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気持ちよく新年を迎えるための、正月行事入門


正月

 正月というのは、もともと一年の最初の月のことをいいました。いまでは、おめでたい年始めという意味で、三が日や、松の内(七日あるいは十五日)までを、お正月と呼ぶようになりました。

 新しい年が健やかな、いい年になりますようにと願いを込めて、年末には正月を迎える準備をしたり、年初めにはさまざまな行事をしたり、正月料理をいただいたりして過ごすならわしがあります

 正月事始め 
新年を迎えるための準備は、十二月十三日からはじまります。昔むかし、江戸時代には、この日にお城や町で大そうじをしたそうです。婚礼以外なら何をするのも吉という鬼宿日《きしゅくび》にあたることから、正月事始めの日となりました。家中をきれいにしたら、いよいよ正月の飾りつけです。

 煤払い(大そうじ) 
積もり積もった一年の汚れをきれいにそうじして、新年にやってくる年神さまを気持ちよく迎えられるように、清らかな場所に整えるのが煤払いです。すみずみまで大そうじが行き届いた家には、年神さまがいっぱいの福を運んできてくれるといわれています。

 

年神さまって、どんな神さま?

新年に家々を訪れる、正月の神さまです。正月の行事には、年神さまを迎え、祭るしきたりが多く見られます。「正月さん」、「歳徳神」、「若歳さん」など呼び名はさまざまです。

 

 門松《かどまつ》 
松や竹を、家の門の前に立てる門松は、正月飾りの代表格です。年神さまを招き入れるための目印で、依り代(神さまが宿りに来るもの)という役目をしています。冬でもあおあおとした松は、健やかな生命力や繁栄を表わします。そんな門松を年内に飾ることを、松迎えといいます。
 




 しめ縄・しめ飾り 
門松とともに正月飾りに欠かせないのは、しめ縄です。煤払いが済み、年神さまを迎える準備が整った印として神聖な場所をぐるりと囲むのが、しめ縄のそもそもの役割でした。そんなしめ縄に、長寿を願う裏白《うらじろ》などの正月の縁起物をつけて、玄関などにしめ飾りを飾るようになりました。




 餅つき 
年の瀬になると、正月の鏡餅をお供えするために餅つきをします。古くから、餅はハレの日の食べものとして、神酒とともに祭礼のお供えものとされてきました。年の暮れに、つきたての餅をご近所や親戚に配ることを、餅くばりといいます。



 

正月飾りはいつするの?
大そうじを終えたら、十二月二十八日までか、三十日に、門松やしめ縄、鏡餅を飾ります。二十九日は「九」が「苦」の音と重なるので避けましょう。三十一日の大晦日に飾ると、次の日にはもう年明けで、一夜飾りになってしまいます。年神さまに気づいてもらえないかもしれないので、大晦日に飾るのもよくありません。

 

正月のならわし

 元旦 
もともと元旦といえば、一月一日の初日の出のことでした。それが転じて、元日の朝を元旦と言うようになりました。「旦」の字は、太陽が地平線から昇るところ(または雲から顔を出すところ)を表わします。

 初日の出 
元日の日の出は、新年の幕開けを告げる、おめでたい夜明けの瞬間です。元日の大空を初空、空にさす新年最初の光を初明かり、夜が明けて茜色に染まった空を初茜といいます。

 初詣 
年の初めに神社やお寺にお参りする初詣。今年は何をお願いしましょうか。昔は大晦日の夜から元日の朝まで、家の大人が寝ないで過ごし、年神さまをお迎えする慣習がありました。年ごもりといって、神社で夜を明かして新年を迎えるならわしもあったそうです。



 寝正月 
のんびりと寝て過ごすお正月だなんて、至福の時間ではないでしょうか。「朝起き貧乏、寝福の神」ということわざがあって、元日の早起きは貧乏のもと、朝寝坊しているうちに福の神がやってくるという意味です。年ごもりをして、ぶじに年神さまを迎えてから元日の朝に眠るのは、たしかに寝福の神に違いありません。


正月のごちそう

 新年の福を運んでくる年神さまは、門松を目印にやってきて、お供えものの鏡餅に宿ります。神や先祖など、見えない存在と食事をともにすることを供食(または共食)といいますが、一年を通じてさまざまな節目の行事に供食のならわしがうかがえます。正月のごちそうも、年神さまと一緒にいただく大切なもの。料理一つひとつに、新年の幸せを願う意味が込められています。

 鏡餅 
丸くて平らな餅が、鏡に似ていることから、鏡餅と呼ばれるようになったとか。お飾りの橙《だいだい》は代々の繁栄を、裏白《うらじろ》は裏表のない正直な心を表わします。串柿は10個の干し柿を、両側に2つずつ、真ん中に6つ竹串に刺して「2個(にこ)2個(にこ)中6つ(仲睦まじく)」の語呂合わせで、新年の幸せを願います。




 お雑煮/直会《なおらい》 
本来、正月の餅は、年神さまの生命力が宿ったもの。尊い生命の気に満ちた餅をいただくお雑煮は、正月でもっとも大切な食べものと言っても過言ではありません。古くは直会と呼ばれ、神さまへのお供えのお下がりを皆で分かち合う神聖な食事とされました。

 お屠蘇 
長寿を願って、年の初めにいただく薬酒が、お屠蘇です。何種類かの生薬を配合した屠蘇散《とそさん》をお銚子に入れて、日本酒やみりんを注ぎ、大晦日の晩から浸しておいたもの。歳の若い順に飲むのは、若い人の気を年長者に分けるためともいわれます。




 おせち 
年の初めに、予めごちそうをいただくのは、もうこれで今年一年食べるものには不自由しません、と先回りして祝っておく、予祝《よしゅく》の意味が込められています。かつては数え年でしたから、正月を迎えたときに誰もが一歳、年を取りました。大晦日の夜には、お祝いのごちそうをいただいたものですが、そのごちそうをお節《せち》と呼んだそうです。



 祝い箸 
年始に食事をいただくときに用いる、白木の祝い箸。両端が細く、真ん中が太い形で、太箸とも呼ばれます。両端が細いのは、片方は自分が、もう片方は年神さまが使うためだとか。使い捨てにはしないで、松の内の間、大切に使います。
 

 

松の内って、いつからいつまで?

年神さまが家にいるとされる間を、松の内といいます。もともと松の内は、元日から一月十五日まででした。江戸時代に幕府が松の内を一月七日までと改めたことから、関東などでは日にちが短くなったとか。松の内が終わることを、松が明けるといいます。門松やしめ縄などの正月飾りは、松の内の間飾っておきます。

 

 鏡開き 
一月十一日は、鏡開きです(地方によって四日や二十日などに行なうところも)。依り代として、年神さまの生命力に満ちあふれた鏡餅を分け合います。「切る」のは縁起が悪いからと、餅にひびが入ったところから木槌などで叩いて割るのがよいとされます。やわらかく茹でて、お汁粉にして味わうのも、おつなもの。鏡餅の割れが多いと豊作になる、という言いならわしがあります。


季節の楽しみ

 昔ながらの正月のならわしを、あれもこれもと全部行なう必要はありません。たとえば鏡餅ですが、いまは真空パック入りのものもあります。パックに入っていた餅は固くならず、叩いて割るより切るほうが向いています。

 昔ながらの鏡開きでも「叩く」「割る」といった強い言い方を避けて、鏡餅を「開く」と言います。だとしたら切り開くという言葉もある位ですから、現代の生活では鏡餅を「切る」ことも「開く」と言えるのではないでしょうか。

 しばしば「◯◯◯は縁起が悪いからしてはだめ」という言いならわしがありますが、時に「◯◯◯より△△△したほうが結果がいい、理にかなう」といった生活の知恵が込められているようにも思われます。乾燥して固くなった餅は、切るのが大変。小槌で叩いて割るといいですよ、というのは、まさに生活の知恵ではないでしょうか。

 慣習は、時代や地域などによっても変わるものですし、いまの自分の暮らしに取り入れやすいものを選んで、むりせず楽しみながら、どうぞ気持ちよく新年をお迎えください。

 そもそも年神さまは、門松や鏡餅のためにではなく、あなたのためにやってくる存在です。たとえ何も特別なことはしなくても、ふと微笑んだら、笑い初め。湯船につかれば、初風呂。新年の小さな喜びは、いくつも、そばにあります。
 


参考文献:民俗学研究所編『民俗学辞典』(東京堂出版)

写真:PIXTA
 

【プロフィール】

白井明大(しらい・あけひろ)

詩人。1970年生まれ。詩集に『心を縫う』(詩学社)、『生きようと生きるほうへ』(思潮社、第25回丸山豊記念現代詩賞)など。『日本の七十二候を楽しむ』(増補新装版、絵・有賀一広、KADOKAWA)が静かな旧暦ブームを呼んでベストセラーに。季節のうたを綴った絵本『えほん七十二候 はるなつあきふゆ めぐるぐる』(絵・くぼあやこ、講談社)や、春夏秋冬の童謡をたどる『歌声は贈りもの』(絵・辻恵子、歌・村松稔之、福音館書店)、詩画集『いまきみがきみであることを』(画・カシワイ、書肆侃々房)など著書多数。近著に、憲法の前文などを詩訳した『日本の憲法 最初の話』(KADOKAWA)、絵本『わたしは きめた 日本の憲法 最初の話』(絵・阿部海太、ほるぷ出版)


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