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【直筆メッセージ付き!】『メメンとモリ』ヨシタケシンスケさんインタビュー 僕が親として考えたのは、「学校に行ってほしいわけじゃなくて、幸せになってほしいんだ」ということ。


この夏大注目の『メメンとモリ』はヨシタケシンスケさん初の長編絵本。「人は何のために生きるのか」というテーマが、冷静な姉のメメンと情熱家の弟のモリのやりとりで描かれています。著者であるヨシタケシンスケさんに作品のことや子ども時代のこと、子どもを持つ親としての思いなどを聞きました。

取材・文:村山 京子


――『メメンとモリ』はどんな絵本ですか?

3つのおはなしを通して「なんのために生きるのか」というテーマについて描いています。これまでに作ってきた絵本は、読みながら面白がったりほっこりしたりしてもらえる楽しさがあったと思うんです。今回は最後まで読んだときに「あれ? よく分からないぞ」と子どもたちはきょとんとするかもしれない。でも分からないなりに「なんだか気になる」「どういう意味だろう」と繰り返し読んでもらえたら嬉しいし、大人の読者にもぜひ楽しんでいただきたいです。





――なぜ大きなテーマに取り組もうと思ったのでしょうか。

まず、僕は「生きるとはどういうことか」とか「生きる目的は何なのか」ということをぼんやり考えるのが好きなんです。それは自分が生きる意味を見失ったときに備えて、いろいろな答えのレパートリーを貯めておくために日頃からやっている作業です。

あるとき、「メメントモリ」という言葉を見ているうちに、ふと「真ん中をひらがなにしたら登場人物がふたりいるみたいだな」と思いついたんです。登場人物がふたりになったことで、一人がものごとを断言して、もう一人がそれに対して疑問を投げかけるという新しい物語の形が取れるようになった。そこでこのタイトルで、僕がつらつらと考えている「生きるとはどういうことか」というテーマを描いてみることにしました。

それに僕が絵本作家になって10年が経ちますが、その直前の東日本大震災にはじまって、新型コロナウイルスのパンデミックや、ウクライナへのロシアの軍事侵攻など、「今って何時代だっけ?」と驚くような出来事が起こっています。世界中で今までの価値観が揺らいでいて、こんなにも大人があたふたしていて頼りない時代はなかったんじゃないかと。誰しもが「生きるとは」とか「幸せとは」という本質的な事柄について考えざるを得ない時代だと思うんですよね。


――本質的な問いへの答えを描きたかったということでしょうか。

今までの価値観が根底から揺さぶられる中で、ひとつの揺るぎない正解を言うことに意味があるとは思えないんです。僕が描きたいのは考え方のレパートリー。人は楽観的になる日もあれば悲観的になる日もあって、こうと決めたようにだけ生きていけるわけではない。だから『メメンとモリ』では「ぶれるよね〜」ということを言いたかったんですよね。その時々の周りや自分の状況に応じて、使い勝手のいい現実の受け取り方や切り返し方を準備しておけば、なんとか切り抜けて生きていけるんじゃないか、と。そのレパートリーを「なるほどね〜」と一緒に面白がってくれる読者がいたらありがたいです。


――子育ての価値観も大きく変わって、親もあたふたしてしまいます。

人は誰しも楽しく生きていきたいわけです。でも頑張れば必ずしも幸せになれるわけではないし、実際は思うようにいかないことだらけ。前向きになれる人ばかりじゃなくて、僕みたいにくよくよ派の人間もいっぱいいるはずで。だからといって楽しくて幸せじゃなければ人生は失敗、というわけにはいかない。だから良くも悪くも「思うようにいかなかったね!」とびっくりするのが今のところの生きる目的といえるんじゃないかと。

でも「がんばっても幸せになれるとは限らないよ」なんて、親は子どもに言えませんよね。だから親は子どものためによかれと思っていることを押し付けたっていいんじゃないかと思います。子どもにとっては迷惑かもしれないけれど、そのときに「迷惑なんだよな」と感じることが後々、その子の価値基準になっていくはずなので。そして親はぶれるしあたふたするものだということを見せ続けるしかない。「申し訳ないけど、親もぶれるものなんだ。その中で、あなた自身が何を取るかを決めるしかないんだよ」と。大人の言うことが絶対に正しいわけではないということに、早い段階で気付かせてあげたほうがいいですよね。





――子どもの頃のヨシタケさんにとって、学校はどんなところでしたか?

小・中学校、高校は楽しくもつらくもなくて、ただつまらなかったんですよね。でも団体行動が苦手だったし、「楽しくなくて当たり前だよね」と。学校は僕を楽しませるためにあるわけではないから、まあ仕方がないだろうと思っていました。幸いなことに“言うことを聞く”ということは得意だったので、言われたことはソツなくこなしていました。相手が求めた分だけをきっちりやっておこうという処世術みたいなものです。でもこれは向上心にはつながらないので、我が子に伝えるわけにはいかないんですよね(笑)


――現在、不登校の子どもが増えていますが、それは「つまらなくて当たり前だよね」と思えないからなのでしょうか。

世代が変わってしまって、今の子どもたちがどう考えているのかは僕には分からないんです。でも僕が親として考えたのは、「学校に行ってほしいわけじゃなくて、幸せになってほしいんだ」ということ。難しい問題だけど、行かないという選択をしたら、子ども本人がそれを背負っていく力を養って、自分自身を認めてあげられるようにする。周りはそれをサポートしていく。「将来、金銭的な援助はできないけれど、あなたがいいと思うなら、いいんじゃない?」という気持ちを子どもに伝えながら、その後の選択肢を増やしていってあげることが当事者にとっては助けになるんじゃないかと思います。


――いまの学校教育では、子どもたちは常に“求められる以上の何か”を求められているように感じます。

それは僕が子どもの頃にはなかった新しい苦しみかもしれませんね。昔は正しい答えがすでにあって、ひとりひとりの意見なんて求められていなかったから。でも「自分の意見を出しなさい」「個性を出しなさい」と言われても、自分の意見や個性が確立されている子どもはそれほど多くないと思うんです。まだできていないものを出せと言われて、なんとか捻り出したのに「それは違う」なんて言われたら、もうどうしていいか分からないですよね。

僕が言えることは「自分だけの意見がなくてもいいんだよ。むしろあったとしても、言うか言わないかはあなたの自由なんだよ」ということ。でも大人も悪気があるわけではないんだ。だから本当のことは言わなくてもいいから、なんとかうまいことお茶を濁しておいてくれないかな、と。「こうすれば明日から楽に生きられるようになりますよ」なんて即効性のある方法はすぐに役に立たなくなる。だからこそ「こうやって考えてもいいよね」「こういう考え方だってあるよね」と、お茶を濁しながら生きていく方法を絵本で提示し続けていきたいですね。



【作家プロフィール】

ヨシタケシンスケ
1973年、神奈川県生まれ。筑波大学大学院芸術研究科総合造形コース修了。デビュー作『りんごかもしれない』(ブロンズ新社)で第6回MOE絵本屋さん大賞第1位を受賞。絵本のほか、児童書の挿絵、装画、イラストエッセイなど多岐にわたり作品を発表している。著書に『しかもフタが無い』(筑摩書房)、『日々憶測』(光村図書出版)、『ぼくはいったい どこにいるんだ』(ブロンズ新社)、『もりあがれ! タイダーン』(白泉社)など。


著:ヨシタケシンスケ

定価
1,760円(本体1,600円+税)
発売日
サイズ
A5判
ISBN
9784041133958

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