16 あなたみたいな人
「なっ……」
かけ布団に手をつき、ぎゅっとにぎる遠野先輩。
「なに……それ。関係、ないでしょう」
「最初は、瀧島君に何か原因があるんだと思ってました。だから、遠野先輩にとって瀧島君が特別な存在なんじゃないかって考えたんです。もしかしたら、……好きなんじゃないかって」
え、と瀧島君の口から小さな声がもれた。遠野先輩は、静かに首をふる。
「それはない。絶対に……ない」
言いながら、気まずそうに顔をそらした。瀧島君が、ゆっくりとうつむく。
「でも、朝海先輩とのやりとりを聞いて、思い直したんです。遠野先輩は、怖がっているんじゃないかって」
「……怖い?」
震える唇で言う彼女に、うなずく。
「朝海先輩が朝礼で倒れたときに、遠野先輩に起こったこと。それがまた起こることを、怖がっているんじゃないですか?」
あっけにとられたような表情で、遠野先輩の目が見開かれた。
私が遠野先輩の目から感じ取ったのは、「恐怖」だった。
チバ先輩たちが言っていた。朝海先輩が倒れたとき、「遠野先輩のせいだ」というウワサが流れたって。そして、女子の集団に責められたって。
前に起こった悪いことが、またくりかえされたらどうしよう──遠野先輩の中には、そういう恐怖があるんじゃないかって思ったんだ。
このことに気づいたのは、昔の私と同じだったからだ。
私は小さい頃、未来を変えようとして──シュウを助けようとして、かわりに瀧島君に怪我をさせてしまった。
──もうあんな悲しい思い、したくない。
その気持ちが恐怖になって、私にこびりついてしまった。
だから、サキヨミを見ても何もしなくなったんだ。そうすれば、同じ思いをしなくてすむから。
だけど、それは間違ってた。私の心は、ずっと悲鳴を上げていたんだ。
それに気づかせてくれたのは、瀧島君だった。私は自分を守ろうとして、逆に自分を──自分の本当の気持ちを、ないがしろにしていた。
私の中にある本当の気持ちは、気づいてもらえなくて、ずっとずっと苦しんでいたんだ。
恐怖の後ろに隠れてずっと見えなくなっていた、「未来を変えたい」という気持ち。
その透明な気持ちに色をつけてくれたのは、瀧島君だ。
私も同じように、遠野先輩の気持ちに色をつけたい。遠野先輩に、見つめてほしい。
「瀧島君の仕事を取り上げたのは、彼の仕事を減らすため。意見を聞こうとしなかったのは、瀧島君の仕事が増えることを心配したからなんじゃないですか。仕事をかかえすぎた瀧島君が、倒れたりしないようにって」
遠野先輩は、静かに目を伏せた。そうして、ふっと笑った。
「ああ──そうだね。そのとおりだ」
初めて見る笑顔におどろき、すぐに反応できなかった。瀧島君が、はっと息をのむ。
「瀧島に、仕事をさせたくなかった。冷たい態度を取ったのは、瀧島が委員会に来なくなればいいと思ったからだ」
「そんな……」
瀧島君が、ふらりと一歩ベッドに近づいた。
「……僕は、ムリをして倒れたりしませんよ。朝海先輩みたいに、アニメの一気見もしません」
「瀧島が学校の外でどう過ごしているかなんて、知らないから。とにかく私はなんとしてでも、瀧島に倒れられるわけにはいかなかった」
遠野先輩は、視線を遠くに向けた。
「──朝海は、昔からおせっかいでね。生徒会時代も、忙しいだろうからって私の仕事を勝手に持っていって……あいつは一部の女子に人気があるから、ウワサが流れたときは、けっこう長いことネチネチと陰口をたたかれた。面と向かって責められたときは反論できたけど、陰口となるとそうもいかない」
後期から中央委員長に就任した遠野先輩は、瀧島君の仕事ぶりにおどろいたそうだ。指示する前に、すべてが終わっている。前期も同じ中央委員を務めていたから、自分よりも仕事の段取りに詳しい。
「涼しい顔で大量の仕事をこなす姿を見ていたら、怖くなった。また朝海のときみたいになるんじゃないかって。瀧島は二年の間でも人気があるし、朝海のときよりもっとひどくなるかもって思った。だから……ジャマになったんだ、瀧島のことが」
布団をつかむ手に、きゅっと力が入ったようだった。布団のシワが、深くなる。
「委員会に瀧島がいるだけで、イライラするようになった。来なければいいのにと思うようになった。だから嫌われようと思った。それがエスカレートして、いつの間にか私は、当初の気持ちが見えなくなっていた。瀧島に仕事をさせないことではなく、瀧島に嫌われることが目的になってしまっていた」
遠野先輩の顔が、瀧島君に向けられた。その目が、後悔に満ちているのがわかった。
「私の弱い心のせいで、瀧島を傷つけてしまった。これまでの態度のこと、謝る。本当に、申し訳なかった」
布団に両手をつき、遠野先輩が頭を下げる。
「……悲しかったですよ」
少しの沈黙の後、瀧島君は言った。
「僕は、自分がいたらないせいだと思ったんです。自分の仕事のしかたが悪いのかもしれない、遠野先輩の求めるレベルに達していないのかもしれないと、すごく、なやみました」
「違う。瀧島は、何も悪くない」
首をふった遠野先輩に、瀧島君はにこりとほほえんだ。
「ほっとしました。遠野先輩の気持ちを知ることができて、よかった」
それを聞いて、はっとわれに返る。
「──ごめんなさい! ずかずかと心に踏みこんで、遠野先輩の気持ちをムリやり暴くようなことを……」
「いいよ。私は、知れてよかった。おかげで、瀧島に謝ることができたから」
そう言うと、遠野先輩は私を見てふわりとほほえんだ。
「あなた、なんだかミミふわみたいね」
(……えっ)
とつぜんの言葉に、ぴきっと固まる。
まさか、正体がバレてる!?
「あなたの言葉は、ミミふわの占いみたいだった。強く、心にひびいてきた。私は元々雪うさが好きだったんだけど、ミミふわが出てきてから、ずっと彼女を見てきた。いつか自分も占ってもらいたいと思っていたけど、それが叶ったような気がする」
遠野先輩は、改めて私の顔をじっと見つめた。
「きっとミミふわは、あなたみたいな人なんだと思う」
「いや、そんな、まさか!」
動揺をごまかすように笑いながら、あわてて両手をふる。
遠野先輩、雪うさチャンネルの視聴者だったんだ。
いきなり「ミミふわ」って言われてびっくりしたけど……なんだか、うれしい。
「ミミふわといえば」
瀧島君が、ちらりと私を見てから言った。
「昨日、ひさしぶりに動画を投稿していましたね。先輩は見ましたか?」
「ああ、見た。瀧島も?」
「もちろんですよ。とてもいい動画でしたね。ね、如月さん」
瀧島君が、笑顔で私を見た。
「う、うん。そう……だね」
必死で答えながら、かあっと顔が熱くなってくるのを感じる。
ていうか、昨日の動画、ちゃんと届いてたんだ……!
すると、遠野先輩がふふっと笑みをこぼした。
「昨日の占い──『仕事が大変で疲れているあなた』っていうの、もしかしたら自分のことかもしれないって思ってしまったんだ。当たってたしね」
あ、と声が出そうになる。そうです、とは言えない。
遠野先輩は、首をふってから笑いまじりに続けた。
「でも、そんなわけないか。ミミふわの視聴者は、大勢いる。その中のひとりでしかない私のためだけに、わざわざ動画を投稿したりするはずがない」
その少しさびしげな表情に、気持ちが突き動かされた。考えるよりも先に、口が動く。
「そんなこと、ないです!」
遠野先輩と瀧島君が、同時に私に顔を向けた。
「たしかにミミふわの占いは、だれに向けたものなのかわかりにくいかもしれないけど……『私のことかも』って思ったんだったら、それは遠野先輩に向けた占いだったんだと思います。きっと、そうです」
瀧島君が、優しくほほえむのがわかった。遠野先輩は、少し考えるようにしてからうなずく。
「なるほど。なんだか、ミミふわが言いそうなことだね」
再び、ぎくりとする。けれど、先輩は瀧島君のほうへと視線を移した。
「瀧島は、ミミふわのファンなの? 動画、前から見てるみたいな言い方だったけど」
「ファンというか、好きですよ」
そう言って、瀧島君は私を見た。
そのまっすぐなまなざしと、何より「好き」という言葉にドキッとする。
「でもそれだけじゃなく、大事な存在なんです」
思わず、瀧島君を見つめ返す。
大事な存在、という部分を、瀧島君はやけにゆっくりと発音した。
昨日のミミふわの占いのことを思い出す。
予定外に追加した、「大事な人」のくだり。
今の言葉は、それとはたぶん、関係ないだろうけど。
瀧島君はあの占いを、どう感じたんだろう……?