10 遭遇
「押し入れに隠れろ!」
チバ先輩の声で、いっせいに押し入れへとなだれこむ。
中には、布団や荷物がしまわれていた。上の段に叶井先輩とチバ先輩と夕実ちゃん、そして荷物が入っていてせまくなっている下の段に、私と瀧島君が入った。
二階に上がってきた足音は、まず女子部屋の前で止まった。
すっと、引き戸が開けられた音がする。
「……むこうの布団はそのままか」
瀧島君の押し殺した声に、さっきからうるさかった心臓の鼓動がさらに勢いを増した。
女子部屋にしかれた、三組の布団。
レイラ先輩の他に、少なくとも二人の人間がいる、ということがばれてしまう。
「如月さん、大丈夫だから。僕が守るから」
すぐそばで、瀧島君にささやかれる。
今までに何度も聞いた言葉だ。でも今回は、裏にある覚悟の種類がぜんぜん違うように思えた。
「だめだよ、瀧島君」
ほとんど何も見えない押し入れの中、私は瀧島君のほうに顔を向けた。
「私、守られてばっかりなの、やめたいの。私だって、大事な人のこと、守りたいんだよ」
女子部屋を歩き回る足音を聞きながら、震える声で言う。
──怖い。すごく怖い。
守りたいなんて言っておきながら、本当になさけないけど。
ものすごく怖くて、たまらない。
でも、逃げるわけにはいかないんだ。
瀧島君もレイラ先輩も、夕実ちゃんも叶井先輩もチバ先輩も……みんな、大事な存在だから。
だれひとり傷ついてほしくないし、危険な目にあってほしくない。
たとえ、未来が見えなくても。みゅーちゃんのときみたいに、大きなショックを受けてしまったとしても。
私は、あきらめたくない。
たくさんの思い出を共有してくれているこの大事な人たちを、絶対に守りぬきたい。
ずずっと、すぐそばで戸が開く音がした。
遠慮のない足音が、畳の上を踏み荒らす。
「出てきなさい。悪いようにはしないから」
女の人の声だった。上の段から、ひゅっと息を吸いこむ音が聞こえる。
「お嬢様がどうなってもいいの? 怖い目にあってほしくないでしょう? 私の言うことを聞くこと。それが選ぶべき最善の選択肢よ」
瀧島君が、うなずく気配がした。それに応えるように、私もうなずく。
通じたのかどうかわからないけれど、瀧島君は静かにふすまを開けた。
「そう、いい子ね。全員出てきなさい。妙なことは考えないようにね」
白い光が、目に飛びこんでくる。どうやら、懐中電灯を持っているようだ。
部屋の真ん中に立っていたのは、黒ずくめの女の人のようだった。目出し帽をかぶった上に、手も黒い手袋でおおわれている。
顔が見えないから、年齢もよくわからない。声の感じから、おそらく大人の女性だろうということしか推測できなかった。
懐中電灯とは反対側の手には、細長い板のようなものを持っている。
あれは……離れの玄関にあった、金属製の靴ベラだ。
「お嬢様と合わせて六人ね。スマホの数と合うわ」
女性は、懐中電灯で順番に私たちの姿を照らした。同時に靴ベラをすっと持ち上げ、動きをけん制するようにこちらに向かってつきつける。
すると、瀧島君が静かに口を開く。
「レイラ先輩──瀬戸家のお嬢さんは、無事なんですか」
「今のところはね。でも、それはあなたたち次第よ。くれぐれもおかしなことは考えないでちょうだい」
「何が目的なんですか。お金ですか」
叶井先輩に問われた女性の、わずかに見える目が細められる。
「それもあるけど、欲しいのはもっと価値のあるものよ。早くすませて早く帰りたいの。そのほうが、おたがいにとっていいでしょ?」
やわらかな言葉の端々に、ぞっとするような冷たさを感じる。
(……この人は、いったい何をしようとしているの? 本当にレイラ先輩は無事なの?)
混乱と恐怖の中、私は押しつぶされそうなほどの大きな後悔を感じていた。
どうして、この未来が見えなかったんだろう。
今日いちにち、みんなの顔を見ても、ノイズの音が聞こえる気配はいっさいなかった。こんなことが起こるんだったら、見えていてもおかしくなかったはずなのに。
押し入れを出るとき、女性の顔を見れば、サキヨミが見えるんじゃないかって期待した。この状況を打開するヒントがもらえるんじゃないかって。
でも、目出し帽の顔を見て、その期待は打ち砕かれた。あれじゃあ、見えるものも見えない。
「ただねえ。ちょっと、困ったことが起きてね」
女性がうんざりしたような声を出した。
「悪いけど、協力してくれない? そのうえで、私たちを見逃してほしいの。そうすれば、レイラお嬢様にもあなたたちにもいっさいの危害を加えないと約束するわ」
どう? と言うように、女性は目出し帽をかぶった頭を傾けた。
「……わかった。言うことを聞こう」
チバ先輩の言葉で、女性は満足げにうなずいた。
****
女性の後について部屋を出て、階段へと向かう。
「スマホは隠させてもらったわ。大丈夫、壊してはいないから」
見ると、廊下の隅にあったスマホは、六台ともなくなっていた。
階段を下りると、背後で夕実ちゃんが「ひっ」と小さな悲鳴を上げた。
「レイラ先輩……!」
廊下の脇に、うなだれたレイラ先輩が座りこんでいる。
その両手は、後ろでしばられているようだった。すぐそばに、女性と同じ目出し帽をかぶった人が立っている。縦にも横にも大きい体は、おそらく男性のものだ。
「静かになさい。それと、動かないで」
女性が夕実ちゃんに鋭い目を向ける。
「みんな……ごめんね……」
顔を上げたレイラ先輩の顔は、涙でぐしょぐしょだった。
「トイレに起きたら、この人たちを見つけて……逃げたけど、つかまっちゃって……」
「ようやくしゃべったと思ったら、言い訳? 本当に甘ちゃんのお嬢様ね」
「なあ、ちょっと……子ども、多くないか? なんでこんなにいるんだよ。話が違うだろ」
大きな男性が言う。その声は、私が二階で聞いた大人の男性のものと同じだった。
「この日はいつも、だれもいないんじゃなかったのか?」
「予定が変わったらしいわね。でも、かえってよかったかもしれないわ」
「いいわけねえだろ。なあ、頼むから、おとなしくしててくれよ」
男性の低い声が、重々しくひびく。
さっきから、足の震えが止まらない。
すぐそばに瀧島君の気配を感じることだけが、今の私の心にともる小さな希望だった。
「早いとこ、すませましょう。私たちが解きたいのは、これよ」
(解く……?)
女性が、ズボンのポケットから小さな紙を取り出した。そうして、懐中電灯で照らす。
そこには、手書きの細い字でこう書かれていた。
『扉のかぎ:ねむるけものの口のおく』
「これは昔、この家のある場所で見つけ出されたものよ。あなたたちには、この『扉のかぎ』についての情報を、このお嬢さんから引き出してほしいの」
「『かぎ』、とは……何の鍵ですか」
瀧島君に聞かれた女性は、
「『かぎ』は、『かぎ』。ここにあるとおり、ある部屋の、扉の鍵よ」
と冷たく言い放った。
「『ねむるけもの』って、当然、鹿の剝製のことだと思うじゃない? けど、口の中を調べても鍵なんてどこにもなかった。だからお嬢様がどこかに隠したのかと思って問いつめたのに、『知らない』の一点張りで何も話してくれないのよ。しまいには泣き出して、ほんと使えない子だわ」
「だから、本当に何も知らないの。お願いだから、帰って。今帰ってくれれば、おじいちゃんにもだれにも何も言わないって約束する。何も見なかったことにするから。お願いだから……!」
レイラ先輩の涙ながらの訴えに、思わず足が動いた。
「レイラ先輩……」
片足が一歩、前に出る。そのとたん、「如月さん!」と瀧島君の鋭い声がひびいた。
え、と思う間もなく、冷たいものがのどもとに押しつけられた。靴ベラだった。
女性は私の背後にぴったりとくっつくと、靴ベラの両端を持ってぐっと後ろに引いた。のどに痛みが走るのと同時に、うっ、と声がもれる。
(くっ……苦しい!)
「放せ!」
「瀧島!」
「タッキー、だめだよ!」
女性に飛びかかろうとした瀧島君を、チバ先輩とレイラ先輩が止める。
「お願い。なんでも話すから、その子を放して」
レイラ先輩の泣きそうな声に、女性がふっと息をついた。
「その話の内容次第ね」
女性は靴ベラをゆるめると、私とともに後ろへ下がった。ゲホゲホとせきが出て、なんとか呼吸ができるようになる。
レイラ先輩は、真剣な目で私と女性を見つめた。
「……さっきも言ったけど、そのメッセージはおばあちゃんが書いたもの。それは間違いない。おばあちゃんはたまに、そういうメッセージを家中に隠して、あたしと宝探しゲームをしてくれたの。その紙はきっと、何かの手違いとかで回収できなかったメッセージなんだと思う」
そう言うと、きゅっと苦しそうな表情になる。
「だけど、『扉』とか『かぎ』は、何のことだかわからない。それにあたし、家宝のことなんて本当に知らないの。お願い、信じて」
(家宝……?)
すると、男性が目出し帽の中でため息をついた。
「やっぱり、間違いだったんじゃないのか?」
「私はたしかに聞いたの。この離れのどこかに、『隠し部屋』と『宝』があるって」
隠し部屋、という言葉でレイラ先輩が首をふった。
「そんなの、ない。ここに住んでる間、そんなものがあるなんて、聞いたこともない」
「ウソよ。知らないはずないわ」
「あの、待ってください。扉というのは、その隠し部屋の扉……ということですか?」
叶井先輩の言葉に、女性が「そうよ」と答える。
「私はそう考えてる。だから、早く知ってることをぜんぶ話すよう、あのお嬢さんを説得してくれない? 悪いけど、こっちも急いでるの」
靴ベラが首に食いこんできて、のどがひゅっと音を立てる。
「やめて!」
さけんだレイラ先輩におどろいたのか、男性がびくっと震えた。
「頼む、静かにしてくれ。頼むよ」
レイラ先輩の耳元で、必死にそうくりかえしている。
「──わかりました。それを解けばいいんですよね」
瀧島君だった。低い声で、女性をにらみつけている。
「僕に心当たりがあります。調べにいかせてもらえませんか」
女性は、少し考えるようにレイラ先輩を見た。
「いいわ。私がこの子といっしょについていく。あんた、四人くらいひとりで見られるわよね?」
女性の言葉に、男性は再びため息をついてから答えた。
「……わかったよ。早いとこ、行ってきてくれ」