11 閉じこめられた、あたしたち
上のほうから、なにかがくずれる音がした。
スプリンクラーの水が、ザアザア雨みたいに降りそそいでる。
くらいよ。こわいよ。
ノドカ兄ぃ、ママは? パパは? どこにいるの?
「――マメ」
頭をぎゅっと抱きよせられた。
ノドカ兄、だいじょぶ? いたいとこない?
マメはだいじょぶ。いたくないよ。
…………どうしたの? ノドカ兄、へんじして。いたいの? だいじょうぶ?
「大丈夫だ」
ねぇ、ノドカ兄、死なないでね。
マメもがんばるから、いっしょにがんばろうね。
それで、ママたちさがしにいこうね。
「……うん。そうだな」
ノドカ兄が、あたしの頭をなでてくれる。
あたしは彼の手をぎゅうっとにぎりこむ。
はなしたら、ノドカ兄がどこかへいなくなっちゃう気がして。
――え?
こんがらがった頭で、「ちがう」って思った。
だって、ノドカ兄は、もういない。
我に返ったとたん、ぐちゃぐちゃにまざった記憶の景色がすとんと下に落っこちて、消えた。
だれかがあたしの頭を肩にのせ、背中を優しくたたいてくれてる。
男子のカタい体。
「ノッ、ノドカ兄ッ!」
帰ってきたんだ!
肩からバッと顔を持ちあげる。
「――マメ。正気にもどったか?」
真正面でホッと息をついたのは……ノドカ兄じゃ、ない。

ノドカ兄よりヤンチャそうな、だけど落ちついた表情の、ふしぎな印象の男の子。
「涼馬くん」
あ、あれ? な、なんだっけ。
なんであたし、涼馬くんと二人で、こんなに真っ暗なとこにいるの?
すっかりT地区大災害のあの日にもどってた心が、急にゲンジツに引きもどされた。
彼はちょっと気まずい顔になって、わたしから目をそらす。
浸水した地下室。闇につつまれた天井の出入り口。
そうだ。あたし、お団子屋さんの地下に閉じこめられて――。
「涼馬くん、救けにきてくれたの? でも、」
何度も目をまたたく。
上を見あげてみたけど、やっぱり、ギッチリと食器だながのっかってる。
なんでか、涼馬くんまで閉じこめられちゃってる?
「しくじった。上の家具をどかして突入したとたん、また水で流されてきて、元どおりだ。退路をカクホせずにつっこんでくなんて、命とりの凡ミスだよな」
彼は自分に怒ってるのか、ブスッとした横顔でつぶやく。
あたしはあっけにとられてしまった。
「……涼馬くんがミスするなんて、信じらんない」
「おれもだ。マメがぶつぶつウワゴト言ってるから、アセったんだよ」
あたしを心配してくれて――?
それはまさかだけど、あたし、また涼馬くんに救けられちゃったんだ。
って、ちょっと待って! あたし、ウワゴト口に出してた?
じゃあっ、さっきノドカ兄があたしの頭をなでてくれたのは、マボロシじゃなくて、
涼馬くんが、ほんとになでてくれてた⁉
凍えてた体が、一気にぼんっと熱くなった!
混乱して、ワケ分からないことを口走ってるあたしの話を、うん、うん、って聞いてくれて。
大丈夫だ――って、優しい声も。
あの優しい手のひらも。
ぜんぶ、S組塩鬼リーダーの、このっ、涼馬くん⁉
ウソォ⁉
ていうかあたし、めちゃくちゃ情けないコトしゃべってたよねっ?
恥ずかしすぎて顔から火が出るよ!
うっかりにぎったままだった手をバッとはなし、カベに背中をぶつける。
それで初めて気がついたけど、あたし、オレンジ色のジャケットでくるまれてた。
ひざにはライフジャケットがかかってる。
Tシャツ一枚だったはずなのに、これ、涼馬くんのか。
あわてて返そうとしたら、仏頂面で押しもどされた。
「おまえ、体温が下がってるぞ。着とけ」
「涼馬くんだってビショぬれなんだから、寒いでしょ」
「低体温症になると、サイアク死ぬぞ。おれは寒くねーから。自分の限界は知ってる」
「……じゃあ、その、ありがとうゴザイマス」
ありがたくジャケットにソデを通させてもらって、えりをかき寄せた。
サイズはぶかぶかで合わないけど、やっぱりあったかい。
「あの、救けにきてくれたのも、ありがとうございました」
「ミイラ取りがミイラだけどな」
「でも、すぐに応援が来るでしょ? 楽さんはプロを呼びに行ってくれてるの? 今回、二人で組んでたよね」
「いや、楽さんには伝えてない」
彼はイヤホンの入った耳を押さえ、ノイズの音に顔をしかめる。
「そうなんだ。………………って、ええっ⁉」
あたしはふたたび目をかっ開く!
「なんで⁉ 涼馬くんだけで来ちゃったの? 必ずペアで行動しろって、北村さんがっ」
「あとでメチャクチャしかられんだろーな。いちおう突入する前には無線を入れたが、混線してて、まともに通じてない」
涼馬くんはタメ息まじりで、ぬれて貼りついた前髪をかきあげる。
彼の横顔を、アセか雨の水か、しずくが伝っていく。
あたしはますますワケが分からなくなって、だまってしまった。
涼馬くんの話によると、健太郎くんはおばあちゃんを背おって、メイン通りへもどり、プロのディフェンダーと合流に成功。
無事におばあちゃんを引きわたせたそうだ。
「そっかぁ。健太郎くんよかった……! おばあちゃんは大丈夫そうだった?」
「ああ。低体温も、大丈夫そうだと聞いてる。マメたちが早く発見してくれたおかげだ。じゃなかったら、たぶん危なかった。よくやったな、マメ」
涼馬くんがリーダーの顔で、ニッと笑ってくれる。
それだけで、あたしは胸が温かくなってしまった。
「ゼッタイに怒られるって思ってた」
「まぁ……、怒んなきゃいけないコトはあるけど、怒んねーよ。人ひとりの命を救ったんだ。むしろ今回は、おれのほうがミスりまくりだしな」
「北村さんと楽さんの指示、ダブルで無視したなんて、成績ポイント下がっちゃうよね」
心の底からごめんなさいって気持ちで言ったのに。
彼は眉をはね、どすっとあたしのおでこを指でついた。
「――で、マメなんだろ? ナカムラさんが店にもどったことに気がついたの」
「う、うん。地下の作業場に、娘さんの写真がかざってあったんだ。おばあちゃんの話のかんじ、もしかして、亡くなってるのかなって思ってたの」
荷運びは、前は娘さんがやってくれたけど、今は自分でがんばってるって言ってたし。
作業場では、ちらちらと写真をながめてた。
きっと、心の中で話しかけてたんだよね。
あたしが兄ちゃんのホイッスルに話しかけるのと同じように。
「だから、娘さんを一人で置いてけぼりにしちゃった気になって、取りにもどったんだよ」
「なるほど……」
「――って、おばあちゃんだったらどうするかなって、考えてみただけです」
涼馬くんがカイトくんを発見したときの口ぶりを、そっくりマネしてみる。
彼はちょっと笑い、真上のふさがれた出入り口を見上げた。
「だけど、たぶん。健太郎のほうは、問題になる」
「えっ……? あっ、報告ナシに勝手な行動とったから? ちがうんだよ! やったのはあたしで、健太郎くんは、ずっと止めようとしてくれたのっ。だけどペアだからついてきてくれただけで。健太郎くんの減点はカンベンして――、」
「ちがう」
あわてて言葉を重ねるあたしを、涼馬くんがさえぎった。
「あいつ、おまえを裏切ったんだ」
***
涼馬くんの冷えた声が、なにを伝えてきたのか、とっさに分からなくて。
あたしはパチパチまばたきした。
「健太郎が要救助者を発見して、しかも連れだしてきた。チーム全員が大よろこびだ。あいつ、そのせいで言いだしそこなったんだろうな。『マメを置いてきた』って報告を、しなかった」
「なら、涼馬くんが来たのは、健太郎くんが応援をたのんでくれたワケじゃないの……?」
「ああ。北村さんに『ペアのマメは?』って聞かれたら、『とちゅうでハグれた』と。ただの迷子レベルじゃ、マメをさがしに行くのは、要救助者の安全をカクホし終わってからになる。おれは、あいつのふだんとちがうウツロな目が気になって、任務をぬけてきたんだ」
じゃあ、ホントに、わざと裏切った?
「……ウソだよね? まさか」
あのおだやかでマジメで優秀なディフェンダーの健太郎くんが、そんなコトするはずないよ。
それにあたしたち、いっしょに無人島を乗りこえた仲間なのに。
彼のほんわか優しい笑顔を思い出す。
だけど涼馬くんはあたしを横目に見て、タメ息をついた。
「たしかにあの場は、みんなにベタ褒めされて言いだしづらい状況だったとは思う。だがどんな状況だろうと、仲間が閉じこめられてるのを知っていて報告しなかったなんて、大問題だ」
地下の水面をニラみつける彼は、本気で怒ってる。
あたしはいろんな情報がぐるぐる頭にうずまいて、まだ信じられないし、なにをしゃべっていいのかも分かんない。だけど……。
「ありがとう、涼馬くん。救けにきてくれて」
健太郎くんからの情報がなかったなら、涼馬くんがここに来てくれたのは、よけいにすごいことなんだ。
「いい。当然だ」
ぶっきらぼうな、短い返事。
彼はそれきり黙ってしまった。
上からぽたぽた水が落ちてくる。
外からの音は、まったく聞こえない。
地上の水と、地下にたまった水のあいだの、静まりかえった空間。
涼馬くんの呼吸の音だけ、かすかに響く。
あたしはほっぺたに流れてきた水を、手の甲でこすり上げた。
涼馬くんがいてくれるから、ここはゲンジツなんだって思い出せるけど。
やっぱりせまくて暗いところは、上から押しつぶされそうな気がして苦手だ。
意識しちゃうと、ますます呼吸がはやく、浅くなってくる。
水色のホイッスルをにぎりこもうとしたけど、なんとなく、涼馬くんの前じゃできない。
この人は、ノドカ兄のゆくえ不明にかかわってて、あたしになにかを隠してて――。
今も、あのピンクのホイッスルをさげてるのかな。
思わずTシャツの首もとを盗み見ちゃう。
……二人きりの今って、さぐりを入れる絶好のチャンスだよね。
なのに、なにか考えようとすると、思い出したくないT地区大災害の記憶のほうを引っぱりだしちゃいそうだ。
とても、うまく聞きだせそうにないや。
「ね、ねぇっ」
まずは気持ちを落ちつかせようと、涼馬くんに笑いかけてみる。
「このまえ、お団子屋さんから涼馬くんが帰っちゃったあとね。なんでサバイバーになりたいのかって話になってさ」
「へぇ? マメは、ノドカさんをめざしてるって言ってたよな。ムリだろうけど」
「わー、塩味キツいですー」
おっ。あたし、思ったよりフツーに話せてそう?
涼馬くんは口のハシを持ちあげてくれたけど、瞳はまっすぐにあたしを見つめてくる。
怖くてたまらないのを、見すかされちゃいそうだ。
あたしは目線をさげて、えへへとムダに笑った。
「涼馬くんは、なんでなの? どうしてS組に入ったのかって、聞いたことなかったよね」
「おれか。……おれは、それしかなかったから」
「へ?」
「S組に入れば、学費も寮の生活費も、ずっと国が出してくれるだろ? だから」
たんたんと言われて、あたしはカクッと肩をさげた。
風見涼馬は、S組のアタッカーリーダーだもん。
サバイバーの最高峰「リベロ」にあこがれたとか、すっごくアツい理由があるんだろうなって、勝手に期待してたんだけど。
意外や意外、ドライな理由だった。

「そ、そうだったんだぁ」
納得しきれないようなビミョーな気分でうなずいた、そのタイミングで。
プツッ。
急に、あたりが暗くなった!
「ひえっ!」
心臓がちぢみあがり、あたしは胸のホイッスルをにぎりしめる。
「おれのライトが切れたみたいだ。水が入ったな」
「ぼ、防水なのに」
「あちこちにぶつけたし、水かぶりまくったからな」
ライト、あたしの一つきりになっちゃった。
苦笑いの彼の表情も、急にうす暗く見える。
……暗いな。ほんとに。
涼馬くんはライトを直そうとして無言になる。
とたん、また天井やカベが、ぐいぐいせまってくるような気がしてきた。
五歳のあたしが、「こわいよ、こわいよ」って、ノドカ兄をさがしはじめる。
「……ええと、その、あのさ」
なんかしゃべろうとして、なんにも浮かんでこない。
血の気の引いた指をゴシゴシこすりあわせる。
しっかりしろ、あたし!
ここに一緒にいるのは、サバイバー仮免持ちの、S組のエースだっ。
この人は、閉じこめられたって暗闇だって、ずっと冷静で落ちついてる。
今はなんにもおびえる理由がないのに、こんな、ぶるぶる震えてるの、かっこ悪いよ。
涼馬くんにも、やっぱり〝担当ナシ〟だなって、あきれられちゃう。
「……怖いのか」
ぼそっと低い音で聞かれた。
暗がりの中、彼はじっとあたしを見つめてる。
ここで目をそらしたら、怖がってるってバレちゃう。
なのにあたし、中途ハンパにくちびるを持ちあげ、ぶるるっと首を横にふるので、せいいっぱいだ。
涼馬くんは、あたしの瞳のおくを見つめこんでくる。
小さなライトを反射して、その瞳が強く光る。
「マメ」
からかう色もない、シンケンな声。
とん。
彼がこっちに身を乗りだし、あたしたちの間に手をついた。
近づいた気配に、あたしはビクッと肩をちぢめる。
「怖いって、言えよ」
「え……?」
「そうしたら、守って甘やかしてやれる」
守って、甘やかして。
のみこみきれなかった言葉を、頭の中でくりかえす。
「それって、どういう」
「マメはT地区大災害の生きのこりだろ。こういう場所がダメなのは、しょうがねーよ」
ん、と差しだされた手のひら。
やわらかくなった瞳。
「おいで」って言ってくれるノドカ兄と重なって見える。
……たぶん、この手を取ったら、さっきみたいに安心するまで抱きしめて、ぽんぽん背中をたたいてくれる。
脱出のことなんて考えずに、言われるままにしてるだけで、安全をカクホしてくれる。
あたしは真っ白になった指をにぎりこむ。
そしてゆっくり、涼馬くんの手を取ろうとする。
彼のほうも安心したように、ちょっと目を細める。
――だけど。
あたしはギクリとして、伸ばしかけてた手を引っこめた。
「マメ?」
急に体を遠ざけたあたしに、涼馬くんがフシギそうに目をまたたく。
「――だっ、だいじょうぶ! ありがとね!」
全力で笑ってみせて、背骨をしゃんとまっすぐにした。
ほんとは全然ダメなままだ。
でも手を取ったら、もっとダメだって分かっちゃったんだ。
今の涼馬くん、カイトくんに語りかけてたときと、同じ瞳だ――!
「ムリすんじゃねーよ」
「いらない。あたしは大丈夫」
「ぜんぜん大丈夫そうじゃないから言ってる」
あたしは彼の手のかわりに、服の上からノドカ兄のホイッスルをつかむ。
そしてまた首を左右にふった。
「だって、もしも『怖い』って言ったら。
涼馬くんの中で、あたしはサバイバー失格になるんでしょ」
今度は涼馬くんのほうがノドをつまらせた。
――図星だ。
さっきの、サバイバーをめざす仲間へむける目じゃなかったもの。
守らなきゃいけない、要救助者への視線だった……っ!
ダメだよ。あたしは守られるほうじゃない。守るほうになるんだっ。
ノドカ兄の顔を思いうかべ、グッとおなかの底に力を入れる。
ちっちゃなホイッスルを強く強くにぎりこんでも、胸に空いた穴が痛くてたまらない。
ノドカ兄っ、ノドカ兄……っ。
会いたいよ。今すぐ来てよ。
あたし今ここで、「マメなら大丈夫だよ」って言ってほしいのに‼
――ああ、もう! うまくやろうなんて考えてらんないっ!
ダンッ!
手を突き、涼馬くんからはなした体を、逆に思いきり近づけた。
面食らう彼につめより、首もとをつかむ。
そしたら――、やっぱりTシャツの下にヒモをさげてる。
あたしは問答無用で、そのヒモを表に引っぱりだした!
「なっ」
彼の見開いた目が、本気でおどろいてる。
手でつかまえたのは、まちがえないっ。
子ども用の、ピンクのホイッスル――!
「これ! このホイッスル、あたしの だ! あたしがノドカ兄に、絶対にサバイバーになってみせるって、約束のしるしに渡したヤツ!」
涼馬くんの瞳に、必死の顔をしたあたしが映りこむ。
彼はくちびるを震わせる。
だけど言葉がなにも出てこないうちに、横に引きむすんじゃった。
あたしは自分が胸にさげてるホイッスルを、彼に突きつけた。
「こっちは、ノドカ兄からもらった色ちがいだよ。ほら、同じでしょ⁉ どうしてノドカ兄のを、涼馬くんが持ってるの? ノドカ兄が他の人に、あたしのホイッスルをあげるはずない! ノドカ兄と関係ないなんてウソだよね⁉」
「……マメ」
あたしの名前をつぶやいた涼馬くんの声は、かすれた音だ。
「おねがい、教えてっ! ノドカ兄、今どこにいるの⁉」
