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ものがたり

宗田理さん ありがとうございました。『ぼくらの七日間戦争』が80ページまで読める!

     3

 相原徹は、送信機のスイッチを切って、

「どうだった?」

 とみんなの顔を見た。

「ちょっと、固くなってたみたいだったぜ」

 英治は、固くなっているのは、自分だって同じだと思いながら言った。

「とうとうやったぜ」

 宇野秀明(うのひであき)が、うわずった声で言った。

「シマリスちゃん、おっかねえのか?」

 安永宏(やすながひろし)が挑発するように宇野の顔をのぞきこんだ。シマリスというのは、小さくて臆病で、いつもちょこまかと動く宇野のあだなである。

「おっかねえもんか」

 一四五センチの宇野は、一七〇センチの安永を、見上げるようにしてにらんだ。

 部屋は、もと事務室だったらしく、スチールデスクが二十ほど、ほこりをかぶって並んでいる。その上にろうそくが三本立っているだけだから、顔はほとんど影になって見えない。

「無理すんなよ。声がふるえてるぜ」

 みんな、火がついたように笑い出した。

「からかうなよな」

 日比野(ひびの)が言った。日比野は一六〇センチ、七〇キロ、宇野の体重の倍はある。いつもおとなしくて、カバというあだなの日比野が、副番の安永に、こんな口の利き方をしたことに、みんな一瞬しんとなって成り行きを見守った。

「なんだカバ。おれにインネンつけようってのか?」

 安永は、すごんでみせた。

「インネンつけるわけじゃないさ、こわいのはみんな同じなんだ」

 日比野は、ゆっくりとした口調で言った。

「おもしれえ、受けて立つぜ」

 安永は、ボクシングのファイティングポーズをとると、日比野にこいと手招きした。それが、ろうそくの炎で、壁に大きな影を映した。英治は息をつめた。

「デスマッチ、一本勝負。時間無制限」

 天野(あまの)が、リングアナウンサーみたいな大声を出した。将来スポーツアナウンサーを目指している天野は、特にプロレスの実況中継が得意である。

「二人とも、どうかしてんじゃねえのか」

 相原が二人の間に入った。

「おれたちがけんかする相手は、おとなだってことを忘れちゃ困るぜ」

「そうか……。そうだったよな」

 安永は、照れくさそうに、ファイティングポーズをやめた。

 安永のことだから、このままではすまないと思っていたのに、意外にあっさりと引き下がったことで、英治は肩の力が脱けた。

「二人とも握手(あくしゅ)しろよ」

 相原が言うと、安永は素直に手を差しだした。

「わるかった。かんべんしてくれよな」

 日比野は、その手をおずおずとにぎりながら、

「おれも、ちょっと変だったよ」

「ちえッ。世紀の決戦の実況放送をやってやろうと思ってたのに」

 天野は、いかにも残念そうな顔をした。

 その一言で、それまでの緊張がとけたのか、みんなはじけたように笑いだした。

「いいかみんな。ここはおれたちの解放区。子どもだけの世界だ。楽しくやろうぜ」

 相原が言うと、全員が「おーう」と叫びながら、拳を突き上げた。

 英治は、なんだかしらないけれど胸が熱くなった。


 六月の初めのことだった。クラブ活動のサッカーを終えた帰り道、並んで歩いている相原が英治にぽつりと言った。

「おれたちの解放区をつくろうと思うんだけど、おまえ、参加しねえか」

「解放区?」

 英治は、自分より五、六センチ上背のある相原を、ちょっと見上げるようにした。

「解放区ってのはだな……」

 夕陽に向けた相原の顔が、燃えるように赤い。

「おれたちがまだ生まれる前、大学生たちが権力と闘うために、バリケードで築いた地域のことさ」

「おまえ、どうしてそんなこと知ってんだ?」

「おれのおやじとおふくろは、大学時代に機動隊と闘(たたか)ったんだ。おまえんちのおやじだって、やったかもしれねえぜ」

「おれ、聞いたことねえな」

「じゃあ、ノンポリだったんだ」

「ノンポリ?」

「おまえんちのおやじみたいに、学生運動には無関心だった連中さ。だから、いい会社に入れたんだよ。おれんちなんか学生運動やったおかげで、就職するとこねえから塾をはじめたんだ」

「損したな」

「そうでもねえみたい。でも、本心はどうなのかな、やせ我慢かもしれねえよ」

「権力ってなんだ?」

 英治は、相原にばかにされそうな気がしたが、思い切って聞いてみた。

「政府とか警察とか学校とか、要するにおとなたちさ」

「あんまり、よくわかんねえな。それで結局どうなったんだ?」

「そりゃ負けたさ」

「なんだ負けたのか」

 英治はがっかりした。

「負けたっていいのさ。やりたいと思ったことをやれば」

 相原の顔は、いっそう赤く見えた。

「どうしてだ?」

「おまえ、センこうとか親とか、おとなたちのやることに満足してるのか? 言いたいことはねえのか?」

「言いたいことはいっぱいあるさ。でも……」

「でも、なんだ?」

「しかたねえだろう」

「しかたねえとあきらめるのか?」

「だって、おれたちゃ子どもじゃんか」

「子どもは、なんでもおとなの言うことを聞かなくちゃなんねえのか?」

 相原に、こういうふうにたたみかけられると、英治は、なんと答えていいかわからなくなる。

「おれたちだって、力を合わせればおとなと闘えるさ」

「そうかなあ」

 英治には、とてもそんな自信はない。

「そうさ。解放区はおれたちの城さ」

「そこで何をやるんだ?」

「子どもたちだけの世界をつくるんだ」

「そんなことして、おとなたちが黙ってるかな?」

「黙ってねえさ、攻めてくるだろう。そうすりゃ追っぱらえばいいじゃんか」

「ヤバくねえか?」

「ヤバイさ。だからおもしろいんだ」

 相原の目が、きらきらと輝いている。

「やるか?」

 英治は、夕陽に目を向けた。眩しくてすぐ目を閉じた。まぶたの裏で火花が散った。

 なんだか、すばらしいことが起こりそうな予感がする。しかし、同時にヤバイことも起きそうで不安だ。

「びびってんのか?」

「ちがう。考えてんだ。中学に入ってから、おもしろいことねえもんな」

「これからだってねえさ。だんだん、わるくなるばっかりだ」

「やるのは、いまでなくちゃいけねえのか?」

「いましかねえ」

「ほかに、だれがやるんだ?」

「おまえがはじめてさ。おまえがいやだって言えば、この計画はパーだ」

「おれのほかに、だれをさそうつもりなんだ?」

「一年二組の男子全員さ」

「それは無理だよ」

「どうして?」

「そんなことやってたら、絶対偏差値が下がっちゃうじゃんか。やるやつは、どうみたって半分だな」

「半分じゃだめだ、全員でなくちゃ」

「やるのはいつだ?」

「一学期が終わったらすぐだ」

「夏休みか……」

「何か予定があるのか」

 英治は、母親の詩乃の顔を思い出した。このあいだ、夏休みになったら家族三人で、軽井沢へテニスをしに行こうと言われたばかりだ。すっぽかしたらなんと言うだろう。

「こっちの方が絶対おもしろいぜ」

 相原に見つめられて、英治は反射的にうなずいた。

「よし、じゃあ決まった。あとは二人で手分けして、みんなを仲間にさそおうぜ」

 相原の顔がすっかり明るくなった。

「解放区の場所はどこなんだ?」

「ほら、荒川の河川敷に区営グランドがあるだろう。あそこから見える荒川工機(こうき)って会社さ」

「会社なら社員がいるじゃんか」

「それが、だれもいねえんだよ」

 相原は、にやっとわらった。

「どうして?」

「一か月前につぶれたんだ。この間、塀を乗りこえて中にもぐりこんで調べてみたのさ。あそこなら、すげえ砦(とりで)になるぜ」

 ──砦。

 インディアンに取り囲まれた砦、その猛攻の前に、味方はばたばたと倒れてゆく。もうだめかと思ったとき、はるか地平線の彼方から姿をあらわす援軍の騎兵隊(きへいたい)。

 西部劇でよく見るシーンだが、こんどの場合、はたして援軍はやってくるのだろうか。

「いつまで立てこもるんだ?」

「一週間はもつと思うぜ」

「食糧はどうするんだ?」

「それまでに、こっそり運びこんでおくのさ。あそこは、電気はつかえねえけど水は出るから、携帯用のガスコンロを持って行けば、ちゃんと暮らせるさ」

「電気がないっていうと、夜は真っ暗か?」

「キャンプに行ったと思えばいいだろう」

「おもしろくなりそうだな」

「おれたちだけで暮らしてるのがどんなに楽しいか。それを、毎日解放区放送で流してやるのさ。みんな、うらやましがるぜ」

「解放区放送?」

「ほら、FMのミニ放送局があるだろう。あれさ。あれなら、別に電気はなくても放送できるじゃんか」

「センこうやおとなたちの悪口も言おうぜ」

「もちろんさ」

 英治は、胸がわくわくしてきた。


 決行日の一週間前、七月十三日午後七時半。

 曇っているせいか、月も星もない夜だった。

 荒川河川敷の区営グランドに集まった男子生徒は、何度数え直しても二十二人全員であった。

「信じられねえなぁ」

 英治は、相原と顔を見合わせた。相原は、大きくうなずいたまま何も言わない。きっと、感動のあまり、声が出ないにちがいない。

 相原と英治が、手分けしてみんなをさそったとき、いやだと言う者はいなかった。しかし、そうは言っても実際にくる者はきっと減るだろうと思っていた。

 それが全員集まるとは。

「みんな、ちょっと聞いてくれ」

 相原が、黒い影のようなかたまりに向かって話しかける。

「この中に無理して参加してるのがいたら、やめてもらってもいいんだぜ。それだからって、おれたちは仲間はずれには絶対しねえから」

「無理なんかしてねえよ。やりてえからやるんだ」

 黒いかたまりのあちこちで、そんな声がした。

「勉強がおくれるかもしれねえぜ」

 英治が言った。

「いいって、いいって」

 すかさず、だれかが言った。

「センこうににらまれるぜ」

「センこうなんてメじゃねえよ」

「おふくろが泣くぜ」

「勝手に泣きゃいいだろう」



「よし。じゃあこれから一週間の間に、籠城(ろうじょう)に必要なものを運びこむことにする」

 相原は、ズボンのポケットから手帳を取りだすと、水銀灯(すいぎんとう)の明かりにかざした。

「まず第一に食糧品だけど、これは各自が一週間分持ってくること」

「そこ、冷蔵庫あるのか?」

 日比野が言った。

「あるわけねえだろう。電気もつかねえんだから、持ってくるのは米と乾(かん)パン。それに缶詰(かんづめ)だ」

「缶詰なら、おれんちにいっぱいあるぜ」

 柿沼が言った。

「そうか。おまえんちは医者だから、みんなが持ってくるんだな」

「そうさ。段ボール箱の二つや三つなら、持ちだしてもわかんねえよ」

「よし、そいつはいただきだ。ほかにも、家にあまってるものがあったら持ってきてくれ。食糧品のほかに、やかん、なべ、皿、携帯コンロ、しょうゆ、砂糖、塩なんかもいる」

「風呂はもちろんねえだろうな」

「風呂はねえけどシャワーはある」

「えッ? ほんとか?」

「ただし、水だ」

「なあんだ」

「そうだ。せっけんも持って行こう」

「運びこむのはどうするんだ?」

「ほら、あそこに塀が見えるだろう?」

 相原は、堤防に並ぶ工場の一つを指さした。

「あれが、おれたちの解放区だ。あの塀から入れるんだ。ただし、これはセンこうにもおとなにも秘密だからな。気づかれないように行動してくれよ。もし、持ちだすのがばれても、解放区のことは絶対に言うな」

「わかってるって。だけど、女子は知ってるぜ」

 日比野が言った。

「女子には話した。それはこういうことなんだ」

 相原は、額の汗を腕でこすった。

 三日前のことである。相原と英治がサッカーの練習を終えて帰りかけたとき、水泳部の中山ひとみがやってきて、

「男子だけで何かしようとしてるでしょう? おしえなさいよ」

 と言った。

「なんにもしねえよ。なあ」

 相原は、英治の顔を見て言った。

「あなたたちがこそこそ動いてること、あたしたちにはちゃんとわかってるんだからね」

「それは、夏休みに遊ぶ計画さ」

「じゃ、あたしたちも仲間に入れてよ」

 いつの間にやってきたのか、堀場久美子(ほりばくみこ)がうしろにいた。久美子はスケ番である。

「女たちは入れられねえよ」

「どうして? 入れない理由を言いなよ」

「それはちょっと……」

「言えないんならいいよ。そのかわりあたしたちは、男子生徒がおかしなことやろうとしてるって、センこうにチクるからね」

「密告(みっこく)はきたねえぜ」

「じゃ、言いなよ」

 相原は、空を見上げてから大きく息を吸いこんだ。

「言ってもいいけど、絶対秘密を守ってくれるか?」

「あったりまえじゃん。裏切ったら髪を切ってもいいよ」

 久美子は髪を切り落とすまねをした。

「じゃ言うぞ」

 相原は、覚悟を決めたように、解放区計画を話した。二人は息をつめるようにして聞いていたが、

「楽しそうじゃん。あたしたちも仲間に入れて」

「だめだよ。男と女がいっしょに立てこもったら、おとなたちはなんて言うと思う?」

「不純異性交遊(ふじゅんいせいこうゆう)?」

「それだけで、文句なしにパクられちまうぜ」

「それはそうかもしれないけど、あたしたちをシカトするなんて許せないよ」

 シカトとは無視することである。

「シカトはしねえさ。女子にもやってもらいたいことがあるんだ」

「何よ」

「おれたちが中に立てこもるだろう。すると外の様子がわからねえ。それをおしえてもらいたいのさ」

「どうやっておしえるの?」

「それは、あとで考えるよ」

 二人は、それで納得して帰って行った。

「女たちにしゃべって、秘密がもれねえか」

と安永が心配そうに言った。

「だいじょうぶさ。あいつらは信用できる」

「そりゃ、中山と堀場は信用できるけど、女ってのはいい子ちゃんが多いからな。チクるかもしれねえぜ」

「それはおれも考えたさ。だから話すのは、橋口純子(はしぐちじゅんこ)だけにしといてくれと言っといた。といっても、秘密にしておくのは、おれたちが解放区に立てこもるまでの間だ」

「入っちまえば、秘密もくそもねえか」

「そうさ」

 相原はうなずいてから、

「谷本、おまえは外にいてくんねえか?」

と言った。

「どうして?」

 谷本は、眼鏡を押し上げるようにして言った。

「おまえは、まだからだが治っちゃいねえじゃんか」

「もうだいじょうぶさ。ほら」

 谷本は、松葉杖(まつばづえ)を脇に置いたまま、ふらふらと立ち上がった。

「わかった。おまえに外にいてもらいたいのは、からだのことだけじゃねえ。ほかにもやってもらいたいことがあるんだ」

 相原は、谷本を座らせた。

「なんだ?」

「おまえはエレクトロニクスの天才だ」

「天才はオーバーだよ」

 谷本は、照れくさそうにぼそぼそと言った。

「謙遜(けんそん)するなよ。おまえはパソコンのソフトだってできるんだろう?」

「それはそうだけど、やさしいやつさ」

「やさしくたってすげえよ。なあ」

 相原が言うと、みんなうなずいた。谷本が一週間に二回は秋葉原(あきはばら)に通って、パソコンをいじっていることはみんな知っている。谷本の勉強部屋ときたら、電気製品で埋まっている。だから、彼のあだなはエレキングという。

 将来はコンピューターを研究したいと言っているが、もしかすると、ノーベル賞くらい取れるかもしれない。

「おれたちは、おまえがつくってくれたFM発信機で、あそこから解放区放送をやる」

「電気もないのに、放送できんのか?」

 日比野が聞いた。

「あんなものは電池でできるさ。ただし、一〇〇メートルしか届かない」

 谷本は、まるで技師みたいな口の利き方をする。

「それは聞いたよ。だから、一〇〇メートルの間隔で、その放送を受けて、もう一度発信すれば、大きなネットができるんだろう?」

「そういうことになる」

「どうやってやるんだ?」

 安永が聞いた。

「女子にやってもらうのさ。といっても、彼女たちはどうやっていいかわかんねえと思うんだ。そこでエレキングが必要なんだよ」

 相原がそこまで考えていたとは、英治にとって驚異であった。とてもかなわないと思った。

「わかった。だけど、それだけじゃかったるいな」

 谷本は、不満そうな顔をして見せた。

「もちろん、やってもらいたいことはまだあるさ。おとなたちの様子をさぐって、こっちへ報告してもらいたいんだ」

「そんなことは簡単だ」

「さぐるって、盗聴(とうちょう)するんだぜ」

「ああ、わけないよ」

 谷本は、いとも簡単に言った。

「よし。これでおれたちは安心して籠城(ろうじょう)できるってもんだ。じゃあ、たのんだぜ」

「ああ、まかしとけ」

 相原は、谷本とがっちり握手した。


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