
徳川家康(とくがわ・いえやす)がひらいた「江戸幕府(えどばくふ)」は、約260年もの間、戦争がほとんどなかった時代。わたしたちが暮らす現代にもつながる、「平和のいしずえ」をきずきました。
しかし、「平和の世」までの道のりは、大ピンチの連続!? はじめは失敗ばかりで……?
家族も城もうしない、敵の「人質」としてすごした幼少期から、織田信長(おだのぶなが)や豊臣秀吉(とよとみひでよし)との出会い、そして天下分け目の「関ヶ原(せきがはら)の戦い」まで。
これを読めば、家康について、楽しく、そして深くわかることまちがいなし!(全8回予定)
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織田家(おだけ)の人質として、ひとりぼっちの日々を過ごす竹千代(たけちよ)——のちの徳川家康。
自由に外に出て、母のいる城に行くことも許されず、うつむいて涙をこらえていたところに現れたのは……・
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「泣くな小僧!」
竹千代は驚いて顔を上げた。
門の前で、馬にまたがった若者がじろじろとこちらを見ている。
「松平広忠(まつだいらひろただ)の息子とやらを見物に来たが、こんな情けない小僧だったか。やれやれだ。遊びにもなりゃしない」
武家の若者だろうか? それにしても、ずいぶんとおかしな格好だった。
そでを切った浴衣をだらしなく着て、虎じまの袴(はかま)は短すぎて足がむき出しだ。
腰には荒縄(あらなわ)を巻き、そこにひょうたんをぶら下げ、刀を差している。髪の毛を細長くねじって高くゆい上げた髷(まげ)は、先のほうが筆みたいにモサッとしていて……。
身なりだけなら人質の竹千代のほうが、よっぽどきちんとしている。

「俺が、坂部城(さかべじょう)まで連れていってやる」
「えっ!」と、驚く竹千代。
だが、もっとびっくりしたのは見張りの武士たちだった。
「信長様、なりません! この子は人質です」
「勝手なことをなさると、信秀(のぶひで)様がお怒りになりますぞ」
「うるさい! 親父殿がどう思おうと知ったことか。邪魔をするな」
なんだって!? この人が、信秀の息子? あの信長……?
信長のうわさは、竹千代でさえ寺の者から聞いていた。織田信秀の息子である信長は、この辺りでは「うつけ者」で有名だったのだ。
おかしなことばかりしているので、「あんなやつが信秀様の跡を継げるのか?」と尾張の人々が心配している、あの信長……?
「おい! いいか、三河の泣き虫小僧――」
そう言いながら、信長は馬を外に向かせる。
見張りたちは止めるのをあきらめて、ため息まじりに竹千代に道をゆずった。
「連れていってやるのは、走って俺について来られたらの話だ。さあ、走れ!」
そう言うなり、信長は馬を走らせた。
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見晴らしのいい丘の頂上から、海と半島が遠くまで見渡せる。これは――。
肩越しに、信長が指さして教えてくれた。
「あっちが熱田(あつた)の港のある伊勢湾(いせわん)。坂部はもっと内陸の南だから……あの辺りだな」
かすんでいてよくは見えない。ただ、そっちのほうに母がいるとわかっただけで、心が休まる気がした。
「母上……あんな遠くに……」
「そうだな。連れていってやりたいが、今日のところはながめるだけで我慢しろ」
竹千代は、信長の言葉に驚いた。
自分をからかっているだけと思ったが、本当に坂部に向かっていたのだ……。
「信長様……。ありがとうございました」
「大げさなやつだな。俺はただ『今のうちに三河の跡継ぎに恩を売っておこう』と思ってるだけかもしれないぜ」
信長がそんなつもりでないことは、わかっていた。
フフッと笑うと、竹千代もふざけて言い返した。
「私だって、人質として少しでも長く生き残るため、あなたに気に入られようとしているだけかもしれませんよ」
「ハハハ、そうかもな。とにかく油断すると足をすくわれるのが――」
「戦国の世の常――」
竹千代が思わずつぶやくと、信長は楽しそうに笑った。
「気に入った! おまえも俺たちの遊び仲間に入れてやる」
「でも、私は寺から出られませんので……」
「人質が勝手に出るのはまずいが、この信長が誘えばどうだ? 坊主どもにグダグダ言われる筋合いはない」
「なにをして遊ぶのですか?」
「いろいろだ。今日みたいに野山をかけることもあれば、川で泳ぐこともある。一国をまとめる当主となる者であれば、体もきたえておかないとな」
信長は、ぽんと竹千代の頭をたたいて言った。
信長との出会いが、人質としての毎日を大きく変えることとなった。
★第3回の配信は、1月21日を予定しています。