せなけいこを見つめてきた学芸員が語る、復刊した「おおきくなりたい絵本」シリーズとエッセイ『こどもとおばけとルルちゃんと』の魅力
「せなけいこ展 その全仕事」を手がける刈谷市美術館の松本育子さんにインタビュー。今年9月に刊行から50年以上の時を経て復刊した「おおきくなりたい絵本」シリーズに使われた技法や、せなけいこさんのご息女・黒田かおるさんの初エッセイ『こどもとおばけとルルちゃんと』(2026年12月16日発売予定)について、美術展の見どころになどを教えていただきました。
●プロフィール
松本 育子 (まつもと いくこ)
東京都出身 名古屋大学大学院教育発達科学研究科修了。1989年より学芸員として愛知県・刈谷市美術館に勤務。初めての大規模展となった「せなけいこ展」(2019年)に続き、企画・編集を務めている。
「おおきくなりたい絵本」シリーズについて
▲復刊した「おおきくなりたい絵本」シリーズ全4冊▲
――松本さんは初めての大規模展となった2019年の「せなけいこ展」から、企画・構成を務めておられますが、「おおきくなりたい絵本」シリーズの原画を初めてみたときの感想を教えてください。
調査に入った頃なので、2018年になります。初めて目にしたとき、「これはルルちゃんが大きくなった頃の作品なんだな」と思いました。
すごく驚いたのは、『ルルねこちゃん』です。せなさんの作品として珍しく、車の写真のコラージュが用いられています。手描きのダミー絵本を見てわかったのですが、当初は貼り絵で行うつもりだったようです。でも、作品としては車の写真のコラージュになっている。物語の流れとインパクトを考えて、あえてそうしたのだと思います。
▲『ルルねこちゃん』原画▲
この絵本が出版された1974年頃というのは、交通事故や公害が社会問題になっている時期でした。そういった問題意識が、せなさんだけでなく出版社側にも、背景にあったのではないかと思います。この場面はぜひ来場された皆さんに見ていただきたくて、手描きのダミー絵本とともに原画を展示しています。
このシリーズでは、すごく冒険的な試みが行われています。例えば『ルルねこちゃん』のねこも、『ライオンちゃん』のライオンも、ペンで描かれています。大きくなったルルちゃんを描くにあたっては読者の想定年齢も高くなるので、赤ちゃん絵本には使わなかった技法にチャレンジしたのかもしれません。子育てに忙しい中で生み出された技法のひとつでもあると思います。様々な要素が取り入れられた、作家としての野心的な作品だと感じています。
心に響く「あとがき」
私がこの本を読んだときに、すごくいいなとったのが「あとがき」です。特に、『ライオンちゃん』の次の部分です。「この本の原作者はルルだといってよいのです」。これを表現するための4冊だったのかな、と考えると胸が打たれます。
――娘さんの黒田かおるさんも、大人になって「あとがき」を改めて読み、復刊を決めたそうです。復刻版には、オリジナルの「あとがき」に、黒田さんの「あとがき」を追加しています。
このオリジナルの「あとがき」からは娘への深い愛情が感じられます。そして復刻版に掲載された黒田さんの新たな「あとがき」を続けて読むと、大人の女性同士の響き合いが感じられます。復刊できて、本当によかったと思います。
エッセイ『こどもとおばけとルルちゃんと』について
――自身の子どもを描いてきたせなけいこという作家について、他の作家との違いがあれば教えてください。
この問いをいただいて気づいたことがあります。それは、自身のお子さんを作品にしている作家があまりいないということです。たまたま年配の男性作家を多く担当してきたからかもしれませんが、これまで子どもを描いてきた作家は、「まだ自分の中にいる子ども」や「子どもの頃の自分」に向き合うタイプの作家ばかりでした。一方で、せなさんが影響を受けたハインリッヒ・ホフマンや「うさこちゃん(ミッフィー)」でおなじみのディック・ブルーナは男性ですが、自らの子どもに向けて描いているんですよね。
せなさんの日記からは、お子さんとの日々をアイデアソースとしていることがわかります。「お風呂の中で水遊びをしながら、福音館書店の科学絵本について会議した」なんていう記述があります。ここまでリアルな子育てと絵本がシンクロする作家さんは、せなさんだけかもしれません。
―― せなけいこを研究する立場から、新たに発売されるエッセイ『こどもとおばけとルルちゃんと』についてどのような感想を持ちますか?
私自体が基礎資料とするものは、主に作品としての作家の絵本や書籍、そしてご本人が書いた文章です。そんな中、家庭ではどうだったのかということは、作家本人が文章に残さない限りわかりません。このエッセイは、娘の黒田さんがモデルとなったときのことまで書いていらっしゃる。その意味で、その時期実際の生活はどうだったのかを複眼的に捉えることができます。
せなさんの日記には、事実しか書かれていないんです。ですから、その事実にまつわることは、感情も含めて推測するしかありません。それがこのエッセイを通じて、娘の言葉として裏付けられる。「あ、実はこうだったのか」というのが汲みとれるのはうれしいことです。
第1回の美術展と、今回の「せなけいこ展 その全仕事」の違いとは?
▲刈谷市美術館で開催中の「せなけいこ展 その全仕事」▲
―― 第1回と今回の違いは、どのようなところにありますか?
第1回は、初の大規模展ということもあり、時系列で作品を見てもらう構成としました。ただ、心残りもありました。時系列のバランスの中では展示できない作品もあったからです。また、資料の多くも展示できませんでした。
―― 先ほどゆっくり観覧させていただきましたが、今回の方がダミー本や絵コンテ、貼り絵の手順を示したパネルなど、どのように作品をつくったのかを示す展示が目を引きました。原画の下に、ダミー本があるのはいいなと思いました。
さらに、前回十分には紹介できなかった紙芝居の原画や、せなさんが一緒に暮らしたうさぎやねこの作品をしっかり展示できたのはよかったと思います。そして子どもを描く「童画家」として、展覧会に出品された大型作品もまとめて扱うことができました。
また、せなさんはお子さん達が大きくなってから、頻繁に海外にでかけています。そこで得られたアイデアを絵本にしているのですが、その旅につながる絵本の原画も紹介できました。前回したくてもできなかったアイデアを、今回は形にできたと思います。
―― 小さなお子さんも飽きずに楽しめる工夫が、ふんだんに盛り込まれていますね。まず、美術館に入ると、「絵本のケーキ」が来館者を迎えてくれます。そして『ねないこだれだ』など小さな子ども向けの原画が展示されている1階の明るい展示室には、すごく大きな絵本のオブジェがあります。そこから2階に上がると、とたんに真っ暗な展示室に変わります。子どもはちょっと怖くて、ドキドキするでしょうね。
▲入口すぐに飾られる「絵本のケーキ」▲
暗い部屋には、おばけばかりが展示されていますからね。
――ただ、展示を締めくくるのは「おばけ」ではなく、平和のメッセージでした。
最後は平和を意識した作品を揃えました。戦争を経験された作家は、決して戦争を忘れないんですね。作風が違っても、根っこは同じです。せなさんの『おひさまとおつきさまのけんか』もそうです。この物語は1982年8月、『日本児童文学』にストーリーだけが発表されたものなのですが、2003年にようやくポプラ社から絵本として刊行されました。出版まで、20年以上かかっているわけです。
――どうしても、子どもに伝えたかったんでしょうね。
この絵本は、ただ「けんかしちゃだめ」という内容ではないんですね。平和を考える絵本なのです。調査を進める中で、せなさんの平和に対する強い思いを感じ取ってきました。今回の展覧会における最後のセクションは、平和というテーマで締めようというのは早い段階から考えていたことのひとつです。
三世代が集う「せなけいこ展」
――今日は小さなきょうだいが、おばけの仮装をして来ていました。来場者の年齢幅がすごく広いですね。
美術展というのは、来場者と作品が「はじめまして」というケースが多いのですが、せなさんの場合は、みなさん「知っているよ」から入るんですよね。それは小さなお子さんも同じです。
――おばけやうさこに会いにくるんですね。人生で初めて美術館に来たというお子さん、もしかすると親御さんもいるかもしれません。
保育園、幼稚園に絵本があるので、小さなお子さんが、親御さんや祖父母と手をつないで来てくれるのです。今回黒田さんには、全作品の写真撮影の許可をいただいたので、みなさん楽しそうに美術館内で写真を撮っています。館内に置いてあるせなさん宛のノートには、大人から子どもまで、たくさんの思い出やメッセージとともに、せなさんに宛てたおばけが描かれています。来場者と作家の、こんなあたたかいやりとりが起こるのは、作家せなけいこの美術展だからだと感じています。
(ライター 黒坂真由子)