10 雨の日々と不穏な足あと
五日目、夕方。
窓のブルーシートが、風にあおられてパタパタ音をたててる。
スキマから外をのぞいてみたら、海の上に低くたれこめた、どんより重たい雲。
「……ねぇ。まさかボクたち、ホントに遭難しちゃってるのかな」
シンコクにつぶやいたのは、あたしの癒やしの親友、空知うてなだ。
彼女、きのうから急にテンションがだだ下がりになっちゃったんだ。
この訓練、三日で終わるんじゃないの!? って。
あたしはクシ焼きの魚を、ごくんっと飲みこんだ。
「遭難だったら、学校が支給品の段ボール箱なんて置いてかないよ」
「でもハイキングで使うのだったかもよ? そうだ、訓練なら、監視カメラがあるはずだよね!?」
うてなは食べかけのジャガイモをほっぽりだす。
そして教室のあっちこっちを探しはじめた。
「ムダだ。ツメより小さな、しかもプロが見つからないように隠したカメラだぞ」
涼馬くんは食器をバケツの水で洗い、たき火のそばに置く。
だけどうてなは、あっちをウロウロ、こっちをウロウロ。
とうとう外に出ていこうとして、
「「うてな!」」
あたしだけじゃなく、涼馬くんにまで、するどく止められた。
ゆっくりとこっちをふり返った彼女は──、
ほっぺたを真っ赤にそめた、泣きベソ顔。
「うてな。パニックで外へ出たら、思わぬケガをする。落ちつけ。『常に心をしずめろ』だろ」
「でもぉ……」
「おれは調査に行ってくる」
涼馬くんはチラッとあたしに目線をよこしたあとで、自分が教室を出ていっちゃった。
これって、わざと二人だけにしてくれたんだよね?
静まりかえった教室のなか。
「……ボクは、落ちついてるよ。ディフェンダーの優秀生だもん」
あたしは、ぼそっと低くつぶやいた親友に、目をもどした。
***
ガラガラガラガラガラッ!
「いやっほぉぉぉ~~!」
学校まえの小道にひびく、うてなの高い声と車輪の音!
駆けぬけるのは、「場にあるモノを工夫して使え」の心得で修理した、予算0円トロッコだ!
壊れてた荷台の部分は、村でひろったリヤカーを再利用。
車輪のサビは、半ぶんにカットしたジャガイモで、海水からとった塩をこすって磨きあげた。
「マメちゃんも乗るっ? チョー気持ちいい!」
「乗る乗るっ」
台車を押すあたしを、うてながキラキラ笑顔でふり返る。
よかった、元気になったみたい!
「お~、マメちゃんたち。意外とサバイバル楽しんでるねぇ」
校舎の二階窓から、楽さんと、それから千早希さんが顔を出した。
「はーい! 楽さんも乗りますかーっ?」
「ええ、ぼく? それ、いきなりぶっ壊れない? 千早希、乗ってきなよ」
「楽、わたしを実験台にするつもり? 訓練中なのに、ケガして成績落としたくないんだけど~」
手をふりあって、おしゃべりしてたところに、
「──ちょうどよかった。楽さん、話があります」
いつの間にかもどってきてた涼馬くんが、重たい表情で、二階の楽さんを見上げた。
全体ミーティングなんて、ホントは実地訓練中にやっちゃいけないらしい。
それでも涼馬くんの呼びかけで、最初のミーティングをした浜べに、三チームが集まった。
カゼで寝こんでたらしいナオトさんまで、九人全員。
暗い雨雲の下だからかな。
やっぱり初日よりも、みんなゲッソリして見える。
平常運転デスって顔色なのは、リーダーの三人くらいだ。
「疲れも出てくるころだよねぇ。雨になると気温もグッと下がるだろうから、体調気をつけてね」
こうして楽さんがみんなの前に立ってくれると、やっぱりホッとしちゃうな。
「で、涼馬。ルール破りの全体ミーティングを呼びかけたのは、よっぽどのなにかがあったんだよね?」
……あれ? 楽さん、ちょっと怒ってる?
声がびみょうにヘータンだったと思うけど、だれも気にしてないみたい。
あたしのカンちがいかな。
「はい。異様に大きな、ケモノの足あとを発見しました」
涼馬くんがいつもより声を低くして、楽さんを見つめる。

「場所は、山のトロッコレールに続く先です。それにまわりの大木も、おれのウデより太い枝が、あちこち折られてました。そのケモノのしわざかと」
あたしたちは息をのみ、楽さんは首をかたむける。
「クマ……かな。どう思う、七海」
七海さんが、自分からメガホンを口にあてた。
「ここが本州の離れ島であるとするなら、クマならツキノワグマの可能性が高いですね。クマが海を泳いで島へ上陸したという記録が、過去にあります。ありえないコトではないかと」
ツキノワグマって、ニュースでたまに見る、めちゃくちゃ強くてコワいクマだよね!?
立ちあがったら、人間なみにデッカイやつ!
「ツキノワグマなら、人間なんて一撃ですよね」
健太郎くんが声をふるわせ、みんなもザワザワ。
あたしは山のほうをふりあおぎ、ハッと気づいた。
「そうだ。山にクマがいたら、畑に行きづらいですよねっ。食べものが大ピンチじゃない!?」
「……たしかに。キャンパーとしては、それがイチバン心配だよね」
ナオトさんも難しい顔だ。
「いえ。たぶんクマじゃない。足あとが特徴的でした」
涼馬くんは枝を砂にすべらせる。
「前足は四本指で、後ろは五本。細長い形。七海さん、この足あと、ネズミに似てませんか」
「……そうですね。ネズミの仲間のゲッ歯目と同じようです。クマは前後ともに五本ですし、涼馬さんの言うとおり、そもそも、カタチがまるでちがいます」
「ええ。おそらくネズミの仲間の足あとが、三十センチをこえる大きさで残ってました。クマの足でも、大きくたって二十センチていどですよね」
その場の全員が、え……っと眉をひそめる。
たぶんクマよりも大きな──ネズミ?
そんなのいるの?
「学園怪事件の、未知の危険生物……?」
ぽそっとつぶやいたわたしの声が、大きく響いちゃった。
「そんな生物は、存在しません!!」
ビリッと空気を裂いた声に、心臓が止まりそうになった。
立ちあがった七海さんが、荒い息をつく。
「古代の生きものならともかく、現代には、そんなデータは存在しません」
彼女はメガホンもなしに早口にしゃべって、ドサッとその場に座る。
そして首をうつむけ、目を見開き、ブツブツひとり言をはじめた。
異様な雰囲気に、あたしはギョッとしちゃう。
「あらら。七海コンピューターがバグっちゃった。情報の処理がうまくいかないと、たまにこうなるんだよね。そのうち再起動するから、ほっといてあげて」
楽さんはニガ笑いで、みんなのこわばった表情を見まわした。
「んー。その足あとを確かめに行きたいけど、もう雨になるから、山に入りたくないな。今ぼくから言えるのは、サバイバルの五か条を守って、それぞれ気をつけましょーくらいだ」
「ま、まだ実地訓練を続けるんですかっ? 危険生物がいるかもしれないのに!」
あたしは思わず身を乗りだす。
だけど楽さんは、アハハと笑って手をふった。
「危険生物の正体はわかんないけどさ、これも訓練なんだよ。だいたいね。今、こうやって情報を交換してる時点で、すでにルール違反なの。わかってるよね、涼馬も」
あたしは絶句する。
だって陣地の近くに、クマより危険なのがウロウロしてるかもで。
それこそホントに殺されちゃうかもしれないのに、まだ訓練のルールって……!
「──はい。わかってます」
涼馬くんがあたしのとなりで、コブシをにぎってうなずく。
「ならよかった。ぼくらはこのまま訓練を続けるよ。チームポイントが下がってもいいなら、涼馬班と七海班は好きにするといい。──以上、ミーティング終わりでーす。解散~~」
楽さんはにっこり、笑顔で立ちあがる。
楽班ののこりの二人は、一瞬、「マジで!?」って顔を見合わせた。
でもS組の生徒は、ライバルたちの前で弱音なんてはかないんだ。
すぐさま、リーダーを追っかけていっちゃった。
楽班の背中を見送りながら、あたしは理解した。
楽さんのフキゲン、ポイント減点を気にしてたのか。
全科目ダブルAを目ざしてる楽さんにしてみたら、そりゃ減点はカンベンだと思うけど……。
「七海さん。おれは、七海班とは手を組みたいと思ってます。どうでしょうか」
涼馬くんにシンケンな声を向けられて。
フリーズしてた七海さんは、ゆるゆると首を持ちあげた。
「……いいでしょう。本来の訓練ならありえないコトですが、今回だけは、はやく新しい情報がほしいです。一刻もはやく」
ちょっとコワい──ってより、鬼気せまる瞳で、彼女はギコチなくうなずく。
「えっ、七海さん? でも成績ポイントが」
唯ちゃんが口をはさもうとしたけど、
「リーダーの決定です」
七海さんのキッパリした一言に、言葉を止められちゃった。
彼女はあからさまに顔をしかめる。
健太郎くんはだまりこんじゃった。
「じゃあ、おれたち涼馬班と七海班は、その動物について新しいコトがわかりしだい、知らせあいましょう。いざという時には、いっしょに戦うつもりで」
のこったメンバーで、視線をかわす。
みんなナットクできたって雰囲気じゃない。
こんな空気のまま解散しちゃって、大丈夫かな。
自分たちの陣地に歩いてもどりながら、危険なケモノがいるって山をふりあおぐ。
上のほうは、黒い雲のなか。
今まで食べものの宝庫って思ってた山が、急におどろおどろしく思えてきた。
「リョーマ、いいの? ポイント下げたら、アタッカーの成績トップ、楽さんにとられちゃうかもよ。マメちゃんだって、ふつうクラスに移動まで、あと何ポイントかわかんないのに」
「でも、うてな。まずは生きて帰んなきゃ。サバイバルの五か条、『命を大切にせよ』だよ」
あたしがつぶやくと、リーダーはちゃんとこっちに首を向けてくれた。
「そう、あたりまえだ。サバイバーは、生きて帰ってこそだ」
彼の瞳は、ゆるぎない。
……涼馬くんは、生きるコトをちゃんと大事にしてる。
救ける相手だけじゃなくって、自分の命も。
──あたし、涼馬班でよかった。
いま初めて、心から思った。
そうだよ。あたしたちにも帰りを待ってくれてる人がいる。
帰ってこない人を待って、涙をこぼす人の気持ち、あたしは痛いほど知ってるから。
プロのサバイバーになるなら、成績ポイントも大事だ。
だけど、危険がせまってるかもしれないなら、協力して、命を守らないと。
みんなで生きて帰ろう。
ノドカ兄のホイッスルを強くにぎりこむ。
うてなは、どうしていいか分かんないっていうように、涼馬くんと山を見くらべた。