19 再会
部活が終わると、私と瀧島君はいっしょに美術室を出た。
自然に横にならんで、足並みをそろえるようにゆっくりと歩く。
送る会の日から、瀧島君に言われた「大事な人」っていう言葉が、頭の中をぐるぐると回り続けていた。
──たとえ如月さんが力を失っても、如月さんが僕の『大事な人』であることに変わりはないから。
それは、先月チョコを渡したときに、瀧島君が私に聞いてきたことの逆バージョンだった。
あのときの私は、瀧島君にきちんと答えることができなかった。
でも、今日は、ちゃんと伝えたい。
私も同じだよって。瀧島君は、ずっと私の大事な人でい続けるよって。
「あのね、瀧島君。聞いてほしいことがあるの」
私の震える声に、瀧島君が足を止めた。
「わかった。屋上のほうへ行こうか」
「うん」
階段を上り、屋上のドアを背にして二人で座る。
「私ね。あのこと……サキヨミの力を失うことについては、まだ答えを出せていないの。この間瀧島君が言ってくれた、普通の中学生になりたいっていう言葉。私、うれしかったのに、やっぱり不安で……」
「うん。わかるよ」
「家に帰ってから、すごくいっぱい考えたんだ。私たちが、周りの人の不幸を引き受ける必要なんかないってことも。だけどね。私がマイナスの感情を持ち続けていれば、だれかのマイナスの感情を消すことができるって思うと……やっぱり、そのほうがいいんじゃないかって思ったの」
「……そうか。だれかの未来を変えることで、その人のマイナスの感情が生まれなくなる……ということか」
少しおどろいたように言う瀧島君に、「うん」とうなずく。
「私、瀧島君が『マイナスの感情』の話をしてくれた次の日から、またサキヨミが見えるようになったの。夕実ちゃんとか朝海先輩のサキヨミを見て、ひとりで未来を変えてた。ミミふわにもなって、動画も投稿した。それで、わかったの。瀧島君がそばにいないと、さびしいって」
瀧島君が、はっと息をのむのがわかった。なさけないことに、彼の表情を見るのが怖くて、視線を床から上げることができない。
「──サキヨミの力がなくなっても、瀧島君は瀧島君で、変わらない。私にとってはずっと、『大事な人』で……『特別な人』、だよ」
(言ってしまった……!)
ほおが熱くなるのを感じて、思わずうつむいた。顔の左右に落ちる髪に隠れるようにして、瀧島君の反応を待つ。
けれど、瀧島君からは、なかなか言葉が返ってこなかった。
不安になってちらりと目を上げると、瀧島君は顔を隠すようにむこうにそむけていた。夕日で照らされた耳が、ほんのりと赤く見える。
急に、恥ずかしさがおそってくる。沈黙に耐えきれなくなって、私は口を開いた。
「ごめん! とつぜん、こんなこと言って……」
「──ありがとう」
瀧島君が、ゆっくりとこちらに顔を向けた。その瞳が少しうるんでいるように見えて、ドキッとする。
「うれしくて、ありがたくて、ほっとして……言葉じゃ言いつくせないくらい、幸せな気分だ」
そう言って、瀧島君はこぼれるような笑顔になった。
「ありがとう、如月さん。変わらないって言ってくれて、本当にうれしい」
瀧島君の言葉が、あたたかく胸を満たしていく。
思わず涙が出そうになり、私はあわてて答えた。
「ううん。混乱しちゃって、すぐに返事できなくてごめんね。それで、あの……よかったら、また、いっしょに……帰りたいな」
不安のせいか、声がどんどん小さくなる。すると、
「それ、僕から言おうと思ってたんだけどな」
先を越されちゃったな、と瀧島君が頭をかく。
「如月さんと二人でいる時間がどれだけ大事なものだったのか、よくわかったよ。いつの間にか当たり前になってたけど、やっぱり当たり前じゃなかったんだ」
「ごめんね。私、混乱して、不安になって……ひとりで考えなきゃって思ったけど、結局、答えを出すこと、できなかった。私、やっぱり……瀧島君がいないと、ダメみたい」
「僕もだよ。如月さんが必要だ」
心臓が、バクバクと激しい音を立てている。
そのとき、右の二の腕が、瀧島君の腕にぶつかった。
おどろいてびくっとしたけれど、なぜだか引っこめる気になれない。瀧島君も、動こうとしなかった。腕をくっつけたままの状態で、私たちはしばらくの間、じっとだまっていた。
「如月さんは……今もまだ、サキヨミを見るの?」
やわらかい声で、瀧島君がたずねる。
「うん。今日も見たよ。アカネちゃんが、お気に入りのハンドタオルをトイレに置き忘れてなくしちゃうっていうサキヨミ。いっしょにトイレに行って、阻止したよ」
「そうか」
「瀧島君は、どうなの? やっぱり、もう何も見ない?」
すると、瀧島君はそこで一呼吸の間を置いた。
「実は、僕もまた、サキヨミを見るようになったんだ」
「えっ!?」
「といっても、如月さんと同じように、あまり危険度の高くないものだけだけど。僕のほうも、すべてひとりで阻止したよ」
少し得意げな表情で言う瀧島君を、私はおどろいて見つめた。
「それじゃあ……瀧島君も、私と同じことしてたってこと?」
「そうだね。同じ時期に、それぞれで未来を変えていたんだ。やっぱり、如月さんとは何か運命的なものを感じるな」
そう言ってほほえんだ瀧島君に、ドキッと胸が鳴る。
──あれ。待って。
「ってことは……瀧島君には、まだ『マイナスの感情』があるっていうこと?」
「そう、だね。そうなるね」
瀧島君の表情が、すっと引きしまる。
(つまり、私も……だよね)
私の中にもまだ、「マイナスの感情」がある。
でも、それが何なのか、やっぱりわからないままだ。
「瀧島君は、わかってるんだよね。自分の『マイナスの感情』が何なのかってこと」
「……ああ」
「でも、私はわからないの」
少しだけ、体を前に倒す。自然と、くっついていた腕が離れた。
「サキヨミの力のこととか、これからのこととか、わからないことが多くて不安には思ってる。でもそれは、だれでも同じかもって思ったの。だれだって、いろんなことで迷ったり、なやんだりするでしょ?」
「そうだね。それじゃあ、その不安を、もう少し分解してみるといいかもしれない」
「分解?」
「ぼんやりしている不安を、もっと具体的な形にしていくんだ。でも如月さんはもう、それができているはずなんだけどね」
「え?」
「この間、保健室を出た後に二人で話しただろう。そのとき、自分の言葉で語っていたよ。よく思い出してみて」
(あのとき、私が……?)
ええと……私、何を言ったっけ?
普通の二人になりたいって言われて。それで、サキヨミの力を失ったらどうなるかっていう話をしたんだよね。それで、ええっと──……
──怖いんだよ。
とつぜん頭の中で、声がひびいた。
──怖いんだよ。何か起きたときに、何もできなかったって後悔することになるんじゃないかって。
はっとした。それは、記憶の中から飛び出してきた自分の声だった。
(そうだ。私……)
「『怖い』……?」
瀧島君が、満足したようにうなずく。
「そう。如月さんのマイナスの感情は、『恐怖感』だ。だけど、それだけじゃまだ、じゅうぶんじゃない」
「え……」
どういうこと、とたずねようとしたとき、瀧島君は静かに立ち上がった。
「前、調べたいことがあるって言っただろう」
「えっ……あっ、うん!」
思い出して、うなずく。すると瀧島君は、私の前に立って手を差し出した。
「見せたいものがあるんだ。来てくれるかな」
とまどいつつも彼の手を取り、立ち上がる。
階段を下りた後、瀧島君は図書室に入った。司書の先生から鍵を借り、資料室へと入る。
「僕が『マイナスの感情』なんていうあいまいな言い方をして如月さんに詳しい説明をしなかったのには、理由があるんだ」
ドアを閉めると、瀧島君はまっすぐに棚へと向かった。
あれは……卒業アルバムの入っていた棚だ。
「遠野先輩が自分の本当の気持ちに気づいていなかったように、如月さんも、ずっと心の奥底にしまったままの気持ちがあるんじゃないかって思ってた。だけど、それをムリやり掘り起こすようなことはしたくなかった。如月さん自身に、気づいてほしかった」
(しまったままの、気持ち……?)
わからないことへの不安と、瀧島君の緊張気味の声に、胸の鼓動が速くなる。
「でもやっぱり、自分ではどうしても見えない気持ちもある。いつの間にか、透明にしてしまった恐怖感。その恐怖感からくる、強い思いこみ。それが……サキヨミの力の源だと、僕は考えているんだ」
言いながら、瀧島君は一冊の卒業アルバムを取り出した。
机の上に置くと、ページをめくって私のほうへと差し出す。
それは、三年生のクラスページだった。個人写真の最後に、クラス全員での集合写真が載っている。
「ここ、見て」
瀧島君が、集合写真の一角──最前列の中央あたりを指さす。
(──あっ!?)
見た瞬間、息が止まりそうになった。
そこに写っていたのは、ケージに入った一匹のウサギだった。
白くて、耳の毛が長くて。そう、耳が、ふわふわしていて……。
──みゅーちゃんは、みみが、ふわふわしてるから……。
──あ、ほんとだ! みみのけがながいね。
幼稚園のとき、ユキちゃん──瀧島君とかわした会話が、頭の中によみがえる。
(……まさか……)
ごくり、とつばを飲みこむ。
このウサギ……もしかして、みゅーちゃん……!?
『サキヨミ!⑭ 大ハプニングのお泊まり会!』
第1回につづく(6月7日公開予定)
書籍情報
★最新完結刊『サキヨミ!(15) ヒミツの二人でつむぐ未来』は6月11日発売予定!
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