18 最後の挑戦
学校の裏庭に、ザッザッと土を掘りかえす音が響く。
教室棟の裏にある、大きな銀杏の木からだ。
この木は、三ツ谷小ができたときからずっとある。
その根元から目当てのものを見つけると、白井は手に持っていたスコップを放りなげた。
少し湿った土の中から出てきたのは、がっちりとした作りの特殊なアタッシュケース。
暗証番号を入れた瞬間、ふたがカチリと音を立てると、白井はにやりと不気味に笑った。
「よし、これで──」
「作戦は99%成功、ってところか?」
予想もしない声に、白井はさっとあたりに視線を走らせる。
数メートル先に、いつの間にか人影があった。
少し毛先のはねた黒髪。ボーダーのシンプルなTシャツに、細身のパンツ。
クールな顔に笑みを浮かべて、一人の少年が静かに立っていた。
「ああ、さっきの男の子か。まさか、黒田を挑発して弾切れを起こさせるなんてね。想像もしてなかったよ」
白井が、余裕たっぷりに光一を見かえす。
さっきまでのおどおどした様子は、仲間を油断させるための演技だったらしい。
光一は、白井の奥にすばやく目を向ける。橋本先生は、木の根元に座らされていた。
けがはなさそうで、少しほっとする。
「先生を助けるために、追いかけてきたのかい? よくここがわかったね。てっきり、学校中を探しまわるかと思っていた」
「なんで、この場所がすぐわかったんだと思う?」
「さあ、見当もつかないな。ぜひ聞きたいね」
「うちの優秀な調査員から、とっておきの情報を教えてもらえたからだ」
光一は突きだした右手で、白井を指さした。
「あんたがブルーダイヤを盗んだ、レッドバタフライのメンバーなんだ、って」
裏庭は、校庭からは校舎のかげになっていて、まったく見ることができない場所にある。
再び点灯させた校舎の明かりが、かすかに光一と白井を照らしていた。
「三年前、あんたは宝飾店からブルーダイヤを盗んだ。けれど、逃走中に交通事故を起こして、警察に追跡されるはめになってしまったんだ」
「それで?」
白井は、アタッシュケースを指でこつこつと叩いた。
「このままでは、ダイヤを警察に回収された上、足が付いてしまう。そこで、あんたは一計を案じた。偶然通りかかったこの三ツ谷小に、隠せばいいんじゃないかってな」
あたりは奇妙なくらい、しんとしていた。正門のけん騒が、うそみたいに遠くに聞こえる。
暗く静かな裏庭に、光一の声だけが響いた。
「そのころ、ちょうど三ツ谷小は改修工事が始まっていた。校舎の周りには、工事用の足場が組まれていたけれど、一か所だけその足場がないところがあった。そこなら、工事で掘りかえされることもない──そう踏んで、あんたはブルーダイヤを埋めたんだ。この裏庭に」
光一は、ドンとかかとで地面を踏みならす。
「大樹の根元なら絶対に改修しないからな」
光一がそう言った瞬間、白井はアタッシュケースから手を離して、ぱちぱちと小さく拍手した。
「すごいじゃないか。まるで、探偵みたいだね。小学生じゃないみたいだ」
……子どもだと思って、上から見やがって。
光一はしかめ面をしながら腕を組んだ。
「おれはれっきとした小学生だ。ただし、〈世界一の天才少年〉っていわれてる」
「ふうん。わたしも、きみみたいに賢い子を仲間にすればよかったよ」
白井は心底うんざりしたように、やれやれと肩をすくめた。
「脱獄しようと決めたとき、一人では負担が大きかったから仲間を集めたんだ。きみと同じようにね。黒田、青木、赤星にゴマをすって近づいて……でも思ったより使えなかった。それで、このざまだ」
「あんたは、学校に大金が埋まっていると噓をついて、あの三人に協力させた。最終的にはあいつらをおとりにして、自分だけ逃げるつもりだったんだろ?」
「そんなことまで気づいたんだね。きみの言うとおりだ。わたしは、お荷物のめんどうなんか見たくないからね」
「……もうすぐ、機動隊が突入してくる。あんたに逃げ場はない。橋本先生を解放して、ブルーダイヤを渡すんだ」
「しょうがないなあ」
白井は小さくため息をつくと、アタッシュケースに右手を入れた。
宝石を渡す気になったのか?
でも、そのわりに白井は余裕の表情だ。
光一は、注意深く白井を凝視したまま、じりっと半歩後ろへ下がる。白井は、アタッシュケースの中に手を入れると、目を細めてヘビのように笑った。
「本当に、きみは賢いよ。天才だ。でも──」
ケースから手が引きぬかれる。
つかんでいるのは……宝石でも、それを入れるための箱でもない。
「こんなものがあることまでは、想定してなかったんじゃないかな?」
「っ!?」
黒く、鈍く光る銃身。先ほど見た警察用のリボルバー式の拳銃とは違う。
オートマチック式の拳銃だ。
光一によく見えるように、白井は拳銃の安全ロックを解除する。ゆっくりと、スライドを引いた。
「こんなふうにのこのこ出てこないで、大人しく警察のところへ、逃げるべきだったんだよ」
「そうかもな」
「さて、どうする? 〈世界一の天才少年〉くん」
光一は、じっと白井の拳銃を見つめる。
微動だにせず──余裕の表情で笑った。
「……悪いけど、おれにはあんたと違って仲間がいる。世界一は、一人じゃないんだ」
「なに?」
「白井! おまえは、完全に包囲されている! 大人しく投降しなさい!」
警察官の大声が、裏庭に反響した。けれど、白井はぴくりともしない。
「今のは、さっき職員室で一緒に捕まっていた男の子だろう? 声まねの得意な」
「……さすがに世界的窃盗犯は、これくらいじゃだまされてくれないか」
「種を知っていれば、こんなものは簡単に見抜ける」
白井は、笑いながら銃口を上げた。
「さあ。お子様たち、もうお遊びは終わりだ」
「観念するのは、そっちだ」
「!?」
頭上から降りそそいだ声に、白井は目をむいて顔を上げる。
その瞬間、樹上から狙い撃ちしたように、石が降りそそいだ。
健太が声を出して作りだしたすきに、和馬は白井の頭上へと移動していたのだ。
和馬が放った石がビシリという音を立てて、銃を持った手とアタッシュケースを寸分の狂いもなく撃ちぬく。
光一は、白井が手から落とした拳銃を遠くへ蹴りとばし、地面に落ちたアタッシュケースに、すかさず手を突っこんだ。
ビロードで覆われた、深紅の小さい箱をつかみとる。
さすが十億相当のダイヤだけあって、サイズのわりに結構重い。
ふたを、かぱっと開ける。その瞬間、裏庭中に、きらきらと青い光が波のように広がった。
一瞬、光一も和馬も動きを止める。
まるで海の中に入りこんだみたいに、木や花壇に光が反射する。
かすかな明かりしかないのに、しっかりとそれは輝きを放っていた。
すごい……これが十億のブルーダイヤか。
って、見とれてる場合じゃなかった。
「返せ!」
光一は、白井が飛びかかってくる前に、箱をひょいと放りなげる。箱はきれいな放物線を描いて、花壇のかげに隠れていた健太の手に、すとんと収まった。
「このっ!」
「わわわっ」
健太が逃げまわりながら、箱を持った手を頭にかぶせる。白井が飛びかかって、無理矢理、手を開かせた。
けれど、もうそこに箱はない。
「おい! 箱を、どこに隠した。答えろっ!」
「あ、あそこ……」
健太が、ぐるぐると目を回しながら、指をさす。
その先には──非常階段の手前で、きょとんとした顔で箱を持ったすみれが立っていた。
「えっ、これ今どこからきたの!?」
「えへへ、びっくりした? 種もしかけもございません! いや、まあ手品だから種もしかけもあるんだけど」
白井は歯を食いしばりながら健太を突きとばすと、すみれに向かって突進した。
「ガキっ、ダイヤを寄こせ!」
長身の白井が、小柄なすみれに迫る。
勝利を確信した白井の手がまっすぐ、すみれに伸びた。
あーあ。
赤星がやられるところも見てないし、まさか白井も思わないだろうな。
こいつが一番の危険人物だなんて。
すみれはにやっと笑うと、左足を踏みこんで白井に正面から切りこんだ。
「だから、取っ組み合いであたしに勝とうなんて、27400年早いってば!」
だんだん増えてるぞ。
すみれは、白井の服をつかんでさっと半回転すると、払うように勢いよく左足を振りあげる。
狙いすましたかのように、すみれの左足が──白井の股間に命中した。
チーン!
「うぐうう!」
「あっ、ごめんごめん」
すみれはそう言いながらも、そのまま白井を思いっきり払いあげ──。
ドシーン!!
白井は、木の前に置いていたアタッシュケースの上に、無残に叩きつけられた。
「一本!」
「うわあ……みごとな内股……」
すぐそばで見ていた健太が、ぶるぶると震えあがる。
おれも、見てるだけで冷や汗が出たぞ。あれは痛い。男は特に……。
今度、内股すかしの特訓をしておこう。
「徳川くん」
呼び声に振りかえると、縄を解かれた橋本先生が立ちあがるところだった。少し疲れてはいるものの、けがもなさそうに見える。
よかった……!
気がつくと、光一は橋本先生に向かって駆けだしていた。
「橋本先生、だいじょう──」
「先生! 無事でよかったです!」
光一がたどりつく前に、すみれが橋本先生にぴょんと飛びついた。
すみれのやつ~!
「五井さん! 八木くんに風早くんも! みんな、わたしを助けに来てくれたの?」
「そうなんです。先生が危ないって聞いて。言いだしたのは光一ですけど」
「徳川くんが?」
光一が前に進みでると、橋本先生は視線を合わせるために腰を落とす。いつものほほ笑みを浮かべて、光一の顔を正面からのぞきこんだ。
なんだか、顔を合わせるのが照れくさい。
「ありがとう、徳川くん。みんなが来てくれなかったら、今ごろどうなってたか」
「いえ……」
「でも」
橋本先生はウインクをすると、茶目っ気のある声で言った。
「危ないことは、もうしちゃだめよ?」
……えっと、できる限りは。
そう心の中で答えた瞬間、ポケットで、ぶるぶるとスマホが震える。
もちろん、クリスからの電話だ。
受話器の向こうから、せわしない物音や声にかぶさって、クリスのささやき声が聞こえた。
『急いだほうがいいわ。異変を怪しんで、警察がすぐにも突入するみたい。わたしも、そろそろテントを出るから。公園で待ってる』
返事をする前に、クリスの電話がぷつりと切れる。
まったく、映画のスパイも真っ青だ。
でも、公園で合流するころには、また顔面蒼白のまま石化してるんだろうな。
「すみれ、ブルーダイヤの箱を持ってきてくれ」
「その前に、もう一回中身を見てもいい?」
「ダメだ、もう時間がない。機動隊が突入してくる」
「光一のケチ」
すみれが、光一に向かって、ぶんと箱を投げつける。光一はそれを器用にキャッチすると、倒れこんでいる白井の手元に置いた。
これでよし、と。
「橋本先生、その……おれたちのことは、見なかったことにしてもらえませんか? 警察に見つかると、怒られるだけじゃすまないので……」
「オレからも、お願いします」
和馬が、橋本先生に深々と頭を下げる。
風早警部は父親だから、風早こそ本当に見つかるわけにはいかないだろう。
「……わかったわ」
橋本先生はゆっくり、でも、力強くうなずく。
光一は橋本先生に頭を下げると、くるりと背を向けて裏門へ向かって走りだした。
教室棟の向こうから、複数の足音がかすかに聞こえた。機動隊が、突入を始めたに違いない。
しばらくは、倒れてる脱獄犯たちに首をひねることになると思うけど。
「これで、今度こそ一件落着?」
すぐ後ろを走っていたすみれが、弾むように言う。
「そうだな。脱獄犯も退治したし、先生も助けたし」
「おまけに、世界的窃盗犯も捕まえて、ブルーダイヤまで見つけてあげたしね。きらきらしてて、すごかったなあ」
「でも、あの十億の宝石を置いてきたのは、もったいなかったんじゃない?」
「しょうがないだろ。警察が元の持ち主に返したほうがいい。白井が窃盗団っていう、証拠にもなるしな」
「あ~あ。まいう~棒2740年分……」
「食べたかったねえ」
健太がぼそりと言うと、もったいなかったなあと、すみれもぶつぶつと口をとがらせた。
……それは、おれも少しそう思ってるよ。
一団の最後を走っていた和馬が、背後を確認しながら言った。
「日野は言わずもがなだが、徳川も演技派だな。銃がこわくなかったのか?」
「こわくないってことは、なかったけど」
走りながら、光一は考えこむように、あごに手を当てた。
黒田のときも、白井のときも、一歩間違えれば無事じゃすまなかった。
でも──。
「……みんなが、いたからな」
「そうか」
ん? 今、風早のやつ、笑ってた?
そんなわけないか。
「急ごう。脱出するまでが、作戦だからな」
光一は、高揚する気持ちのまま、黙って走る速度を上げた。