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2 出された紅茶は飲まないで
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春馬と未奈は、七菜の案内で『奈落』のⅡ区に入った。
外から見ると廃墟の工場のようだったが、中はまるで近代的なビルのようだ。
暖房も入っているようで、建物内は暖かい。
「噓でしょう。これが、あの汚い建物の内側なの?」
未奈が、廊下を歩きながら言った。
「建物の全部がこうなっているわけじゃないけど、生活する場所の設備は最新式よ」
七菜が説明した。
「Ⅰ区とは、ずいぶんとちがうのね」
未奈が言うと、七菜は当然という顔をする。
「当然じゃない。ここは選ばれし者だけがこられる、『奈落』のⅡ区なのよ」
「……この建物は、もとはなんだったんだ?」
春馬が質問した。
「軍の秘密工場だったみたいね。そのあと昭和のバブリーなころに、今はⅠ区になっている城が、ヨーロッパから移築されたの。Ⅱ区のこの建物は博物館に造りなおして、城とあわせてリゾート施設にする計画だったみたいよ。でも、バブルがバーンってはじけて、計画が立ち消えて、廃墟になっちゃったというわけ」
七菜が言い終わると、廊下の先のドアが開いた。
「春馬と未奈、お待ちしていました。『奈落』のⅡ区に、ようこそ」
部屋から出てきたユウヤが、そう言って深々と一礼した。
「……はぁ?」
ユウヤの丁寧なあいさつに、春馬がとまどう。
「ぼくはⅡ区のリーダーの甲斐ユウヤです。まずはこちらのレクリエーション・ルームに……」
ユウヤが部屋に招き入れようとするが、春馬と未奈は警戒して立ちどまる。
「ここって、渋神四星がおそれた『奈落』よね?」
未奈に聞かれて、「そのはずだけど……」と春馬が首をひねって答えた。
「……部屋に入る?」
また未奈が聞いた。
「そうしないと、どうにもならないけど……」
「じゃあ、度胸でいくしかないわね」
そう言って、未奈は部屋に入っていく。
「……まぁ、そうだな」
春馬もつづいて、部屋に入った。
ここは、ユウヤたちが、春馬と未奈を監視していた暖炉のある広い部屋だ。
壁の大きなモニターには、Ⅱ区の前の林が映っている。
「これで、ずっとあたしたちを見ていたの?」
未奈がむっとして聞くと、ユウヤが申し訳なさそうに言う。
「それもなんですけど……」
ユウヤが、テーブルにあったリモコンを操作する。
モニターが、録画映像に切り替わる。
春馬と未奈がⅠ区にきたときから、ぺ・天使とのゲーム対決、Ⅰ区を出たあとの『絶体絶命ゲーム』の様子などが次々に映る。
「ぼくたちは、ここからずっと見物されていたのか……」
春馬がつぶやいた。
「2人だけではなく、Ⅰ区の人たちには悪いと思っています。ただ、ぼくたちⅡ区の人間には、Ⅰ区を監視するという役目があるんです」
「監視をする役目って、どういうことよ?」
未奈が聞くと、ユウヤはおだやかな表情で応接セットに案内する。
「まずは、くつろいでください」
春馬と未奈は、高級そうなソファーにならんで座る。
「ぼく、上山秀介に会いにきたんだけど、彼はいますよね?」
春馬が聞くと、ユウヤはうなずく。
「その件なら、知っています。今、秀介を呼んできてもらっています。すぐに会えますよ。……2人は『絶体絶命ゲーム』をやって疲れているでしょう。おいしい紅茶でもどうですか?」
ユウヤは大きめのティーポットで、春馬と未奈の前にあるティーカップに紅茶を注ぐ。
春馬と未奈は、警戒して紅茶に手をのばさない。
「七菜も、2人を案内してきて、のどがかわいたんだけど……」
そう言って、七菜は春馬の前のソファーに座った。
「しょうがないな」
ユウヤは、七菜の前のティーカップにも紅茶を注いだ。
「ねぇねぇ、これって、どこの茶葉なの?」
七菜が聞いた。
「ダージリンですよ」
「うわぁ、七菜の好きなダージリンね。うんうん、いい香りだわ」
そう言って、七菜は紅茶を飲んだ。
春馬と未奈は、それをじっと見ている。
「あれー、春馬と未奈は紅茶がきらいなの? まだジュースしか飲めないのかな?」
七菜が、小ばかにした口ぶりで聞いた。
「紅茶くらい飲むわ。でも、この紅茶はあやしいの。どうせ、睡眠薬が入っているんでしょう」
未奈が言うと、ユウヤが聞く。
「それなら、同じティーポットの紅茶を飲んだ七菜は、どうして眠らないのかな?」
「それは……薬は紅茶に入ってるんじゃなくて、ティーカップに塗られていたのよ」
未奈が言うと、ユウヤが残念そうな顔をする。
「今までさんざんだまされてきて疑り深くなっているんですね」
「それなら、こうすればいいんじゃない」
七菜はそう言うと、自分の飲んでいたティーカップを未奈の前においた。
ユウヤはそのティーカップに、紅茶を注ごうとして一呼吸おく。
春馬は、その様子をじっと見る。
ユウヤはティーポットの取っ手の上側をにぎりなおして、カップに紅茶を注いだ。
「……未奈、見たかい?」
「もちろん、見のがさないわ」
未奈が、すぐに言った。
「えっ、どういうことです? ぼくは紅茶を注いだだけですけど……」
ユウヤが、しれっと言った。
「紅茶を注ぐとき、ポットの取っ手の持つ位置をかえましたよね?」
春馬が、問いつめるように聞いた。
「だから、なんだというんです?」
ユウヤが、のんびりした声で聞きかえした。
「あたし、知っているわ。それ、アサシンティーポットでしょう」
未奈が、得意げに言った。
「ユウヤは、演技が下手ね。ばれちゃったじゃない」
七菜が言うが、ユウヤはとぼける。
「どういうことです? アサシンティーポットって、なんですか?」
「アサシンティーポットは、中が2層構造になっていて、2つの飲み物が入れられるポットだ」
春馬が言うと、ユウヤはポットの注ぎ口を見せる。
「このポットの注ぎ口は、1つです。中が2層構造になっていても、2つの飲み物を注ぎわけることはできませんよ」
「それが、できるんだ」
「どうやるんですか?」
ユウヤが、のらりくらり聞いた。
「ポットに入っている液体は、外から空気が入ってこないとスムーズに注げない。だから、ポットや急須の蓋には、小さな空気穴があいている。アサシンティーポットは2つの層のそれぞれに空気穴があいていて、片方の穴をふさぐと、その層の液体は注がれない仕組みだ」
春馬の説明を、ユウヤは静かに聞いている。
「ユウヤは、ぼくたちの紅茶を注ぐときと、七菜の紅茶を注ぐときで、取っ手にそえた親指の位置をかえていた。おそらく、そこに空気穴があって、注ぐときに、ただの紅茶を注ぐか、睡眠薬の入った紅茶を注ぐか、操作をしていたんだ」
春馬が言うと、ユウヤは大きく1回手をたたいた。
「────うん、お見事! ぼくが見こんだ通り、春馬と未奈は優秀です」
ユウヤはそう言うと、春馬の前におかれた紅茶を飲んだ。
「これ、最高級の茶葉なんです。本当は、もっと優雅に飲みたかったなぁ」
「……大丈夫なのか?」
春馬が、首をかしげて聞いた。
「もちろん、平気ですよ」
ユウヤは、紅茶を飲みほした。
「これは、未奈が言うようにアサシンティーポットです。でも、心配無用です。睡眠薬は入っていません」
ユウヤはそう言うと、空になったティーカップに紅茶を注ぐ。
「えっ、どうして?」
未奈が、目を丸くして言った。
ティーカップに注がれたのは、真っ白な液体だ。
「ミルクティーでも、どうですか?」
ユウヤが、すまし顔で言った。
「空気穴は、取っ手の上側じゃなかったのか……?」
春馬がつぶやくと、ユウヤがうなずく。
「空気穴の1つは、取っ手の下側です。でも、どちらにも睡眠薬は入っていません」
「ユウヤは、本当に春馬と未奈を歓迎しているのよ。七菜は、春馬だけ大歓迎だけどね」
七菜はそう言って、春馬にウィンクする。
「歓迎されていると聞いても、簡単には信じられないよ」
春馬は、七菜を無視して言った。
「うん、疑うのは当然です。『奈落』のⅠ区では、大変な目にあったようですからね」
ユウヤが言うと、未奈が首を横にふる。
「それだけじゃないわ。『絶体絶命ゲーム』にかかわったら、大変なことばかりよ」
「ここはⅠ区とは、ずいぶんとちがうようだけど……?」
春馬が、室内を見まわして言った。
「『奈落』は、Ⅰ区とⅡ区とⅢ区で役割が、まったくちがうんです」
ユウヤが言うと、未奈が質問する。
「Ⅲ区もあるの?」
「そうなんです。もっと知りたくなりましたか?」
ユウヤに聞かれて、未奈は春馬を見た。
「あたしは知りたいけど、春馬はどう?」
未奈が聞いた。
「ぼくも知りたい」
春馬が答えると、ユウヤは小さくうなずいてから話をする。
「Ⅰ区で聞いたと思いますが、『奈落』にいる者は、『絶体絶命ゲーム』に参加しなかったり、参加できなかったりした者です。Ⅱ区にいるのは、その中で特別に選ばれた者なんです」
「特別に選ばれたって、だれがどういう基準で選んだの?」
未奈の質問に、ユウヤは少し考えてから答える。
「選んだのは……おもに、ぼくたちです。基準は、『有望かどうか』ということでしょうか」
「有望な人を見つけるために、Ⅰ区を監視していたの?」
未奈が、怒った表情で聞いた。
「そんなところです。きみたちも感じたと思いますが、Ⅰ区にいた者はほとんどが、あの悲惨な状況から抜け出そうとしませんでした」
ユウヤが、落胆したように言った。
「わざと悲惨な状況にして、Ⅰ区の人たちがどういう行動をするか観察していたのか?」
春馬が、けわしい口調で聞いた。
「ちょっと厳しくしすぎたと反省はしています。でも、そのおかげで春馬と未奈が行動を起こしてくれたでしょう」
「Ⅲ区もあると言ってたけど、Ⅲ区はどういうところなんだ?」
春馬が聞いた。
「ここよりもさらに選ばれた者の集まりです。そして、Ⅲ区はもっとも重要なんです」
ユウヤがそう言ったとき、ドアがノックされる。
「ようやく、秀介がやってきたかな」
「春馬は待っていて。七菜が再会させてあげるわ」
七菜が立ちあがって、ドアの前に歩いていく。
「それでは、ご対面です。どうぞぉ!」
七菜が、ドアを開けた。