追悼 柏原佳世子先生 「ユーモアを忘れず、人を傷つける言葉を使わない優しい人でした」<夫・加藤昭徳さんにインタビュー>
2022年12月に発売された『おうさまのまえで みぎむけーみぎ!』。
著者の柏原佳世子さんは今後を期待されていた絵本作家でしたが、残念ながら2020年に急逝され、今作『おうさまのまえで みぎむけーみぎ!』は遺作のひとつとなりました。
ご遺族である佳世子さんの夫・加藤昭徳さんに著者の絵本制作のエピソードやお人柄を伺いました。
――生前の佳世子さんは、どんな風に絵本のアイデアを考えていたのですか?
加藤:生活のなかからヒントを見つけていましたね。例えば『~100びょうまえ!』は子どもとおもちゃを片付けているときにカウントダウンをしていてひらめいていました。『~みぎむけみぎ!』の場合は、夫婦で「子どもたち、右と左があやしいよね」っていう話になって、「右って言っているのに分かっていない子どもに、右と左を表すのは難しいなあ」というところがスタートだったと思います。
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――けらいの顔や動きのおもしろさも佳世子さんの本の特徴ですね。
加藤:私は「妻はどんな人だった?」と聞かれると「ユーモア」という言葉が思い浮かびます。ユーモアって“人を傷つけない、上品なおかしみやしゃれ”という意味ですが、そういう人間性が絵本にも表れていると思います。
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――クラシックなイラストや斬新な構図などから見ると、佳世子さんはこだわりが強いタイプだったのでしょうか。
加藤:それが全然そういうタイプじゃなかったですね。アイデアもソファーに寝ながら考える感じでしたし、『~100びょうまえ!』のときも構図やけらいたちの制服の色など、指摘された点は淡々と修正していました。基本的に色鉛筆と絵の具で色を付けていましたが、もともと工業デザイナーだったこともありパソコンに使い慣れていたので、修正などはパソコンでやっていましたね。
それよりも私に「こういうテーマの絵本はどう?」って言われたり、アイデアに口を出されたりすることには抵抗があったみたいでケンカになったこともあります(笑)
――絵よりもアイデアに? それは意外ですね!
加藤:誰に対しても自分の考えを押しつけない人でした。だから絵にダメ出しされることよりもアイデアを押しつけられる方が嫌だったのでしょう。たとえば妻は左利きだったのですが、まだ矯正される時代だったので字は右で書くけど絵筆は左なのです。そういう「右利きが普通」みたいな窮屈なことへの思いみたいなものは、みんなが一緒にそろわないことをおもしろがるという『~みぎむけみぎ!』の物語に生かされたと思います。白黒つけることなく、いろいろな考えを受け入れ、少数派を大切にしていた妻らしいなあと思います。
――出版までは順調に進んだのでしょうか。
加藤:困難な道のりでした! なぜならこの『~みぎむけみぎ!』は鉛筆で描いたラフしか残されていなかったからです。まず色を付ける必要がありましたし、細かい修正や矛盾点などもあったので、妻が亡くなっている今どう解決したらいいか悩みました。でもそこは前作『~100びょうまえ!』で装丁をしてくださったデザイナーの平谷美佐子さんが驚異的なスキルですべて解決してくださって…。着彩、書き足しなどをする際はひとつひとつ編集者から連絡がきて許可を出すのですが、最初に着彩見本をいただいたときに素晴らしかったので、それからは「すべてお任せします」となりました。平谷さんがいらっしゃらなかったら、この本は出版できませんでした。
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――お子さまたちにとって、佳世子さんはどんなママだったのでしょうか。
加藤:妻は人を傷つけない言葉を使う人でした。子どもに対してもおなじです。子どもたちは怒られたことはなかったと言っていました。日常では「ママは怒ったぞー!」と言って半分笑いながら追いかけていたところは、私も子どもたちもよく覚えています。あと、「ママは勉強が苦手」と言っていたそうで、勉強を教えられた記憶はあまりないと言っていました(笑)。
――これから、というときに亡くなってしまい、残念です。
加藤:絵本作家としてもこれからだったですし、二人の子どももまだ小さいので、それも無念だったと思います。子どもに「どんなママだった?」と聞くと、「優しく、おもしろく、明るく、大好きだった。ママの嫌なところはひとつもない」と答えてくれました。
病気が分かってから1年くらいで亡くなったのですが、子どもたちもつらかったと思いますし、私自身もまだ気持ちの整理ができていません。
――『~みぎむけみぎ!』について、お子さんたちの反応と、加藤さんの絵本に対するお気持ちをお聞かせください。
加藤:子どもたちはめちゃめちゃ喜んでいました! 誇らしいというか、母親のことを自慢に思っていると思います。私としても、妻の残された作品たちをなんとか世に出したいと思ってきて、相談に乗ってくれた方やデザイナーさん、出版社など、こうやってたくさんの方々に協力してもらって本を出版できたことは嬉しいですし、何よりホッとしています。
これからも、妻のつくった本が長くたくさんの人に愛されることを願ってやみません。
佳世子さんは、子どもたちを厳しく叱ったりすることもなく、ユーモアがあり、子育てや生活を楽しくする才能があったそう。絵本作家としても意欲に富み、残されたラフやアイデアもたくさんあったそうです。
絵本作家・柏原佳世子先生(享年40歳)のご冥福を心からお祈り申し上げます。