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サイゼリヤ試験 『今は子育て三時間目』ためし読み 第3回


2025年、児童文学の小川未明文学賞で大賞を受賞した黒田季菜子さん。
いま注目の作家による、3人の子どもたちとその周りで起こる楽しくて、切なくて、なつかしくて、うれしいあれこれ…。
ちょっと大変な疾患の子もいるけれど、「ふつうの日常」をみずみずしく透明感あふれる筆致でつづった、珠玉のエッセイ集です。

※本連載は『今は子育て三時間目』から一部抜粋して構成された記事です。


サイゼリヤ試験

ちょっと前に、お付き合いはじめの女の子はまず、サイゼリヤなどの気安いファミリーレストランチェーンに連れてゆく、そこで反応を見る。

という話がありましたね。これはまあ価格帯的にはとても安価で中高生のお小遣いでも楽しめるレストランに連れて行っても「ありがとう」と満足してくれるかをテストするという意味合いを持つ、そういうものだったとは思うのですけれど、それなりに色々言われていましたね。これについては、

「なんでそんな試し行動みたいなことされなあかんねん」

という憤慨の意見が多かったように思います。男女の機微には少しも造詣が深い方ではありませんが、やっぱり相手の度量を試すような真似をしてはダメなんじゃないかなと、「お金はないんだけど、きみもしくはあなたとならサイゼでも十分楽しいよ」とか「いや、同じ安さで言うならスシローにしてくれ」とか、事前に相談して仲良くしてくださいよと、恋愛関係市場はすっかり傍観する立場になったおばさんは思うのです。

人と人との関係は思い合う気持ちが大事ですが、事前に相談した方が話は早い。そこで意見が分かれたなら次に行きなさい。

なんでもO・ヘンリー短編集の『賢者の贈り物』(角川文庫)のようにはいかないものです。あれはあれで「事前に相談しておけば…」とも思う話ではあるのですけれど。

そんな風に、ひところSNSのちょっとした論争の渦中に放り込まれてしまっていたサイゼリヤですが、わたし個人はサイゼリヤに大変良い思い出があるのです。

だって初めてのデートで連れていかれたのがサイゼリヤ…というのではなくて、うちの子ども達三人全員を引き連れて初めて外食したのがサイゼリヤなのですよ。

わたしのスマホのカメラロールが記憶していたその日は、二〇一九年の十二月二十七日。ずっと春休みやろ?と思っていたそれは実のところ冬休みの出来事でした。

多分特にどこにも行く当てのない冬休みの一日、せめてお外にゴハンでも食べに行こうかと思ったのだと思います。

当時上から小学五年生、小学二年生、そして一番下の子が二歳の子ども三人を引き連れて、「さあなんでも好きなものをお上がんなさい」と大盤振る舞いできる場所は、マクドナルドかサイゼリヤの二択でした。

その頃、丁度まだ世界はコロナの渦中に飛び込む少し前で、小さな子どもを連れていてもまあまあ気安く外食はできました。ただこの時、わたしと子ども達にとってそれが記念日的な外食になったのは、一番下の二歳の子にとって、これが生まれて初めての外食だったからです。

一番下の娘は、生まれつきの病気があって、生まれてからずっと病院と縁の切れない子でした。

心臓に問題を抱えていて、哺乳力はごく弱く、誤飲も起こしやすい。それで肺炎の可能性を考慮して、生まれてすぐに経鼻栄養という、鼻から管を通してそこから栄養摂取するという方式で食事をしていました。

するとあら不思議、とりあえずの手術を終えて自宅に帰ってきた後も、飲み込むことをすっかり忘れて、その状態が二年近く続いたという難儀な子になりました。

一番下の子が、リハビリを重ねて少しずつ嚥下する力を取り戻し、やっと経口、口からの栄養摂取だけで生きて行けるようになったのは、一歳の後半でした。

そうして初めてきょうだいで出掛けた外食先がサイゼリヤだった、ということなのです。

カメラロールに残る子ども達は、一番上の子がミートドリア、真ん中がたらこスパゲティ、一番下はボロネーゼを食べていました。

上の子はこの原稿を書いている現在もうすぐ十六歳になる早生まれの高校一年生、真ん中は中学一年生、一番下は小学一年生、皆すっかり大きくなりました。今なら、きっとこの倍は食べるでしょう。

ところで小さな子どもに食事をさせた事がある人にはわかっていただけると思いますが、まだお箸やスプーンを上手く使えない年ごろの子どもに食事介助をするのは高度な技術を要します。

色が付きやすい食材は相当な強敵です。ぶどうジュース、トマトソース、カレー。

特にぶどうジュース。お前はダメだ。それが白いTシャツに飛んで、慌てて石鹸で洗うとアルカリが酸に反応して青いシミを作るのです。わたしはそれでラルフ ローレンのポロシャツをダメにしました。

トマトソースは知らぬ間にあちこちに飛んで、消えないシミを作ります。カレーはよく洗ってお日様の下に干すと意外と消えるのでまあまあ寛容になれますが。

でもこの時、初めてのサイゼリヤの日だけは、わたしは子どもの服と顔と小さな掌が全部トマト色になるのを気にせず、ボロネーゼを末っ子に自分で食べさせました。

嬉しいなあ楽しいねえという言葉を連発していた気がします。多分一日千秋の思いで、食事がとれるようになる日を待った少し前のことを考えていたのでしょう。

楽しかったサイゼリヤ、嬉しかった十二月二十七日。

もし将来、ウチの娘を「ひとつ、試してやろう」と思ってサイゼリヤにデートに誘った子がいたら、いたとしたらですよ。多分うちの娘はこの「わたしの初めてのサイゼリヤ」の話を延々することになるかと思います。

「わたし、二歳くらいまで病気で口から飲んだり食べたりできへんくてな。ほんでリハビリして食べられるようになって、生まれて初めて外食したのがサイゼやねん。わたしがボロネーゼで口のまわりを真っ赤にして食べてくれたのがホンマに嬉しかったって、おかんがいまだに言うねん」




子どもとの時間は、長いようで意外とあっという間。
子育てをしたことがある人ならだれでも感じるせつなさ、なつかしさ、淋しさ……この本にはそれらが宝物のように詰まっています。


【書籍情報】


著者: 黒田 季菜子

定価
1,650円(本体1,500円+税)
発売日
サイズ
四六判
ISBN
9784046077080

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