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ものがたり

『100億円求人』先行連載 第1回

3.求職者のかんたんな紹介

【求職希望 1人目】

 氏名:高橋 勇誠

 住所:愛知県名古屋市 所属:愛知県立●△●中学校2年生

 

 高橋勇誠は、勇気があり誠実で、努力をおしまない好青年だ。

 って、ぼくはよく言ってもらってた気がする。

 これから仕事をはじめる前に、ぼくの夏休みの1日目に起きたことを、きみに話したい。

 

「メェーンッ」

「勝負あり! 高橋!」

 ぼくは竹刀をおさめて、深く礼をした。

「ありがとうございました!」

 剣道の練習試合を終えて面をとれば、先輩や同期に、よくやったって背中をたたかれる。

 相手は、強豪校の主将。強い相手に勝てた。

 でも――ぼくの心は動かない。

 感情が、固まった心に入らないまま、すべり落ちていくみたいに。

「あー……高橋、あのOBになんか言われても、あんま気にすんなよ」

 そうぼそっと耳打ちした先輩たちと向かうのは。

 中学校の剣道場の渡り廊下にいる、OBのおじさんのもと。

 このOBは、夏休みの間だけ、顧問の先生に代わってぼくらを指導する。

 ぼくはこの人のことが苦手だし、相手もぼくのことを気に入ってないと思う。

「高橋くん。きみは器用だから今回はたまたま勝てたけどね、もっと努力しないとだめだよ」

 にたっとした笑いをふくんで、肩をたたかれた。

 その手の重みにも言葉にも、笑顔は崩さないで、ぼくはうなずいた。

「はい!」

「きみ、いつも返事はいいけどね。本当にわかってる? いまのままじゃ、きみのお父さんみたいになるから――」

「御指導ありがとうございます」

 会話を終わらせるために言葉を重ねて、笑みを深めた。

 このOBは、いつも主将だった父さんの話をする。

「きみのお父さんはすごかったよ。あいさつと努力ができる人だった。昔は尊敬してたんだよ」

 大丈夫、この話はもう何回も聞いてる。いつものことだから、大丈夫、聞き流せる。

 にたっと笑ったOBは、いまの変わっちゃった父さんの話もする。

「でも、人は、変わるからね。きみは、気を抜いたらだめだよ。お父さんみたいに、落ちこぼれるからね。人は、どう頑張ったって、過去には戻れないんだから」

 ああ、今日だけは、聞きたくなかった。

 ぼくは自分の性格をよく理解してる。

 このまま、この話を聞いてたら、だめだ。

「すみません、失礼します」

「まだ話は終わってないよ」

 OBに背を向けて、ぼくは竹刀と面を持った。

「高橋くん、きみは、自分のことから逃げちゃいけないよ

 あ、だめだ。

 もう、むりだった。

 ぼくは振り返りざま、右足を大きく踏み込んで――

 竹刀を振り下ろした。

 スパァーンッ

 OBの真横を通りすぎた竹刀は、床との衝撃で大きな音をたてた。

「失礼します」

 荷物と竹刀を持ったまま、ぼくは剣道場をあとにした。

 先輩や同期の声にも、ぼくは振り返らない。

 肩にかかったバッグが、非難するみたいに、何度もぼくの背中にぶつかる。

 少しのことだったら、心は動かないのに。

 いつもだったら、きっと我慢できたのに。

 夏休みの1日目。5年前、父さんが変わったときと同じ日だったから。

 ぼくは我慢できなくて、ふつうに振る舞えなかった。

 セミの声が響く帰り道。

 首輪の銀プレートに彫られた文字に、ため息をつく。

【NO ESCAPE】(逃げられない)

 ざらざらで動かない心を、じわじわと殺してくる日常から。

 ぼくはうまく逃げられない。

 

 その日、ぼくは【100億円求人】を見つけた。


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【求職希望 2人目】

 氏名:心念 あざみ

 住所:福岡県福岡市 所属:福岡県立△●◇中学校2年生

 

 心念あざみは、周りが見れて、協調性のある、器用な少年だ。

 そんなあざみは、愛されることが得意だった。

 そして、家族の話をすることが、苦手だった。

 

 明日からはじまる夏休みに、教室は浮ついている。

 カレーの香りのする教室で、給食の準備中、あざみはいつもどおりに振る舞っていた。

 ひと好きのする笑顔を絶やさず。

 男子からはノリが良く、女子からは話しやすいと親近感をもたれる、そんな人間を演じていた。

… 大丈夫。またいつもどおり、友だちの家に数日ずつ泊まらせてもらって。それから、知り合いのところで住み込みの手伝いをして。それから …

 そんなあざみの頭の中では、夏休みの計画が何度もくり返されていた。

 そうでもしないと、あざみの心と身体はどこかでまちがいを犯してしまいそうだったから。

… 絶対に、あいつらに会わないようにしないと。1年ぶりに会ったら何されるかわかんない …

 あざみを追いつめているのは、夏休みの間、全寮制の高校から帰ってくる兄たちだった。

「あーざみん! デザート多めにして」

「しししっ しょうがないなぁ」

 特別だかんね、と笑って、あざみは少しだけ多めにフルーツポンチをよそう。

 どうにか、その手がふるえているのがバレないように。

「なあなあ、夏休みどこ遊びに行く? とりあえず海とプールだろ? お前らいつ暇よ?」

「俺、夏期講習が終われば暇! あざみはいつ空いとる?」

 あざみは、いつもみたいにクラスメイトと机を合わせて、1学期最後の給食を食べはじめる。

… 金はまだあるし、大丈夫。定期的に場所を変えれば、あいつらに見つかることもない …

「そーいや、あざみは兄ちゃんが3人帰ってくるんだっけ? あざみの家ってまじ仲良さそうだよな」

「えー、ああ、ううん。ふつーだよ」

 話半分で聞いていたあざみは、ぎこちなく笑って返す。

「あははー、ふつーってなんだよ。兄ちゃんと映画観に行ったりしねーの?」

「しししっ 行かない行かない。それよりさ――」

 あざみが話を変えようとしても。

「でもさ、なんかおごってくれたり、遊んでくれたりするだろ?」

 クラスメイトは、しつこかった。

 兄という言葉に、忘れたい記憶が、あざみの脳をじわじわと支配していく。

… 冬休みは逃げきれたから大丈夫、今回もできる。絶対、殴られたり蹴られたりしない …

 いつも周りに気を配れて、どんなことも笑って流せるあざみは。

 いまだけは、いつもどおりでいられなかった。

「もういいよ、その話。おれ、夏休みは家に帰らないし」

 ぽろっと、言わなくてもいいことを口走ってしまって。あざみの鼓動が激しく打つ。

 口がひどくかわいて、あざみは牛乳パックをつかんだ。

「あはは、なにそれ、なんで? 兄ちゃんから逃げるん?」

 コンッとすねを蹴られた。痛くもない軽い衝撃だった。

 相手がテキトウに言ったって、冗談で蹴ったって、わかってる。頭では。

 でも――

 バシャッ 

 気づいたら、あざみは牛乳をクラスメイトの頭にかけていた。

 シーンと、音を忘れた教室で、あざみはむりやり笑った。

「ごめん、手がすべっちゃった」

 その首にかけられた首輪が、あざみの息をしづらくする。

 

 その日、あざみはあるツテから、ある求人情報を聞いた。


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【求職希望 3人目】

 氏名:椋露路楓

 住所:京都府京都市 所属:私立○□中学校2年生

 

 椋露路楓は、きれい好きで、力が強くて、不器用な少年だ。

 そんな楓は、本日10回目の手洗いをしている。

 

「また手ぇあらっとる」

 背後から、くすくすと笑われる楓。

 汚い。さかむけできとる。次は理科? 後ろのやつがうるさい。

 汚い。汚い。うるさい。

 楓は不器用だ。頭の中がいつも、まとまらない。

 だから、不快な気持ちや、憤りの感情を、うまく整理できないでいる。

「なあ椋露路、そんな手ぇ洗ってても、頭は良くならへんでー」

 楓は散らばる思考をどうにかしようとするだけで精一杯で。

 言い返すための言葉の選び方も、わからなかった。

 だから、楓は自分を笑う相手をずっと無視しつづけていた。

 けれど、周りはそれを、ゆるしてくれない。

 とくに最近は、男子からやっかみを受ける回数が増えている。

「男子やめーや、楓くん、なんもしてへんやん」

 女子たちがいつもたしなめることで解決する。

 でも、今日はちがった。

「なあ椋露路、これもむりなんか?」

 声の方向を振り返ったとき、目の前にあったのは、床掃除用の雑巾だった。

 汚い!

 思考がまとまらないから、言葉にする余裕もなく。

 怒り。拒絶。

 それだけが、身体の反応に出た。

 バンッ 軽く振り払ったつもりが、不器用な楓の力は、ふつうの中学生男子と比べて強く。

 相手は、盛大な音をたてて、掃除用具入れをへこますほど勢いよく倒れた。

「いったあ! 殴ることないやん!」

「ちが……わざとや、ない」

 楓自身もおどろきながら、首を横に振るけれど。

「椋露路、またか」

 かけつけた生活指導の先生の低い声に、肩を下げた。

「わたし、悪くないです」

 こぶしをにぎって、つぶやくように、ぼそっと言えば。

 深いため息が、頭上から聞こえた。

「明日から夏休みだからって、浮かれるんじゃない」

 倒れたクラスメイトと、楓にそう言って。

「もうその手を洗うのはやめて、生徒指導室に来なさい」

 先生は歩いていった。

 楓は、感情も、力も、うまくコントロールできない。

 その事実が、楓の胸をぐっと押しつぶす。

「おい、椋露路、逃げんなよ」

 殴った相手の言葉が、楓の背中につきささった。

 楓はくちびるをかみしめて。

 ウェットティッシュでふいた手に、黒い手袋をつけて。

 白いシャツの下にある首輪を、指先でなぞった。

 

 その日の帰り道。楓は、電信柱に貼られた求人情報を見つけた。

 


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【求職希望 4人目】

 氏名:阿音モネ

 住所:北海道札幌市 所属:●△私立中学校2年生

 

 阿音モネは、パソコンが得意で、内気で、いつもひとりぼっちの少年だ。

 そんなモネの毎日は、苦痛の連続だった。

 

 モネの1日は、地獄に行くような気分で学校に向かうところからはじまる。

 だれにあいさつをすることもなく教室に入り。

 背中を丸めて先生の話を聞いて。

「は、はい。え、えっと……」

 話すたびに、くすくす笑われる。だからよけいにうまく話せなくなる。

 休み時間は、電子辞書をいじったり、本を読んだり、トイレでこっそりスマートフォンをさわる。

 その間だけが、息をつけた。

 たまにひそひそと聞こえる悪口やくすくす笑いが、他人に向けたものなのか、自分に向けられたものなのか、わからないまま。

 勝手に傷つく。
「別に、1人なんてなれてるしさ、ぜんぜん気にならないし」

 その言葉は、もう何度言ったかわからない、モネのひとりごと。

「なあ聞いて! おれ、夏休み、家族で韓国に行くことになった!」

「へえいいじゃん、ちなみにうちは、ドバイ~」

 クラスメイトの聞きたくもない話が、モネの耳に入ってくる。

 モネにとって唯一の救いは、今日から夏休みがはじまって。

 明日から学校に行かなくていい、ということ。

 

 午前の終業式を終えて、だれにあいさつをすることもなく教室を出て。

 今日も、授業の回答でしか声をだしてないな、と思いながら帰り道を歩く。

「あ、新しい考察がのってる……ふへへ」

 信号待ちの間に、世界の陰謀がのったサイトを見て。

 独立国と巨大組織の間でくり広げられるスパイの暗躍や、世界一のAI開発者の失踪、月の希少資源である1グラム10億円のムーンジウムを巡る宇宙開発の競走など、どこか遠い世界で起こっていることが、もしかしたら、自分の生活に影響を与えているかもしれない、そんな刺激的な内容に。

 少しの間だけ、いやなことを忘れる。

「ど、どうせ家に帰っても、お父さんも、お母さんもいないよね……」

 朝、テーブルに置いてあった1000円札を思い出して。

 モネは、街のハンバーガーショップに向かった。

 観光客であふれる人通りの多い街を、モネは1人で歩く。

 そんなとき、街の向こう側に、クラスメイトを見つけた。

 気づかれたくない、と背中を丸める。

 でも、隠れはしない。

 モネは、頭の片すみでわかってる。

 どこかで、声をかけられることを期待している自分がいると。

 ドクドクドクと、身体がゆれてるんじゃないかと思うほど、心臓が鳴る。

 クラスメイトは、大きな口をあけてバカ笑いしながら。

 横を通り過ぎて行った。

 気づかれもしなかった。

 勝手に、期待して。

 勝手に、はずかしくなった。

 モネは、シャツの下の首枷をぎゅっとつかむ。

 どこでもいいから、ここから逃げたかった。

 

 その日、モネはダークウェブで、求人情報を見つけた。


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