先生と初めて出会われたときのことは、覚えていらっしゃいますか?

小菅さんと初めて会ったのは、1973年です。私が1972年に多摩動物公園に、小菅さんが1973年に旭山動物園に入園したから、お互い新人の頃でした。
小菅さんが旭山動物園の冬季休園中に全国の動物園を訪問して回っていて、多摩動物公園にも来てくれました。先に上野動物園に行って、その後来たから、夕方だった記憶があります。
当時、多摩動物公園ではヤクシカを放し飼いにしていました。小菅さんが来たのは、ちょうどわなにかかったヤクシカを回収しようとしている時で、彼がそれを捕まえるのを手伝ってくれたんです。彼は柔道をしていたから、がっしりしていてたくましくて、シカをがっしと押さえてましたね。同業者とは言え、お客様に手伝ってもらったわけだから、私としては印象深い出来事です。小菅さんの方でも印象に深く残っているみたいです。

その後に再会したのが、79年に私が北海道屈斜路湖を訪れたときです。野兎研究会に出て、せっかくなので然別湖でナキウサギを見て帰ろうと思ったのに、見つけられませんでした。その後、旭山動物園も見学に行って、ナキウサギの話をしたら、「明日、山に連れて行って見せてあげるから、泊っていけ」と言われて、小菅さんのお家にお世話になりました。その日は歓迎会を開いてくれて、当時の旭山動物園の全職員9名に囲んでもらいました。家族的な雰囲気で、すぐに打ち解けたんです。

その次の日、勤務日だったと思うのですが、小菅さんとあべ弘士さんが、十勝岳を案内してくれました。東京の動物園だったら、組織が大きいこともあって、そういうふうに柔軟な対応をすることが難しいのですが、旭山動物園の人たちに理解があって、送り出してくれたのです。
ナキウサギも見られましたし、ナキウサギがオコジョにつかまるところも観察できました。とても感動したのを覚えています。彼らの案内がなかったら見られなかったでしょうから、うれしかったですね。

――その後も、小宮先生は東京の多摩動物公園と上野動物園で、小菅先生は旭山動物園で活躍されていったのですよね。

旭山動物園は、後に小菅さんが大ブレイクを起こすわけですが、入園者数がまだ少なかった頃から、いつも明るく前向きで、新しいことに取り組んでいこうという気概がありました。あべさんと二人で、旭山動物園を盛り上げていったんです。
二人とは競い合って切磋琢磨する、良きライバルでもありました。なにしろ日本にいる地元の動物を大事にしようという、私と同じ思いをずっと持っていましたからね。実際は地元の動物だけでは人が集まらないから、旭山動物園でもゾウやキリンなど世界の動物を飼育していましたが、地元の動物への熱意がいつもありました。

自分はノウサギの飼育に力を入れていて、野兎研究会に入って勉強していました。その研究会は、研究所や林業試験場の人も入っていて、彼らと仲良くなって、北海道のユキウサギを譲ってもらいました。繁殖にも成功したのですが、北海道の動物園より先に、東京の多摩動物公園が繁殖をやり遂げたわけだから、小菅さんとあべさんは悔しがっていました。かといってもちろん、仲が悪くなるわけではなくて、向こうも負けじと北海道のユキウサギの飼育を始めました。そういう風に切磋琢磨していたんです。
同じく北海道のエゾライチョウも、先に私が上野動物園で繁殖に成功させて、とても悔しがっていました。小菅さんたちは、「動物の地元である北海道を差し置いて、おかしいだろう!」と言っていたのですが、私は「上野動物園は中国のパンダを受け入れたり、お客さんも海外の方が多い、日本の窓口となる動物園なので、地元は日本全体です!」と言い返したら、笑っていたのを覚えています。


アジアゾウに乗る小宮先生


――日本の動物を大切にしたいというのが、小宮先生と小菅先生、あべ先生の共通の志だったのですね。

先ほども少し話に出ましたが、私は特に、ノウサギに一生懸命になりました。それまで動物園はノウサギよりずっと飼いやすいカイウサギばかりを取り入れていて、ノウサギはあまり飼育していなかったんです。ノウサギは飼いにくい厄介な動物で、難獣とも言われているんですよ。これは日本の動物園だけでなくて、海外でも難しいとされています。
もともと「鳥獣戯画」でも、「かちかち山」でも、日本の昔話に出てくるウサギは、ノウサギです。それが、江戸時代になってカイウサギが日本に渡ってきて、オランダ人が出島で増やして流通させたことによって、そちらが主流になってしまいました。そのうち、いつのまにか日本のウサギのイメージは、ノウサギからカイウサギになってしまいましたが、自分は本来の日本のノウサギを飼育して展示したかった。海外の研究者ヘディガー先生の提唱する飼育法を取り入れて試行錯誤して、多摩動物公園で飼育を成功させました。40年前に自分が大工さんと工夫して作ったノウサギ舎は、まだ多摩動物公園に残っています。


エゾユキウサギ

エゾユキウサギも多摩動物公園で繁殖に成功


ガンの繁殖にも力を注ぎました。ガンはもともと、森鴎外の『雁』という小説にも出てくるくらい、東京では身近な生きものだったんです。不忍池で普通に見られるような生き物でした。たぶん昭和までは、冬に飛んできていたと思うのですが、いつの間にか、東京では見られなくなってしまいました。私は東京の空を列になって飛ぶガンを見たくて、動物園で増やして自然復帰させようと思ったんです。
それまで動物園でガンの繁殖は成功していませんでした。彼らは6月頃に北極圏で繁殖します。つまり白夜の中で、繁殖しているわけですね。白夜と同じくらいの日の長さがないと、生殖腺が発達しないだろうということで、蛍光灯で日長を合わせてあげたら、見事成功しました。
ノウサギも、ガンも、自分は日本の地味な動物に特に取り組みました。

また私が動物園に就職した年は、ちょうど日本にパンダが初めて来た頃でしたが、私が最初に担当したのは、「安い」動物たちでした。ヒグマやツキノワグマ、キツネ、イノシシ、ヤク、ロバ、シチメンチョウ、ヤクシカ、ヤギなど、身近に生息していたり、繁殖が簡単で安い動物をたくさん担当していました。ちなみに一番最初の任務は、小菅さんにも手伝ってもらった、放し飼いをやめることになったヤクシカの回収でした。
パンダやゴリラ、ゾウなど、スター動物の担当になると、上司の顔色を伺いながら、自分の思うようにはなかなかできません。身近な動物を好きなように飼育させてもらって、たくさんのことを学びました。今でも、いろいろなことを教えてくれた彼らには心から感謝しています。

「楽しくなければ動物園ではない」

――子どもたちへ、動物園で動物を見るおすすめの方法がありましたら、教えていただけますでしょうか?

まずは動物に囲まれて、彼らをいっぱい見て、幸せな気分になってもらいたいです。今は質のよい本や、インターネットも発達していて、子どもが見られる野生動物の画像が充実していますが、本物にふれ合う機会は少ないですよね。住宅環境の都合で、家で動物を飼えない子もたくさんいると思います。
子どもたちには生きた動物を知ってほしいです。動物園には、動物にさわれるところもあるから、ぜひさわってみてください。映像や画像ではわからない、彼らのぬくもりが感じられるはずです。もっと動物のことを知りたいと思ったら、何度も来て、同じ動物を1年を通じて観察してみたり、他の動物と比較してみたりしてください。そうして動物にだんだん興味を持っていってもらいたいです。キリンやライオンなど、メジャーな動物に目を向けがちですが、ぜひ普通の動物にも興味を持ってもらえたらなと思います。
動物のすばらしさを伝えるのが、動物園の何よりの使命だと思いますので、子どもたちにそうして興味を持ってもらえれば、とてもうれしいです。

――これからの日本の動物園の理想像はありますか?

ずっと思っているのは「楽しくなければ動物園ではない」ということです。今は自然保護など、動物園には難しい使命が課されていますが、何よりまずは、動物たちを楽しく学べる場所であることが第一だと思っています。わくわくしながら「行ってみたい!」と思ってもらえる場所であったらと願います。
小菅さんが長年勤められた旭山動物園は、そういうところで人気が出ましたね。アザラシの豊かな好奇心を活かした透明の円柱トンネルや、オランウータンの腕一本で木々を渡る能力を活かした地上17メートルの空中散歩など、動物たちが楽しく生き生きとしている姿を見せる行動展示はすごかったです。動物たちが楽しそうでなければ、来園者も楽しむことはできませんからね。

さらに理想を言うならば、日本の動物はやっぱり大事にしなければならないと思います。ほろびそうな動物を守らなければなりません。動物園で繁殖させて、野生復帰させるなどして、保全する行動が必要です。そういった取り組みは、欧米がだいぶ先をいっていましたが、日本もだんだんと成果が出てきました。自分も野生復帰には力を入れて、コウノトリやトキ、ライチョウを成功させました。


エゾライチョウの親子

上野動物園で繁殖したエゾライチョウの親子


図鑑育ちの小宮輝之先生が見る『角川の集める図鑑GET! 動物』

――動物をお好きになるきっかけはありましたでしょうか?

きっかけというきっかけは、ありませんでした。最初からとにかく好きで、理由はなかったんです。
小学3年までは神田、日本橋といった都心ど真ん中に住んでいました。その後、文京区に移って、今はあのあたりもずいぶん都会になりましたが、私が子どものときはまだ野原が残っていたりして、田舎らしい自然がありました。野原で土を掘ってミミズを捕まえたり、市ヶ谷のお堀で魚を捕まえたりして、持って帰って飼いました。
それと上野動物園は近かったから、しょっちゅう連れて行ってもらっていたんです。2歳ころから通っていたと思います。

――子どもの頃、図鑑はお好きでしたか?

図鑑は親におねだりして買ってもらった記憶があります。実は、今でも大切に持っているんですよ。
一番古いのは、保育社の『学習動物図鑑』の昭和30年版です。8歳のときに手に入れたはずです。この図鑑だとジャイアントパンダがまだ「イロワケグマ」の名前で紹介されています。
当時上野動物園の園長だった古賀忠道先生の『動物の図鑑』(小学館)と、多摩動物公園の園長だった林寿郎先生の『世界の動物図鑑』(講談社)も大切に持っています。
図鑑を集めるのが好きで、図鑑コレクターといってもよいくらい、古いのも新しいのも、たくさん持っているんです。自分でも企画していますしね。


子どものときに愛読していた図鑑は、今でも大切に保管しています


――『角川の集める図鑑GET! 動物』を最初にご覧いただいた際、どのような印象がありましたか?

「すごいな、いいな」と思いました。
ひとつは生息地別であること。実は私の最初の図鑑の一つである古賀さんの『動物の図鑑』は、生息地別で動物を紹介しているんですよ。近年の図鑑は、動物の科目別のものばかりだったから、生息地別のものは久々に出てきたなと思いました。

それと動物を写真で紹介していますが、自然の中で撮った野生のものばかりで驚きました。そういう写真を探して集めるのは大変だから、どうしても動物園とかの飼育下で撮った写真が多くなりがちですが、野生で撮ったものだと、彼らのすむ場所も見ることができてよいですね。


『角川の集める図鑑GET! 動物』は動物たちがすむ環境まで見えます


私が子どもの頃に見ていた図鑑の監修者を務めた古賀さんや林さんは、二人とも動物園の園長でした。当時は図鑑というものは、実際に生きる動物を身近に見ている動物園の人間が作るものだと、子どもながらに思っていたんです。ところがその後、大学の先生が図鑑を監修するのが、主流になってしまいました。小菅さんが監修の動物図鑑が増えたことで、枠を1つ取り返したとうれしく思いましたね。

――生息地域別の図鑑となりますが、その点につきまして、どう感じられたでしょうか?

最初に動物の分類と、生物地理区というものを説明した上で、それぞれの生息地域別に動物を紹介しているのがよいと思いました。
DNAの検査などの技術が進んで、それまで同種だと思っていたものが別種だとわかった動物もたくさん出てきています。アフリカにいるゾウは、アフリカゾウとマルミミゾウがいて、昔は同種だと思われていたけど、DNAで別種であることがわかりました。さらにこの図鑑は、アフリカゾウとマルミミゾウの見分け方まで載っていて、小菅さんの経験が活きているのを感じますね。
またアフリカゾウはサバンナ、マルミミゾウは熱帯雨林と、生息環境別のページに振り分けられていて、それぞれがすむ場所の背景も写真で見えるから、違いがわかりやすいです。生息環境の違いで、種も異なることが、見て理解できます。

最近は、SDGsが話題になっていますが、この図鑑はそこにも踏み込んでいると感じました。読んでいて豊かな生態系や多様性を感じさせるので、それらを保っていこうという意識が自然と育つのではないでしょうか。今の時代に非常にマッチしている図鑑だと思います。

――『GET! 動物』のここが、動物に興味がある子どもに響くのではと思うポイントがありましたら、いただけますでしょうか?

この図鑑は、小菅さんが野生の動物を観察した経験が反映されていて、彼のこだわりと熱意を感じました。
クロスリバーゴリラが、独立した別種のゴリラとして紹介されていますが、これは最新の分け方です。他の図鑑ではまだ取り入れていないのではないでしょうか? ゴリラはもともと1種だと思われていましたが、現在は亜種も含めると4種。この図鑑は4種ともちゃんと紹介していますね。小菅さんが霊長類研究者の山極壽一さんと、アフリカのルワンダとコンゴへゴリラを観察に行っていたことを思い起こしました。
同じく2017年に新種であると発表されたタパヌリオランウータンも、独立した別種として出ていますね。クロスリバーゴリラも、タパヌリオランウータンも、ちゃんと写真が出ています。写真があると、同種だと思われていた動物と比べられるから、違いも見られます。そういった情報は、子どもだけではなく、大人も楽しめますよね。
大型の動物でも、まだまだ新発見される種があると知ると、ロマンを感じられるのではないでしょうか? 子どもたちにはぜひ、「自分も動物の新種を発見するんだ!」という夢を持ってもらいたいです。


オランウータンも最新の分類で紹介しています


小宮先生にこれからやってみたいことをお聞きしたところ、「まだこの目で見たことがない動物を見に行きたいです。3年ほど前に、オカメインコとセキセイインコの原種を見たくて、オーストラリアの砂漠へ動物園の仲間と行ったのですが、また同じように動物を見る旅をできればと思います」とのことで、動物への飽くなき情熱を感じました。動物探しの旅へ出られた際は、ぜひまたお話を聞かせていただきたいなと思います。

【小宮輝之さんプロフィール】

小宮輝之(こみや・てるゆき)
1947年東京生まれ。1972年に多摩動物公園に就職。上野動物園、井の頭自然文化園飼育係長、多摩動物公園、上野動物園の飼育課長を経て、2004年から2011年まで15代目の上野動物園園長を務める。著書に『動物園ではたらく』(イースト・プレス)、『うんちくいっぱい 動物のうんち図鑑』(小学館)など、図鑑監修に『講談社の動くMOVE 危険生物』(講談社)、『学研の図鑑LIVE 鳥』、『ほんとのおおきさ動物園』(学研プラス)、など多数。


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