2010年2月に「怪盗レッド① 2代目怪盗デビューする☆の巻」が発売されて以来、17年。今年6月発売の30巻でフィナーレが告知された「怪盗レッド」シリーズを振り返って、シリーズ初期に小学生で、読者だった書評家のあわいゆきさんに、作品の魅力を語ってもらった。
女子も、男子も。こどもも、おとなも、そのまんなかの年の人も。みんなに愛されるアスカとケイ、そしてその仲間たちの活躍に、改めてせまってみてほしい。
女子も、男子も。全小学生を夢中にしてきた物語。
幼いころよく使っていた道具を久しぶりに目にすると、思いのほか、小さく感じるときがある。自室の勉強机や背負っていたランドセル、あるいは公園の遊具。いまの身体に馴染まなくなったのは、それだけ私の身体が成長した証でもあるはずだ。
そのなかでも、私が目にするたびに成長を実感するのは、図書館の児童書コーナーだ。この本棚も昔はもっと大きく感じていたはずなのに——そう思いながら歩いていると、明るい背表紙の数々が目をひく。
角川つばさ文庫から刊行されている、秋木真さんの「怪盗レッド」シリーズだ。
私が小学生だった当時は角川つばさ文庫が創刊されたばかりで、蛍光グリーンで統一された装丁にアニメ調のイラストはとても珍しかった。宗田理さんの「ぼくら」シリーズとあわせて「怪盗レッド」シリーズは大人気で、私もご多分に漏れず、両シリーズを夢中になって読んでいた。
あれから時が経ち、角川つばさ文庫はいまや誰もが一度は通るといっても過言ではない、歴史をつくったレーベルとなった。そして新しい人気作も続々とうまれるなか、十五年以上も看板タイトルであり続けた「怪盗レッド」シリーズは二〇二六年、30巻をもって完結することが決まった。
児童書の最前線を駆けつづけた怪盗レッドはなぜ、これほどの長いあいだ子どもたちの心を奪うことができたのだろう?
その秘密は、怪盗レッドの信念そのものにある。
レッドが読者を惹きつけた最大の魅力とは?
そもそも怪盗レッドはどのような物語だったか——読んでいないひとや覚えていないひともいるだろうから、今一度おさらいをしておこう。
中学校進学を控えた春休み、紅月飛鳥(アスカ)が父親から〈怪盗レッド〉を引き継ぐように言われたことから本シリーズははじまる。江戸時代の大泥棒を先祖に持ち、怪盗の家系である紅月家では、十三歳になると怪盗業を引き継ぐしきたりがあるのだった。
アスカは同い年の従兄弟である紅月圭(ケイ)とタッグを組んで、〈怪盗レッド〉としてデビューを飾ることとなる。
常人離れした運動能力を持つアスカと、IQ200の天才であるケイは正反対なところも多い二人だ。そんな二人がコンビを組むことで、それぞれ得意とする運動能力/知力を真に発揮できる——どちらかが欠けたら成立しなくなる分かち難いコンビネーションこそ、本作の肝だ。
それだけではなく、怪盗レッドはお金や名誉を目的に盗みを働くのではなく、悪いことをしている人間からしか盗まない信念を掲げていた。怪盗という字面から思い浮かぶ〈怪しく盗む〉、泥棒のような第一印象に反して、その実態はれっきとした正義の味方なのだ。
怪盗レッドの揺るがない信念は、私たちが怪盗に対して抱く〈悪者〉の先入観を覆すようになっている。
そして、怪盗レッドにはもうひとつ特徴があった。それは盗みを実行するのが中学生になったばかりの女の子、アスカである点だ。当時の児童書において、女の子が自ら前線に立って戦う物語は、ほとんど存在しなかった。ケイが離れた場所からナビをすることで裏方として支え、アスカが実行する本シリーズは、いわゆる「固定化された性別役割」から解放された物語だったのだ。
アスカは盗みにいった先で、女性より体格がいいとされる男性(しかも大人!)と何度も戦うことになる。大人になって久々に触れたものが小さくみえるように、子どものとき目にしたものは元のサイズよりもずっと大きくみえるはずだ。たかが子どもと舐められながらも自分より大きな男たちと対等以上にわたりあうアスカのすがたから、読者は、自分より大きな存在に対して抱く、ある種の恐ろしさや威圧感に立ち向かっていくための勇気をもらえるだろう。
「だれもがあこがれる運動神経万能で、悪との戦いにおいてはバトルも辞さない女の子」が児童書にほとんど居なかった時代、アスカは胸のすくような新時代のヒロインだったのだ。
彼女の勇気は身近な悩みを解決する糸口につながるのみならず、大きな本棚を前に怯むことなく新しい本を見つけ出すような、読書の世界を広げるささやかなきっかけにもなりうる。
「二元論にはしない」「考えつづける」というレッドの「信念(ビリーフ)」
一方で怪盗レッドの行動は、大人が言うような「盗みを働いたら犯罪だ」といった言葉とは真っ向から対立するものだ。それゆえに、悪者相手にしか盗みを働かない信念が貫かれていても、盗み自体を犯罪だとして許さない信念の持ち主とはどうしても相容れなくなる。
だとすれば、信念が異なる相手とは対立するしかないのだろうか? 決してそうは決めつけないのが、怪盗レッドの物語を貫いている大きな魅力だ。
そもそも本シリーズは、怪盗レッドとは異なる信念を持つ人間が多く登場する。2巻では中学生探偵の白里響が「どんな理由をつけようと、あいつは泥棒だ。犯罪者だ。」と怪盗レッドを名指しした。また、4巻では世界的な大怪盗である怪盗ファンタジスタが登場し、盗みをエンターテインメントとして捉える彼の姿勢にアスカは反発する。7巻では怪盗ファンタジスタの背後にある世界規模の犯罪組織〈タキオン〉の存在が明らかとなり、怪盗レッドとの対立を深めていく。アスカとケイが中学二年生に進級した11巻以降は盗賊組織〈ラドロ〉も交えて、世界を支配しようと目論む〈タキオン〉との戦いが激しさを増す。
このあらすじを読むかぎり、怪盗レッドの周りは敵だらけのようにも思えるだろう。しかし怪盗レッドは悪を倒すためなら、ふだんは敵対しているはずの白里響や怪盗ファンタジスタ、あるいは盗賊の〈ラドロ〉とも臨機応変に共闘をするのだ。このときケイは「利害が一致している1点においてのみなら、協力できる」と語っている。
なぜそのような柔軟な発想ができるのか——その発想の根本にも、怪盗レッドの信念が宿っている。
二人は疑わしい相手が身近にいるとき、アスカはまずまっすぐに信じ、そのぶんケイは疑わしい可能性も含めて徹底的に冷静に観察し、判断する。いわば信じる/疑うを分担しておたがいに補う唯一無二のコンビとなることで、相手が怪盗レッドの敵かどうかを容易に決めつけないようにしているのだ。
また、アスカはいったん共闘することになった相手には敵意を向けず、悪を倒す仲間として対等に接する。何度も打ち負かされてきた怪盗レッドの宿敵・ファルコンに対しても、彼の意外な一面を目にしたときは、「ファルコンがどんな人なのか、そのふだんの様子なんか、見たことなんてなかった」と気づきを得ていた。
先入観に縛られることなく相手をまなざせるのは、怪盗レッド自身がときに〈悪者〉と先入観を抱かれてきた事情もあるだろう。しかしなによりも、正義の味方としてあろうとする怪盗レッドの信念の強さが、悪を冷静に見定めてから立ち向かおうとする姿勢をつくっている。そして、かつて戦った相手でも迷わず信じようとするすがたは、読者のみならず、信じる気持ちを寄せられた相手の心をも突き動かす。敵味方の垣根を超えた連帯をうみだしてもいるのだ。
たとえ異なる価値観を持つ相手でも、相手を敵だと決めつけずに対等なまま接していれば、一つの目的のために協力することができる——そうした怪盗レッドの信念は、時代にかかわらず読者の心を奪う。
児童文庫は、いつでももどってこれる「心の安全基地」
二〇二六年一月現在の最新刊にあたる28巻は、いくつもの事件を解決してきた白里響がディープフェイクをきっかけにヤラセを疑われる場面からはじまる、二〇二五年の時事を汲んだ内容になっていた。ディープフェイクに対してケイは「決めつけるのは、よくない」と話し、アスカは「あの動画1本で、その活躍をすべてウソだって決めつけるのは、おかしい」と語るのだが——怪盗レッドを読んできた読者であれば、そんなの当たり前じゃないかとも感じるはずだ。
それもそのはず。ここまで紹介してきた通り、先入観を持たず、容易に決めつけず、相手を一面だけで判断しないありかたは、怪盗レッドがこれまで貫いてきた信念に他ならない。
むしろ「怪盗レッド」シリーズが十八年間のあいだ描き続けてきたものが、いまこそ必要とされているともいえるのだ。
だからアスカとケイの存在は、子ども時代の私たちに勇気を与えただけにとどまらない。大人になってから私たちが生きていくための、心強い支えにもなっている。
「子ども」ではなくなったいまでも、うまくいかない現実に直面したときにふと開けば、もう一度立ちあがる力を与えてくれるかもしれない。
残る2巻で、怪盗レッドは正義の味方としてどう悪に立ち向かうのか——あるいは個性豊かな登場人物たちは、どのように各々の信念を貫くのか。
いよいよはじまる最終決戦を前に、最後まで目を離せない。
完結まで、残り2冊。『怪盗レッド㉙ 怪盗と探偵と泥棒の合同プロジェクト☆の巻』は2月12日(木)発売! これまでのスターキャラクターたちが集結するよ。ぜひお楽しみに!