16 決死の暗闇大作戦
「光一、ねえ光一ってばあ。もう五分以上たったよお……」
だれかが名前を呼びながら、強く体を揺さぶってくる。
朝? いや、それにしては床が固い。
光一は、寝ぼけた頭でようやく目を開けた。
「……健太か?」
「ああっ、起きた! ぼく一人でどうしようかと思ったよ~」
半泣きながら、健太がほっとした顔をする。その奥に、ちらりと人影が見えた。
上品なボブカットの女の人が、心配そうに目を細めて光一を見つめていた。
すぐに、すべてを思いだす。
学校にみんなで侵入したこと、作戦の途中で眠ってしまったこと。
先生を助けるための──。
──橋本先生!
ガチャリ
「おっと、動くなよ」
立ちあがろうとした光一は、金属の音が聞こえて動きを止める。
顔だけで、ゆっくり音がした方を振りむいた。
男の手に収まったそれは、職員室の明かりを浴びて不気味に黒く光っている。
拳銃!
職員用のイスに腰掛けながら、男は光一を見おろしていた。
右頰に大きな古傷が入っている。
こいつが黒田か。
光一のスマホは電源を切られて、黒田の足元に置かれていた。
黒田は、だらしなく座っているように見えるが、すきがない。
赤星ほどではないけれど、体はがっしりとしている。距離を取りたくなるような威圧感があった。
橋本先生のすぐそばには、白井が控えている。こちらは華奢で、ひょろひょろと縦に長い。
五人だけの職員室は、いつもよりがらんとして広く見える。
すみれと和馬は──。
「運ばれてくる間もずっと寝てるなんて、のんきなガキだな」
黒田が、大声を上げて笑う。光一は、むっとして顔をそむけた。
しょうがないだろ。おれだって、寝たくて寝たわけじゃないんだ。
「なんでここに来たのかは知らねえが、大人しくしとくんだな。他のガキも、あとで捕まえてやる。おまえらは新しい人質だ」
「待ってください!」
白井に捕まったまま、橋本先生が腰を浮かせた。
「子どもの二人は、解放してください。わたしが、ちゃんと人質になりますから」
「うるせえ。今度は、本当に撃つぞ」
「先生、おれたちはだいじょうぶですから」
「でも、徳川くん……」
橋本先生が、心配そうに顔をゆがめる。
そんな不安そうな表情をさせるのが、悔しい。
本当は、颯爽と先生を助けるはずだったんだけどな。
光一は健太に顔を寄せると、黒田に聞こえないよう注意しながら小声でささやいた。
「赤星は、どうなった?」
「給食室に置いてきたよ。白井がふたを開けたけど、起きなかったから」
「そうか。それと、二人は、ちゃんと逃げたよな?」
「うん。たぶんだけど……」
健太が、自信なさそうにつぶやいた。
光一は、はあっとため息をつく。腕を組もうとして、後ろ手にしばられていることに気づくと、またため息が出た。
最初の計画では、赤星を倒したあと、四人で職員室に奇襲をかける作戦だった。
職員室の電気を落として、黒田の視界を奪い、そのすきに拳銃を無効化。風早とすみれに協力してもらって、まず黒田を押さえる。続いて、白井も取り押さえて橋本先生を解放する──。
作戦会議のときに、黒田に奇襲をかけるとは説明していた。でもそれだけで、ちゃんと職員室まで追ってきているだろうか。
それ以前に、あんなところでミスって寝てしまうようじゃ、見捨てられても文句は言えない。
運動神経のいい二人だ。愛想をつかして、さっさと離脱してしまったかもしれない。
……安全のためには、それでいいんだけど。
「二人とも、怒ってるよな」
「え、なんで?」
「なんでって、おれ、あんなときに寝こんだし。ひどいことも言ったし」
本当は、あそこでおれがちゃんと、二人と話さなきゃいけなかったのに。
風早が何か言いたそうだって、気づいてたのに。
すみれが音を立てるかもしれないって、予想してたのに。
健太も巻きこんで。橋本先生も、さらに危険な目に遭わせて……。
──全部、おれのミスだ。
「おれのせいでみんなが危険になったんだから、当たり前だろ。リーダー失格だ」
「そうかなあ……」
健太は、ううんとうなりながら首をかしげた。
「じゃあさ、ぼくがトランシーバーをオンにしちゃったこと、光一はめちゃくちゃ怒ってる? それで、ぼくを見捨てちゃったりする?」
「そんなわけ──」
ない。
そう言おうとした光一に、健太が不安そうな視線を送る。
「ね? ね? そんなわけないよね? 見捨てたりしないよね!?」
光一は思わず、ぷっと吹きだした。
「……たしかに、おれは健太のミスは気にしてない。それくらい、予想の範囲内だ」
「よかったあ、って、そんなあ~」
ひどいよ光一~と言いながら、健太が、はあっとため息をつく。
健太と話してると、なんか元気がでるんだよな。
……信じてもいいのか。
二人が戻ってきて、まだおれの作戦を実行しようと思ってくれてるって。
おれと健太を、助けようとしてくれてるって。
ただの希望的観測かもしれないけど。
でも、もしもそうなら──きっかけは、おれが作らないと。
決意をこめて、黒田に目を向ける。
しっかりとにぎられた、黒い拳銃。
つばを飲みこむと、いやな音がした。
……危険な賭けだけど、おれはやる。
すみれと和馬を、信じる。
光一は床に座りこんだまま、鋭い視線で黒田を正面から見上げた。
「なあ、おれと取引しないか?」
「取引?」
黒田は、うさんくさそうに片目を細める。
つっといやな汗が背中を流れる。光一は、わざと口の端を上げた。
「人質が多いと、デメリットもある。今、そっちにはろくに動ける人間が二人しかいないから、三人を見張るのはめんどうなはずだ」
「それは、まあ……」
光一の言葉に、白井がぼそぼそとうなずく。けれど、黒田にひとにらみされて、ひぃっと言葉を飲みこんだ。
「ここに侵入したメンバーのリーダーはおれだ。他のやつらは、おれが誘っただけだから関係ない。だから、ここにいる二人を解放して、おれを人質にしてくれ」
「こっ、こここ光一!?」
「徳川くん!」
健太と橋本先生が声を上げる。けれど、光一は振りかえらない。
黒田がイスから立ちあがり、光一の前に出る。近くからだと、その体はますます大きく見えた。
「おまえはオレに捕まってる。なのに、対等な取引ができると思うのか?」
その手元にある拳銃を見そうになって、光一はなんとか気を散らす。
拳銃を持った大人と、捕まった子ども。どう見たって分が悪いのはこっちだ。
でも、ここで引くわけにはいかない。
引く気なんか、ない。
「黒田さん。あんた本当は、おれのことが恐いんだろ?」
光一は余裕そうな表情を作って、はっと息をはいた。その場にゆっくりと立ちあがる。
「はあ?」
「青木も赤星も、おれの作戦にはまってやられたんだ。この脱獄犯のリーダーは黒田さん、あんただよな。つまり、あんたがおれにやられたのも同じってことだ」
本当は、目上の人にこんな言葉、使っちゃいけないんだけど。
黒田の顔が、怒りでみるみる赤くなる。光一の横で、同じくらいの速度で健太が顔を青くした。
「こここ、光一。そんなこと言ったら……」
「黙って聞いてりゃ、いい気になりやがって!」
ガン、ガラガラ……
黒田が、さっきまで座っていたイスを蹴とばす。
イスは職員用の机に当たって、さらにガタガタンと大きな音を立てて倒れた。
「物に当たったり、大きな音をわざと立てたりする八つ当たりは、心理学で〈置き換え〉の一種に分類される。不安や恐怖、怒りを処理しきれないときに起こす──余裕のない証拠だ」
音が反響した後の静寂の中で、光一ははっきりと言いきった。
「おれと違って、あんたがいっしょに行動しているのは、ただの共犯者だ。心から信頼できる仲間なんか一人もいない」
黒田が角ばった大きな手で、拳銃を強くにぎりなおす。
まだ銃口はこっちを向いていない。
でも、もう時間の問題だ。
「この上、おれとの取引になんて乗ったら、どんな目に遭うかわからない。やっぱり、おれが恐いんだろ。大人のあんたより、子どものおれの方が賢いからな」
黒田の腕が、目の前で持ちあがる。
拳銃が、ぐっと近づいた。
「おまえは、よほどオレに撃たれたいらしいな」
──あと一押し!
「撃ちたいのはあんただろ。あんたは銃に頼らないと、目の前の子どもにすら負けるんだ!」
「徳川くん、危ない!」
バーン!!
「キャ────────!!」
橋本先生が、大きな叫び声を上げた。
銃声の残響で、耳が痛くなる。それでも光一は、じっと黒田を見上げつづけていた。
体はどこも痛くない。
足元を見おろすと、数十センチ先の床から、ぶすぶすと細い煙が上がっている。
引きつった笑い顔の黒田が、銃口から出た煙をふっと吹きけした。
「今のは、外してやったんだ。次にバカなことを言ったら、しっかり体に当ててやるからな」
黒田の脅しが、耳をすり抜けていく。気がつくと、光一は笑いだしていた。
「それは無理だな」
「なんだと?」
「無理だって言ったんだ。あんたは負けたんだよ。うそだと思うなら、もう一回撃ってみれば?」
「こっんの、大人をなめやがって!」
黒田が銃口をつきつける。光一に狙いをつけて──。
「本当に撃たれなきゃ、わからないらしいな!!」
「あんたは、大バカだ」
「てめぇ!」
引き金を引いた。
カチッ、カチカチ
黒田は何度も引き金を引く。
「だから、もう負けたって言っただろ。その銃は弾切れだ」
光一は空になったリボルバーを見ながら言った。
「そんなはずない。この拳銃には、弾が五発入るはずだ」
「それは、刑務官から奪ってきた銃なんだろ。警察官が使う拳銃は、威嚇のために一発だけ弾が抜いてある。だから、四発しか弾が入ってないんだ」
最初に、刑務所から脱獄したときが一発目。
ここに着いて、橋本先生を人質に取るための威嚇射撃が二発目。
今さっき、外でクリスが起こした騒動を鎮めるための三発目。
光一は手をしばられたまま、黒田を鋭い視線でにらんだ。
「今、おれの挑発に乗って撃ったのが最後の四発目だったんだ」
「ちくしょうッ!」
黒田が、弾切れの拳銃を床に投げつける。ゴドンッと鈍い音を立てて、拳銃は光一の足元に転がった。
はっと顔を上げると、黒田がつかみかかってきていた。
……多分、二人はいる。
いてくれる。
「すみれ、風早。今だ!」
光一は大声で叫ぶと、静かに目を閉じた。
光一の声が、職員室に響く。
すみれは、開けはなたれたドアからちょっとだけ顔を出して、その様子を見ていた。
後ろのドアに控えている和馬と、目で一瞬、合図する。
和馬と給食室から逃げた後、すみれたちはどうするか二人で話しあった。
てっきり、和馬は一人で逃げるのかと思った。そのために、あの場から離れたと思ったから。
でも、和馬は意外にも自分から、こう言いだした。
身軽な自分たち二人で職員室に向かい、徳川と健太を助けよう。
そして、もし徳川がまだあきらめてないなら──。
……和馬も、案外いいやつじゃん。
すみれは、手に持ったボールをにぎりなおすと、職員室の後ろに狙いをつけた。
学校の、全部の電気がコントロールできる配電盤。
ブレーカーが、何十個もずらずらっと並んでる。
当てるのは、その右端の一番上。校内全部の電気を落とすブレーカーだ。
助っ人で出る野球の試合より、どきどきする。
銃は光一が無力化してくれた。だから、あたしと和馬で絶対に黒田を倒すっ!
深く深く、呼吸をする。
集中して……。
この角度!
「えいっ!」
すみれは、ぶんと腕をいきおいよく振った。
ボールは、ひゅっと勢いよく職員室を斜めに抜けて、配電盤に一直線。
ブレーカーにボールが当たった瞬間、バチーンと音を立てて、電気が落ちる。
光一が目を開けると、さっきまで昼みたいに明るかった職員室は、一気に真っ暗になっていた。
けれど、目を閉じて準備していたから、何も見えないってほどじゃない。
光一に飛びかかろうとした黒田が、暗闇の中で立ちどまる。和馬は廊下から、黒田の顔にぱっと強烈な懐中電灯の光を当てた。
「なんだ!?」
廊下との間にある窓を飛びこして、和馬は職員室の床に鮮やかに着地する。
大縄の先にある輪が、目がくらんだ黒田の足にからみついたかと思うと、足元から肩まで見る間に縄が巻きついた。
縄が黒田の肩まで来た瞬間に、和馬が一瞬で結び目を作る。
これで、絶対に自分で解くことはできない。
ずどんと、黒田の大きな体が倒れる音が響きおわると、職員室には再び静けさが戻っていた。
「もしかして……助かったあ?」
さっきから一ミリも動いていなかった健太が、光一の背後から弱々しい声を上げた。
『世界一クラブ 最強の小学生、あつまる!』
第5回につづく
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