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ものがたり

宗田理さん ありがとうございました。『ぼくらの七日間戦争』が80ページまで読める!

 二日 説得工作(せっとくこうさく)

     1

 英治は、窓の明るさで目がさめた。周囲の様子がいつもと変わっている。おやっと思った。

 ──そうか。ここは家ではなかったのだ。

 もとは会議室だったのだろうか。三階にあるこの部屋には、長テーブルと折りたたみ椅子がいくつもあった。それを全部廊下に運びだし、床にビニールの防水シートを敷いて、そのうえで全員がごろ寝したのだ。

 英治にとっても、おそらくみんなにとっても、こういう経験ははじめてである。最初のうちは、背中が痛くてなかなか寝つけなかった。もちろん、はじめて解放区に立てこもった夜ということで興奮もしていた。

 解放区より、ブラックホールの方がいいと言ったのは立石だ。プロレス狂の天野は、ワンダーランドの方がいいと言った。安永は荒川城(あらかわじょう)にしろよと言った。

 みんなで、夜おそくまでしゃべり合い、そのうち疲れて眠ってしまった。横を見ると、宇野秀明が背中を丸めて、おだやかな寝顔を見せていた。

 宇野の過保護ママはクラスでも有名である。みんなにさびしくないかとひやかされて、ついに泣きだしてしまった。あれは少しかわいそうだった。

 不安なのはみんな同じだった。だから宇野をからかって、自分の気持ちをまぎらわそうとしたのだ。

 英治は、そっと起き上がって部屋を出た。廊下は薄暗く静まりかえっている。階段を降りる自分の足音がぺたぺたと頼りなく、汚れたコンクリートの壁にひびく。まるで監獄(かんごく)みたいだ。

 外へ出ると明るさが目にしみる。わずかな空地を隔てて工場がある。この空地がこれからみんなの広場なのだ。

 ビルの脇に消火栓があって、そこから水がちょろちょろともれて、広場のアスファルトにしみをつくっている。

 これは防火用の消火栓(しょうかせん)で、ホースのつなぎ方もわかった。これがあるおかげで、体も洗えるし、炊事もできる。トイレには、バケツに一杯水を入れて持って行くことにした。

 英治は、水を両手で受けると顔を洗い、口をゆすいだ。タオルを持ってくるのを忘れたので、顔をふくことができない。このまま乾かそうと思って、空に顔を向けた。

 雲ひとつない空。朝が早いせいか、色はまだ淡いブルーだ。深呼吸をした。だれかが走ってくる足音がした。ふり向くと相原だった。

「もう起きてたのか?」

「目がさめちゃったんで、中をひとまわりしてきたんだ」

 相原が、英治に解放区をつくろうと言い出したとき、なんとなくおもしろそうだというので賛成した。仲間をもっとふやそうと声をかけてみたが、集まるのはせいぜい五、六人だろうと思っていたのに、中尾や小黒(おぐろ)みたいに、勉強しか興味がないと思っている連中まで、仲間に入れてくれと言いだした。

 そしてとうとう、クラスの男子生徒全員が立てこもるという大袈裟(おおげさ)なものになってしまった。

 なぜだろう? みんな英治と同じように、何かやりたかったのだ。

 それがいまはっきりとわかって、みんなは立ち上がったのだ。

 ──そうさ。子どもはおとなのミニチュアじゃないんだ。自分たちの思いどおりになると思っていたら大まちがいだ。それを、はっきりと思い知らせてやるぜ。

 相原の顔は、心なしか蒼ざめて見える。いくら朝でも、この広い工場の中を、一人で歩くのは薄気味わるかったのかもしれない。

「おまえ、よく一人で歩けるな。勇気あるよ」

「それがだよ」

 相原は、目を大きく見開いて英治を見た。

「どうしたんだ?」

「おれたち、きのうみんなでこの中を見てまわったよな」

「うん」

「そのとき、どこにもだれもいなかったよな」

 相原は念を押した。

「いなかった」

「ところが、いたんだよ。人間が……」

 相原の頰(ほお)が、緊張のためかぴくりと痙攣(けいれん)した。英治は、顔から血が引いてゆくのが自分でもわかった。

「おどかすなよ」

「おどかしてなんかいねえよ。ほんとなんだ」

 相原がこんな真剣な表情をするのははじめてだ。

「うそだと思うなら、いっしょに行ってみるか?」

「いいよ。おまえがそう言うなら信じるよ」

 英治は、とても見に行く気にはなれない。

「行ってみようぜ。おれもちょっと見ただけで、びっくりして逃げてきちゃっただろう。生きてるか死んでるかもわかんねえんだ」

「死んでる?」

 声が勝手にふるえ出した。

「行こうぜ」

 相原はそう言うと、先に立って歩きだした。ここで逃げたら、相原に軽蔑(けいべつ)されることは目に見えている。英治はあとにつづいた。

 相原は、英治が出てきたビルに入って行く。一階は車庫と、製品の積み出しをしていたのであろうか、いまは何もないがらんどうである。前方の入口には、鉄のシャッターがおりているので中は薄暗い。

 入口の近くに小部屋があった。もとは守衛(しゅえい)の詰所(つめしょ)か、それとも宿直室(しゅくちょくしつ)なのか。

「あそこだよ」

と相原は指さした。相原の歩き方が忍び足になった。英治も、音を立てないようにそのあとにつづく。

 部屋にはガラス窓があった。相原は顔をつけてのぞきこむと、後ろから近づく英治の頭をかかえるようにして、ガラス窓に押しつけた。英治には、ちょっと高さが足りないので、中が見えない。近くから木ぎれを拾ってきてその上に乗った。

「な、いるだろう」

 相原の押し殺した声が耳のはたでした。たしかに男が一人寝ている。

「生きてると思うか、死んでると思うか?」

 部屋の中は、外よりいっそう暗く、男の表情も見えない。

「わかんねえ。だけど、きのうここはたしかに見たぜ」

「たしかにいなかったよな」

「そうすると、おれたちが寝てる間に入ってきたんだから生きてるさ」

 こんなあたりまえのことが、相原はどうしてわからないのだ。

「それはそうだけど、奴はどこから入ってきたんだ? おまえだってわかってるだろう。おれたちがここへ入るときは、なわばしごを堤防(ていぼう)側の塀(ほり)にかけて乗り越えてきたんだ」

「ほかに入口があるんじゃねえのか」

「絶対ない。おれは徹底的(てっていてき)に調べたんだ」

「おかしいな。じゃお化けか?」

 英治は相原の顔を見た。そのとき、乗っていた木ぎれから足がはずれて、派手な音を立てて床に転げた。

「痛えッ」

 思わず悲鳴をあげた。相原が指を唇にあてたがもうおそい。

「起きたぞ。生きてる」

「どうする?」

 英治は逃げ腰になった。

「会おう」

「みんなを呼んできてからの方がいいんじゃねえのか?」

「だいじょうぶさ」

 相原が言ったとき、ドアーがあいて男が顔を出した。薄汚れてしわだらけの顔。髪は白いのだろうが、いまは灰色になっている。どう見ても浮浪者(ふろうしゃ)といった風体だ。

「おまえたち、どこからやってきた?」

 意外におだやかな声だ。

「それより、おじいさんこそ、どこからやってきたんだ?」

 相原は胸をそらすようにして、逆に聞きかえした。英治の方は、足が勝手にふるえ出して、止まらなくなってしまった。

「おじいさんだと? おまえたちいくつだ?」

「中一だよ」

「中一か。わしにもそのくらいの孫がいる」

「おじいさん、この工場の人?」

「ちがう。関係ない」

「じゃ、どうして泊まってるんだい?」

「泊まりたいから泊まっているんだ」

「家はないの?」

「あるさ、ずっと遠くに」

「どうしてそこに住まないの?」

「息子とけんかして出てきたんだ」

「それからずっとここに住んでるの?」

「そうだ」

 老人は、ちょっとさびしそうに目をふせた。英治にも静岡(しずおか)におじいさんとおばあさんがいる。それを思い出して、なんだかかわいそうになってきた。

「だけど、きのうおれたちがやってきたときにはいなかったじゃん」

「きのうは、夜おそく帰ってきたんだ」

「どこから入ってきたの?」

「おまえたちこそ、どこから入ってきた?」

「おれたちは、塀を乗り越えたのさ」

「二人でか?」

「ちがう、二十人だよ」

 英治は、二十人というところを、ことさらはっきりと言った。

「二十人だと……?」

 老人は、口を半ばあけたまま、二人の顔を見つめた。

「おまえたち、ここで何をするつもりなんだ?」

「おれたちの解放区をつくるためさ」

「解放区?」

 老人は目をしばたたかせた。

「おとなにじゃまされない、子どもたちだけの城さ」

「そんなこと、おとなが許すわけないだろう。ばかなことを考えるな」

「許さなかったら、戦うだけさ」

「戦うだと……? 勝てると思っとるのか?」

「負けるつもりで戦うやつはいねえよ」

「あきれた連中だな」

 警戒的(けいかいてき)だった老人の目が、すっかり柔和になった。

「おじいさん、どうやって入ってきたのかおしえてくんないか」

 相原が食いさがった。

「ついてこい」

 老人は先に立って歩き出すと、ビルの外へ出た。そのまま真っ直ぐ広場のすみまで行って、マンホールのふたを指さした。

「ここだ」



「ここから入ってきたの?」

「そうだ」

「だって、この下は下水道なんだろう?」

 英治が聞いた。

「そのとおり」

「下水道を歩いてくることができるの?」

「できるさ。ここをおりてしばらく行くと本管に出る。そこは立って歩けるほどの大きさだ」

「下水道って、どぶねずみがいるんじゃないのかな」

「そりゃいるさ。猫ぐらいの大きさのやつが」

 英治は、もう少しで、声をあげるところだった。

「下水道を通ってどこへ行くの?」

「南へ三〇〇メートルほど歩いて上へあがると、中学の近くにある児童公園の、ブランコの下に出られる」

「ええッ。あのブランコなら乗ったことあるぜ。そういえばマンホールがあった」

「へえ。そんなところへ出られるのか」

 相原は、首を振って感心した。

「おじいさん、どうしてそのことを知ってるの?」

「わしは、二十年前までこの会社で働いていたからさ」

「その秘密の抜け穴のこと、おじいさんのほかに知ってる人いる?」

「おらん。あの当時でも知っとるのはわし一人だった。ましていまなんか、だれ一人知るわけないさ」

「そうか。いいことを聞いちゃったぞ」

 相原は、両手をにぎりしめてガッツポーズをとった。


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