少年と虎太郎が振り返る。
ベートーヴェンになった母親が、追いかけて来る。
「お母さんは、なんであんなことに??」
「君のお母さんは、災悪に身体を乗っ取られてしまったんだ」
「乗っ取られた? なんとか助けてよ!」
「君が『呪われた少年』の名前を口にしたのは何処なの?」
「学校の音楽室だよ」
少年はハッとした。
「そこにベートーヴェンの肖像画があったの?」
「うん」
「じゃあ、それだよ。案内して!」
「分かった」
今まで少年に手を引かれていた虎太郎が、前に出た。
やがて二人は商店街に来て走り抜けようとした。
その時、前から歩いてきたセーラー服の女子と目が合った。
その途端、女子の髪は銀色に変わり毛先がカールした。
フフフフッ!
ベートーヴェンになった女子が笑う。
「な、なんなの!」
虎太郎は驚いて立ち止まり、周りを見回した。
周囲の通行人が次々とベートーヴェンに変わっていく。
「なんで! なんで!?」
虎太郎はたじろいだ。
「なにしてるんだよ! 急がないと!」
少年は虎太郎の手を引いて強引に走る。
フフフフッ
フフフッ
フフフフフッ
ベートーヴェンになった人たちが二人を追ってくる。
「どうして、皆、ベートーヴェンになっちゃうの!?」
虎太郎は走りながら追ってくるベートーヴェンたちを振り返る。
「君と目が合うとベートーヴェンになっちゃうんだよ!」
「うそ! 僕のせいで!」
虎太郎は泣きそうな顔になった。
「悩んでる暇は無いよ! ほら、急いで音楽室に行かないと!」
少年は虎太郎を急かして走る。
やがて二人は学校に着いた。
幸い校門は開いている。
放課後の遅い時間だったので、校内に人はほとんどいなかった。
すんなりと校舎に辿り着き、二人は三階に駆け上がる。
「こっちだよ!」
虎太郎は、少年を案内して三階の廊下を走る。
そして、音楽室の入り口に辿り着いた。
「ここだよ」
音楽室に入った少年は黒板の上を見た。
ベートーヴェンの肖像画だ。
その目が少年を見返す。
ジロリ!
少年はポケットの中に手を入れた。
そこから、銀色のペンを取り出す。
ところが──、
フフフッ!
ベートーヴェンの顔をした何者かが飛びかかってきた。
毛先がカールした長い銀色の髪の男。
でも、黒縁メガネをかけている。
隼士だ!
銀色のペンが部屋の隅に飛んで落ちた。
「しまった!」
少年が拾いに行こうとするが、隼士が絡みついてくる。
「隼士! やめろ!」
虎太郎が隼士に飛びかかった。
フフフッ!
ベートーヴェンになった隼士は不気味に笑いながら抵抗する。
虎太郎が渾身の力で隼士を少年から引き剥がした。
「お兄ちゃん、今だよ!」
少年は部屋の隅に走る。
だが、その間に隼士は虎太郎に襲いかかった。
「わぁぁぁ!」
隼士は虎太郎に馬乗りになる。
虎太郎の黒い髪が銀色に変わり、長く伸び始めた。
そして、毛先がカールを始める。
「お兄ちゃん、早く!」
少年は床に落ちていたペンを拾い上げた。
ベートーヴェンの肖像画に向ける。
刹那、ペンの表面に見たこともない奇妙な模様が浮かび上がる。
少年がペンを走らせると、宙に青白い炎が現れ、円が描かれた。
フフフッ! フフフフフッ!!
ベートーヴェンの肖像画はなおも笑っている。
だが、少年は円の中に見える男を睨む。
少年の赤い目が光る。
その目に何かが視える。
それは、災悪の『名前』だ。
「すべての災悪を、この光によって打ち消さん! お前の名は──」
少年は、ペンを走らせ、空中に文字を書いた。
ワ ラ ウ ベ ー ト ー ヴ ェ ン
瞬間、肖像画のベートーヴェンが驚愕の表情に変わった。
笑い声が間の抜けた声に変化する。
フ、フ、フゥゥゥゥウウウウ
肖像画にヒビが入り、光が漏れ出す。
虎太郎を襲っていた隼士の動きが止まった。
次の瞬間、ベートーヴェンの肖像画はありふれた肖像画に変わっていた。
それを確認した少年は床に倒れている二人の小学4年生を見た。
虎太郎の髪は元の黒髪に戻っている。
そして、ベートーヴェンになっていた黒縁メガネをかけた隼士も元の姿に戻っていた。
「隼士! 良かった!」
「え? 僕、何してたの?」
隼士は何も覚えていないようだ。
「良かった! 隼士だ! 隼士! 隼士!」
虎太郎は隼士に抱きついた。
隼士は訳が分からず、思わず吹き出した。
「どうしたんだよ、虎太郎。僕は熊谷隼士だよ」
「熊谷隼士! 隼士! 隼士だよ!」
目を白黒させる隼士を抱きながら、虎太郎は少年を見た。
「お兄ちゃん、ありがとう」
虎太郎の礼に少年は悲しげに目を伏せて呟く。
「隼士……。虎太郎……」
そして、出入り口に向かった。
「え?」と思った虎太郎は、ふと黒板に視線を移した。
チョークで書いた文字を消した跡がある。
「僕が名前を口にしなければ……」
扉の外に出ようとしていた少年が立ち止まり、虎太郎に背を向けたままで言う。
「君は呪われた少年の名前を口に出してしまった。だけど、君は悪くない」
「お兄ちゃん……?」
虎太郎は何かを言おうとしたが、少年の背中は扉の外に消えていった。
誰も居ない学校の廊下を歩いて来る少年。
少年は手にしていたペンをポケットにしまおうとする。
「!」
何かを感じた。
怯えたような表情で、ペンを手の平に載せる。
その上でペンは少し浮いた。
そして、方位磁石のようにゆっくりと回り、ある方向を示した。
少年の表情は怯えから、悲しいものに変わった。
そして、呟く。
「また災悪が……行かなきゃ」
少年はその場から去って行った。
第3回へ続く
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