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フィーネ・キャベンディッシュ。
地方都市ラピスに住む学生で、年齢は私より一つ下。今年でもう十年以上の付き合いになる、私の親友だ。
目鼻立ちの整った顔に、美しいブロンドの髪、安価でありながらもオシャレで小綺麗な服は、彼女のセンスと育ちの良さを想起させる。ボサボサの髪の毛を束ねて誤魔化し、古くさいローブを羽織り、薄汚れた靴を履いて、化粧もしていないどこぞの小汚い見習い魔女とは大違いだ。誰が小汚いじゃ。
「何騒いでんのよ」
「ほほほ、ほんの些細で些末で微細なことでしてよ」
私はフィーネを油断させるべく、薄ら笑いを浮かべながら使い魔たちと机を片す。
「いま、美味しいお茶を淹れるわ。ほら、お師匠様のお気に入りのティーカップよ」
「わぁ、素敵なカップ」
コトリと置かれたカップにフィーネが見とれている間に、私はお茶を淹れてくる。
鮮やかな手付きで注いだカップの中には、先程作った試薬が混ぜてあった。
気付いた使い魔の二匹がギョッとした顔をする。
「これ、何か変なの入ってないでしょうね」
注がれた紅茶を見て、フィーネは訝し気な目をこちらに向けた。こういった鋭い直感を発揮された時、彼女との付き合いの長さを思い知る。
「な、なななにをケチつけてくれてるのかしら。ぶちのめすわよ」
「怪しい……」
「特製のお茶なんだから、飲んで頂戴。ほれ、ほれほれほれほれ」
「も、もう……わかったわよ……」
訝し気な目をしながらも、フィーネはカップを手に取り、口に運ぶ。
口先が徐々に紅茶に近づいていく。
もうすぐカップが彼女の艷やかな唇に触れようとした、その時。
「どらっしゃあぁぁぁぁぁぁぁ!!」
私はフィーネからカップを奪い取ると、全力で壁に叩きつけた。バリンと音を立ててカップは砕け、お茶が飛び散る。
「だぁぁぁぁぁぁ!! お師匠様のお気に入りのマグカップがぁぁぁぁぁ!!」
「あんたマジで一人で何やってんの?」
その時のフィーネの顔を、私は生涯忘れることはないだろう。
人間があんなにドン引きした顔を、私は知らない。
「薬品入りのお茶を私に飲ませようとしたぁ!?」
「ごめんよぉ、後生だよぉ、許してよぉ、ふぇーん」
足元にすがりつきながらグズグズになっている私を見て、フィーネは呆れたようにため息を吐いた。
「それで、何でこんなもの飲ませようとしたの」
「もうこうするしか方法がないんだよ……。あたしゃもうダメだぁ!」
私はすべてゲロした。
自分があと一年で死ぬこと、嬉し涙を千粒集めねばならないこと、それなのに貴重な一週間をどこぞの魔女の小間使いで消費してしまったこと。
その話をしたフィーネは、最初は冗談かと思って笑っていたものの、やがて本当だと知るにつれ神妙な顔になっていった。
「メグ、本当に死ぬの……?」
「うん。呪いでしゅ」
「呪いって……ファウスト様がいるなら、治せないの?」
「無理だって言われた。生まれつきの持病みたいなもんだって」
「それで嬉し涙千粒かぁ。確かに、人の嬉し涙なんてハードル高そうだね」
「実際高いよ。見てよこれ。一週間で二粒。しかも嬉し涙じゃないの」
私がビンをフィーネに見せると、フィーネは興味深そうに中を覗き込んだ。ビンの底には、ほんのわずかに結晶があるのがわかる。二人分の、透明な涙の粒。
「へぇ、こんなふうになってるんだ。私、魔法のことはよくわかんないけどさ、何て言うか、綺麗な涙だね。清らかっていうか、純粋っていうか。余計なものがないように感じるよ」
「清らかねぇ。私にはよくわからん」
私がビンをフリフリすると、カラカラと結晶がビンにぶつかる音がする。
ジロリと中身をにらみつける私に「でも」とフィーネが言葉を紡ぐ。
「もし、薬を使って人から無理やり嬉し涙を引き出せたとしても、あんたは納得しないでしょ」
「よくご存知で」
「何だかんだもう十年以上の付き合いですから」
「そうだね。結婚しよっか」
「それは嫌」
「そんな……」
絶望する私を、フィーネはおかしそうな、愛おしそうな顔で見つめてくる。そんな可愛い顔で見ないでほしい。浄化されちゃうから。
でも確かに、フィーネの言うように、薬を使ったりするような、無理やりなやり方じゃダメなのはわかっていた。
お師匠様は、『感情の欠片』を集めろと言っていた。
あの時ヘンディさんとアンナちゃんが流した涙は特別だ。純粋な嬉し涙じゃないけれど、感情の欠片の一種と呼んでいいのかもしれない。
だから薬や、ズルをして生んだ涙は、きっと『感情の欠片』にはならない。それじゃあ、きっと種は生まれない。
そして、そんなものを自分の命の糧にするのは、なんか違う。
「難しいなぁ、ホント」
思案する私を見て、少しおかしそうにフィーネは笑みを浮かべた。
「何ワロとんねん」
「メグ、あんた本当は優しいんだから。毒ばっか吐いてないで、たまには素直になりなよ」
「余計なお世話。……結婚する?」
「嫌」
くだらないやり取りをしたところで、私はふと疑問に思う。
「そういえばフィーネたそ、今日、うちに何か用だった?」
するとフィーネはギクリとした表情を浮かべる。
「えっ、なんでそう思うの?」
「いや、わざわざ私に会いに来るなんて珍しいから。何か用だったんでしょ? ほれほれ、遠慮せんと言うてみ。ほれほれほれほれ」
すると、意を決したようにフィーネは私の方を向いた。
「実は、ファウスト様にお願いがあるの」