7 ゾウのエサやりは要注意?
スタッフの笑顔に見おくられながら、団体用の入り口から動物園の中に入る。
門をくぐったとたん、目の前に明るい空間が広がった。
「わっ」
意外と広いな。それに、緑が多い。
入ってすぐの広場からも、きれいに整備された木々が、あちこちに見える。その間を、アスファルト敷きの道がいろんな方向へのびていて、まるで大きな公園みたいだ。
子づれの家族、大学生のグループにお年寄り。いろんな人が、笑顔で奥に進んでいく。
「日野原動物園か。久しぶりだな」
つぶやいた光一の横で、健太が目をキラキラと輝かせた。
「広くて気持ちがいいね。なにより、なつかしいなあ。前に尚也と菜々花と来たときのことを思いだすよ。光一も、家族と来たことあるの?」
「四歳のときに、母さんと……あと、帰国してた父さんと」
でも、せっかく動物園に来たのに、父さんは動物じゃなくておれの写真ばかり撮ってた。
しかも、四歳だったから、さすがに解説勝負も完敗だったし!
「へえ~、悠人さんとの動物園、楽しそうじゃん」
すみれが、光一を見ながらニヤニヤと笑う。
「あたしも、前に家族で来たときは楽しかったなあ。たしか、双子のパンダを見たよね! あと……あ、おみやげ屋さん! あそこでおそろいのペンを買ったよね、春奈。今日も買う!?」
「お姉ちゃん、おみやげ屋さんは最後にしないと。先にレポートのために見学。ね?」
春奈が、そつなくすみれをなだめると、クリスが、くすりと笑った。
「それがいいかも。休園前だからか、お客さんが多いし……わたしたちも、はぐれないように気をつけましょう」
「そうだな。じゃあ、見てまわる前に、動物園のマップを確認しよう」
光一は、入り口でもらったマップを、みんなの中心に広げる。
日野原動物園は、縦長の長方形をしている。
今、入ってきた正門が南側の正面。中心に大きな広場。そして反対側に、裏門がある。
マップ上の、動物の種類ごとに細かく区切られたエリアには、カラフルな動物のイラストが、いくつも描かれていた。
「ゾウに、ゴリラ、トラ、いろんな地域の鳥、小さな動物に、両生類、は虫類に……あらためて見ると、本当にいろんな動物がいるな」
「うん。よく知らない動物もいるね。人気なのはパンダみたいなめずらしい動物や、ゾウやキリンなんかの有名な動物みたいだけど……マップを見てるだけで目うつりしちゃう」
目を輝かせるクリスの隣から、和馬がのぞきこんだ。
「……事前学習で聞いた説明では、校外学習後に提出するレポートは、グループ全員、一人一種類の動物を選んで書くことになっていたな」
「ああ。そういえば、みんな、どの動物でレポートを書くか決めてるか?」
シーン──
六人の輪が、急に静かになる。お互い顔を見あわせるなか、健太が、照れくさそうに笑った。
「えへへ、じつはまだなんだ。実際に見てみないと、どの動物さんについてレポートを書くか決められないと思ってさ。やっぱりみんな、一番興味を持った動物さんについて書きたいでしょ?」
「それは、そうだな」
気に入った動物のほうが、レポートにも本気で取りくめそうだし……そうだ。
「なら、動物園を見学しながら、レポートを書く動物を決めていかないか? そうすれば、話しあいもその場でできるし、あとで動物がかぶって困ることもないだろ?」
「いいね! みんなが、どの動物を選ぶのかも楽しみになるよ」
すみれが、しびれを切らす。
「も~、レポートの話は終わり! 早く見学しよう。コンテストの写真も撮らなきゃいけないし」
「そっか。たしかに、急がなくちゃ! そういえば、すみれ。フォトコンテストって具体的にどんなことをするの?」
「ふふん。特別に、説明してあげる!」
すみれが、自慢げにピンと指を立てた。
「フォトコンテストは、決められたテーマを自分なりに表現した写真を撮って応募するの。ただカッコいい写真とかステキな写真っていうだけじゃダメなんだから」
へえ。すみれにしては、しっかりした説明だな。本気で優勝をねらってるのか。
「それで、すみれはどんな写真を撮るつもりなんだ?」
「今回のコンテストのテーマは、〈動物園の大事な思い出〉。だから、動物園らしいとっておきの思い出がつまった写真を撮るつもりなの。みんなも、いいアイディアがあったらどんどん言って」
「わかったわ。わたしなりに探してみるね」「ぼくも、撮影のお手伝い、がんばるよ~」
「ありがと。それじゃあ、さっそく出発~! まずはゾウから行こうよ。すぐそこだし!」
すみれが、右手にあるゾウ舎へ一目散に走りだす。
やっぱり、こうなるか!
光一たちは、あわてて後を追う。総合案内所の前を通りすぎると、広場くらい大きなスペースがとられたグラウンドの前に、すぐ着いた。
柵につめかけた人たちの手前に、〈ゾウの森〉と書かれた看板が立っている。
「ここに、ゾウがいるのか。さすがに大きい施設だな」
「あっ、あっちの柵の前はまだ空いてるよ。よく見えるかも!」
「健太、ナイス! できるかぎり接近して、大迫力の写真を撮らなくちゃ!」
健太とすみれが、柵の前にわずかに残ったスペースにつっこんでいく。
……二人とも、はしゃぎすぎじゃないか?
「ふつうのゾウだろ? 未知の生物じゃあるまいし──」
ドスン ドスンッ!
柵の向こうから、地響きみたいな鈍い音が近づいてくる。
拳より大きな爪。電柱のような太い足。
トラックのように大きな体の──。
「って、デカい!」
思わず柵に近づいて、まじまじと見つめる。
──アフリカゾウだ。大きな耳をひらひらとさせながら、ゆったりと鼻を揺らしている。
図鑑やテレビでよく見るから、実物を見ても驚かないって思ってたけど……。
「「光一、しーーーーっ!」」
すみれと健太が、光一の口に人差し指を当てた。
「さっき福永先生に言われたでしょ。大きな声は禁止っ」「ゾウさんがびっくりしちゃうよ」
「……ご、ごめん」
うっ。まさか、この二人に注意されるなんて!
「それにしても大きいな。こうやって近くで見ると、迫力があるっていうか」
「すごいよねえ。お鼻はすっごく長いし、耳も……あれ、もしかして、耳だけじゃなくて頭全体が大きい?」
「ああ。頭が大きいのは、長い鼻と大きな歯を支えるためと言われてるな。アフリカゾウはアジアゾウより大きくて大人は最大七トンにもなる地上最大の動物なんだ。あとは、立派なキバも大きな特徴だな。ほら、あそこにキバとツノが二本並んで展示されてるだろ?」
光一は、ゾウ舎の側面にあるガラスケースを指さした。
上の段には一メートルはあるキバ、下の段には四十センチ位の一回り小さいツノが入っている。
「上はゾウのキバ、下はシロサイのツノだな。シロサイのツノは五キロ位の物が多いけど、アフリカゾウのツノは百キロをこえる物もある。どちらも今は取引が規制されている貴重なものなんだ」
春奈が、二頭のパンダのミニチュアがついたボールペンで、メモをとる。
「さすが光一くん、くわしいね。アフリカゾウのキバは百キロをこえることも……」
「光一、今は、解説はパス! それより、撮影に集中しないと!」
「集中するのは、撮影じゃなくて観察だろ!?」
「だって見てよ。あっちもこっちも、カメラを構えた人がたくさん」
すみれが、ゾウの柵を囲む人たちを指さして、肩をすくめる。
たしかに、何人もの人が、すみれのものよりはるかに大きなカメラを構えて、ゾウの写真を撮っている。中には、カメラ機材用のキャスター付きの巨大なバッグを引く人までいた。
みんな、コンテストの写真を撮りに来てるのか。優勝への道は険しそうだな。
「うう~、あたしも負けてられない。全世界の人がびっくりするような写真を撮らないと!」
パシャッ パシャパシャッ
……そんなに撮ってたら、写真を撮った思い出しか残らないんじゃないか?
すみれにあきれながら、ゾウをもう一度、じっくり観察する。
少し黄色がかったキバが、鼻の横から、ぐんと手前に突きだしている。
大きな体に目がいきがちだけど、あのキバだけでもかなりの迫力だ。
和馬が、つぶやく。
「……頭の皮膚は分厚いが、耳はうすい。体の部位によって厚さが違うのか」
「へー、ほんとだ! 耳はペラペラ。あっ、頭の後ろに毛が生えてる! もっとツルツルした見た目だと思ってた」
「すごいねえ。よく見てみると、イメージと違うところがたくさんあるよ」
「大きいけど……意外と、つぶらなひとみがかわいいね」
クリスが、双眼鏡で熱心にゾウを見る。他のみんなも、ノートに記録をとりはじめた。
観察は、順調だな。それに、写真を撮ってるすみれも意外と真剣だ。
これなら、春奈が心配してたような事態にはならないんじゃ──。
そのとき、柵の手前に立っていた飼育員が、ハンドマイクごしに言った。
『それでは、特別にこの中から一人、ゾウのサブローへのエサやりに挑戦してもらいます。参加したい人は、手をあげてください!』
「ゾウのエサやり!?」
すみれが、キラリと目を光らせた。
「あたし、絶対やりたい! ゾウと同じくらいの速さで食べる自信あるし」
「これはエサやりで、早食い競争じゃないからな!?」
「お姉ちゃん、出るの!? で、でもっ」
春奈が、心配そうにゾウとすみれを交互に見る。
マズい。まだ動物園に来たばかりなのに、すみれがトラブルを起こして全員で怒られる!?
「あー、すみれは、フォトコンテストのために、ここでシャッターチャンスをねらってたほうがいいんじゃないか? 決定的瞬間を撮りのがすかもしれないだろ?」
「えっ? たしかに、エサをやりながらじゃ写真が撮れないかも。でも、立候補しないのはもったいないし……そうだ、クリス、挑戦してみたら!? ゾウへのエサやり」
「わっ、わたし!? でも、注目されそうだし……」
「そっか。動物が好きだからぴったりだと思ったんだけど……じゃあ、やっぱりあたしが」
「いや、クリスのほうが向いてるんじゃないか!?」
動物好きって意味でも、すみれが起こすトラブルを防止する意味でも!
そっと目くばせすると、心が通じたのか、クリスが真剣な顔でうなずく。
「わ……わかったわ、徳川くん。がんばってみる!」
クリスが、しなやかな動きで右手をスッとあげると、飼育員も、集まっていた人たちも、自然とクリスを振りむく。
きれいだな──って、眼鏡の効果をクリスの存在感が上まわりはじめてないか!?
『みなさん、たくさんの参加希望、ありがとうございます! それでは──そこのピンク色の眼鏡の女の子、こちらにどうぞ。バナナが入ったバケツを受けとってね』
「クリス、すごい!」
すみれがカメラをかまえ、健太は、サッと取りだしたポンポンを振る。
「あたし、絶対いい写真撮るから。ゴーゴー!」「ぼくも、ここから応援するよ。がんばって!」
「う、うん!」
クリスは、ゆっくりとゾウに近づいていく。柵ごしにゾウの正面まで来たところで、ゾウのワッペンをつけた飼育員からバケツを受けとると、中から皮がついたままのバナナを取りだした。
「ええっと……これは、皮ごとあげてもいいんですか?」
「はい、だいじょうぶですよ。それじゃあ、サブローの鼻先に出して、あげてみてください!」
クリスが言われたとおりにバナナをつまみ、そっとゾウに向かって差しだす。
「サブローさん、ど……どうぞ」
……ごくっ
見てるほうも、緊張するな。無事にあげられるのか?
クリス、がんばれ。
黄色いバナナに気づいたゾウが、長い鼻を伸ばす。
長い鼻の先から出た空気が、クリスの三つ編みをかすかにゆらして……。
くいっ
ゾウの鼻先が、くにゃりと曲がって、バナナを器用につまみあげた。
「えっ!」
驚くクリスの前で、ゾウは鼻をくるんと丸めると、つまんだバナナをひょいと口に放りこむ。
本当に一瞬だ。みんな、あまりの器用な動きに感動して、息をのんでいる。
和馬が、感心しながらぽつりと言った。
「……五井より食べるのが速いかもな」
いや、和馬、気になるのはそこか!?
手元からバナナが一瞬でなくなったクリスは、自分の手のひらをまじまじと見つめた。
「す、すごい。てっきり、鼻をバナナに巻きつけるのかと思ってたけど、鼻の先を曲げて、ものをつまんだりもできるんだ……」
『そうなんです! アフリカゾウの得意技ですね。じつは、ゾウの鼻には骨がないんですが、すべて筋肉でできているから、器用に曲がるんですよ。みなさんも、じっくりごらんください!』
クリスが二本目のバナナを差しだすと、ゾウは、また、あっという間に鼻でつかんでぺろりと食べた。
「わあっ……」
緊張でかたくなっていたクリスの表情が、ぱっとうれしそうにほころぶ。
……すごい。クリスが人前で、心から笑ってる。
「クリスさん、楽しそうだね」
「ああ」
春奈の言葉に、光一もうなずく。
クリス、よかったな。これは、すみれも撮りがいがあるんじゃ──。
「まぶしいっ。クリスの激レア笑顔じゃない!? 今のうちにたくさん撮らなくちゃ!」
パシャッ パシャッ パシャパシャパシャパシャパシャッ!
「あっ。待て、すみれ!」
演技モードじゃないクリスを、そんなにたくさん撮ると!
「す、すみれ、そんなに撮られたら、き、緊張して、あっ!」
つるっ
力が入りすぎたせいで、最後のバナナが、クリスの手から高く舞いあがる。
その瞬間、バナナをキャッチしようとしたゾウが、高く前足を上げて、後ろ足で立ちあがった。
パオォオーン!
健太が、のほほんと感想を言った。
「わあ、すごいね。ゾウさんの鳴き声って、近くで聞くとこんなかんじなんだ!」
ドスーン!
ゾウが着地した地面に、ビリビリと振動が響く。
ゾウのエサやりを見守っていた来園者から、大きな歓声が上がった。
「わあっ、すごい!」「こんな大迫力のエサやり、見たことないかも」
「サブロー、落ちついて!」
飼育員が、あわててゾウに声をかける。
ああ、言わんこっちゃない!
「クリス、だいじょうぶか!?」
光一が近づいたときには、クリスはまわりの視線に、すっかり縮こまっていた。
「あ、あああ……人が、たくさん……」
うわっ、クリスが石みたいに固まってる!?
「みんな、早くここからはなれるぞ」
ただのエサやりが、トンデモないエサやりになる前に!
「人が少ないのは奥のほうか……走るぞ」
「わわわ、クリスちゃん、だいじょうぶ? ぼく、応援しすぎた!?」
「お姉ちゃん、行こう。ほら、こっち!」
「ええ~っ、まだゾウをいろんな角度から撮りたいのに~!」
集まった人の不思議そうな声を聞きながら、光一たちは一目散に走りだしたのだった。