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肝っ玉夫とカオスな日常『インド嫁1年生、異国生活奮闘記』ためし読み!

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23歳という若さでインドへ嫁ぎ、日本の常識が1ミリも通用しない異国の地で暮らすことになった「嫁カレーチャンネル」さん。夢見た新婚生活とは裏腹に、現実は毎日が想定外の出来事の連続でした。戸惑い、悩みながらも、持ち前の明るさで自分の居場所を築こうとする、現在進行形のリアルな異国生活奮闘記をお届けします。

連載第1回は、序章「⽂化の渦に巻かれて、⽇常を作り出す⽇々」の中から「肝っ玉夫とカオスな日常」を紹介します! 

※本連載は『インド嫁1年生、異国生活奮闘記』から一部抜粋して構成された記事です。


肝っ玉夫とカオスな日常

 あちらこちらで響き渡るクラクションの音。
 外では、野菜を移動販売するおっちゃんの爆音セールストークが鳴り響き、それをアラーム代わりに目を覚ます。
 インドに移住して数ヶ月も経つと、この一日中鳴り止まない「爆音アラーム」にも、
案外耳が慣れてくるものだ。 

 隣で愛犬のマッチャを抱えてスヤスヤと眠っている男は、数ヶ月前に彼氏から夫になったばかりの、日本語ペラペラなインド人、さっちゃんだ。
 付き合っていた頃から彼の肝の据わり方にはただならぬものを感じていたが、いざ彼が生まれ育ったこの国・インドに移住してみると、「ああ、この環境なら、それくらい図太くなきゃやっていけないわけだ」と妙に納得し、「肝っ玉さっちゃん」のルーツを垣間見た気になっている。
 私自身も割とルーズな性格で、さっちゃんからはよく「そのマイペースさと自由っぷりは、もうインド人だよ」と言われるのだが、そんな私でさえ、マイペースが大渋滞のこの国の本場を目の当たりにすると、「あたしゃまだまだヒヨっ子だな……」と、自由さのスケールの違いに打ちのめされるのだった。

 それでも、私の持ち前のルーズさとこだわりの無さが、ここでは見事にマッチしていて、インドという国に着々と順応している実感もある。
 真夜中に響き渡る隣人の爆音お祈りソングも、日本ではまず聞くことがなく、爆音が鳴ろうものなら「近所迷惑!」と誰かが止めに入りかねない。
 しかし、ここでは周囲の誰もがそれを当然のものとして受け入れていて、騒音を騒音とも思っていない。
 いっそ、お祈りをしながら楽しげに過ごすその空気を、私も勝手にお裾分けしてもらっているような気分になって、気づけばリズムにノっている自分がいたりする。
 ちなみに神聖なお祈りソングに限らず、大音量のテレビや音楽、昼夜問わずのパーティー、赤子の泣き声、野犬のけたたましい吠え声……隣人の音なんてどうってことないのがインドである。
 むしろ、こっちがどれだけ騒いでも、向こうも負けじとフルパワーで応戦してくるので、「お互い様」の関係性に慣れてくると、なんとも居心地がよくなってくる。

 私のYouTubeチャンネルでは、視聴者の方から「インドで暮らしていてお腹を壊さないのか?」という質問をよくいただく。
 おそらく、もともと備わっていた謎の免疫力に加え、インドの水質に徐々に慣れてきたこともあって、幸いにも屋台のご飯でお腹を壊したことは、今のところほとんど無い。
 まだ結婚前、旅行者として一度インドを訪れた時には、旅の最中にコロナにかかり、そのうえ最終日間近でお腹を壊し、帰りの飛行機では見事にトイレの住人と化した。
 当時まだ彼氏だったさっちゃんにずいぶん心配をかけてしまったが、あの時謎の免疫力が育ったのか、いつの間にかインドの水にも負けないタフな体が出来上がっていたらしい。

 とはいえ、慣れたこともあれば、未だに慣れないことも山ほどある。
 たとえば、夕飯前の慌ただしい時間帯。
 カレーに足りない野菜を買い足そうと、ちょっと外へ出て移動販売の八百屋に行けば、売り手は私の顔を見るなり、獲物を見つけたかのように目を光らせてくる。
 そして案の定、相場の三倍くらいの価格を提示してくるのだ。
 値切り交渉はインドでは日常茶飯事なので、私も拙いヒンディー語を駆使して、「インド人と結婚してこの辺に住んでるんだぜ〜!」とアピールし、旅行者じゃないからまた来るかもよ?的な圧をかけてみる。
 あの手この手でなんとか「ローカルマダム価格」まで持ち込もうと交渉を重ね、激闘の末にやっと相場価格で野菜が買えることもある。が、その直後には物乞いの人たちに目をつけられ、「持ってる野菜ちょーだいな」と付きまとわれるのである。
 応じるとどこまでもついてきてしまうのでスルーせざるを得ない。
 ちょっとした買い物すら、日本のように気軽にはいかないのが、まだまだ慣れないところだ。
 アパート近くに来てくれる移動販売は便利で助かる反面、大体は初対面の売り手なので、このような「初回交渉バトル」がしょっちゅう発生する。そして、地味にこれが気疲れするのだ。
 だから時には、スリル満点の道中を乗り越えて、少し離れた商店街まで行くこともある。
 顔見知りの優しい売り手の店なら、簡単なヒンディー語だけでスムーズに買い物ができるし、時にはオマケまでくれたりする。
 しかし、そこにたどり着くまでの道のりも、物乞い、牛、犬、車をかいくぐるアドベンチャーなので、その日の気分と体力次第で、「商店街ルート」か「交渉バトルルート」を使い分けている。

 慣れないことはまだまだある。
 たとえば、インドの道路で車を運転するということ。

 ラインは一応引いてあるが、誰一人としてそれを守っているようには見えない。歩行者、車、バイク、リキシャー、牛、犬……あらゆるものが縦横無尽に入り乱れていて、カオスとはまさにこのことだ。
 インド人は基本的にフレンドリーで、人と人との距離が近い(物理的にも)。
 それは道路上でも同じで、車も人も動物もガンガン距離を詰めてくる。
「煽り運転」「幅寄せ」、そんな言葉は存在しない。車間距離はミリ単位で詰めに詰め、ゼロ距離からの爆音クラクションが「通常運転」である。
 私たちの住んでいたデリーでは信号がまともに機能していない交差点も多く、右左折はまさに命がけ。
 五人乗りのバイクがサイドから突如出現し、後方からはオートリキシャー(注1)がノールックで発進してくる。
 怖気づいていると「早く行け!」という怒りのクラクションを浴びせられ、いつまでたっても目的地に着けない。
 夫のさっちゃんは「日本の方がルールが多くて難しいし、インドの方がゲームみたいで楽しいじゃん!」と車の鍵を押し付けてくるが、彼のような「デリー育ちの行き当たりばったりレーサー」に言われても説得力はゼロである。
 何度運転してみても、「スクランブルGoing my way」なインドの道路の運転は、私にはまだまだ高次元の話だ。

 さらにもう一つ、インドの道路で慣れないものがある。それは、高速道路の途中で突如現れるスピードバンプ(減速帯)。
 減速しきれずに乗り上げてしまうと、ルパン三世の車ばりに車体が浮き上がり、着地の衝撃で首を痛めそうになる。
 一体誰の発案で、何のために、あんな場所にスピードバンプを!?と毎回疑問を抱く。命の危機を感じつつ「この場所で一生が終わるかも」という気持ちすら芽生えてくる。

 こんなふうに、カルチャーショックや、これまでの常識を覆す出来事が、インドではほぼ毎日起きる。
 そのたびに、「私はなぜインドに来たんだろう……」と疑問が浮かぶのだ。
 しかし、あのクラクションにも、爆音セールスにもピクリとも反応せず、豪快ないびきをかいて爆睡している、隣のさっちゃんの寝顔を見ると、そんな疑問も、なぜかすーっと消えていくのだった。


(注1)運転席と後部の長座席で構成された三輪のコンパクトなタクシー。


驚きと笑いの連続!インドの家庭で見えた「素顔」

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