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発達障害って、いったいどんなもの?【『発達障害の子が羽ばたくチカラ 気になる子どもの育ちかた』試し読み!】


発達障害や知的障害、言語障害の専門家として知られる川﨑聡大氏(立命館大学教授)をはじめ、子どもに関する各分野の専門家が集結! 発達障害の子が不安なく、しあわせに生きていくため、家庭・学校・地域社会でどう環境をととのえたらよいかを詳しくていねいにお伝えします。

連載第1回は、「発達障害って、いったいどんなもの?」の中から「あらためて、発達障害って何?」と「迷信とデマに惑わされない」を紹介します!

※本連載は『発達障害の子が羽ばたくチカラ 気になる子どもの育ちかた』から一部抜粋して構成された記事です。


あらためて、発達障害って何?

「発達障害という言葉を聞いたことがありますか?」と聞くと、たいていの人が「知っている」と答えると思います。これは20年前では考えられなかったことですが、情報の拡散は誤解や偏見の拡散も促進します。何より急激に社会に広まった概念なので、同じ「発達障害」という言葉を使っていても、話し手の内容と聞き手の理解が同じではないことに注意が必要です(時にまったく違うこともあります)。発達障害と診断を受けた人が身の回りにいる方は、その人のイメージが当然強く反映されるでしょうし、ネガティブ・ポジティブ双方のイメージもその人の考え方や経験によって大きく左右されると思います。誤った情報を真実と誤解している人も少なくありません。

「象はどんな動物ですか?」と聞かれると、「鼻が長い」「耳が大きい」「足が大きい」と様々な答え方をしますよね。人によって見る側面(視点)が変わると例え方(見え方)が違いますし、視野の狭さは本質的な理解を阻んでしまいます。時には「足が大きい生き物が象だからキリンも象だ!」といった誤解に晒されることもあります。

 何より象とは違い、発達障害という「特性」は目に見えません。社会生活上の困難さがあって初めて診断に至るため、その人が生活する社会や文化によって見え方・見方・結果が変わります。第三者と発達障害について話す時には、自分の見え方(イメージ)や自分の生きてきた時代のイメージを相手に押し付けないことが鉄則です。

発達障害の「特性がある」ことと、発達障害の「診断が必要」の違い

発達障害の特性があるからといって、必ずしも発達障害の診断には直結しません。診断が必要かどうかは「その特性が原因で日常生活にどれくらい困難があるか」によって決まります(診断基準は時代で変化します)。例えば、ある子が対人関係面の特性を持っていたとしても、生活の中で大きな困りごとになっていなければ診断に至りません。一方で同じ特性の強さがあっても、様々な理由で生活に支障が出ている場合は、支援を受けるために診断が必要になることがあります。

 障害は個人が作り出すものではなく、個人と環境との相互作用の中で育ってしまうものです。同じ発達障害特性でも、環境によって診断を必要とする人とそうではない人が出てくることはあり得ます。また、ライフステージが変わって初めて困難さが目に付く場合も出てきます。

「発達障害の特性を治す・なくす」という考え方からは一歩離れてください。なくしていくのは特性そのものではなく、発達障害特性によって生じる生活上の困難さです。

「発達障害」の昔と今

「発達障害」という言葉自体は、1950 年代から存在していましたが、当時ADHD(注意欠如多動性障害)やSLD(限局性学習障害)といった障害は認知されておらず、古典的な自閉症を指すものでもありませんでした。現在のような発達障害の認識の原型ができたのは1980年代に入ってからで、その後の変遷で2010年代にようやく今の形になっています。ほんの十数年前までADHDは、幼くは「しつけの問題」、長じれば「悪さをする子ども」といった認識でしたし、今のSLDに該当する子どもたちは当時「本人のやる気の問題」とされていたわけです。

 最近耳にする「大人の発達障害」の診断が可能となったのも2010年代からですので、症状が軽く、大人になって困難さが増した方は併存症だけがクローズアップされて問題になっていました。言うまでもなく、社会生活を送る上での困難さは個人の特性だけでなく様々な要因が関与します。

 発達障害の原因が母子愛着不足や家庭での育て方であるといった大いなる誤解はようやくなくなりつつあり、「発達障害って脳の障害だよね」と理解が進み始めました。とはいえすべて解明されているわけではなく、「発達障害は脳の障害」という表現も実は適切とは言い難いものとなっています。脳の障害といっても、皆さんがイメージする脳梗塞などでその領域が担う機能が低下するようなものとは様相が異なります。「脳の障害」ではなく、「脳神経系のネットワークの特異性」といった捉え方が適切だとされています。子どもの脳は様々な刺激を受けてそれを処理しつつ、より効率よく処理するために手をつなぎ合います。このネットワークの構築の仕方や順序(発達)は一人ひとり個人差があり実態は多様で、これを「遺伝的多様性」と言います。


川﨑聡大

迷信とデマに惑わされない

「親の愛着」「発達障害なんて現代病だ」「ワクチンが原因」「食品添加物や化学物質が原因」「スマホやテレビが原因」など、すでに否定されたものも含めて様々な怪しい言説が残っています。「母子愛着不足によって自閉症が起こる」といった徹底的な疑似科学もあれば、ややこしいのは勝手に事実を拡大解釈したり、ごく一部の人の限られたシチュエーションで当てはまることを拡大解釈したりしたものも少なくありません。発達障害の原因に関する医学的知見は時代で変化します。逆に「原因がはっきりしていない以上言ったもの勝ち」であり、今は否定されていても昔は定説であったものを持ち出して辻褄を合わせる人まで出てしまいます。発達障害の一番の問題は生活上の困難さです。これは個人の一部の特性だけで説明できる単純なものではありません。

 様々な言説を「トンデモ理論系」「拡大解釈系」「中間系」などに分けて考えてみます。

  • その1「親の愛着不足で自閉症になる」

母子愛着不足で発達障害が起きることはありません。子どもにとって近しい大人と基本的な信頼関係を土台として、愛着関係を構築することは重要です。しかしASD特性を無視した関わり方を周囲が強制すると、子どもも養育者も大変な思いをすることは言うまでもありません。愛着云々ではなく、その土台へのリスクになるのです。このデマからの学びは、「発達特性を無視したテンプレート的な親子関係の押し付けは、より子どもとの関係性を損ねる場合がある」です(第2章参照)。

  • その2「発達障害は現代病だ」

発達障害特性を持つ人の割合は、遺伝的多様性の観点からも昔から大きな変化はありません。ただ、社会生活を送る上での「難しさ」は時代と環境によって変わります。この中には発達障害の認識も含まれています。このデマからの学びは、「社会生活上の困難さはその人が生活する社会状況やそこで生活する人々の理解度が影響する。最終的には〝現代病だ〟などと言えてしまう社会が困難さをより大きくする」です。

  • その3「ワクチンが発達障害の原因?」

1998年、ランセットという極めて権威のある雑誌に、「MMRワクチン(麻疹・おたふく風邪・風疹ワクチン)が自閉症の原因になる」というイギリスの医師 アンドリュー・ウェイクフィールドが書いた論文が掲載されました(先行研究)。結論から言うと2010年に論文不正によりこの論文は撤回され、この医師は医師免許はく奪となりました。その後の研究で、2014年にはASDとワクチン接種の関係性は明確に否定されています。ただこれは単なるデマにとどまらず、ワクチンの中の「悪者」を探して2000年代前半には「予防接種に含まれる水銀が関係しているのではないか」、さらに「それなら水銀排出療法(キレート排出療法)をやればASDは治るのではないか」とどんどんおかしな方向へと展開しました。もちろん全部まとめて現在は否定されていますが、一度生まれたデマはなかなか根絶できません。その結果が2010年代以降の反ワクチン運動(もはや含まれるもの関係なく)へとつながっていきます。ここまでくると「科学」ではなく「運動」です。このデマからの学びは数多くありますが、「エビデンス(確証)は時代によって変わる。複数の検証の有無を確認」と「情報には必ず〝色(発信者の思惑)〟」がついている」です。否定されてもその情報が残り続ける背景には、その情報によって様々な利益を得る人が一定数存在することがあります。また確信犯的なものは不安感情を逆手にとって、一つ否定されても新たなデマを生んで生き残ろうとします。こういった事態に遭遇しないためにも、養育者の心理的健康を身近な人がまず支え、守っていく必要があります。

  • その4「食品添加物や食べ物が障害を直接引き起こす」

これは相関と因果の拡大解釈によるものです。子どもの心身の発達において本人の健康状態や特性に合わせて適切な食環境を整えることが、よりよい影響を与えることは間違いありません。ただ、これが「保護者がきちんと食事を整えていないから(子どもが)発達障害になった」となると根拠はなく単なる呪いになります。なおグルテンフリーの効果に関しても明確に否定されています。腸内環境に関する論文の増加に合わせて息を吹き返しつつあるので注意が必要です。特にアレルギーがある場合、食事はとても大事ですがサプリメントで発達障害が治るというエビデンスはありません。このデマからの学びは「表向き関係がありそうだからと言って、それが原因とは限らない。ましてや子どもによって大いに変わるので安易な当てはめは避けるべき」です。

 つまり、過度に単純化した事実、特定の領域(遺伝が、家庭が、親が)に限定した極論からは一定の距離を取ることが一番重要です。今後も医学の進歩と比例して様々な情報が出てきます。そこには新たなデマや行き過ぎた議論も含まれているでしょう。


川﨑聡大



「気になる子ども」という言葉を入り口に、発達障害、子育て、学校との関係、社会とのつながりについて、一緒に考えていく一冊です。

この本を通じて、子どもと養育者の関係性の中だけで問題を解決しようとすることなく、少し俯瞰した視点に立って、今より少し生活をよくする手がかりが得られることを願っています。



【書籍情報】


監修・著: 川崎 聡大 著: 川上 康則 著: 神谷 哲司 著: 三富 貴子 著: 和田 一郎 著: 石田 賀奈子

定価
1,760円(本体1,600円+税)
発売日
サイズ
四六判
ISBN
9784046072993

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