17 普通の二人
もう少し休むと言う遠野先輩を残して、私と瀧島君は保健室を出た。
「体育館、行こうか」
「うん」
瀧島君の言葉にうなずく。
保健室に入る前よりも、心がずっとすっきりしているのがわかった。瀧島君に対しても、変に意識したりせずに、自然に反応できる。
「如月さんは、やっぱりすごいね。委員長の本当の気持ちを、簡単に言い当ててしまった」
「そんな、違うよ。あれは、ただ……昔の私と同じだなって思ったから」
「──昔の?」
瀧島君が、おどろいたように私を見た。
「そう。幼稚園の頃、ジャングルジムで瀧島君に怪我させちゃったでしょう。それから、サキヨミを見ても何もしなくなった。そもそもサキヨミを見たくなくて、うつむくようになったの」
「それは……また同じことが起こるのが、『怖かった』から……だね」
ゆっくりと言う瀧島君に、「うん」とうなずく。
「でも、瀧島君が変えてくれたんだ。怖さのウラにあった気持ちに気づかせてくれた。未来を変えるために必要な、勇気や知恵もくれた。だから、今の遠野先輩とのことだって、元をたどれば瀧島君のおかげなんだよ」
声に気持ちをこめて、瀧島君を見返す。
すると、彼はふわりと優しい笑みを浮かべた。
「ありがとう。でも、昨日のミミふわの占いも、今の保健室での如月さんの言葉も、ぜんぶ如月さんの心から出てきたものだ。如月さんは、もう衣装を着なくても、ミミふわそのものなんだよ」
「ミミふわ、そのもの?」
「ああ。遠野先輩と僕の未来を、変えてくれただろう。如月さんが動かなければ、僕らの関係は悪いままだった。それを如月さんが、如月さん自身の考えと言葉を使って変えてくれたんだ」
(……そう、なのかな)
たしかに、遠野先輩も、私をミミふわみたいだって言ってくれたよね。
衣装を着なくても、「占い」っていう形をとらなくても。
瀧島君に頼らなくても。サキヨミが見えなくなっても。
私は、未来を変えていくことができるの……?
「如月さん」
瀧島君が、とつぜん立ち止まる。私も足を止め、彼の顔を見上げた。
「あのことについて考えてもらう前に、今僕が言えることを話しておきたいと思うんだけど、聞いてくれる?」
「えっ……うん」
あのこと、という言葉で、とたんに全身が緊張した。
サキヨミの力を手放すかどうか。
遠野先輩の気持ちがわかった今も、いまだに私は、迷ったままだ。
「僕は、如月さんといっしょに自由になりたいんだ」
「自由?」
「そう。サキヨミの力を失って、未来のことなんて何もわからない、普通の二人の中学生として過ごしていきたい。幼なじみで、部活が同じで、いっしょにいると楽しくて、安心して。サキヨミ会議のためなんかじゃなく、ただいっしょにいたいからという理由で、いっしょに帰る。そんな二人になりたいんだ」
私を見つめる瀧島君のまつげは、少し震えていた。
(普通の、二人の中学生……)
その言葉を、何度か頭の中でくりかえす。
うれしいと感じたはずなのに、その気持ちがだんだんと不安へと変わっていくのがわかった。
──そう、か。
やっぱり瀧島君と私の関係は、「普通」じゃなかったんだ。
理由は、二人ともサキヨミの力を持っているから。
普通じゃない私たちが、普通になった後でも。
今までと同じように、いっしょにいられるのかな。
やっぱり、力を失った後のことが、うまく想像できない。──すごく、怖い。
「……瀧島君は、考えたことがあるの? 力を失った後のこと」
「あるよ。何度も」
「サキヨミが見えなくなった後、もし周りの人に何か悪いことが起きてしまったら? それを自分のせいだって思わずにいられると思う?」
「どうだろう。最初は、むずかしいかもしれないね」
静かにほほえむと、瀧島君は私を見た。
「だけど、だれかの不幸を僕たちがすべて背負う必要はないはずだ。今までは、たまたま未来が見えていたから、行動することができた。でも、見えなければ──知らなければ、動きようがない。普段から想像力を働かせて、備えをして。できるだけ周りに気をつけることくらいしか、できることはなくなる」
「それじゃあ……!」
「だけど、それが生きていくってことなんだよ。それが、普通の人の生き方なんだよ」
瀧島君が、語気を強めた。
「どれだけ願っても、そのとおりになるとは限らない。『こんなはずじゃなかった』って思うことは、この先きっと、何百回とあるだろう」
「それが、怖いんだよ。何か起きたときに、何もできなかったって後悔することになるんじゃないかって。瀧島君は、怖くないの?」
「怖いよ」
即座に返ってきた答えに、えっとおどろく。瀧島君は真剣な面持ちで続けた。
「だけど、力を失って未来が見えなくなったとしても、僕たちが何もできなくなるわけじゃない。力がなくても、今のこの心を持ち続けることができる。気持ちを大事にして行動していくことは、これまでと変わらずできるはずだ」
「だけど……それで、助けられなかったら? サキヨミが見えていれば助けられたのに、って、苦しむことにならない?」
「如月さんが、周りの人を助けたいという気持ちはよくわかる。如月さんは優しいから、助けられなくなる人が出てくることに苦しむだろう。でも、前に咲田先輩が言っていたように、この世界に生きるすべての人を助けることなんてできない。サキヨミの力は、万能じゃないんだ」
「万能じゃなくても、確実に役には立つよ。今までずっと、そうだったよね? 送る会が無事に終わったのだって……」
はっと、そこで口をつぐむ。瀧島君は、きまり悪げに目をそらした。
「そうだね。如月さんがサキヨミを見なければ、僕は送る会を台無しにしていただろう」
でも、と私の目を見て続ける。
「そうなっても、よかったんじゃないかって今は思う」
「……えっ!?」
まさかの言葉に、一瞬息が止まった。
「どっ、どうして!? だってそれじゃあ、だれかがステージから……!」
「思ったんだ。落ちたのは、僕だったんじゃないかって」
「え……?」
「最短で反対側の舞台袖に行くためには、人のいないところを通るのが一番だ。ステージに飛び出していたなら、僕はきっとステージの前側の端ぎりぎりを走ったと思う。だからきっと、落ちたのは僕だ」
(そんな……!)
おどろいて、ぼう然とする。けれど、すぐに気づいた。
「待って、おかしいよ。最初に見たサキヨミでは、瀧島君は責められていたけど、怪我をしているようには見えなかったよ」
「その時点では、落ちるのは僕じゃなくて別の人だったのかもしれない。あるいは、照明は消えたけど、事故は起こらなかったのかも。如月さんにサキヨミのことを聞いた後、気を張っていたせいか、あまり食欲がわかなくてね。今朝も少し、くらっとしちゃって。それで、僕が落ちるという未来に変わったんだと思う」
瀧島君は、改めて私をじっと見つめた。
「ミミふわのシルエットを見て照明を消したのも、その後ステージに飛び出そうとしたのも、僕が心の底からそうしたいと思ったからだ。自分の気持ちにしたがったからだ。あのときの僕にとって、その行動は間違いでもなんでもなかった」
私を見る瞳に、力が入る。
「結果的に送る会を台無しにしてしまったとしても、僕が怪我をしていたとしても。僕にとって大事なのは、送る会の成功じゃない。如月さんの身の安全。ただ、それだけなんだよ」
そう言ってほほえむと、瀧島君は静かに歩き出した。
かと思うと、固まっている私をふりかえる。
「たとえ如月さんが力を失っても、如月さんが僕の『大事な人』であることに変わりはないから」
とつぜんの言葉に、胸を突かれた。「大事な人」って、それ──……
「それと、もうひとつ」
瀧島君は、冷静な調子で続ける。
「昨日のミミふわの、最後の占い。あれは、僕に向けられたものだと思ってる。僕はこれから、後悔しないように動いていくつもりだ」
私に伝えると同時に、自分に言い聞かせてもいるような、力強い口調だった。
瀧島君はそのまま廊下をぬけ、体育館通路を進んでいく。少し進んで立ち止まると、ふりむいて私ににっこりとほほえみかけた。
「如月さん。いっしょに行こう」
答えるよりも前に、足が勝手に前へと動き出す。
「──うん」
瀧島君に歩みよる私の頭の中では、彼に言われた言葉が、何度もくりかえし再生されていた。