先生がホワイトボードに大きな白い紙を貼りました。設定表です。生徒たちにはノリ付きのメモ用紙が配られました。
【どんな世界?】
▼魔法あり(ただし魔石の使用が必要 ※魔石は魔物や鉱山から採れます)
▼馬車・水力・風力あり
▼蒸気機関、飛行艇、火薬などは自作で。電気とガソリンエンジンは禁止
【みんなの住む町】
▼中規模の都市。周りは農村。転生者は全員が平民
二枚めの紙は、働く環境でした。
【町】【村】【お城】【冒険者】【行商人】【その他】
「さて、きみたちは異世界で成人しました。どんな仕事につきたいですか。思いつくジョブを書いて、住むところを決めて貼ってください。早い者勝ちです」
みんな、ためらっています。アドさんは手をあげました。
「同じジョブでも【町】と【村】では、ちがうんですか?」
総合学習の時間はいつも爆睡しているアドさんが質問をしたので、クラスメートたちはビックリしています。
「よい着眼点です。魔法使いについて考えましょう。ある魔法使いは、病気に効く魔法薬や術を売って暮らしています。もしお店をだすなら、町と村、どっちが向いている?」
「町です」
「先生も同感です。では、もし植物専門の魔法使いなら?」
植物専門の魔法使い。新しい概念です。アドさんは「村です」と答えました。先生は重々しくうなずきました。
「みんなは毎年、『将来つきたい仕事』のアンケートを書いていますね。今年の一位は公務員でした。去年の一位も公務員でした。本当に公務員になりたいと思っている人は異世界でも公務員を目指してください。そうでない人は、心の奥底にしまった夢を思い描いてください」
さまざまな質問がでます。
「異世界にVチューバーはいるんですか?」
「魔法で配信できる、という設定にすれば大丈夫です」と先生。
「先生はどんなジョブにつきたいの?」
「冒険者ギルド(組合)の受付嬢が第一希望です」
先生は男性です。みんなドッと笑いました。
「この授業では、ジョブに性別は関係ないことにしましょう」
先生は、本当に【町】の下に、「ギルド受付嬢」と書いたメモ用紙を貼りました。
みんなが次々と、ジョブを書いたメモ用紙を貼り付けていきました。【冒険者】枠には、「魔法使い」、「戦士」、「シーフ(斥候・盗賊)」、【村】枠には農園主、【町】枠には、「商人」。
アドさんは、「ダンジョンの中の人」とメモ用紙に書きました。ダンジョンとは、罠や宝箱が仕掛けられた迷宮で、モンスターが出現します。アドさんがメモ用紙を【冒険者】のところに貼ろうとすると、先生から声がかかりました。
「それはホントに冒険者枠かな?」
アドさんは考えました。
「遊園地の運営会社みたいなもの、かな」
白い紙が継ぎ足されて、【会社】の枠が付け加えられました。アドさんは、「ダンジョンの中の人」を貼ります。友だちのモリさんは「治療師」と書きましたが、【冒険者】か【町】にするかで迷っています。
「治療師はどこでも必要だから、全部の箇所に貼るのもいいんじゃないか」と先生からアドバイス。そこでモリさんは、メモ三枚を【冒険者】【町】【お城】の下に貼りました。
「お城勤めの治療師はカッコいいね。じゃあ、これらのジョブを今の仕事に置き換えてみよう。たとえば戦士は? これを貼った人、答えて」
「ええと、自衛隊?」
「そうだね。自衛隊だと給料を払ってくれるのは?」
「国です。あっ、【お城】の枠だ」
「国に雇われたら兵士で、民間だとボディガード。【冒険者】だと、自営業だから、フリーランスの剣士か傭兵かな。左右前後の人と相談してかまわないよ」
クラスメートたちは、今度は考えながら貼っていきます。
「ぼくのなりたい魔法使いは、国の研究所で働いているから【お城】」
「IT技術者みたいな魔法使いもいると思う。魔法陣はプログラムっぽいし」
あちこちで議論が起きています。
ギルド職員は意見が割れました。組合という人もいれば、役所や銀行をイメージする人もいます。先生は全部を残します。
「さて、本題だ。自分が選んだジョブで、一ヶ月暮らす方法を考えてみよう。部屋代を払って、食事代を稼がないといけない。冒険者はどうやってお金を稼ぐ?」
「ギルドの依頼を受けます」
「ふむ。アルバイト情報サイトで仕事を探すみたいに?」
つまり冒険者はアルバイターってことか、とアドさんが考えていると、先生がホワイトボードに「自由業」と書きました。
「自由業は、今の日本では税務署に届け出をします。そうすれば、仕事にかかったお金、つまり家賃や仕事道具などの経費を所得から控除できるから。
異世界でも、税金は取られているだろうから、伝説の剣も経費にできるかもしれないね」
生徒たちが笑顔になりました。
「自由業と自営業のちがいがわかる人は?」
前列の生徒が指名されて、自信なさそうに答えました。
「自営業は、お店とか決まった場所で商売をしている人のことです」
「正解。かれらも異世界で商業ギルドに入っていて、ギルドを通して税金を払っているでしょう。税収がなければ道路や橋の建設、町の警備、清掃、下水道の整備はできません」
なるほど、とアドさんは思いました。授業では聞き流していた社会の仕組みや制度が、異世界のフィルターを通すとすんなり頭に入ってきました。
「今日の総合学習のテーマは、予定では『ライフプランを考える』でした。異世界でのジョブ選びにしたのは、先生の趣味ですが」
ドッと笑いが起きたのを手で制しながら、先生は早口で話しました。
「みんなのなかには、本当の希望を口にだすことに抵抗がある人がいるかもしれない。本心をいったときに、からかわれたり、笑われたりしたら、傷つくよね。今日の授業は、現実の枠から離れた異世界で、希望の仕事を自由に考えてもらうためのものでした」
数秒、先生は口をつぐんでいました。
「じゃあレポート。いいなと思ったジョブを選んで、どうやって暮らすか想像してレポートを書いてほしい。分量は、一行から無限大。AIを使って書くのも自由。何なら小説を書いてもかまわないよ。先生がかわりにネットの小説投稿サイトに投稿する」
何でもありの宿題です。アドさんはわくわくしました。
授業後、モリさんが話しかけてきました。
「今日のアドさん、別人みたいだったよ。自分から発言して」
「いやあ、異世界転生と聞いたとたんに覚醒しちゃって」
アドさんの夢はジャーナリストになることです。ジャーナリストになれば、大好きなアニメ監督や有名漫画家、有名声優にインタビューできるかも、という下心からです。絵を描くことが苦手な自分が、アニメーターや漫画家になれるとはこれっぽっちも考えていません。
この夢は家族にも秘密にしていて、進路希望アンケートには公務員と書いています。でも、想像の世界なら本音が書けます。冒険者向けの新聞をだすとか?
レポートの内容をあれこれ考えながら家に帰ると、お母さんがあたふたしていました。リビングには乾いた洗濯物が散らばって、流しは汚れた食器でいっぱい。
「アドちゃん。お願い、片づけといてくれる?」
「えー、夕飯は?」
「夕飯代はテーブルの上だから」
つむじ風のようにお母さんはいなくなりました。アドさんはあっけに取られましたが、テーブルの上の千円札三枚をみてちょっと元気を取り戻しました。姉は帰宅していません。今日は塾のはず。メッセージで食べたいものをたずねると、落ちこんだ猫の顔のスタンプが返ってきました。
『ごめん。食欲ない……』
マジメな姉は、悩みごとがあるととたんに食欲が落ちます。お姉ちゃんは手間がかかるなあと思いながら、アドさんは商店街で姉と自分の好物の丼物を買ってきました。レポートがあるから、と自分に言い訳しつつ、洗濯物の片づけは忘れたふりをして部屋でゲーム。姉は帰ってきて自分の分を食べたようですが、同じく部屋にこもっています。
深夜、トイレにいく途中、リビングを通りかかると、ソファで外出着のままのお母さんが熟睡しているのを発見しました。お化粧も落としていません。アドさんは、寝ているお母さんを寝室まで引きずっていって、上着を脱がせて化粧を落として布団をかけました。アドさんは面倒くさがりですが、世話焼きなところがあるのです。
お母さんは、ふだんは家の中で一番元気な人です。一体どうしちゃったのか。アドさんは何だか足元が黒い沼にずぶずぶ沈んでいくようなイヤな予感がしました。
第2回へつづく(2月26日公開予定)
本書の巻末には、「冒険者手帖」と称した【性格タイプ別のお勧め進路と未来の職業予測】を掲載していますので、物語を読んだあとに現実的に自分の将来を考えることができるようになっています。
「正解の進路」や「安全な将来」は、実は誰にも用意されていないのかもしれません。
けれど、迷いながら考えること、自分の言葉で語ろうとすること、それ自体が一つの力になります。
次回は、また別の選択と、その先の現実へ。
少しだけ肩の力を抜いて、続きをのぞいてみてください。