9 救けをもとめる、だれかのために!
水はタイヤの半ぶんの高さを超えてる。
だけどもう少しで、ぜんぶの車をチェックし終える。
人手も増えたし、奥からクラスメイトたちの声も聞こえてきた。
中央階段あたりで合流したら、もう退避できるよ!
楽さんと涼馬くんが加わったからか、任務の終わりが見えてきたからか、健太郎くんの顔色もよくなった。
「だれか、残ってませんかぁー!」
大声を出し、後ろのドアをのぞきこむ。
そこで、あれっと手を引っこめた。
ドアがちゃんと閉まってなかったみたいだ。
スキマから入りこんだ水が、座席の足もとにたまってる。
チャイルドシートがあるってコトは、ちっちゃいコを抱えて、大あわてで避難したのかな。
そんなことを考えてたら、
ゴゴゴゴ……ッ。
足もとから、地響きが!
地面の水も波になってさざめきだす。
「じ、地震⁉」
健太郎くんがキョロキョロあたりを見まわす。
そういえばお祭り中も、地面がゆれてたよね。
貯水池へのパイプも、あの地震のせいで埋まっちゃったんだったり?
いや、あれは歩いてる人は気づかないくらいの、小さなゆれだったもんな。
「――地震ではないらしいな」
北村さんが眉間にシワをよせた。
涼馬くんと楽さんも無線に耳をかたむけながら、周囲にするどく視線を走らせてる。
あたしのとなりで、健太郎くんがブルッと身を震わせた。
な、なに? イヤな情報?
無線をつけてないあたしは、目を大きくして、みんなの言葉を待つ。
「マメちゃぁん!」
車と車のあいだ、うてながザブザブ水をかきわけ、こっちに向かってくるのが見えた。
千早希さんや唯ちゃん、ナオトさん。
それにプロに引率されたS組の生徒たちが、続々と集まってくる。
ってことは、ぜんぶの車をチェックし終えた?
任務完了だよ!
「うてな!」
おたがいにガシッと手をにぎり合わせた。
親友の、ちっちゃくてあったかい手。
みんな無事だったことにホッとしたのも、プロの現場に参加してるってコーフンも、瞳の色だけで伝えあう。
「注意! 中央基地より指令!」
全員で北村さんに注目して、背すじをのばす。
やっと退避の命令だよっ。
「ヤマザキ・カイトくん、三歳! この駐車場内で、一人でとり残されているとの通報! これより捜索を始める!」
***
すでにヒザ上に水が届いてるS組メンバーは、退避になった。
北村さん、人手ぶそくでも、ちゃんとS組生徒の危険ラインを考えてくれてたんだ。
「ゼッタイに帰ってきてね」って抱きついてきたうてなや、唯ちゃんたちと別れて。
あたしはそのまま、健太郎くんとペアで捜索を続けてる。
だけどあたしたちだって、あと何分、ここに残っていられるか。
カイトくんを見つけださなきゃいけないのに――!
お父さんは、ぐっすり眠ってたカイトくんを車において、ちょっとのつもりで買い物に行ってしまったらしい。
そこに避難指示が出て、いそいで駐車場にもどろうとしたんだけど。
階段で転んで動けなくなり、さっきやっと、サバイバーに見つけてもらえたそうだ。
車種とナンバー、車の色はブルー――ってとこまで聞いて、あたしは「アッ!」と声をあげた。
「その車、ありました! すぐそこです!」
チャイルドシートの、カギが開いたままになってた車だ!
「でも、小さいコなんて乗ってなかった」
みんなで車を確認しに行ったけど、座席のシートのあいだにも運転席のほうにも、やっぱりカイトくんは見当たらない。
駐車場の捜索は、もうひととおり終わってる。
じゃあ、どこへ――?
血の気の引いた頭で、考えをめぐらせる。
目がさめて、お父さんをさがしに出ていった?
だけど三歳のコが、そんな勇気あるかな。
集まったプロたちも考えこんでる。
「ここにいないなら、もう、だれかに保護されているかもしれないな。避難所にいるか」
「避難所にも問いあわせ中だ。しかし三歳じゃ、今の水位なら、おぼれた可能性も考えるべきだ」
北村さんの重たい声が、怖いよ。
「――楽さん! こっちを!」
涼馬くんは楽さんを連れて、まるで心当たりがあるかのように、まっすぐに通路の奥へ向かっていく。
あたしは健太郎くんと、足を棒がわりにして水底をさぐりながら、声をそろえてカイトくんの名前を呼びつづける。
カイトくん、あたしがT地区の災害にあった歳よりも、ちっちゃいんだ。
一人でどこかにいるとしたら、どれだけ怖いだろう。
想像しちゃって、震えが止まらない。
おねがい、無事でいて。
避難所にいるって連絡、はやく来て。
自分が闇のなかにとり残された時のことが、どうしても頭に押しよせてくる。
ヒザのラインをゆれる黒い水に、冷たいアセがぽたぽた落ちる。
「――いました!」
響いた声に、思いっきり息をすいこんだ!
声のほうへ、みんなでいっせいに向かう。
涼馬くんがエレベーターのドアを、腕をつっぱって開けていく。
中のカゴは、この階の床から浮き、中途はんぱな位置で止まってるみたいだ。
と、楽さんがドアのスキマから飛びこみ、カゴの中へ乗りあがった!
もしうっかり下に落ちたら――なんてゾッとしたけど。
さすがの楽さん、ためらいもしなかった。
「もう大丈夫だよ。カイトくんだね?」
「……うん」
中から、かすかな声も聞こえた!
あたしたちが到着したのと、楽さんがカゴからおりてきたのは、同じタイミングだった。
抱えられた男の子は、ほんとにまだ小さい。
目のまわりを真っ赤にハラして、弱々しくしゃくりあげてる。
「脈拍、呼吸、ともに正常。ケガもなし。泣きつかれちゃったみたいですけど」
楽さんがホッと息をつくと、プロたちもそろって肩をさげた。
「よくがんばったな。お父さんは避難所で待ってる。元気な顔を見せてやりな」
涼馬くんはカイトくんの髪を手でかきまぜる。
その横顔が、すごく優しい。
もうぜんぶ大丈夫だから、安心して任せてくれって。
今まで見てきた彼のなかで、とっておきの〝救ける人〟の顔だ。
あたし、自分が救助されたような気分になって、涙がにじんできちゃったよ。
「涼馬って、エレベーターのロック解除までできるのね。すごいな」
「ミサトさん、ちがうんです。おれはうまくいかなくて、楽さんがやってくれました。コツがいるんですね。練習しなきゃな」
涼馬くんはミサトさんに答えながら、カベにすえつけられた箱へ工具をもどす。
なるほど。あのL字型の金属棒が、ドアロックをはずす器具なんだ。
あたしも今度練習させてもらいたいな。
「しかし、三歳のコが、一人でエレベーターに乗りに行くとは思わなかった」
北村さんはまだ目がおどろいてる。
すると楽さんがちょっと笑った。
「涼馬のお手がらですね。お父さんをさがそうと思ったんでしょうけど、まさかです」
「自分がこのぐらいの歳だったら、どうするかなって考えてみただけです。いつも一階に上がるルートを、ちゃんと覚えてたんですね。な、カイトくん」
カイトくんは、首をタテにふってうなずく。
「はぁ、なるほどな。でも、とちゅうで安全そうちが働いて止まっちゃったのか」
北村さんはアゴのアセをぬぐい、息をついた。
あたしと健太郎くんは、なんにもできず、輪の外からながめてるだけだ。
「……あたしたちのリーダーって、すごいね」
「うん……」
二人は仮免でも、もうプロのなかで任務をまっとうしてるんだ。
誇らしい気持ちに、ずっと力の入ってたくちびるがゆるんでくる。
こんなのを見せられたら、ノドカ兄のことで疑わなきゃって気持ちが、グラグラしてきちゃうなぁ。
「全員、ひきあげるぞ!」
北村さんから、今度こその退避の号令がかかった。
楽さんと涼馬くんはカイトくんを抱き、プロにかこまれて階段をのぼっていく。
あたしたちもその後を追う。
いつもの訓練のときより、背中がずっとずっと遠く見えちゃう。
あたしもあんなふうに――、楽さんや涼馬くんや、ノドカ兄みたいになりたい。
少しでも近づきたくて、自然と足もいそぐ。
だけど、水の流れる段をのぼろうと、プロが張っといてくれたガイドロープをつかんだら。
ロープがビリビリと振動してるのに気がついた。
「また地震?」
カベに耳を押しあててみると、振動は内がわから伝わってきてるみたいだ。
シャベルカーかなんかが、ガリガリ岩をひっかいてるような音がする。
カベのむこうで、工事してる?
――なんて、そんなのありえないよね。
だってここ、地下二階だし。

「双葉さん、みんな行っちゃうよ」
健太郎くんがあたしをふり向く。
そうだ。彼、ペアのあたしから離れられないんだった。
「ごめん、いま行くっ」
ザバッと引きあげた足に、なにかが軽く当たって、流れていった。
あたしは口をつぐむ。
いそいでかがんで、ソレをつかんだ。
「どうしたの?」
とうとう健太郎くんがこっちに下りてきた。
手のひらにすくいあげたのは、耳かけフックの補聴器。
それも、お団子もようの……。
「これ、お団子屋のおばあちゃんのだよね? どうしてこんなとこに」
彼女は浸水が始まってすぐに、避難所に行ったはずだ。
あたしたち、アーケードの下から見送ったもの。
「避難中に落としちゃったのかな。あとで避難所に届けてあげようか」
「……健太郎くん、ちがう。おばあちゃん、別れたときは補聴器つけてた。ご近所さんと、ちゃんと会話してたよ」
あたしはギュッと補聴器をにぎりこむ。
「あの後、お店にもどっちゃったのかもしれない。避難所に行きたくなさそうだったもの」
「ええ? わざわざ駐車場を通って? ありえないよ」
どくん、どくん、心臓の音が耳のウラで鳴りはじめる。
おばあちゃんが「避難所に行きたくない」って言ってたときの、必死な顔を思い出す。
それに何度もお店をふり返ってた。
後ろ髪を引かれるような理由があった?
たとえば、なにか、大事なものを置いてきちゃったとか。
もしそうだとしたら、あたしならどうするだろう。
たぶん、メイン通りからもどったら、ご近所さんたちに「ダメ!」って止められちゃうから、人気のない駐車場をとおってお店にもどる……かもしれない。
それでとちゅうで転んだかして、補聴器を落としたのかも。
「双葉さん、行こう。北村さんに報告して、避難所にいるか確認してもらえばいいよ」
「だけど、イヤな予感がするんだよ。おばあちゃんがお店にいたら、避難所の何百人のリストを確認してもらってるうちに、もっと水位が上がって、プロだって救助に入れなくなる」
それにきっと、北村さんは、あたしのカンなんて信じてくれない。
涼馬くんや楽さんすら「小学生なんて使えない」って拒否した人なのに、仮免もないあたしの言うことなんて、よけいだよ。
「今、あたしたちでお団子屋さんまで見に行こう?」
「な、なに言ってんのっ。やっと退避できんのに、予感とか知らないし! オレたちもヤバイんだってば!」
健太郎くんが声を荒らげる。
あたしは心臓をどくどく鳴らしながら、補聴器をにぎったこぶしと、ズブぬれのクラスTシャツと、しぶきを上げて段差を落ちていく水の流れに、次々と視線をうつす。
もう北村さんたちの姿は、階段のさきに見えなくなった。
最後に目をもどした健太郎くんは、顔が青ざめてこわばってる。
涼馬くんも、無人島で言ってた。
だれかを救うために、おまえが犠牲になるのはダメだ。
サバイバーとして、そこを割りきれなきゃ、この先いくつ命があってもたりないって。
でも、でもあたしは――っ。
あたしはやっぱり、みんなで生きて還りたい!
「――ごめん」
補聴器をポケットにつっこんだ。
「先に、みんなのとこへ行ってて。あと、その無線機、貸してくれる? もしもおばあちゃんがいたら、すぐに応援を呼ぶから」
「ハァッ⁉」
「大丈夫。ルートをちょっと変えて、お団子屋さんのようすを見てくるだけ」
頭の中でお店までのルートを思いうかべる。
ここは地下二階の中央階段。
お団子屋さんの作業場は、一階あがって北エリアに入れば、すぐそばだ。
おばあちゃんが通っただろう道をたどって、お店へ!
動かない健太郎くんから無線をもぎとろうとしたら、
「……くそっ。行く! オレも行くよ! オレだってS組の、サバイバーの卵なんだから!」
彼は思いつめた瞳で、あたしの手をふりほどいた。
「サバイバー!!② 緊急避難! うらぎりの地下商店街」
第4回につづく