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「私は祈。東洋に住む『英知の魔女』って言ったらわかる?」
「英知の魔女?」
私は思い出す。『英知の魔女』は『永年の魔女』と同じ、魔法協会から七賢人の一人に渡された名誉の二つ名だ。
「そう、私こそが七賢人の一人『英知の魔女』こと祈」
「へぇ、本当に?」
私が疑ったのも無理はなかった。『英知の魔女』と言えば、年齢は百歳を超えると聞く。
緩いウェーブのかかった長くて黒い髪。スッと通った鼻筋。
スリットの入った露出の多い黒い服は、肩まで出ている。
見た目は二十四、五歳くらい。
どう見ても若すぎた。
強い力を持った魔女の中には寿命を延ばしたり、肉体を若く保つ人もいるという。祈さんもその類だろうか。
実際、彼女の中には非常に強い魔力があるのがわかる。底が知れない強い魔力が。
「それで、どうしてその英知の魔女が我が家に?」
「ニュース見てないの? 七賢人の調査の話。今、魔力の影響による生態系の変化が起こっててね。その調査に、あんたの師匠も行ってんのよ」
「ほほう……」
祈さんの話いわく、お師匠様は非常に魔力の密度が濃い地域に足を運んでいるらしい。魔力の濃い場所は、時に電波障害を生むことがある。道理で連絡が取れないわけだ。
「帰るのが遅れるからって見に行くよう頼まれたのよ。あんたの師匠に」
「そんな! 私もう十七ですよ! 家事もできますし、心配いりませんて!」
「家が無事か心配だって」
「あー、そっちかぁ……」
祈さんは「そんなわけで数日お世話になるから」と背後にある大量の荷物を叩いた。スーツケース三つはある。旅行下手か。ちったぁ出張慣れしているサラリーマンを見習ってほしいものだ。
「あ、そうだ祈さん。一つだけお願いがあるんですが」
「何よ?」
「足洗ってください。マジで臭いんで」
「あんた殺す」
閑話休題。
足をタオルで拭いている祈さんを眺めながら、私はそっとため息を吐いた。
「でも、お師匠様もお師匠様です。帰らないなら前もって連絡くらいしてほしいもんですよ」
「帰らないってわかると何するかわからないって言ってたよ」
「ははは、何をははこやつめははは」
何をするかわからないだと?
何もするはずないではないか。
ただ、少し、新しい魔法の実験に小動物を拝借するだけだ。
「このハーブの調合はあんたが?」
私が邪悪なことを考えていると、祈さんはいつの間にか薬の棚を物珍しそうに物色していた。
「ああ、はい。そうです。よくわかりましたね」
「だってファウストばあさん、最近じゃ薬学とかあんまりやらないでしょ」
「確かに」
お師匠様は様々な魔法に精通した人だが、それ故に忙しい。ここ最近は特に時魔法の研究に勤しんでいるから余計にだ。
今、私がやっている薬学や植物学も、お師匠様の研究を引き継いだものである。
「いい香りね」
「いいでしょそれ。最近作ったんすよ。滋養強壮の効果もあって体にいいですしおすし。会議終わりだと疲れてるでしょ、お茶になるんで飲みます?」
「もらおうかしら」
ハーブティーは私の十八番だ。お師匠様も気に入っており、よく朝食前に淹れるよう言われる。紅茶に似ているが、どのハーブを使うかで、味も、色も大きく変わる。
「美味しい、味もいいわね」
「紅茶混ぜたりして、味も整えてるんす。このハーブとこっちのハーブを混ぜると、香りが立って、更にここに魔法かけるとあーだこーだ」
私が解説すると、祈さんはどこか嬉しそうにハーブティーを口に運んだ。
「ふーん、あんた結構できるみたいだね。もう二つ名とかはあるの? 永年の魔女の弟子なら、二つ名くらい持ってるでしょ」
実力ある魔導師は二つ名を持つ。
それは、この世界で魔導を志す者からすれば常識のようなものだった。
お師匠様の『永年の魔女』も、祈さんの『英知の魔女』も、魔法協会から渡された一流の魔女の証である。
二つ名を持つことは、それだけで一人前の証となり、実力の証明と言えた。
「そんなの、無理ですって。こちとら天下無双の見習いですわ」
「威張って言うこと?」
祈さんは呆れたように苦笑すると「見習いねぇ……」と意味深に呟いた。何だろうか。
「ねぇ、他にも見たいわ。ここのハーブは自家栽培でしょ? どこかに畑でも作ってるの?」
「はい。近くにある魔女の森でいろいろ育ててます。ほとんど趣味みたいなものですけど」
「案内してよ」
「へぃ。実はちょうど私も森に用があったんです」
「なんか採取すんの?」
「祈さんのために薬湯を作ろうかと。ミントの油を用いた薬湯を使えば、足の裏もめっちゃいい匂いになるんですよ」
「私、まだ臭うの……?」