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ことばを通して見える世界【ことわざ】


子どもたちの思考力の基礎をつくる「ことば」を、親子で楽しく学べる『わが子に「ヤバい」と言わせない 親の語彙力』。

連載第2回は、本誌の中から『ことばを通して見える世界【ことわざ】』をピックアップします!

※本連載は『わが子に「ヤバい」と言わせない 親の語彙力』から一部抜粋して構成された記事です。



 


時代によってことわざの意味が変化する?

 問題 

次のことわざと反対の意味のことわざを後から選び、記号で答えなさい。

①    あとは野となれ山となれ
②    君子は危うきに近寄らず
③    善は急げ
④    とんびが鷹を生む
⑤    船頭多くして船山に上る

ア 蛙の子は蛙
イ 河童の川流れ
ウ 虎穴に入らずんば虎子を得ず
エ 三人寄らば文殊の知恵
オ 急いては事を仕損じる
カ 立つ鳥あとをにごさず

こたえはコチラ

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 光塩女子学院中等科の問題を紹介しましたが、反対の意味のことわざを答えるこの手のタイプの問題は中学入試頻出です。

 一方で、似たような意味同士のことわざもたくさん存在します。たとえば2013年度玉川聖学院中等部(第3回)では「反対の意味」「似たような意味」のことわざ双方の理解を試す問題を出しています。「念には念を入れよ」の同類のことわざとして「石橋を叩いて渡る」、「果報は寝て待て」の反対のことわざとして「蒔かぬ種は生えぬ」を選ばせる問題です。

 大人にとっては平易なレベルではないでしょうか。しかし、このようなことわざなど普段あまり使用しない子どもたちは頭を抱えてしまうかもしれませんね。

 さて、いま「果報は寝て待て」と「蒔かぬ種は生えぬ」は反対の意味であるとしました。前者は「幸福が訪れるのは自分の力だけではどうにもならないのだから、焦らずに好機がやってくるのを待とう」という意味であり、後者は「何もしないではよい結果は得られない」という意味です。よく考えてみれば、この例のように反対の意味のことわざが長く日本で用いられているのは矛盾していますよね。一体どちらの言い分に正当性があるのかが判断できません。大変興味深いのは、江戸時代の1645年刊の俳諧作法書・撰集である『毛吹草(けふきぐさ)』に「くはほうはねてまて」「まかぬたねははえず」の2つのことわざの記述が登場している点です。何だかおかしいですね。

 しかしながら、その人物の性格面や置かれた状況などを考え、「果報は寝て待てというではないか」とアドバイスを送るのか、「蒔かぬ種は生えぬというじゃないか」と切言するのかをわたしたちは使い分けます。ですから、矛盾したことわざが2つあったとしてもそれはちっとも不自然なことではないでしょう。

 あるいは、そのときの社会的背景によって、その使い分けがなされるのかもしれません。
平穏な時代であれば「果報は寝て待て」が好んで使われるように思いますし、戦乱などが頻発するような激動の時代であれば、「蒔かぬ種は生えぬ」が好まれるような気がします。

 そういえば、一つのことわざであっても、使用する人たちによってその意が反対になってしまう場合があります。

 皆さんは「転石苔を生ぜず」(A rolling stone gathers no moss.)ということわざをご存じですか。これはもともとイギリスで生まれたことわざであり、「職業や住居を変えてばかりいる人は、地位も財産もできない」という意味で用いられていたのです。ところが、このことわざがアメリカに「輸出」されると今度はこれが「活発な活動をしている人は時代に取り残されることはない」という意味で使用されるようになりました。イギリスは「苔」をプラスのものと見なす一方、アメリカでは「苔」をマイナスのものとしているのですね。その国の社会情勢や国民性といったものが影響しているのでしょう。

 日本でも時代とともに意味の変わりつつあることわざがあります。


その一例として「情けは人のためならず」があります。本来は「人に親切にすれば、その相手のためになるだけでなく、やがてはよい報いとなって自分にもどってくる」という意味でしたが、最近は、誤用とされる「親切にするのはその人のためにならない」の意味に受け取られる場合が多くなっています。「人のためならず」は、文法上は「ためではない」と理解するのが正しいのですが、「人のためにならない」の意味に取られているのです。
文法上の取り違いが原因になっているのでしょう。加えて、「自己責任」がなにかと叫ばれる昨今、新しい意味のほうがしっくりくる人が増えているのかもしれません。2010年の文化庁の調査によると、このことわざを本来の意味で用いているのか、誤りとされている意味で用いているのかは、ほぼ半々に分かれたそうです。

「縁の下の力持ち」ということわざは本来の意味が薄れて使用されていると言われています。もともとは「人目につかない報われない仕事」を意味していました。ところが、昨今は「彼は委員長の縁の下の力持ちとしてその手腕を発揮している」といったように、「人の陰で努力・尽力する賞賛されるべき行為」としてこのことわざが用いられることが多くなっています。「縁」の「間接の原因」という意味から「人と人とのめぐり合わせや結びつき」という意味にスポットが当たった結果なのでしょう。

慣用句でも同じような現象が見られます。

 たとえば、「気が置けない」がそうですね。もともとは「相手に気づまりや遠慮を感じない」様子を表していましたが、最近はこれを「相手に心を許せない」様子という反対の意味で用いられることがよくあるようです。皆さんはどちらの意味だと思われていましたか。「琴線(きんせん)に触れる」もその意味が取り違えられやすい慣用句です。本来は「良いものや、素晴らしいものに対して感動すること」を意味していましたが、最近はこれを「(人の)怒りを買うこと」として用いる人が増えているようです。おそらく、「琴線」と「逆鱗(げきりん)」を混同してしまっているからでしょう。これは明らかな誤用ですが、この意味で用いる人たちが大半を占めるようになると、辞書にこれが新しい意味として掲載される日がくるのかもしれません。


 このように、古くから受け継がれてきたことわざや慣用句であっても、これから先その意味が変化する可能性を秘めているものがたくさんあります。ことばとはつくづく生き物のようだと感じさせられます。


語彙力も、思考力も、受験合格も、家庭での言葉遣いが明暗を分ける!

連載第2回は、本誌の中から『ことばを通して見える世界【ことわざ】』をピックアップしました。

「わが子のことば遣い、“ヤバい”かも(そして、実は自分自身のことば遣いが“ヤバい”かも)……」と思った方は、本誌をチェック!


著者:矢野 耕平

定価
1,540円(本体1,400円+税)
発売日
サイズ
四六判
ISBN
9784046062598

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【著者プロフィール】

●矢野耕平
1973年東京都生まれ。中学受験指導スタジオキャンパス代表、国語専科博耕房代表。東京の自由が丘と三田に2教場を構える。指導担当教科は国語と社会。中学受験指導
歴は今年で29年目を迎える。2児の父。法政大学大学院人文科学研究科日本文学専攻修士課程修了。現在は社会人大学院生として同大学大学院同研究科国際日本学インスティテュート日本文学専攻博士後期課程に在籍し、認知言語学、語用論などをベースに学齢児童の言語運用能力の研究に取り組んでいる。著書に『令和の中学受験 保護者のための参考書』( 講談社+α新書/講談社)、『女子御三家 桜蔭・女子学院・雙葉の秘密』(文春新書/文藝春秋)、『13歳からの「気もちを伝える言葉」事典―語彙力&表現力をのばす心情語600』(メイツ出版)など。中学受験や中高一貫校、国語教育などをテーマにした連載記事を担当し、これまでにオンラインメディアの記事を300本以上執筆。

 

 入試問題の解答 

①    カ
②    ウ
③    オ
④    ア
⑤    エ



 

 

 


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