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子どものことをもっと理解するには【『発達障害の子が羽ばたくチカラ 気になる子どもの育ちかた』試し読み!】

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発達障害や知的障害、言語障害の専門家として知られる川﨑聡大氏(立命館大学教授)をはじめ、子どもに関する各分野の専門家が集結! 発達障害の子が不安なく、しあわせに生きていくため、家庭・学校・地域社会でどう環境をととのえたらよいかを詳しくていねいにお伝えします。

連載第2回は、「子どものことをもっと理解するには」の中から「お互いに幸せなやり取りとは」と「学習面の困難さを考える」を紹介します!

※本連載は『発達障害の子が羽ばたくチカラ 気になる子どもの育ちかた』から一部抜粋して構成された記事です。


※これまでの連載はコチラから

お互いに幸せなやり取りとは

 円滑なやり取り(コミュニケーション)はことばの発達だけでなく、ことばを状況に合わせて上手に使う力や、それらの土台となる力によって支えられています。ことばの発達は知的な発達と密接に関連しますし、ことばを使う力(=コミュニケーション能力)は状況を察知する力や、それまでに培った経験も影響します。

 そして円滑なやり取りには、ことばをたくさん知っているという「語彙」、長い文を理解し話すことができるという「文の理解」、といった言語の諸側面が伸びていればいいというわけではありません。話し言葉とその土台である視線や表情など非言語のコミュニケーション手段を、状況に合わせて運用する力が必要です。分厚い辞書(言語力)を持っていただけでは「物知り」とは言えません。上手に引く力(コミュニケーション力)がいりますし、「調べたい」と思わせる環境(コミュニケーション環境や「知りたい」という動機付け)が必要です。

理解力に応じたやり取り

話し言葉の理解の程度を評価する真の目的は、単に発達を知るためでも、知的発達を推定するためでもありません。ことばの理解の上限を超えた声かけには、子どもは当然反応できません。働きかける側の「この子はこう言えばわかっているはず」という思い込みは、外れている場合があるのです。そのズレを埋めるために、ことばの発達を評価するわけです。常に100% の理解力を発揮しないといけない状態でやり取りを続ければ、子どもは疲れます。現場に支援に入った際に時々「この子は口で言えばわかります!」と言われることがありますが、その状況に晒される子どもの負担に想像力を働かせてください。逆に常に持っている力の30%の働きかしかないと、子どもはつまらなくなるかもしれません。このバランスの加減がとても大事です。できれば、やり取りの場面を掘り下げて、「確実に子どもに伝えたい内容」はその子の50%の力でわかることばの使い方をし、「新たな側面に目を向けていきたい場合」は70%から80%の力でわかる働きかけ、「少し好奇心をくすぐりたい」なら、しっかりとやり取りしたいモチベーションを高めた上で90%から100%の働きかけにしたいところです。そして、常に大人の側が「この働きかけは伝わらないかもしれない」「こちらの子は違った取り方をするかもしれない」という思いを頭の隅に留めておくことが、お互いの幸せなやり取りにつながります。

「ことばが遅れている」と思った時に

 養育者は子どもの「発話がない・あるいは少ない」と言語の表出にどうしても注目しがちです。ただ、子どものことばを観察する際は、「発話がない・少ない」といった言語の表出の前に、まずその前提にある「ことばの理解」に注目する必要があります。つまりどれだけ話せるかの前に、どれだけわかっているかが大事なポイントになります。一般的に、知的発達に遅れを伴う場合でも、「ことばの理解」が「話し言葉」より一歩先を進みます。話し言葉は表面上少なくても、予想以上に理解できている子もいるので、一概に幼く扱うことも適切とは言えません。

 ことばの発達について少し触れておきます。1歳で初語が出現し、1歳半を過ぎると動作の名前にも気付き、2歳を過ぎると複数の言葉を並べて人に述べ伝えることを知り、2歳後半になると「大きい・小さい」といった抽象語の理解も可能となります。「○歳ではこれができる」といった発達課題は、概ね50~70%の通過率で定められています。ことばの発達においても「できる・できない」ではなく、どれくらい深く知っているか、どう言い換えたら伝わるか、どれくらい惜しい!のかを押さえる必要があります。おしゃべりができなくても、日常生活で理解力を確認する方法はあります。電話のカードを見せて「電話」と言えなくても、受話器を耳に当てれば電話の意味概念は知っていることになります。物を扱えることも、理解の一つの段階です。

 また、日常での活動の見通しも「状況の理解」を反映します。食事の場面で、「ご飯だよ」の声かけで状況がわかる/声かけとともに目の前にご飯が来てわかる/声かけののちご飯が来て、椅子に座らせてもらって気付く/さらに食べ物が口に運ばれてわかる。すべて「わかる」の段階ですし、この変化も理解の伸びです。日常の中の子どもの反応とその変化には、実態を知る多くの手がかりが隠れています。


川﨑聡大

学習面の困難さを考える

 小学校に入学した子どもが学習面に困難さを抱える理由は、限局性学習症(いわゆる学習障害の医学診断名)に限ったことではありません。行動面での課題、注意やプランニングの働きに課題があると学習全般に影響を及ぼしますし、対人関係面での課題を抱えると、小学校での学びは人との相互作用によるところが大きいので、これまた影響を受けます(これらは学習を支える基盤ですね)。さらに、学習と直結した原因を見ていきましょう。

「療育」の目的を再確認する

● 読むことの苦手さ
小学校に入ると教科書など文字を通じて新しい知識や語彙を獲得します。読みの困難さを持つことによる学習への影響の一番の課題がここにあります。読みの苦手さで最も多いのは文字を音に変換する効率の悪さです(いわゆるディスレクシア)。単に読み間違いが多いというだけでなく読むスピードも遅く(一つひとつの文字を読む際に多大な努力を要するため)、がんばって読んでもものすごく疲れるので、当然小さな子どもは本から遠ざかっていきます。その結果、より一層文字を通じた新しい知識や語彙の獲得の経験が減っていき、頭に蓄積される「ことばの辞書」(いわゆる語彙量)が相対的に小さくなります。そうすると、高学年でより一層読みの苦手さが際立ってしまいます。


● 書くことの苦手さ
日本の教育では、伝統的に「書いて覚える」方法が重視されます。確かに一斉教育では多くの子どもにとって効率がよかったのですが、書いて覚えること以外の学習方法がないために全員同じように書くことを強いられて、さらに「きれいなノート至上主義」の出現が書きの苦手さを持つ子どもを苦しめました。不器用さ等の要因以外で一番多いのは、「新たに見た文字を把握して学習し、特に書く際に見たものの記憶を取り出すことの苦手さ」によるものです。よく「しっかり黒板を見ないからノートが取れないんだ!」と怒られたりしますが、このタイプにはあてはまりません。頭の中から書かれた文字の記憶を取り出す効率が悪い子どもは、そうではない子どもの何倍も黒板をしっかり見て書かざるを得ません。そこで実態にそぐわない声を浴びせられると、自己効力感は地に落ちてしまうわけです。

● 読みの苦手さに関してまずできること
読みと書きの苦手さは学習全体に年齢を経るごとに積み重なりますので、どこで断ち切るかが大事です。まず避けるべきは、「書けないなら徹底的に書かせよう」「読めないなら徹底的に読む経験をつけよう」という対処です。これは本人のやる気をひたすら削いでしまいます。就学前の段階では、「文字を読む(見る)と楽しい」「読みたいという気持ちを高める」ことが重要です。無理やり読ませる前に文字に注目することで、その子にとってメリットがある状況を作り出すことが重要なのです。例えば「絵本を読んで楽しむ」という活動であれば、書いてある絵と文字列が同じ意味であるとわかればいいわけです。一文字ずつ音読させ、読み間違いがあればその場で修正するのは、苦手な子どもにとって本来の「絵本を読む楽しさ」を損ねます。また、一文字ずつ取り出して読めない文字を無理やり書かせても、単なる手の運動にしかなりません。わかる→読める→書く、この順序も家庭では特に大事にしましょう。

 人は苦手なことを一生懸命やるからこそ、疲れてそれ以外のところで見落としが増えます。ここでの大人の心ない一言は、子どものこころを折りかねません。さらに小学校に入ると、読み書きにとどまらず「勉強ができないのは努力が足りないから」という大人視点の誤った判断に陥りがちです。できれば「できないことには理由がある」という子どもの視点に立って、原因を一緒に探る姿勢を心がけましょう。次に「読みの苦手さ」だけに注目するのではなく、読みの経験が結果として減ってしまっても、新しい言葉に触れる機会や経験を確保できる環境を整えておくことが大事です。ICT 機器には早めに慣れておき、学習面の苦手さを本人が実感する前からデジタルコンテンツを使える環境を作っておきましょう。

子どものこころが折れやすい「とめ·はね·はらい·書き順」

 書くことに関しては、「とめ・はね・はらい」に最初からこだわる必要はありません(書道を除く)。確かに「きれいな字を書く」のはすばらしいことです。ただ、充分に文字を覚える前の段階、文字を思い出す負荷が高い段階ですでに子どもの頭の中の余裕はなくなっているわけです。そこで「とめ・はね・はらい」や書く時の姿勢をあれこれ言っても、本来の文字を書いて覚えることへの集中が余計に削がれてしまいます。2016 年に文化庁から、「『とめ』『はね』『はらい』などの細部に過度にこだわらず、文字の骨組みが過不足なく読み取れ、その文字であると判断できれば誤りとはしない」(常用漢字表の字体・字形に関する指針[報告])と指針も出ています。こだわるのであれば、正しくかつ早く文字の形を思い出せる段階に到達してから、が望ましいです。書き順も養育者にとっては気になるポイントですが、常に一定の順序で書いていれば当面はよしとしましょう。「文字を書く時にどういう順序で手を動かしたか」というのも一つの記憶で、文字を思い出す手がかりになっています。その子なりの書きやすい順序が決まっていれば、この効果も保たれます。

 学習面の困難さは、子どもの学校適用や精神健康にも密接に関連しています。宿題についても、単純に「できなかったらしなくてよい」は不適切な対応です(P144参照)。しなくてよい宿題なら最初から出さなくてよいわけです。


川﨑聡大


「気になる子ども」という言葉を入り口に、発達障害、子育て、学校との関係、社会とのつながりについて、一緒に考えていく一冊です。

この本を通じて、子どもと養育者の関係性の中だけで問題を解決しようとすることなく、少し俯瞰した視点に立って、今より少し生活をよくする手がかりが得られることを願っています。



【書籍情報】


監修・著: 川崎 聡大 著: 川上 康則 著: 神谷 哲司 著: 三富 貴子 著: 和田 一郎 著: 石田 賀奈子

定価
1,760円(本体1,600円+税)
発売日
サイズ
四六判
ISBN
9784046072993

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