11 宝探し
──怖い。
たしかにそう感じている。足は震えっぱなしだし、手も氷のように冷たい。
だけど、どこか現実感がなかった。あまりにも予想外のできごとの連続で、自分の身に起きていることだって信じられないのかもしれない。
夜中に押し入ってきた泥棒に、謎解きをさせられている、だなんて。
みんなと楽しく過ごしていた時間が、今ではとても遠いものに思える。
静かに前を歩く瀧島君は、応接間の前で立ち止まった。
ちらりとこっちを見てから中に入る。彼にぴったりとくっつくように、私と女性もその後に続いた。
私ののどもとには、靴ベラが押し当てられたままだ。とはいえ、片手に懐中電灯を持っていたから、さっきのように絞められる心配はなさそうだった。
懐中電灯の明かりに照らされた瀧島君は、鹿の剝製を見上げる。
「けものとは動物という意味ですから、普通に考えたらまっさきにこの鹿のことだと思うでしょう。ですが……」
瀧島君は、暖炉のほうに歩みよった。
「ここに、ライオンの装飾があります。これも『けもの』ですよね」
「ライオン?」
女性がけげんそうに言い、ゆっくりと暖炉に近づいた。
「これです」
瀧島君が、暖炉の上の部分を指さした。
「ライオンは、狩りに使う体力を温存するために、一日十五時間ほど眠るそうです。『ねむるけもの』というのは、単に起きていない──つまり、彫刻であることを示しているのかもしれませんが、そういう意味でもあるのかもしれません」
(すごい……!)
瀧島君への感心で、ほんの少しだけ恐怖がうすれた。
メッセージに書かれていた文言は、『ねむるけものの口のおく』。口のおく、ということは──
「暖炉の中を調べて」
女性に言われ、瀧島君はかがんで暖炉の中をのぞいた。手を入れて、ごそごそとまさぐる。
「上の部分に、何か貼ってあるようです」
「取って」
暗い中、瀧島君は手探りで作業を続けた。
すぐに、ぺりっと小さな音がした。ふりかえった瀧島君の手には、折りたたまれた小さな紙があった。
「……また紙なの?」
女性は懐中電灯を脇にはさむと、紙を奪い取って広げる。
『さわれないわたしの後ろに見えるもの』
(さわれない、わたし……)
その言葉を読んだ瞬間、私ははっとあることを思い出した。
(もしかして、あれのこと? でも、違ったら……)
記憶を引っ張り出して考えていると、女性がうんざりしたようなため息をもらした。
「なるほどね。『宝探しゲーム』ってわけ……」
そうして、瀧島君に向かって紙をつきつける。
「若くてやわらかい頭なら、また謎が解けるかしら」
瀧島君は、新たなメッセージを前に眉根を寄せた。じっくり考えこんでから、つぶやく。
「影……じゃないよな。記憶の中の自分、だとすると……写真か?」
「急いでもらえると助かるんだけど」
そう言って、女性は靴ベラを持つ手をぐっと握りこんだ。
「あ、あのっ!」
震えた声を出した私に、瀧島君がはっと目を向ける。
「私、それ、わかったかもしれません」
そう言うと、女性が私の頭をぐっと引き寄せた。そうして、横から私の顔をのぞきこむ。
「……本当に?」
「はい。だから……これを、置いてもらえませんか。絶対に、抵抗しませんから」
あごで靴ベラに触れながら、とぎれとぎれに伝える。
「そうね……戻ってから、考えましょうか」
それから瀧島君に、「先に歩いて、さっきの場所まで戻りなさい」と命じた。
廊下に出て、みんなのところに戻る。
状況は、さっきとまったく変わっていなかった。
泣いて震える夕実ちゃんを叶井先輩がそっと支え、チバ先輩はむずかしい顔をしてくやしそうに拳をにぎっている。
レイラ先輩もしばられたまま、男性の横でうなだれていた。
「さっきのは正解だったわ。で、次の問題がこれ」
女性から新たなメッセージを見せられ、男性は「はあ?」とがっかりしたような声を出した。
「まだあるのかよ。おれは、遊びに来たつもりはないんだが」
「でも、あのメッセージに意味があることがわかったじゃないの。これだけ手のこんだことをしているんだから、最後には必ず価値のある『宝』があるはずよ」
女性は、私を連れて男性のほうへと歩みよった。
「あれ、まだあるでしょ。この子の両手も後ろでしばって」
言われた男性は、だまって背後を見た。
廊下の端に、ポリ袋が置かれていた。男性はそこから、黒くて細長いものをいくつか取り出す。
それは、結束バンドだった。電気のコードなんかをまとめるときに使う、ひも状の道具だ。
男性は、私の両腕を背中に回すと、手首を結束バンドでしばった。
瀧島君や夕実ちゃん、叶井先輩たちも、同じようにしばり上げられてしまった。
そばに座るレイラ先輩は、悲しそうな顔で私たちを見上げている。
このとき初めて気づいたけれど、レイラ先輩の腕をしばっているのも同じ結束バンドだった。
「よし。これで安心ね。靴ベラはここに置いていくわ。手のそれも、ぜんぶ終わったら外してあげる。さあ、『宝探し』に集中してちょうだい」
****
しばられた状態で、私は階段を上がった。
私を先頭にして、すぐ後ろには女性。
そこから瀧島君やレイラ先輩たちが続き、最後尾は男性だ。
彼の持つ懐中電灯が、暗い家の中を照らし出していた。
二階の廊下を進み、ベッドの部屋の前にたどりつく。
「ここです」
女性が無言でドアを開ける。私は中に入ってすぐ、鏡の前に向かった。
けげんそうな顔になった女性を前に、私は言った。
「『さわれないわたし』というのは、鏡に映った自分のことです。その後ろに見えるもの、だから……鏡の真向かいにある、あの机のことだと思います」
後ろにあるロールトップデスクをふりかえると、女性はすぐさまそこに向かった。
フタを開けると、男性がそこを照らし出す。
机の上には、何もなかった。一瞬ドキッとするものの、引き出しを開けた女性が「あったわ」と言った瞬間、安堵の息がもれた。
「鍵か?」
「いいえ、また紙よ。『鐘を鳴らす踊り子が揺れる場所』……」
紙を持った女性が、私たちを順番に見た。
「鐘……踊り子……ふりこのこと?」
夕実ちゃんの小さなつぶやきに、「なるほど、柱時計ね」と女性がうなずく。
「急ぐわよ」
来たときと同じように列になって階段を下りる。
(これ、本当に終わりがあるのかな……)
レイラ先輩のおばあさんが残した、「宝探しゲーム」っていうことらしいけど。
そもそも、この女性は、最初のメッセージをどこでどうやって手に入れたんだろう。
たしか、この家の中で見つけ出されたもの、って言ってたよね。
考えたくないけど……もしかしたら、親戚とか、レイラ先輩のおうちの関係者なのかな。
部外者だったら、「隠し部屋」とか「宝」のことも、聞く機会なんてなさそうに思える。
もしかしてレイラ先輩は、二人の正体に気づいていたりするのかな。
どちらにせよ、レイラ先輩がこの状況に深く傷つき、悲しんでいることはたしかだ。
(お願いだから、だれも怪我したりせず、すべてが無事に終わりますように……!)
そう祈ったとき、柱時計の前にたどりついた。
前面のフタを開けた女性が、またメッセージの紙を見つける。
そこに書かれていたのは、『うしなわれた歌声がひびく箱』。
女性が読み上げるのを聞くと、チバ先輩と叶井先輩が同時に「蓄音機だ」と言った。
リビングに向かい、蓄音機を調べる。すると、底の部分に紙が貼りつけられていた。
「『思い出をつむぐ車輪』だそうよ」
そう言って、女性はため息をついた。
「車輪……」
レイラ先輩が、かすれた声でつぶやく。
「……なんだろう。何かひっかかるんだけど、出てこない」
「お嬢様は降参のようね。だれかわかる人、いるかしら?」
瀧島君を見ると、口を結んで考えこんでいるようだった。夕実ちゃんたちも、困惑したように顔を見合わせている。
(どうしよう。私も、わからない……)
そのとき、チバ先輩がゴホゴホと咳をした。
「おい、おまえ。さっきから咳が出てるが、大丈夫か。水でも飲むか」
男性がチバ先輩に声をかける。先輩はおどろいたように首をふった。
「いや、アレルギー的なもんなんで。たいしたことないんで、気にしないでください」
そう答えて、またひとつ咳をした。
「ホコリか。つらいな」
男性が、同情するような声を出す。
(ホコリ……)
チバ先輩は、くるみアレルギーだ。知らなかったけど、ホコリアレルギーでもあるのかな。
「ムダなおしゃべりしてないで、考えなさいよ」
女性に言われ、男性は大きなため息をついた。
「もう、このへんでいいだろ。いい加減、時間をかけすぎだ。近所のやつらとかじいさんが起きたら、どうするんだ」
「大丈夫。塀の外までひびくような音は出してないし、あのじいさんはたとえ消防車が来ても起きないでしょうよ」
その言葉に、うつむいていたレイラ先輩が顔を上げた。
(この女の人、おじいさんのことを知ってる……?)
レイラ先輩は、おじいさんは地震があっても起きないって言ってた。
やっぱり、このおうちに出入りしたことがあったり、おじいさんと話したりしたことのある、瀬戸家の知り合いなのかもしれない。
「あの……教えてもらえませんか。どうして、こんなことを?」
レイラ先輩が、震える声を投げかける。
「不公平を正すためよ」
女性が、レイラ先輩のあごを指でくいっと引き上げた。
「この世を生きていくためにはね、持って生まれたもので勝負するしかないの。生まれた時代、場所、両親、環境……ぜんぶ、自分で選べないものばかり。生まれた瞬間、勝負がついていることだってある。そんなの、ひどいと思わない?」
女性の言葉に、男性が顔をそむけた。
「私はね、恵まれている人から、少し分けてもらってるだけ。そうやって、不公平に対する怒りをなんとか抑えて生きてきたの。あなたみたいなお子様には、わからないでしょうけど」
「おい、やめろよ。子どもに当たるな」
男性が、女性をレイラ先輩から引きはがす。
「もう帰ろう。この宝探しは、ここでおしまいだ。そもそも、おれは反対だったんだ。不確かな話と紙切れだけの情報で、こんな……」
「おまえはだまってて」
男性の言葉をぴしゃりとさえぎり、女性はレイラ先輩を見すえた。
「私は、あなたのおじいさんに人生を壊されたの。このままじゃ、不公平でしょ。だから私も、あなたのおじいさんの大事な宝物を奪って、自分のしたことを後悔させてやりたいのよ」
うらみのこもった、低い低い声だった。元から冷たかった体が、ぶるりと震える。
レイラ先輩は、唇を半開きにしたまま女性を見つめていた。かすかに震えるまつげの下で、大きな瞳がうるんだように見えた。
レイラ先輩の気持ちを想像すると、胸がきゅっと痛む。
(この人とおじいさんとの間に、何があったのかはわからないけど……レイラ先輩は、何も悪くないのに……)
もどかしい思いで、私はレイラ先輩の横顔をじっと見つめた。
しばらく待ってみたけれど、ノイズの音は聞こえてこない。
同じように瀧島君や夕実ちゃん、先輩たちの顔も見つめてみるけれど、暗さのせいなのか、私の力が弱まっているせいなのか、サキヨミが見えそうな気配はいっこうに感じられなかった。
(私、やっぱり……サキヨミの力がなければ、何にもできないのかな……)
「──もういい。もう、じゅうぶんだ」
男性が、いらだちのまじった声で言った。
「そもそも、自業自得だろ。マジメに働いてたら、こんなことには……」
女性は素早くふりむき、男性をにらみつけた。
「さっきから、うるさいのよ。よけいなことをしゃべらないで」
「……わかったよ。だけど、この後どうするんだ? 車輪ってことは、車だろ。車はガレージの中だから、さすがにムリだし……」
「隠し部屋のこと、忘れたの? この宝探しは、この家の中で完結するはずよ」
「そうは言うけど、わからなけりゃそこで詰みだろ。もう、どうしようもない。なあ、わからないんだよな?」
男性が、レイラ先輩に優しく問いかけた。うなだれていた先輩は、静かに顔を上げる。
その疲れた表情を、そこにいる全員が見つめた。するとレイラ先輩は、ゆっくりと首をふった。
「いいえ。わかりました」
一瞬の間があってから、女性が先輩の顔をのぞきこむ。
「本当?」
「はい。『車輪』が何なのか、わかりました。ついてきてください」
そう言って、レイラ先輩は女性を見つめ返した。
その目には、さっきまではなかった力がみなぎっているように見えた。