8 風見涼馬の本音
この人――って、あたしのこと?
あたしはぽかんとするけど、涼馬くんは足を止め、こちらをふり返った。
「橘はずっと気になっていましたの。久しぶりにお会いした、今日の涼馬さんは変でした。いつもチラチラと双葉マメを視界に入れて。だから橘が彼女にケンカを売ったときも、すぐに気づいて仲裁しに来たんですわ。それに、チームうさぎがこの三人になったのも、涼馬さんが他の男子とクジを交換してもらったからだって、橘は知ってます」
「へっ⁉」
思いもよらない新事実に、あたしは声をあげる。
リリコちゃんは小さな肩で、おぼれる人みたいな息をくり返す。
「橘と、相方として息を合わせる練習のために、同じチームに移動してきてくれたんだ――なんて、うれしかったのに。ちがったんですわね。双葉マメのそばにいるためだった。
なんでですの? まさか〝担当ナシ〟のほうが、橘よりも相方にふさわしいなんて思っていませんわよね? そんなのは絶対にありえない。
でも、そうじゃないのなら! こんなのはまるで……っ、サバイバーとしてではなく! もっと、プライベートで特別な想いで、双葉マメを守ってるみたいです!」
山道に、きんと彼女の声が響いた。
あたしは凍りつき、ぎこちない動きで、二人を見くらべる。
プライベートで特別な――って。
耳に、さっきの「S組は恋愛禁止ですわよっ」ってリリコちゃんの声がよみがえった。
つまりそれ、恋愛感情ってこと?
「ち、ちがうよ。涼馬くんはあたしが落ちこぼれてるから、リーダーとして気にかけてくれたんだよ。実地訓練のときも、それで同じチームになってくれたんだ」
フォローしたのに、涼馬くんはだまりこんだままだ。
リリコちゃんを見すえる瞳には、温度がない。
なにを考えているのか、あたしにはさっぱり読めない。
「涼馬さん、はっきりしてください。橘はこんな気持ちじゃ、双葉マメと同じ空気を吸うのもイヤですわ。涼馬さんともあろう者が、自ら恋愛禁止のS組ルールを破るはずがない。となると、この双葉マメが、さっきの水筒の間接キスみたいなセコいやり方で、たぶらかしたんでしょう⁉ いえ、心強き涼馬さんがゆらぐような、よっぽどの手を使って……!
恋なんて浮かれた気持ちで、強き者の足を引っぱる弱き者など、受けいれられません!」
「リリコ。おれたちはそんな関係じゃない」
「納得できません。双葉マメを特別あつかいする理由の、説明をもとめますわ!」
二人はビリビリするような厳しい視線で見つめあう。
涼馬くんはしばらくだまっていたけど、ゆっくりと口を動かした。
「……なら、本音を言わせてもらう。おれの一方的な私情だ。マメにはなんの責任もない」
彼はいったん言葉をとぎらせ、瞳をふせる。
腹を決めたように息を吸うと、ふたたび彼女に視線をもどした。
「おれが、マメを守りたいと思ってるからだ」

え……?
リリコちゃんもあたしも、かくっとアゴを下げた。
「だから責めるなら、おれのほうだ。訓練や任務中は公平にと心がけてはいるが、リーダーとして以上のことをしてる自覚はある。やりすぎた時にはリーダーを降りる覚悟もあるが、マメにからむのはよしてくれ」
リリコちゃんをたしなめる言葉が、あたしの頭を上すべりして通りすぎる。
S組リーダーとして、担当ナシが足を引っぱらないようにじゃなくて、涼馬くんが個人的な気持ちで、あたしを守ってる?
いざとなったら、リーダーをかわる覚悟までして?
「ど、どういうこと? なんで?」
頭に?マークが嵐になって吹き荒れる。
「……マメが、〝双葉マメ〟だからだ」
涼馬くんは重ねてよくわからないことを言う。
リリコちゃんはよろめいて数歩後ろにさがり、ぶるるっと頭をふった。
「な、なるほどですわ? 〝双葉マメ〟だから。そして恋愛ではない、私情の特別あつかい。ええ、橘は完全に理解しました。
――涼馬さんは、ノドカさんのファンなんですわ! だからその妹がいると、不自然に守りに入っちゃうんです。もう、これくらいしか考えられません」
思わぬフレーズに、あたしは目をしばたたく。
でも、S組進級の日、彼はあたしが「双葉マメ」だと知ってから、急に冷ややかな塩対応になったんだ。
ファンの人の「妹」に優しくするどころか、逆に特別スパルタで、サバイバーへの夢なんて折ってやるって、正反対のあつかいだったよ?
そう考えた自分を、ベツの自分の声が打ち消した。
わざと厳しく当たって、S組をやめさせようとしてたんじゃないの――って。
そういえば涼馬くん、健太郎くんのお見舞いに行った日に、「守りたい相手の夢と命、どっちを優先すべきか悩んでる」って、そんなことを言ってた。
…………それ、まさか、あたしのことだった?
今日、サバイバーをやめたほうがいいとか、なるならとか、言動がゆれてたのも、同じ理由?
気づきたくない事実が、電気みたいな衝撃になって、背骨を駆けのぼる。
ならきっと、無人島で、あたしと同じチームに入ってくれたのも。
商店街地下で閉じこめられたときに、任務を無視して救けにきてくれたのもだよ。
肺をパンパンにふくらませたまま、吸いこんだ息を吐くこともできない。
あたしは、ずっとずっと涼馬くんに、「特別に」守られてた……!?
めまいに足がよろめいた。
凝視する涼馬くんの顔が、急に遠くなったように見える。
風見涼馬にとって、あたしは「落ちこぼれの仲間」ですらなかった。
ただ、守ってあげなきゃいけない相手、仲間にまぎれこんできた要救助者みたいなモノだった。
無人島で、あたしの観察力を評価してると言ってくれたのも、さっき、成績ポイントじゃ測れない『良さ』があるって言ってくれたのも、その場だけのウソだったの?
あたしはその言葉を、宝物みたいに大事にしてたのに。
いきなり一人ぼっちで冬山に放りだされたみたいに、ぶるるっと体が震える。
ありがとう――って思うべきだよね。
なのにあたし、イヤなやつだ。そんなふうに思えない。
くやしい。
ノドカ兄につながる情報をつかむためだけじゃなくって。
S組の生徒の「双葉マメ」として、めちゃくちゃくやしい!!
体は冷たいのに内側は熱い血が駆けめぐって、心臓がドクドク震える。
そのうえ、今のあたしはねんざなんてしちゃってて、一人前からほど遠い。
行き場のないくやしさを、包帯にツメを立ててしずめようとするけど、どうにもならない。
声も出てこないあたしのわきから、リリコちゃんが彼に一歩つめよった。
「涼馬さんは、橘が『ノドカさんは逃げた人だ』って言ったときも、あれ、本気で怒ってましたわよね? 橘の成長のために、わざと怒ってみせたんじゃなくて。涼馬さんはサバイバーとして、ふだんから自分の感情をコントロールしている。なのに変だなって思ってましたの。でも涼馬さんがあの人の熱烈なファンってことなら、ええ、まだ納得できますわ」
「……そうだな。おれはノドカさんをS組の誇りだと思ってる。あの人をけなされるのは、腹が立つ」
赤茶の瞳が、いどむようにリリコちゃんを見すえる。
リリコちゃんは一歩も引かずに視線をぶつけ返す。
「ですが、彼は仲間の信頼を裏切って、現場から自分勝手に逃げた弱き者です。その妹を育ててあげても、けっきょく逃げちゃいますわよ」
「……っ!」
ダメだって分かってるのに、カッとなって身を乗りだした。
涼馬くんに止められる前に、大声を上げてしまう。
「兄ちゃんは逃げてない! あたしだって、逃げないよ!」
リリコちゃんもなおさら瞳を強くする。
そして鼻を鳴らし、涼馬くんへ視線をもどした。
「涼馬さんは、仮免デビューの現場が、ノドカさんの最後の現場でしたわよね。なら、実際に見てるんじゃないんですか。あの人が、逃げるところを」
「え――?」
聞き流せない言葉が、聞こえた気がする。
そんな話、初めて聞いた。
あたしはバッと勢いよく彼に首を向ける。
涼馬くんはだまってリリコちゃんを見つめたままだ。
わざとあたしを視界に入れないようにしてる?
「……そうなの?」
直接の知りあいではないみたいなコト言ってたのに。
ううん、ホントは涼馬くんとノドカ兄、どこかで接点がなくちゃ不自然だって思ってた。
でも涼馬くんの最初の現場に、ノドカ兄の最後の現場が、かぶってたなんて。
「橘は、涼馬さんの情報は山ほど集めましたから、あなたなんかよりず~~っと、なんでも知っていますわ」
かわりに答えたリリコちゃんは、調子を取りもどしたようにフフンと笑う。
そして、そのまま語りだした。
***
小学校一年の入学式直前。
涼馬くんは海浜Y地区災害で、家族をなくした。
それで困っているコが集まって生活するセンターに入ることになって、そこで楽さんに出会ったんだって。
涼馬くんと楽さんは、同じ強勇学園に通ってたおかげで、すぐに仲よくなった。
で、二人はとちゅうで学園の寮にうつり、S組をめざすことにしたんだ。
そういえば涼馬くん、サバイバーをめざす理由は、「それしかなかったから」って教えてくれた。
学費とか生活費、ぜんぶ国が出してくれるからって。
あれは、早く一人で生きていける方法がそれしかなかった……ってことだったんだ。
部屋で見かけた家族写真が頭をよぎって、あたしはのどが細く、苦しくなる。
あたしは五歳の時だったけど、涼馬くんもほとんど変わらない時期に、一人になったんだ。
写真でお父さんに抱っこされてた、あの赤ちゃんも……?
それに楽さんも一人だったなんて、初めて聞いた。
知っちゃっていいのかも分からない、重たい情報だ。
泥水につかったみたいに、体が冷たくなってくる。
あたしは家族を失っても、まだ、ノドカ兄もおじさんもおばさんもいてくれた。
でも、涼馬くんたちには……。
「涼馬さんは将来、ノドカさんなんて飛びこしてリベロになる人です。つらい生いたちに力強く立ちむかい、命を救うプロになったと。そう、いずれ、学園の伝説として語りつがれるようになるんですわ」
「――リリコ」
さえぎろうとした彼を、リリコちゃんは無視して、熱く瞳を輝かせる。
「涼馬さん、もっと自信を持ってくださいませ。ノドカさんなんて追いかける必要はありませんわ。涼馬さんは強き者として自分の道を、」
「リリコ」
涼馬くんの声が、かすれてる。
いろんなコトがショックすぎて立ちつくしてたけど、あたしはようやく我に返った。
そうだよ。涼馬くん、イヤだよね、こんなの……!
この正和時代、災害で家族をなくしたコはたくさんいる。
だからみんなあんまり自分の家の話はしないし、友だちの家の話だって聞かないのがルールみたいになってる。
だって、ツラいもの。
まだ生々しい心の傷を、話すのも、話されるのも。
あたしは首にさげた水色のホイッスルをにぎりこんだ。
手が冷やアセでべたべたしてる。
でも、このままだまって聞いていれば、ピンクのホイッスルがどうして涼馬くんの手に渡ったのか、ノドカ兄がなにを考えて、黒幕とどう関わって姿を消したのか、ヒントをもらえるかもしれないよ。
涼馬くんから黒幕の情報を教えてくれる条件が、「あたしが強くなってから」じゃ、いつかなうか分からない。
真っ向勝負で認めてもらいたいけど、涼馬くんはあたしのこと、「守ってあげなきゃいけない相手」としか思ってないんだ。
今が絶好のチャンスだよ。
涼馬くんがかわいそうでも、あたし、聞かなきゃ。
ノドカ兄のためなら、ノドカ兄が帰ってくる情報をつかむためなら、……あたし、ズルしてでも、ひどいコになれる。……ならなきゃ。
リリコちゃんは、涼馬くんがどれだけ努力を重ねてきたのか、どれだけ強き者だったのか、ほこらしげに語りつづける。
涼馬くんが止めるのをあきらめたから、話していいと思ったのかもしれない。
きっと、あとちょっとで、ノドカ兄の話が出てくる。
あたしは涼馬くんを直視できなくて、首がだんだん下を向いていく。
でも、彼がこぶしを固くにぎりしめてるのが、視界に入った。
細かく震える指が、白くなってる。
「それで涼馬さんはスキップ進級で、みごと仮免を取ったわけなんですけど。初めての現場で、突入不可能と思えた場所から、なんと三人もの命を――、」
「リリコちゃん!」
はりあげた声のなごりが、しんとした空気に、やたらと長く残った。
「……ダメだよ。やめようよ」
真正面から見つめるあたしに、リリコちゃんは鼻のつけ根にシワを寄せる。
「これから涼馬さんのすごいところを話すんですよ。ノドカさんにはおよびもつかないところを」
「それでも、本人にいいよって言われてない話、勝手にしたらダメだよ」
ごめん、ノドカ兄。あたし、やっぱりガマンできなかった。
リリコちゃんは口を横に引きむすんだ。
涼馬くんはにぎりしめてた白い指をゆるめる。
ちょっと笑ってみせようとして、笑顔を作るのに失敗して、一言だけ。
「行くぞ」
無理してしぼり出したような声に、あたしはうなずく。
「……涼馬さん?」
リリコちゃんは、いま初めて、彼が痛々しい顔をしてるのに気がついたみたい。
山道をくだりだした背中を、おどろき眼で見送る。
あたし、あぜんとする彼女の気持ちも、想像できちゃうんだ。
まさかあの「風見涼馬」が、自分の言葉に傷つくなんて――って、想像つかないよね。
最強の人ってあこがれてるなら、よけいに。
涼馬くんもあたしたちと同い年の男子なのに、彼がスゴすぎて、つい忘れちゃうんだ。
「行こう、リリコちゃん。あたしやっぱり、はやく手当てしてもらいたいや」
この重たい空気を散らしたくて、あたしはわざと明るい声で言う。
リリコちゃんが心細そうな瞳でこっちを見上げた――、その時だ。
ドン……ッ!

風に乗って、遠くから、なにか爆発したような音が届いてきた。