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私が経験した「学級崩壊」の真実『「あなたのため」をやめましょう 親のエゴを手放せば子どもは動き出す』ためし読み

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親が良かれと思って放つ「正論」が、実は子どもの心を閉ざし関係を壊しています。
元教員で子育てコーチである著者は、その原因はスキル不足ではなく、親が無意識に抱える「不安」というエゴにあると断言します。
本書は、自己受容を通じて自身の内側と向き合い、エゴをゆるめて本来の本音に気づくことで、言葉と親子関係を本質的に変える一冊です。
「正しい親」という呪いを解き、信頼を置くことで、一生モノの絆を築くための秘訣を紹介します。

連載第1回は、第1章「なぜ一生懸命に関わっているのに、子どもとの関係がうまくいかないのか?」の中から「私が経験した「学級崩壊」の真実」を紹介します!

※本連載は『「あなたのため」をやめましょう 親のエゴを手放せば子どもは動き出す』から一部抜粋して構成された記事です。


私が経験した「学級崩壊」の真実

「はじめに」でも触れましたが、私は教員時代に担任したクラスの学級崩壊を経験しました。それは、私にとっても子どもにとっても、つらく苦しいことでした。
 しかし、今振り返ると「あの出来事」は、間違った生き方をしてきたことを自分に気づかせ、自分の中の本来の気持ち(本音)に向き合わせるために、何か大きな流れが用意してくれたものだったのだと感じています。

 もちろん、自分の未熟さから苦しい思いをさせてしまった当時の子どもたちには今でも申し訳ない気持ちでいっぱいです。
 ただ、だからこそ「この体験を無駄にしてはいけない!」と強く感じ、本書の執筆を決意しました。
 この体験を授けてくれた子どもたちへの恩返しができるとしたら、この体験から私が得たことを通して、多くの方の子育てに貢献するしかないと感じています。

ではさっそく、当時の学級崩壊の現場と私の感情の動きや深層心理を見ていきながら、あなたの子育てを迷わせる、エゴの正体を明らかにしていきましょう。

「理想の学級」が音を立てて崩れ落ちていく

 私は高校生の頃に、「教員になりたい」という夢を持つようになりました。人に教える楽しみや、他者の成長に関われる喜びを感じていたからです。
 そして、実際にその夢は叶い、小学校の教壇に立つことができました。理想に燃え、全力で取り組む毎日。これは天職だ! と強く感じていました。

しかし、教員として働き始めて数年が経った頃、私に大きな転機が訪れました。

 1学年の頃から何かとトラブルが多く、5年生の頃にはほとんどのクラスが学級崩壊していた学年がありました。そんな荒れに荒れていた学年を6年次の担任として受け持つことになったのです。

 正直プレッシャーもありましたが、それ以上に周囲から「期待されている」「認められている」という喜びの方がまさっていました。
 また、ちょうど教員としての経験もそれなりに積んできた時期でもあり、自信もありました。
「自分なら期待に応えられる」「どんな大変といわれる学年でも自分ならやれる」。そんな自信に満ちた気持ちで、二つ返事で担任を引き受けました。

 年度の始めこそ、一見すると私のクラスはうまくいっていました。周囲から「まとまりのある良い学級」だと思われていました。子どもたちは私の言うことを素直に聞き、授業もスムーズに進む。まさに自分の理想通りの学級でした。
 そんなクラスの様子や「さすが潮田先生」という周りからの評価に、「どうだ! 大したもんだろ」「やっぱり自分はすごいんだ」と、内心鼻高々でした。

 ただ、お察しの通り、その長く伸びた鼻は見事なまでにポキッと折れることになります。ある時期から、授業の合間に、どこからともなく小さな声が聞こえるようになりました。
 ふと視線を感じてそちらを見ると、数人の子どもたちが担任である私の方を指さし、皮肉ったような表情でニヤニヤしながら、こちらに聞こえるか聞こえないかのボリュームでヒソヒソ話をしているのです。
 この時から、私がいつものように「正しい教育」を熱を込めて語れば語るほど、教室内には冷ややかな不平不満が広がっていきました。

 あるとき、身勝手な行動をした子を厳しく叱ったことがありました。するとその子は、反省するどころか、「は、意味わかんねーし」と吐き捨てるように言い放ち、私を鋭い目つきで睨みつけてきました。

 気づけば、子どもたちの目が完全に変わっていました。掃除の時間になれば、多くの子が役割を放棄してあちこちに散らばってしまいます。注意しようと私が近寄ると、彼らは「あ、来た!」「逃げろ!」と叫び、まるで汚いものから逃げるかのように、一斉に走って教室から出ていってしまいました。

 クラスの状態は大荒れでした。朝、教室に行くと、すでにケガをするほどの激しいケンカが勃発していたり、ある時は投げられた体操着が窓ガラスを直撃し、ガシャーン! と大きな音を立てて割れたりすることもありました。
 焦った私は、さらに髙圧的な態度で子どもたちを抑え込もうとしました。
「お前何やってんだ!」「いい加減にしろ!」「静かにしろ!」。そんな荒い言葉で、顔を真っ赤にして怒鳴り散らし、力でねじ伏せようと躍起になっていたのです。

 しかし、それが決定打となりました。子どもたちはさらに明らかな反発を示すようになり、私との信頼関係は、完全に失われていきました。
 やがて私は、どうしていいか分からなくなり、完全に立ち尽くしてしまいました。授業中に堂々と寝ている子がいても、どれだけおしゃべりが止まらなくても、注意することさえ怖くなってしまったのです。
 逆に私が子どもたちに気を使うようになり、何も言えない……。そんな地獄のような時間が過ぎていきました。

「休めない」という恐怖と、身体の悲鳴

 やがて私は、学校に行くのが死ぬほど怖くなりました。
 夜、布団に入っても胸のざわつきがおさまらず、眠りにつくことができない。ようやく浅い眠りに落ちても、悪夢を見て着替えが必要なほどの大量の寝汗をかき、何度も目が覚めてしまう。
 朝、鏡を見ると、顔からは生気が失われていました。原因不明の微熱が続き、精密検査も受けました。身体は「もう限界だ」と叫んでいる。それでも、私は休むことができませんでした。

「ここで逃げるわけにはいけない!」「そんなのカッコ悪すぎる!」、自分の中の声が私を無理やり教室へと押し出していました。先が見えないまま、苦しさの中でもがく毎日でした。
 どうしてこんなことになってしまったんだろう……その問いに対する答えは、完全に追い込まれた中でようやく見えてきました。

「子どものため」という仮面の裏側

 なんとかこの状況を抜け出したくて、心理学や脳科学をはじめとしたさまざまな本を読みあさり、自分自身と本気で向き合い続ける中で、私はようやく気づきました。
「子どものため」と思っていた私の言葉や行動の多くが、実は「自分のため(エゴ)」だった
ということに。私が厳しく指導していたのは、子どもを伸ばしたかったからではなく、クラスが荒れて、自分の評価が下がるのが怖かったから。自分の能力を証明したかったからです。

 どんなにつらくても休まず担任としての務めを果たしたのは、子どもの学びを保証するためではなく、「無能な先生」「根性なし」だと周囲から見下されたくなかったからです。「こうあるべき」「こうでありたい」という理想の自分像が崩れていくのが怖かったのです。
 私が握りしめていた「一生懸命」は、子どもたちの心を傷つけるものになっていました。そして、その「あなたのため」の裏に隠れていた「自分のため」という不純な動機は、子どもたちには筒抜けだったのです

 子どもたちは、私の「嘘」に気づいていました。「この先生は、私たちのことなんて見ていない。自分の立場を守るために、自分の満足のために、私たちをコントロールしようとしているだけだ」。その直感が、彼らのあの冷ややかな視線に繋がっていたのです。

信頼関係は、テクニックで築けるものではありません。

 親や教師の心の奥底にある「マインド(あり方)」が、自分のエゴで埋め尽くされている限り、どんなに正しい言葉も巷(ちまた)で注目されている教育方法も、子どもたちの心には一切届かない。むしろマイナスに働くことさえあります。
 だからこそ、子育てがうまくいっていないと感じるのであれば、子どもを変えるための「How to」に飛びつくのではなく、今まで見ないようにしてきた、自分の内側に向き合うことしか道はないのではないでしょうか。



正しさの押し付けが関係を壊していく

良かれと思って熱心に指導するほど、子どもたちとの間に冷ややかな溝が広がり、やがて学級崩壊へ……。元教員である著者がどん底の経験から直面したのは、子どもを伸ばしたいという純粋な愛情ではなく、自分の評価や立場を守りたいという「親(教師)のエゴ」でした。正しい言葉や巷のテクニックに飛びつく前に、まずは自分の「あり方」を見つめ直していきたいですね。



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