火曜日。
泉美は学校が終わると、早百合と梨央を誘(さそ)い、公園に向かった。
健二にフシギを呼び出してもらい、ナノカちゃんについてもっと詳しく話を聞くことにしたのだ。
「泉美、私なんだか怖い……」
「私も。まさか早百合の写真にも写ってたなんて……」
早百合だけではなく、話を聞いた梨央もおびえている。
梨央もナノカちゃんが偶然(ぐうぜん)写った通りがかりの人などではないと分かったのだ。
交差点で健二と合流し、公園に向かうと、フシギがブランコの近くにいるのが見えた。
フシギは、何かをじっと見ている。
それは真っ赤な手帳のようだ。
健二に呼ばれると、フシギはその手帳を大事そうにポケットにしまい、泉美たちのもとへやってきた。
「何か用かな?」
フシギは昨日と同様、冷静な態度だ。
「あの、これを見て下さい!」
泉美は早百合のスマホの画面に表示した写真をフシギに見せた。
「ナノカちゃんだね」
「はい。早百合が撮った写真にも写ってたんです!」
泉美がそう言うと、フシギは「なるほど」とつぶやき、写真をじっと見つめた。
「キミがこの前ここで撮った写真より近づいてきている……」
「えっ?」
フシギの言葉を聞き、泉美たちは早百合の撮った写真に写っているナノカちゃんを見る。
「そう言われれば……」
たしかに、写真の中のナノカちゃんは、泉美が公園で撮った写真よりも、こちらに近づいてきていた。
「どうして⁇」
「キミたちを襲うためだよ。少しずつ近づいてきているんだ」
フシギは淡々(たんたん)と答えた。
それを聞き、泉美はおびえながら早百合たちのほうを見た。
早百合たちも先ほどよりさらにおびえ、目に涙(なみだ)を溜(た)めている。
「フシギ。これって本当なんだよな?」
ふと、フシギのとなりで話を聞いていた健二が口を開いた。
「命を奪われずに済む方法ってないのか?」
真剣(しんけん)な表情になっている。
健二もナノカちゃんの存在を信じ、気味悪がっているようだ。
「なあ、助かる方法を知ってるなら教えてくれ! 妹を助けたいんだ!」
健二は強い口調でそう言った。
「妹を……助ける」
すると、今まで冷静だったフシギが一瞬(いっしゅん)、表情を変えた。
目を細め、何かを考えているようだ。
やがて、フシギは健二をじっと見つめた。
「1つだけあることにはある。助ける方法が……」
「あるんですね!」
その言葉に泉美たちは急に明るい表情になった。
「ああ。ナノカちゃんは、『うつった世界』の中でしか存在できないんだ」
「『うつった世界』? たしか、ファストフード店で会ったときもそんなこと言ってましたよね?」
泉美がそう言うと、フシギは小さくうなずき、公園の隅(すみ)のほうを指差す。
そこにはベンチがあり、手鏡を見ながら髪(かみ)を整えている女性が座っていた。
「たとえば、あの鏡。鏡は人の姿を『映す』だろう?」
「はい……」
「そしてキミたちが撮った写真。写真も人の姿を『写す』だろう?」
「はい……」
泉美はフシギが何を言いたいのかよく分からなかった。
そんな泉美に気付いたのか、フシギは「つまり」と言葉を続けた。
「つまり、ナノカちゃんは鏡や写真、ビデオカメラの映像や窓ガラスといった、人の姿が『うつった世界』でしか存在できないんだ」
「えっ……」
だから辺りにいなかったはずなのに写真には写っていたのだ。
「キミたちが7日間、そういった物に自分の姿をうつさなければ、ナノカちゃんはキミたちの前から去っていくよ––」
フシギは泉美たちをじっと見つめながらそう言った。
泉美たちは思わず互(たが)いの顔を見る。
「……7日間、自分の姿を何にもうつさなければ、私たち助かるってことだよね?」
「うん、そうだね」
「だったら……、今すぐ何にもうつらないようにしなくちゃ!」
泉美の言葉に早百合と梨央は大きくうなずく。
泉美たちは、すぐに家へ戻(もど)ることにした。
●
水曜日。
泉美はフシギと会った後からずっと、自分の部屋に閉じこもっていた。
両親は何事かと心配していたが、健二がうまく説明してくれて、理解してくれたようだった。
もちろん、都市伝説など信じてくれない。
しかし、不気味な怪物に襲われるかもしれないということなら話は別だった。
泉美はトイレに行くとき以外、ずっと部屋に閉じこもっていた。
鏡はすべて部屋から出し、窓もカーテンを閉め、ガラスに自分の姿が映らないようにしていた。
スマホも画面に自分の姿が映ってしまう危険性があるので、健二に預かってもらっている。
早百合と梨央も同様のことをそれぞれの家でしていて、連絡は健二と早百合たちの親が電話ですることになっていた。
健二は昨日泉美たちが帰ったあと、フシギからナノカちゃんに関するより詳しい話を聞いていた。
フシギが言うには、写真に写り込んでからちょうど7日後に、ナノカちゃんは襲うのをあきらめて姿を消すのだという。
泉美が写真を撮ったのは、日曜の13時10分である。
つまり、今度の日曜の13時10分まで、自分の姿をどこにもうつさなければ、泉美たちは助かるのだ。
泉美はベッドの上でうずくまりながら、ただひたすらその時間になるのを待つことにした。
しかし、それはそう簡単なものではなかった……。
夕方。健二が夕食を持って泉美の部屋に入ってきた。
「何とか今日は大丈夫だったみたいだな」
健二はずっと泉美のことを心配してくれている。
「うん」
泉美は優しい兄がいて本当に良かったと思った。
「ありがとう、お兄ちゃん」
ホッとし、泉美はふと、健二の顔を見ようとした。
だがその時、泉美はあることに気付き、思わずハッとした。
「嫌っ!」
次の瞬間、泉美はあわててそばにあった布団を頭から被(かぶ)り身を潜(ひそ)めた。
「どうした、泉美⁇」
健二は泉美がなぜ急に身を隠(かく)したのか分からなかった。
「いいから、お兄ちゃん、早く出てって!」
「だからどうして?」
泉美は隠れながらブルブルと震えている。
「もしかして、何かうつる物があったのか⁇」
健二は自分の身体を見てみる。
だが、うつる物など何も付けていなかった。
「何もないぞ?」
健二がそう言うと、泉美は布団から腕(うで)だけを出して彼の顔を指差した。
「目! お兄ちゃんの目に、私が映るの!」
「えっ!」
健二は泉美を見ることによって、同時に彼女の姿を映してしまっていることに気付いた。
泉美はそこにナノカちゃんがいるかもしれないと思ったのだ。
「早く出ていって!」
「あ、ああ……」
たとえ、鏡をなくし、窓をカーテンで見えなくしても、部屋に人がいる限り泉美の姿は映ってしまう。
「怖い、怖いよ……」
その日から、泉美の部屋には誰も入れなくなってしまった。
●
木曜日、金曜日と、泉美は部屋の中にこもり続けた。
「泉美、食事置いとくぞ」
「うん……」
食事は部屋の前の廊下(ろうか)に置くこととなり、泉美は家族がいなくなってからドアを開け、それを取るようになっていた。
ドアは誰も入ってこられないように、内側から鍵(かぎ)を締(し)めている。
部屋の中で、泉美はひとり食事をしながら、早く日曜日の13時10分になって欲しいと思っていた。
誰とも連絡することもできず、部屋でたったひとりでいるのは苦痛だった。
健二によると、早百合も梨央も苦痛を感じているらしい。
彼女たちも人の目に自分の姿が映ることが分かり、ずっとひとりで部屋に閉じこもっていたのだ。
(早く7日過ぎて……お願い……)
泉美はそう思いながら、夕食のシチューを食べようとした。
その時、泉美は思わず目を大きく見開く。
「きゃああ‼」
突然(とつぜん)、家中に泉美の悲鳴が響(ひび)いた。
「どうした!」
健二と両親があわてて泉美の部屋の前まで駆けつけてきた。
すると、ドアが開けられ、目の前の廊下にスプーンが投げ捨てられていた。
わずかに開いたドアのすき間から、布団に包まって震えている泉美の姿が見える。
「それ! それに私の姿が映っちゃう!」
「ええ⁇」
見ると、泉美が投げ捨てたスプーンは金属製だった。
泉美はその金属の表面に姿が映ってしまうと思ったのだ。
「早く持っていって! ドアも早く閉めて‼」
泉美は布団に顔を隠しながら叫(さけ)ぶ。
健二たちはそんな泉美を心配しながらも「分かった」と答えるしかなく、仕方なしにドアを閉めるのだった……。
●
土曜日。
泉美は食事をするのも怖くなっていた。
ドアを開けるのも、健二たちと話をするのも恐(おそ)ろしく感じ、ずっとベッドの上で布団を頭から被って過ごしていた。
目を開けるのも怖い。
(お願いお願いお願いお願いお願いお願いお願い……)
泉美は布団の中で目をつぶって、早く日曜の13時10分になることだけを願い続けていた。
●
日曜日。
その日は朝から雨が降っていた。
泉美は部屋の中で雨音を聞きながら、ずっと時計の針を見つめていた。
木製の時計の針は、午前11時すぎを指している。
「あと2時間……、あと2時間で私は助かるんだ……」
泉美は秒針をじっと見ながら、早くその時間になるのを待ち続けていた。
顔はかなりやつれている。
昨日からろくにご飯を食べておらず、睡眠(すいみん)もほとんど取っていなかった。
健二たちとも会話をしていない。
ドアはずっと鍵を締めたままだ。
泉美はただ、13時10分になることだけを考えていた。
時間は進み、13時10分に近づいていく。
12時。12時30分。12時55分……。
「もうすぐ……、もうすぐ……、もうすぐ……」
泉美は時計の針を見ながら、いつの間にか笑みを浮かべていた。
そのとき––。
突然、泉美の身体が動かなくなった。
(な、何なの……?)
泉美はあわてて手を動かそうとするが、石のように固まってしまい、まったく動かない。
手だけではない。
足も、顔もまったく動かすことができなかった。
(あ、ああ、あ……)
泉美は助けを呼ぼうとしたが、声も出ない。
(も、もしかして、金縛(かなしば)り⁇)
泉美は心の中でそう思った。
(助けて、お兄ちゃん! 助けて!)
泉美は心の中で必死に叫ぶが、まったく声にならなかった。
(どうして金縛りになんてなるの⁇)
泉美は身体を懸命に揺さぶろうとするが、ピクリとも動かない。
唯一(ゆいいつ)動くのは、目だけだ。
泉美は目を必死に動かし、何とかして首を曲げようとする。
だが、それでも金縛りは解けなかった。
時刻は、13時5分になっていた。
ガチャガチャ!
突然、誰かがドアのノブを激しく回した。
(お兄ちゃんだ!)
泉美は健二が助けにきてくれたのだと思い、目をそちらのほうへ向けた。
ガチャガチャ! ガチャガチャ!
ドアには鍵がかかっている。
いくら回してもドアは開くはずがなかった。
(そんなどうしよう‼ お兄ちゃん! お兄ちゃん!)
泉美は鍵を締めてしまったことを後悔(こいかい)しながら、何度も健二を心の中で呼び続ける。
ガチャガチャ! ガチャガチャ! ガチャ––!
と、ノブを回す音が急に止まった。
次の瞬間、鍵の部分がゆっくりと動く。
なぜか、鍵が勝手に開き始めたのだ。
(どうして? 部屋の中からしか開けることができないのに??)
泉美は何がどうなっているのか分からず、目だけを大きく見開いていた。
すると、鍵が開き、ドアがゆっくりと開いた。
ドアのすき間から、女の手が見える。
その手は爪(つめ)が長く、真っ赤に染まっていた。
「ケケケケケケケ。ケケケケケケケ」
女の甲(かん)高い笑い声がドアの向こうから聞こえてきた。
ナノカちゃんである。
黒い服と黒いスカートを着た身長2メートルを超(こ)えるのっぺらぼう。
そんなナノカちゃんが、「ケケケケケケケ」と笑いながら、部屋に入ってきたのだ。
ナノカちゃんはスウッと泉美のほうへと近づいてくる。
(嫌(いや)ッ! 来ないで‼)
泉美は悲鳴を上げようとしたが、やはり声が出ない。
もちろん、動くこともできない。
「ケケケケケケケ。ケケケケケケケ」
ナノカちゃんは泉美の目の前まで迫ってくると、のっぺらぼうの顔をヌッと近づけた。
瞬間、顔に大きな目が2つ開く。
真っ赤な不気味な目。
そんな目でナノカちゃんはジロリと泉美を見つめた。
「ケケケケケケケ」
さらに、不気味な大きな口が現れ、泉美に向かって開かれた。
その口の中には鮫(さめ)のように無数の小さな牙(きば)が生えている。
(嫌! 助けて! お願い! 助けて‼)
ナノカちゃんは「ケケケケケケケ」と笑いながら、大きな口を開けて泉美に迫(せま)ってきた。
(嫌! 嫌! 嫌あああああああ!!!!)
泉美はナノカちゃんに命を奪われる覚悟(かくご)をした––。
ジリリリリリ!
突然大きな音が響いた。
泉美がハッと顔を上げると、目の前に置いてあった目覚まし時計が鳴っている。
「泉美! 大丈夫か⁇」
音を聞き、健二と両親が部屋に駆(か)け込んできた。
「だ、大丈夫だよ」
泉美はそう答える。
同時に、声が出ることに気付いた。
身体も自由に動く。
「泉美! 良かったな! ついに7日経ったぞ!」
「えっ⁇」
時計を見ると、時刻は13時10分を過ぎていた。
目覚ましが鳴っていたのは、あらかじめ、泉美がその時間にタイマーをセットしていたからだ。
「そう言えば、ナノカちゃんは⁇」
泉美はナノカちゃんに襲われそうになっていたことを思い出した。
あわてて部屋の中を見回す。
しかし、ナノカちゃんはどこにもいなかった。
「もしかして……、あれは夢だったの?」
泉美は先ほどの出来事が現実だったのか夢だったのか分からなかった。
だがそのとき、泉美はドアのノブを見てギョッとする。
そこには、ベッタリと真っ赤な血が付いていたのだ。
「……やっぱり、あれは夢なんかじゃない」
泉美の青い顔が、金属製のドアノブに映っていた。