14 真っ暗闇の地下ルート
無理やり指を開かせて、想像以上のひどいケガに、あたしのほうがめまいがした。
いつからこんなことになってたの……っ!?
口に出して聞くまえに、思いあたった。
今、ガケからロープでおりた時だ。
右手はロープを引いてブレーキの役目をするんだけど、もちろん手ぶくろをはめるんだ。
だけど今回、手ぶくろは一つしかなくて、リリコちゃんが使ってて。
それを借りる間もなく、飛びおりてきてくれたんだ。
素手であたしを抱えて二人ぶんの体重を支えたから、ロープのまさつ熱で……っ。
こんなになっても、当たりまえだよ!
あたしは体の芯がわななく。
また無理して、あたしを守りに来てくれた。
あとちょっとで脱出できたのに、その道を捨てて、こんなひどいケガまでして。
あこがれてるノドカ兄の妹だからってだけで、ここまでできるものなの……⁉
腕をつってたガーゼを細く裂き、包帯がわりに止血しながら巻きつけていく。
「……痛いよね」
「今、脳が現場モードになってるから。動かしづらいくらいで、大丈夫だ」
「大丈夫じゃない!」
いきなり大声を出したあたしに、涼馬くんは瞳をまたたく。
わなわなする指さきのせいで、よけいにうまくガーゼを巻けない。
「あたしね、四月から涼馬くんに守ってもらってたこと、さっき知ったんだ。でも、もういいから。あたしだってサバイバーの卵なんだよ。救けられる人間より、救ける人間になりたい。涼馬くんにも、仲間だって認めてもらえるほうが、ずっとうれしいよ」
救けてもらっておいて何様だ――ってことを言ってるのは、分かってる。
だけど言わずにいられないよ。
「あたしのために、こんなケガをされるのはイヤだ。自分の弱さの責任は、自分でとらせて」
そもそもあたしが手首をねんざしてなければ、谷底のルートなんて取らずにすんだんだ。
なのにあたしを救けにきて、こんな痛そうなケガ……っ。
ぎゅうっと締めつけたガーゼに、彼は眉間にシワを寄せる。
「マメが気にすることじゃない。手ぶくろを借りる間くらい、待てばよかったんだよな。自業自得だ」
彼ははぐらかすような笑みを浮かべる。
「そんなこと言ってるんじゃないよ。あたしを信じてくれたほうがよかったって、救けにこなくてよかったって言ってるの!」
つい、言葉を叩きつけちゃった。
涼馬くんはハッと目を見開いたあとで、だんだん顔をうつむけていく。
「…………ごめんな」
小さな声が、たしかに、あたしにあやまった。
この絶対的なリーダーが、まさか、ごめんなんて。
あたしはそれだけで胸が不穏にざわりとする。
「ち、ちがう。あやまってほしいんじゃない。あたしはただ、自分もちゃんとサバイバーとして、仲間にしてもらいたくて」
「うん、それは分かってるんだ。でもごめんな、マメ」
「それは、なんの『ごめん』なの……?」
見えない表情に、よけいに不安になる。
いつもの風見涼馬らしくない彼を、あたしはどう受けとめればいいか分からない。
目のまえにいるのが、知らない男の子に見えてきた。
彼はうなだれた頭を、ゆっくりと持ちあげていく。
「おまえのS組での努力を、ふみにじってるのは分かってる。……ワガママ言って、ごめん」
ふせた瞳は、迷うように揺れている。
だけどあたしと目が合ったとたん、キッと強くなって、燃えるような強い光で煌めいた。
「――でも。双葉マメを、おれに守らせてほしい」
まっすぐな瞳の光と言葉が、あたしの心臓を直接にぎりこんできた。
まるで、そのためなら命を丸ごとさし出すつもりだっていうような、決意の瞳に見える。
あたしはこんな瞳を人から向けられたのは、初めてで。
時が止まったみたいに動けない。
「……なんで?」
こんなの、ノドカ兄のファンだからなんて理由じゃ、ぜんぜん納得できないよ。
涼馬くんにかぎって恋愛感情なんてモノじゃないだろうし、将来の道がサバイバーに確定してるエリートが、成績ドベのあたしを、どうして。
涼馬くんはゆっくりとまばたきする。
迷いながら、くちびるが動きだす――と思ったら、
どさっ。
ガケの上で、大木が倒れこむ音がした。
あたしはビクッと体をゆらす。
モグラがこっちに来ようとしてるのかもしれない。
彼はしゃべりかけた口を結んだ。
「話は後だ。モグラや火がまわってきたら、本当に手づまりになる」
そしてあたしから視線をはずすと、歩きだしてしまった。
***
「博物館で、地下の石切り場を見学したよな」
「うん」
「あそこにも坑道の出入り口が、いくつかのぞいてただろ。博物館方面に向かえば、そこにつながってるかもしれない。とちゅうで地上にのぼるところがあれば、それが一番だけどな」
「うん」
涼馬くんはこんな暗闇の地下でも、方角が分かるみたいだ。
ためらいなく早足で歩いていく。
あたしはまだ頭の中がめちゃくちゃで、うなずき返すので精いっぱいだ。
石の柱が点在するだけの、なにもない空間。
手持ちのライトは、リュックに入れておいた、一本だけ。
ぐるり照らしてみても、上下を石にはさまれた空間が、どこまでも続いてる。
このまえの駐車場よりもずっと天井が高いから、押しつぶされそうなカンジはないけど。
強勇学園のでっかい校庭よりもずーっと……果てがあるのか不安になるほどに広いな。
そして耳が痛くなるほどの、静けさ。
神秘的……ではあるけど、ぶきみなほうが強い。
モグラが追いかけてくるような音は、今のところ聞こえてこない。
リリコちゃんたちのほうに行ったのかな。
みんなが心配すぎるけど、もうプロのサバイバーと合流できてるころだよね?
うてなたちもとっくに避難場所に着いてるはずだ。無事だって信じよう。
いろんな不安のあぶくがぼこぼこ浮かんできては、まとまらないうちに、べつの不安に押しやられていく。
「マメ。おれの足もとばっかり照らさなくていい。もうちょっと上げて、広く照らすほうが安全を確認しやすい」
涼馬くんはすっかりいつものリーダーだ。
「ごめん」なんてあやまってうなだれた彼が、マボロシみたいに思えてくる。
……あたしも落ちつかないと。
一番に考えなきゃいけないのは、無事に避難場所までたどり着くことだ。
「あ、あのさ。博物館は研究所のすぐウラだよね。火事なのに、そっちに向かって大丈夫かな」
彼の調子に合わせてみると、涼馬くんはホッとしたように少し肩をさげた。
「最初の火もとだから、消防が出てるなら、もう消し止められてる……と思いたい。どのみちおれたちは、このルートしか取れない。あとは祈るしかないよな」
やっぱり一か八かのカケで、危ないのを承知で、あたしを救けに来たんだ。
……どうしてなのか、ぜんぜん分かんないよ。
だけど、あたしが一人でこんな地下迷宮をクリアできる可能性なんて、正直、ほぼゼロだった。
一人ぼっちでオタオタする自分を想像したら、全身が震えた。
自分のためにケガされるなんてイヤだけど、くやしいけれど。
「ありがとうございます……」
歩きながら頭をさげたあたしに、涼馬くんは目をそらした。
「おれが勝手にやってることだ」
命がけで救けにきてくれたのに、モヤモヤなしにお礼を言えない自分が苦しくて、静かになってしまう。
と、彼はあたしのライトの手をにぎり、上を向かせた。
また無意識に、涼馬くんの足もとばっかり照らしてたみたいだ。
「手が使えないのはおまえも同じだろ。そんな気をつかうな。むしろマメのほうが、地盤のひび割れに足をとられそうで、そっちのが怖い。転んだら反射的に手が出るだろ。今度はねんざが骨折になるぞ」
「……了解です」
また、心配なヤツあつかいされてしまった。
ヘコみながらもうなずくと、彼はあたしの手首を見つめ、小さく息をついた。
「マメ、今回やたらとアセってたよな。このまえ商店街で言ってた、あれが原因か? 『強くなってみせるから、見てろ』って」
「えっ……。ちゃんと覚えててくれたんだ」
びっくりして息をのむと、彼は「忘れられっかよ」ってニガ笑いだ。
「しかもリリコの動き、めちゃくちゃくやしそうに目で追ってただろ」
涼馬くんのライバルをうらやましがってたのまで、見すかされてた……っ!
カアアッとほっぺたが熱くなる。
「もう分かってんだろうけど、おれやリリコは、一朝一夕に追いつける相手じゃねーぞ。しっかり時間をかけて、一歩一歩やっていけ。マメがサバイバーをめざすなら、それが一番大事だ。童話の豆の木は一晩で育ったかもしれないけど、現実はそんなうまく行くもんじゃないからな」
あたしは彼の言葉を聞きながら、どんどん瞳が大きくなっていく。
だって、たぶん、あたしの聞きまちがいじゃなければ、
「涼馬くん、あたしがサバイバーめざすの、迷ってるんじゃなくて、認めてくれたの? 今まではわざと塩鬼のフリして、S組をやめさせようとしてたんだよね?」
それは、と彼はのどをつまらせる。
……ずいぶん長い間、そのままだまっていたけど。
長い、重たい息を吐いて、肩をさげた。
「おれがなんと言おうと、なるんだろ」
「――うん」
「おれはやめてほしいけどな。……本当は、ずっと考えてたんだ。北村さんに『守るべき相手たちを、危険な場所に出したくない』って言われても、おれは現場で経験を積ませてもらいたい。
マメのことも同じなんだよな。おれはマメには危険なS組にはいてほしくないが、人の夢をつぶす権利なんてない。近ごろのマメをずっと見てたら、サバイバーに向いてないからとも、イイワケできなくなってきたしな」
あたしは目を最大限まで開いて、ますます彼を見つめる。
リーダーの強いまなざしが、あたしを見下ろす。
「おまえ、ほんとにヘコたれないから、S組をやめてもくれねーし。ただ守らせてもくれねーし」
「う、うん」
そして彼は眉を下げ、小さく笑った。
「いつの間にか、おれにとっての『双葉マメ』は、ちゃんと仲間になってたよ。だからアセんな。今はまだ、おれの背中を見てろ」

仲間――って、言ってくれた。
その言葉が、あたしの胸の中で痛いくらいの熱になって、じわじわと広がっていく。
S組みんなの顔が次々に浮かんできた。
うてな、唯ちゃん、健太郎くん。みんな自分のトクイをもってる、キラキラしたコたちだ。
その中にあたしもちゃんといていいって、ほかならぬ風見涼馬が認めてくれたんだ。
本当に? って涼馬くんの瞳を見つめて、本当なんだって実感して。
目の奥がつんと熱くなる。
のどがきゅうっと引きしぼられて、あたしはこぶしを握りこんだ。
了解ですって、応えようとして。
だけどそのとたん、「ノドカ兄の妹」のあたしが、胸の底で暴れだした。
「S組の双葉マメ」はそれでいいだろうけど、ノドカ兄はどうなるの。
一刻もはやく情報をもらって、自分でもさがすんでしょ⁉ ――って。
「……涼馬くん。わかった。わかったんだけど、あたし、ノドカ兄を自分でもさがしたいんだ」
ただ待ってるだけなんて、胸に空いた穴が、どんどん大きくなっていっちゃいそうだ。
「マメには、そっちはふれさせない」
彼の瞳から温度がぬける。
やっぱりここで、どうしても平行線になってしまうんだ。
――どうしようもないまま、あたしたちはふたたび進行方向へ足を動かしはじめた。
二人ぶんのスニーカーの足音と、呼吸の音。
石と石の大きな段差を、あたしはヒジで乗りあがる。
涼馬くんがケガしてる手をついて上がろうとしたのを見て、あわてて腕を伸ばした。
彼はちょっと照れくさそうに、あたしに手首をつかませてくれる。
そしてライトであっちを照らせ、こっちを照らせって指示を出す。
今さら気づいたけど、上の岩盤に、ペンキの記号が残ってるんだ。
㊥・W25、㊥・W24。
これ、山の中でも見かけたな?
「やっとわかった! 涼馬くん、この記号をたよりに道を選んでたんだ」
「そうだ。たぶん、採石業者の名前が『中山』とか『中川』とかなんだろうな。で、『W』は」
「西? WESTの『W』」
さっきのは「N」だったけど、あれはNORTHで「北」だ!
「そう。英数字はペンキがあざやかに残ってる。たぶん研究所チームが、調査に入ったときに書きたしたんだろ。となると、研究所がわの入り口に近いところから、西方面にW1、2、って数字を割りあててるんじゃないか」
「さかのぼっていけば、いつか研究所に着くんだ!」
「そうだといいな、ってレベルだけどな」
「わぁぁ……。あたし、ぜんぜん気づけなかった」
ホント、一人だったらどうしてたんだよ、あたし。
下くちびるを噛んで、今度はきっとあたしだって――って、心に誓う。
「こうやってくやしい気持ちで、一つ一つ覚えていくのが、『背中を見る』ってことなんだね」
「……おれも、そうさせてもらったからな」
「楽さんや七海さんに? あ、あと北村さんとか」
「うん」
涼馬くんは石段を身軽くのぼる。
「あとは――、ノドカさんに」
あたしは持ちあげかけた体を止めた。
「ノドカ兄とは、顔を知ってるくらいだって、このまえ」
「ごめん。ウソついた。……マメ。おれにはおまえを守らなきゃいけない理由も、ノドカさんをさがさなきゃいけない理由もある。それを話せば、あせって先走らずに、黒幕のこともムチャせずに、待っていてくれるか」
「……聞いていいの?」
どくん、どくん、大きく脈打つ心臓に、体じゅうが震える。
あたしはノドカ兄のホイッスルを、冷たくなった指さきでにぎりしめた。
「ここならさすがに盗聴器もないだろ。でも黒幕のあたりは話さない。それでいいなら」
動けないままのあたしを、涼馬くんは左腕で強く引きあげる。
ライトの反射に、瞳がちかりと赤く光って見えた。
「……それに本当はずっと、マメにあやまりたかったんだ」
「あやまる? さっきもごめんって」
彼は手のケガに気づいたときよりも、もっと痛そうに目を細める。
「ノドカさんがいなくなったのは、おれのせいだ」
――え?
おどろく声すら、のどに張りついて音にならなかった。