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【「今日って何の日!?」】1月21日は薩長同盟が結ばれた日です

(左から)西郷隆盛像、坂本龍馬像、桂小五郎像


1月21日は、1866年に薩長同盟が結ばれた日です。薩長同盟には薩摩藩の西郷隆盛、長州藩の桂小五郎(のちの木戸孝允)、坂本龍馬など、みなさんが聞いたことのある歴史上の人物が多く登場します。江戸幕府が倒れるきっかけのひとつとなった、薩長同盟とはどういったものでしょうか。

「開国論」と「攘夷論」に分かれたペリー来航 薩摩藩と長州藩は犬猿の仲?

薩長同盟は、文字にあるとおり薩摩藩と長州藩が政治的・軍事的に手を結んだものです。しかし、もともと2つの藩は仲が悪く、敵対していました。それは1853年の、日本をゆるがした有名な出来事がきっかけでした。



角川まんが人物伝『坂本龍馬』P.29~31より


アメリカのペリーが来航し、日本に開国をせまったのです。1854年、幕府は下田と函館の開港を認め、日米和親条約を結びます。これによって長年続いてきた日本の鎖国は終わりました。

そして第十三代将軍・徳川家定の意思により大老となった井伊直弼は、1858年に勅許(天皇からの許可)を得ないまま、日米修好通商条約を結びます。
 


角川まんが学習シリーズ『日本の歴史11 黒船と開国●江戸時代後期』P.100より


幕府が異国の要求を受け入れたことに反感を抱く者は多く、天皇こそが日本の君主であり(尊王)、その朝廷の意向どおりに外国勢力の排除(攘夷)を実行せよと主張する「尊王攘夷」という思想が、幕府の内部にも広まります。しかし、大老・井伊直弼は尊王攘夷派の公家や大名を厳しい態度で処罰しました(安政の大獄)。

そして1860年、江戸城桜田門外にて…
 



角川まんが学習シリーズ『日本の歴史11 黒船と開国●江戸時代後期』P.125,128より


大老・井伊直弼の暗殺により、幕府の統治力の衰えがあらわに。そこで老中・安藤信正は朝廷(公)と幕府(武)の結びつきを強めて権威を取り戻そうという「公武合体」を進め、その決め手として、孝明天皇の妹和宮と将軍家茂の政略結婚を実現させます。
この頃から、朝廷のある京が政治の中心になっていきます。

 


角川まんが学習シリーズ『日本の歴史11 黒船と開国●江戸時代後期』P.130,131より


公武合体派の中でも力を持ったのが、薩摩藩の島津久光です。久光は幕府に改革を迫り、有力藩主である越前藩主や会津藩主を要職に付けさせました。

一方、尊王攘夷派の中心だったのが長州藩。当時天皇だった孝明天皇は攘夷派で、本来なら長州藩の味方です。しかし天皇は、長州藩の急進的な思想や行動を支持しませんでした。薩摩藩と会津藩の朝廷への働きかけもあり、長州藩は京から追い出されてしまいます。
 



角川まんが人物伝『坂本龍馬』P.79,80より


これを「八月十八日の政変」といいます。それ以降、長州藩は薩摩藩を強く恨み、犬猿の仲になってしまったそうです。

それ以降も京を守る会津・薩摩藩を中心とする公武合体派軍と長州藩が軍事衝突するなど対立は続きました。
 


角川まんが人物伝『西郷隆盛』P.78,79より


1864年、蛤御門の変(禁門の変)によって朝敵(天皇及び朝廷に対する敵)とみなされた長州藩は、幕府の遠征軍に藩まで攻め込まれます(第一次長州征討)。また、長州藩は過去に攘夷を実行するとして下関の海峡を通る外国船を砲撃していたため、諸外国も敵に回しており、この時、彼らからも攻撃を受け窮地に陥ることに。長州藩は外国の強大さに気づき、攘夷は不可能だと悟ります。尊王攘夷派だった長州藩は、諸外国と渡り合うためには幕府ではダメだと、「倒幕」へと考えを改めました。

一方、薩摩藩では1863年にイギリス人を斬り付けた「生麦事件」をきっかけに、「薩英戦争」がぼっ発。薩摩藩はイギリスの強さに直面します。
 



角川まんが学習シリーズ『日本の歴史11 黒船と開国●江戸時代後期』P.180~182より


長州藩、薩摩藩ともにそれぞれが外国と戦う事で、外敵を追い払う「攘夷」の難しさを思い知ります。やがて、それぞれが“倒幕”への考えに向かいます。

2つの藩が手を組むことになったきっかけは坂本龍馬

1864年、蛤御門の変(禁門の変)では、多くの戦死者が出て、京の町の三分の二が焼失します。それを見て、日本の将来を深く心配した人物がいました。土佐藩出身の坂本龍馬です。
 



角川まんが人物伝『坂本龍馬』P.87~89より


日本人同士が戦い、武力でものを言わす幕府に嫌気が差していた坂本龍馬は、幕府に対抗する力として、大きな力を持つ薩摩藩と長州藩の共闘を思いつきます。しかし、両藩は八月十八日の政変や蛤御門の変(禁門の変)などを通じて、犬猿の仲となっていました。

坂本龍馬は西郷隆盛のもとを訪ね、薩摩と長州が手を結んで幕府を倒そうと、ある提案をします。
 


角川まんが人物伝『西郷隆盛』P.96より


この頃長州藩は朝敵とみなされていたので、武器を買うことができない。薩摩は米不足で兵糧米(戦時に武士に供給される米)が不足している――。坂本龍馬は双方が必要なものを取引することで互いに利益をもたらす提案をしました。




角川まんが人物伝『西郷隆盛』P.97~100より


1866年1月21日、新しい日本を作るため薩摩藩から申し入れる形で、「薩長同盟」が成立しました。その後幕府は、長州を排除するため、2度目の長州征討を開始するが、薩摩藩の援助で最新式の武器を持った長州藩が優位に戦いました。

長州との戦いに負けた幕府はフランスの助けを借り、軍の近代化を進めようとします。幕府にはフランス、薩長にはイギリスが後ろ盾となりましたが、フランス・イギリス両国は、薩長両国が武力で幕府を倒す内戦で日本の国力が弱まるのを狙っていました。
これを止めようと動いたのが、薩長同盟を成立させた坂本龍馬でした。

 



角川まんが学習シリーズ『日本の歴史11 黒船と開国●江戸時代後期』P.200~202より


西欧の議会制度をモデルとする新しい国づくりを考えていた坂本龍馬は、のちに「船中八策」とよばれる形に起草し、出身地・土佐藩に預けました。その内容は、まず幕府が政権を朝廷に返し(大政奉還)、その後議会を作る――というものです。

大政奉還を申し立てる文書を土佐藩から幕府に提出され、反対する者も多くいたが…
 


角川まんが学習シリーズ『日本の歴史11 黒船と開国●江戸時代後期』P.206,207より


1867年10月、第15代将軍・徳川慶喜は政権を朝廷に奉還し、265年続いた江戸幕府は幕を閉じました。

そして1867年12月、明治天皇により「王政復古の大号令」が宣言され、天皇を中心とする明治新政府が発足するのです。

角川まんが学習シリーズでは、薩長同盟、ペリー来航、大政奉還などが詳しく書かれています。また、明治維新の立役者である坂本龍馬や西郷隆盛の人物伝も刊行されています。近代日本成立のきっかけとなった出来事や尽力した人々の生き方を学んでみましょう。

 

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監修:山本 博文 カバー・表紙:西村 キヌ

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