7 光一の弱点
信じられない。クリスはあまりの驚きで、今日一番の大声を上げた。
「……とっ、徳川くんが眠っちゃった!?」
「あー、初めて見るとびっくりするよね。その、光一の場合はしょうがないんだよ」
困惑顔のクリスに、健太が苦笑いをしながら、ぼりぼりと頭をかく。
「光一って、めちゃくちゃ頭がいいんだけど、三時間に一度眠らないといけない体質なんだ」
「体質?」
クリスは首をかしげながら、長イスでぐうぐうと眠っている光一を見おろした。
たしかに、大声を出したのに不自然なくらいに何の反応もない。
「そうそう。起きてから三時間たつと、ぱったり倒れるみたいに眠っちゃうんだよね。しかも、そうするとどんなに起こそうとしても、最低五分は目が覚めなくって」
「一日に何回も眠らないといけない……ってこと?」
クリスの言葉に、すみれはうんうんとうなずいた。
「でも、ええっと、突然すっごく眠くなるナルコレプシーっていう、今までにわかってる病気とは違うんだって。光一のおじいちゃん家は大きな総合病院なんだけど、そこで調べてもわからなかったから、光一の特異体質ってカンジみたい」
「だから、いつでも時間がわかるようにずっと腕時計をしてるんだ」
健太の声につられて、クリスは光一の腕時計に目を向けた。
青い防水性の腕時計が、カチカチと狂うことなく時を刻んでいる。
「生まれたときから、ずっとそうなんだって。だから、休み時間はほとんど寝てるんだ」
「徳川くんも、大変なのね……」
「うーん、どうなのかなあ」
「光一は、気にしてないっていうか、気にしてもしょうがないって言ってた」
すみれは、イスで足をぶらぶらさせながら肩をすくめた。
「『人生には、変えられることと変えられないことがある。三時間に一回寝ないといけないのは変えられないけど、それでも好きなことはできるし、いい人生には変えられる』って。あたしは、どういう意味かよくわかんないけど」
「…………」
「あ、でも三時間以上ある映画が一気に見られないとかボヤいてた!」
「長編の本が、いくら続きが気になっても途中で眠っちゃうとか」
「あと、寝顔を見られるのが嫌だ、とかね」
「そういうレベルの問題じゃないと思うけど……」
「ま、突然眠っちゃっても、あたしと健太がいるしね」
「危なくはならないように、光一も気をつけてるから」
「なにせ、光一は〈世界一の天才少年〉だし」
「世界一の、天才?」
クリスの言葉に、すみれは軽い調子でうなずいた。その後、何かを思いだして、ぷっと一人で吹きだす。
「でも、結構抜けてるとこもあるんだよね。幼稚園の時に、寝てるあいだにクレヨンで顔にラクガキしたんだけど、それでも目を覚まさなくって。起きてからもラクガキに気づかないで、クールな顔しててさ」
「……あれは、やっぱりすみれのしわざだったのか」
二人の会話をさえぎる声が、長イスから響く。
クリスが壁にかかった時計を見ると、光一の話題だけで、あっという間に五分が過ぎていた。
光一は、むっとした顔をしながら、のろのろと体を起こす。
……久しぶりにやってしまった。さすがに、初対面の人の前で爆睡するのはバツが悪い。
「おはよう、光一。なんだ、まだ起きないかと思ったのに」
「三人が騒がしいからだろ」
「……わたしは騒がしくしてないわ」
クリスが小さい声で不満を言うと同時に、店の奥からおじいさんがひょっこり顔を出した。
「お、もう目が覚めたのかい? 眼鏡の修理、ちょうど終わったよ」
おじいさんの言葉に、クリスはさっと受付台に向かう。差しだされた眼鏡を受けとると、宙に浮かせていろいろな角度から確認した。
静かに、両耳に眼鏡をかける。
寸分の狂いもなく、眼鏡はぴったりとクリスの顔に収まった。
本当だ。よくわからないけど、なんだか芸能人オーラ的なものが落ちついたような気がする。
ナゾすぎるだろ、その眼鏡。
「あの、修理代は──」
「新しい部品もほとんど使ってないし、ちょっと曲がりを直しただけだから、だいじょうぶだよ。でも、そうだなあ。できれば、これを解いてもらえると助かるんだけど……」
そう言って、おじいさんは修理台の横から新聞紙を取りだすと、カウンターに広げる。四人がお店に入ったときに持っていたものだ。
紙面の真ん中、何度も書きこみがされている部分を、おじいさんは指さした。
「クロスワードパズル……ですか?」
「そう。いくら考えてもわからないところがあるんだよ。あと、四つで解けるんだけどねえ」
クリスは新聞紙をのぞきこむと、むっと眉間にしわを寄せた。
「えっと、残ってるのはタテの4と12、ヨコの……えっ、徳川くん!?」
クリスが読みおわる前に、光一は借りた鉛筆で新聞紙に書きこみを入れる。パズルが見えるようにたたんで、おじいさんに渡した。
「えっ、もうわかったのかい?」
「これの答えは『ダイヤモンド』だよ」
おじいさんは、眼鏡をかけると、じっと新聞紙の問いと解答欄を見くらべた。
「ついでに、タテの2とヨコの13が間違ってる」
「おお、ほんとだ。あいかわらず速いなあ。さすがは光一くんだねえ」
「すごい……徳川くん、今どうやったの?」
「別に、ただ読んだだけだ。こういうのは得意なんだ。出題される問題にも、ある程度法則性があるし」
「ま、光一の知識の使いどころって、こういうところだよね」
すみれのちゃかす声を無視して、光一は出入り口のドアを開けた。
「どうしても答えが気になってなあ。ありがとう。また頼むよ」
「わからない問題があると、すぐ人に聞くんだから。まあ、おれも楽しいからいいけど」
おじいさんに礼を言って、光一は眼鏡屋から外に出る。
時間は昼になっていて、もうすっかり太陽が真上に昇りきっていた。
うしろから、すみれと健太がぞろぞろと出てくる。眼鏡屋のおじいさんにあいさつしていたクリスが、最後に店のドアを閉めた。
「みんな、ありがとう。徳川くんも、クロスワードを解いてくれて。えっと、それで……」
クリスは、眼鏡をかけた顔を上げる。一瞬だけ、正面から光一を見つめた。
「大したことはできないけど、わたしも少し手伝うわ。あんまり自信はないけど……」
「本当か!?」
「眼鏡の分は返したいもの。それに、その……」
クリスは深呼吸をしてから、しぼり出すように言った。
「……みんなの仲間になったら、少しおもしろそうだから」
「やったあ!」
「世界一の美少女ゲット!」
健太とすみれが、元気よくハイタッチする。クリスは、少し顔を赤くしながらうつむいた。
「その代わり、何をしたらいいのかは丁寧に説明してくれる……? 具体的に指示されないと、きちんと演技できないから」
「わかった。じゃあ、作戦会議をしよう。もちろん、四人でだ」
光一の言葉に、健太はうんうんとうなずく。
すみれが手を挙げると、クリスは、はにかみながらも、ぱちんと手を合わせたのだった。