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<実例――私の頼り方>「頼る」スキルの磨き方  第4回


いま、孤独を感じながら、大変な思いで育児をしている人が多いように感じます。助けを求められず、世間の自己責任論に押しつぶされながら身を削って子どもに向き合っている人もいるかもしれません。新型コロナウイルス感染症の広がりで人との対話が生まれにくくなり、孤立する人が増加しました。子育て世代も例外ではありません。不登園や不登校の児童数も増加していることが問題になっています。そのような状況の中、親にとっても子どもにとっても重要性を増すものとして、周りの人に頼る力、つながる力である「受援力」を挙げるのは、医師で公衆衛生がご専門の吉田穂波氏。著書『「頼る」スキルの磨き方』では、「困った時に他の人に助けを求めること」の重要性を説いています。

※本連載は『社会人に最も必要な「頼る」スキルの磨き方』から一部抜粋して構成された記事です(毎週土曜更新/全4回)

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 実例――私の頼り方 

 口をついて出そうになるネガティブな言葉をポジティブな言葉に変換する力は、「打たれ強くなる」経験を重ねていく中で培われます。
 皆さんも「これは、絶対に、無理!」と思う経験をしたことがあるのではないでしょうか。例えば、仕事でも家庭でも、することがたくさんあり、一秒の時間を惜しみながら回転するように過ごしている日常の中に、割り込む形で緊急事態が発生します。自分が対応しなければいけないこと、時間をかけなければいけないこと、例えば自分の病気、家族の病気、思わぬ紛失物、家電製品の故障、などなど……。
 Disaster(災害)は大地震や水害などを指す言葉ですが、大規模災害でなくとも、人生の中で、災害に遭ったかのように感じる経験があります。病気、死、仲たがいだけでなく、日々の小さなトラブルには、皆さんももっと頻繁に遭遇するのではないでしょうか。

 そんな時、自分が受けたダメージを回復しながら、日常生活のほうも立て直そうとする――これはもはや曲芸で、一人ではとても時間がかかりますし、エネルギーも必要になります。ショックを受けている時は「被害者的な気持ち」になっているため、そのショックから回復するには余計に時間がかかります。また、誰かの力を借りるとよいとわかっていても、そのためのエネルギーが下がっているため、人に頼るタイミングが遅くなりがちなのです。
 また、自分が立ち直るためのレジリエンス(しなやかな回復力)を高めるためには、ショックや悲しみ、戸惑い、うっぷんを受容し、傷ついている自分をいたわり、自己肯定感を取り戻す必要があります。それには、人の助けを借りることがベストなのですが、自己肯定感が下がっている時には、自分のために他人の時間を割いてもらうことをためらってしまいます。
 こうして「エネルギーが足りない」「自己肯定感が低くなる」というダブルパンチで、「人に頼る」ということ自体ができなくなってしまうのです。

 私の「Disaster」は、前述の子どもの不登校でした。

 


 

 コロナ禍の影響か、それまで元気に学校へ通っていた小学生の息子が突然、学校に行きたがらなくなり、家族の皆が驚きました。私にとっては、元気に通学している子どもを喪失したような体験です。子どもは健康なのですが、友人と生き生きはつらつと遊んでいる姿は見られず、朝起こそうとしても起きてきません。食事もとりません。家の中にこもり、日常生活のリズムも乱れてしまいました。原因は今でもはっきりしません。
 子どもが辛い時こそ、自分が笑顔で温かくどっしりと構えていなければいけないとわかっているはずなのに、私まで気持ちがふさぎ込み、ありとあらゆるSNSや、社交的な場を避けるようになり、「自分は、母親失格だ。子どもが辛かったのに、気づけなかった」と自分を責めていました。アメリカの精神科医であるエリザベス・キューブラー・ロスの「喪失の5段階プロセス」(否定→怒り→何かに頼り→うつ状態になり→やがて受け入れる)のどこか途中を自分は歩いているんだろうな、と思って、半ば投げやりになったり、なんだか落伍者のような気分になったり、無力感や罪悪感でいっぱいになったりしました。
 こういう場合、専門書によれば、「子どもが無条件にこの世界に愛されている」という実感と安心感が必要だそうで、そのためには、
①家族以外の外とのつながりを持つこと
②自分自身を丸ごと肯定してくれる場にいること
③変化を期待しないこと

 がとても重要になってくるのだそうです。「ただその場に一緒にいる」という時間を十分に取ることが大切であり、その「共にいる」ということが、ゆっくり育まれていく、本人の中の変容の土台となるそうです。親や家族にできることはこの土台になることだと思いますが、とても長い時間がかかりますし、外からは何も起こっていないようにも見えますので、とても焦れったく思いました。
 1滴ずつ変化への契機となる水が溜まり続け、いつかコップの水があふれるように、なんらかの自発的行動につながる――様々な本や人の話からそう聞いてもなお先行きが見えず、「この状況が、いつまで続くのか」と、暗澹としてしまいました。
 これまで私は、「いつもニコニコ笑っている親になるために」と、できるだけ完璧主義を捨て、家事や育児を切り盛りしてきました。でもそれは、子どもが元気に保育園や学校に通ってくれればこそです。「今は、ただただ、子どものそばにいて、子どもが楽しいと感じること、したいことに付き添うのが親の役目だ」と思いましたが、そうすると仕事のほうが回らなくなり、行き詰まってしまいます。私も夫もできるだけ仕事を休んでそばにいるようにしましたが、共働きで、不登校の子どもを持つ家庭では、いったいどうしているのでしょう。
 学校や自治体の所管課に電話し、フリースクールやフリースペース、地元の不登校児向けのリソースを探し、サポーターを探し……と、思いつく限りの頼り先を探しましたが、なかなか本人が行きたい、と思えるような居場所が見つかりません。
 こんな時、つい「寂しい」「心細い」「学校や教育システム、地域社会から見放されたように感じる」と思ってしまいがちです。
 しかし、ここでも、ポジティブな言い換えをしようと考え、実践してみたのです。

「寂しい」「心細い」
 ➡「自分は支えを必要としている」「同じ困難に誰かと一緒に立ち向かってもらえると心強い」
「見放されたように感じる」
 ➡「見放されたくない」「つながっていたい」
「仕事の時間が取れない、いっぱいいっぱいだ」
 ➡「家庭でも、仕事でも、引っ張りだこだ」「あちこちから、必要とされている」


 ここまで来たら、もうやけくそだ、と思うようなネガポジ変換もしてみました。

「手の打ちようがない」「八方塞がりだ」
 ➡「私が当事者となることで、他の当事者の役に立てるような解決策を見つけるのだ」
 ➡「解決策が、きっとどこかにある」「貴重な経験をさせてもらっている」

 




 ネガティブワードが浮かんでも、それを否定するのではなく、それを認め、受け止めたうえで、自分の頭の中でポジティブな言い換えをし、「こうだとも言えるな」と発想の転換をするように努めました。
 こうしてできるだけ前向きな気持ちでいよう、子どもの前では笑顔で、おっとり構えていようと思いましたが、実際はなかなか現状を肯定できず、なかなか他の人に、自分の子どもが不登校だということを打ち明けられず孤独な気持ちでいました。
 しかし、ある時ぽっと気が緩んで、他の人に「自分の今の一番の悩みは、子どもの不登校なのです」と話したことがありました。すると、話す人話す人、ほとんどの皆さんが、家族や兄弟、親せきに不登校の子がいること、同じように親が悩んで辛い思いをしているということを話してくれたのです。おそらく私に気を遣ってくれたというのもあるのでしょう。また、「あなただけじゃないよ」という配慮を見せてくれたのかもしれませんが、私は、自分一人ではないんだ、と感じることができたのです。
 久しぶりにメールのやりとりをした大学院時代の先輩は、今の自分にピッタリな言葉をくださり、心を打たれました。

~前略~
自分も子どもたちがどうなるかわからなかった頃は本当に不安で辛かったです。
そういったことは大変でしたけど、今となればいろいろなことを勉強させてもらいましたし、よかったこともたくさんあるなと思えます。   
今はとにかく子どもたちが生きていてくれればそれでいい、と思っていますし、きっと個性と才能が豊かな子どもが不登校になりやすいと、自分は信じています。(親ばかですが)
親が悲しい顔をすると、きっとお子さんも悲しいので、学校に行かないことを肯定してあげて、めちゃくちゃ優しくしてあげるだけでいいのではないでしょうか。
~後略~


 私が前向き質問に言い換え、自分の心を立て直し、人に愚痴を話し、弱音を吐いたことで、人に頼れるようになり、少しずつ悟りとあきらめの気持ちが芽生えてきたのです。
 このような状況の中、自分のレジリエンスが高まっていくのを感じました。
 これまでも何度か出てきたレジリエンスという言葉ですが、災害や紛争、トラウマからの回復だけでなく、人生のすべての局面で、レジリエンスという「脅威や困難などの状況下においても、うまく適応する過程と能力」が支えとなる時があります。これは誰でも身につけられるものですし、自己肯定感を高め、楽観的になることを助けてくれます。そして、レジリエンスに支えられて気持ちが回復していくことで、同時に自分の問題を解決しようとする受援力が頭をもたげるのです。受援力とレジリエンスは、車の両輪のように、私を助けてくれたのでした。
 皆さんが、これからの毎日、どこかでこの「受援力」という言葉を思い出し、「頼ることはつながること」「自分は助けられて、守られていい存在なんだ」と思ってもらえればと願っています。


著者プロフィール

吉田 穂波(よしだ ほなみ)
医師・医学博士・公衆衛生学修士。神奈川県立保健福祉大学大学院ヘルスイノベーション研究科教授。
三重大学医学部卒業後、聖路加国際病院で臨床研修ののち、名古屋大学大学院医学系研究科で博士号を取得。
その後、ドイツとイギリスの産婦人科及び総合診療の分野で臨床研修を行い、帰国後は女性総合外来の創設期に参画した。
2008年、0歳から3歳まで3人の子どもを連れてハーバード公衆衛生大学院に留学。卒業後は同大学院のリサーチフェローとなる。
11年の東日本大震災では産婦人科医として国内外のネットワークをつなぎ被災妊婦や新生児の支援に携わる。
このとき「受援力」の大切さを痛感し、多くの人に役立ててもらいたいとの思いから、無料でダウンロードできるリーフレット『受援力ノススメ』を作成。
これまで300回以上のセミナーや研修講師として呼ばれ、国や地方自治体の検討会等、全国で「受援力」を学ぶ場作りに取り組む。
取材記事・著書多数。4女2男の母。

吉田穂波

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