6 拒絶とウワサ
「ふう……」
放課後。部活に向かうため、私はひとりで階段を上っていた。
あの後、給食の放送でヘビーメタルがかかることはなかった。
かわりに流れたのは、「ミケネコ戦士」のエレンが歌う、気持ちのこもったバラードだった。
(流されるはずだった曲、ちょっと聞いてみたいな。帰ったら、「Ivy」で検索してみようかな)
給食のわかめごはんを食べながらそんなことを思っていると、とつぜんノイズの音が耳をおそった。
私はびくっとして、思わず身がまえた。
でもそれは、スピーカーから流れている「ブラック・エンジェル」の、間奏の一部だったんだ。
ふう、ともう一度ため息をつく。
ノイズの音で、サキヨミが見えるんじゃないかってびくびくしちゃうだなんて。
なんだかほんとに、瀧島君と会う前の私に戻っちゃったような気がするよ。
(だけど……よかったよね)
立て続けに、たくさんサキヨミを見て。どれも小さなものだったとはいえ、瀧島君に相談することなく、ひとりで未来を変えることができた。
悲しい思い、つらい思いをしてしまうところだった人を、助けることができたんだ。
サキヨミの力は、持っている人にとっては重荷かもしれないけど。
人を助けることができる、すばらしい力でもあるんだよね。
そう思ったとき、ふと「マイナスの感情」のことが頭をよぎる。
──マイナスの感情が薄れれば、サキヨミが見えなくなる。
これが本当なら、こんなに何度もサキヨミが見えるのは、やっぱり私の中のマイナスの感情が大きくなってるから……ってことになるのかな。
私の持つ、マイナスの感情。それっていったい、何なんだろう。
しいて言えば、「不安」っていうのがあてはまるかもしれない。
サキヨミの力のこと、瀧島君の言っていたこと。自分がどうすればいいのか、未来がどうなっていくのか。わからないことが多すぎて、それが不安だ。
だけど……瀧島君と出会う前は、違ったよね。
サキヨミを見たくない、見えたら怖いっていう思いはあったけど。今かかえている不安とは、だいぶ違う気がする。
(ううん……やっぱり、わからないや)
私は気持ちをリセットするように、深く息を吐いた。
美術室に入ると、もうみんな勢ぞろいしていた。
チバ先輩に、瀧島君。図書室に用があった夕実ちゃんも、叶井先輩のとなりに座っている。
「おお、来たな、美羽。今、『送る会』の話をしてたんだ」
チバ先輩が、笑顔を私に向けた。
「今日の昼休みに、参加申込書を出したんだよ。同じクラスに中央委員の副委員長がいるから、そいつに」
「中央委員? あれ、『三年生を送る会』って、生徒会が仕切るんじゃないんですか?」
夕実ちゃんが首をかしげると、叶井先輩が答えた。
「生徒会は人数が少ないからな。送る会の運営は、一・二年の中央委員がやると決まっているんだ」
なるほど。それじゃあ瀧島君も、送る会の仕事があるんだろうな。
ちらっと瀧島君を見る。すると彼は、チバ先輩を見て口を開いた。
「それじゃあ、さっそく準備をしましょうか。まずは、写真の選定をしないとですよね」
「だな。よし、先生から預かったデータがあるから……」
「──ちょっと待ったあ!」
ドアのほうから聞こえた声に、全員がそちらをふりかえった。
そこには、ひょろりとした男子生徒が立っていた。青いネクタイということは、二年生だ。
その顔を見て、私はあっと声を上げそうになった。
(この人、今日サキヨミで見た、「ブラック・エンジェル」をリクエストした男子だ……!)
「……びっくりした。なんだよ、アサミ」
目を丸くしているチバ先輩をよそに、アサミと呼ばれた男子は私たちに歩みよった。
「とつぜんすみません。中央委員副委員長の朝海です。朝ごはんの朝に海亀の海と書きます」
そう言うと、くるりと体を回転させてチバ先輩に向き直った。そうして、手に持っていた一枚の紙をつき出す。
「ごめん、チバ。悪いんだけど、この申込書はお返しするよ」
「……は?」
チバ先輩は固まったまま、朝海先輩を見つめている。すると叶井先輩がガタッと立ち上がった。
「どういうことだ、朝海君。参加申込書に、何か不備があったのか?」
その言葉で、瀧島君が朝海先輩の持つ紙を受け取った。朝海先輩は、ふるふると首をふる。
「委員長からの伝言だよ。『もう出し物の枠がいっぱいで時間がないから、出し物はあきらめてほしい。例年どおり、装飾だけ頼む』って」
「時間がない……だと?」
「そう。送る会は、五・六時間目の枠の中で終わらせなきゃならない。他の団体の出し物だけで、六時間目の終わりギリギリになっちゃうんだ。だから今回は、あきらめてくれ。ごめん!」
そう言って、朝海先輩は申し訳なさそうに両手を合わせた。
「待ってください」
紙に目を落としていた瀧島君が、静かにそれを掲げた。
「この申込書に不備はありません。それに、提出締め切りは今日だったはずです。なぜ他の団体でなく、僕たち美術部だけが参加できないことになるんでしょうか」
ああ、と朝海先輩が苦笑いをする。
「そこは単純に、早い者順なんだ。美術部の申込書の提出が、最後だったってこと。美術部だからダメとか内容がダメとか、そういうことじゃないよ」
チバ先輩の眉がつり上がる。
「早い者順なんて、そんなルール聞いてねえけど」
「ごめん。例年より参加団体がちょっと多めだったみたいでね。早い者順が一番公平だからって、小夜ちゃ……委員長が、さっき決めたんだよ」
あ、と思い出す。
小夜──遠野小夜さん。図書室で見た、ちょっと厳しそうな印象の、中央委員長の名前だ。
「それなら所要時間を変えて、十五分のところを十分にする。それでなんとか、ねじこめねえか?」
「あいにくだけど、十分でもムリなんだ。本当にぎちぎちでね」
チバ先輩に言うと、朝海先輩はきゅっと表情を引きしめた。
「早い者順って決まった以上、参加はあきらめてもらうしかない。チバだって、小夜ちゃんの性格はよく知ってるだろ? 一度決めたことは、絶対にくつがえさないよ」
「遠野のことは、よく知らねえよ。オレが知ってるのは、去年のことくらいだ」
「ああもう、またそれか。あれは、おれが悪いんだって話したと思うんだけどなあ」
(去年のこと……?)
なんだろう、と思う間にも、チバ先輩と朝海先輩は言い合いを続けた。
叶井先輩も何か言いたそうだったけれど、チバ先輩の勢いに口をはさめないようだった。
「──おれだって、すごく残念に思ってるんだ。美術部の出し物、見てみたかったからさ」
朝海先輩の言葉に、チバ先輩はふーっとため息をついた。
「……わかった。ひとまず、伝言は受け取る」
「ありがとう、チバ。次の機会を、楽しみにしてるよ」
ぽん、といたわるようにチバ先輩の肩をたたいて、朝海先輩は美術室から出ていった。
「送る会、出られないんですか?」
夕実ちゃんが、泣きそうな表情で言う。
「悪い。オレのせいだ。参加申込書の提出がおくれたのは、事実だからな」
「チバ先輩のせいじゃないです。たまたま、出し物をしたい団体が多かったから……ってことですよね」
私が言うと、叶井先輩が「それは本当なのか?」と瀧島君を見た。
「おそらく、そうなんだと思います。申込書は委員長が管理しているので、僕はすべて見たわけじゃないんですが……」
「じゃあ、あきらめるしかないってことだね。残念だけど……」
夕実ちゃんが肩を落とす。
「だけどオレは、遠野のやり方が気に食わねえ。早い者順ってルールを後から決めた上に、反論も受けつけねえとか、ちょっとどうかと思うぜ」
チバ先輩は、叶井先輩にじろりと目を向けた。
「オマエのクラスだろ、叶井。オレはほとんど、ウワサでしかあいつのことを知らない。実際、どんなやつなんだ?」
「遠野さんか。倉元さんに似て、とても真面目な優等生だが……彼女より少し、厳しい性格かもしれないな。細かくて何事にもきっちりしているし、何より決まりごとや時間にうるさい。だが」
叶井先輩は、そこで一瞬言葉を止めた。
「──例の事件以降、かなりおとなしくなった。話しかけられれば答えるが、自分から人と関わるのを避けているようにも見える。日中はほとんどひとりで、席で読書をしているな」
「そうか。なるほどな……」
「あの、すみません。『例の事件』というのは、もしかして去年の朝礼のことですか?」
瀧島君に問われ、チバ先輩がうなずく。
「そうだ。朝礼の最中、朝海が倒れたことがあったんだよ。覚えてるか?」
(朝礼で……? あっ!)
思い出した。そういえば、二年生の男子が倒れて、先生に運ばれていったことがあった。
「あれ、朝海先輩だったんですね。さっきチバ先輩が言っていた、去年のことっていうのも……」
「その朝礼のことだ」
私の言葉に、チバ先輩が答えた。
「朝海は去年、前期の生徒会で書記を務めてたんだ。で、同じ時期に遠野は副会長だった。副会長は各委員との連絡係とか書類不備の指摘、アンケートの集計とか、けっこうこまごました雑用をまかされることが多いんだよ」
チバ先輩は続ける。
「それで、大変そうにしている遠野を見かねて、朝海は遠野の仕事を率先して手伝ってたらしい。朝海は人当たりがよくてだれにでも優しいから、けっこう人気者でな。で、一部のやつらが『朝海が倒れたのは遠野のせい』ってウワサを流し始めたんだ」
「朝海君は否定したし、もちろん全員が信じたわけではない。が、遠野さんはこのことについて何も言わなかった。だからいまだにそうだったと決めつけている生徒もいるようだ。おれは直接見ていないんだが、女子の集団に責められている遠野さんを見たという話も聞いた」
叶井先輩の言葉に、つきりと胸が痛んだ。
「そうだったんですか……。それは、知りませんでした」
瀧島君が神妙な面持ちで言う。
「たしかに、委員長──遠野先輩は、人と関わるのを避けているように見えます。僕自身、委員会の仕事に関わること以外、ほとんど会話をしたことがありません」
昨日図書室で見た、遠野先輩の様子を思い出す。あのときのけわしい表情や態度が、先輩たちや瀧島君の言葉と結びつき、さらに冷たいものに感じられてくる。
「朝海に伝言させたのも、そのへんが理由なのかもな。だとしても、どうにもスッキリしねえ。明日にでも、遠野本人と話してみる」
「話すって、出し物をさせてもらえるように説得するつもりか?」
「説得できそうならな。とにかく、一度本人と話してえんだ。もしかしたら朝海が変な気を回してるだけかもしれねえし」
「そうですね。遠野先輩と直接話すのは賛成です」
瀧島君の言葉に、夕実ちゃんと私もうなずく。
遠野先輩がどういう人なのか、よくわからないけど。朝海先輩の伝言だけじゃ、すんなりあきらめきれないよ。
「じゃあとりあえず、装飾のほうを進めるか! 出し物と違って、こっちは確定なわけだしな」
「そうだな。今やるべきことをやっていこう」
先輩たちの言葉で、私たちは入場ゲートの制作に取りかかった。
その間も、瀧島君とはほとんど言葉をかわすことはなかった。
だけど、部活が終わって、帰ろうとしたとき。
「──如月さん」
瀧島君に、遠慮がちに声をかけられた。
先輩たちは、もう美術室を後にしていた。私のそばにいた夕実ちゃんは、少しあわてたように美術室を出ていく。
緊張して返事ができないでいると、瀧島君は続けた。
「今日、給食の時間に急いでどこかに行くのを見かけたんだけど……何かあった?」
ドキッとして、思わず視線をそらす。
「えっと……なんでもないよ」
べつに、隠す必要なんてないはずだった。
でも、サキヨミを見たらすぐに瀧島君に相談してきた今までのことを考えると、なんだか彼をうらぎっているようで、とたんに後ろめたくなってしまったんだ。
「……そうか」
少ししずんだ声に、胸がちくりと痛む。
「昨日は、ごめん。先に、帰ってしまって。沢辺さんと話していたし……避けられている気がして、声をかけられなかったんだ」
「避けてなんか、いないよ」
言いながら、自分の声がからっぽに感じられた。
昨日夕実ちゃんといたときとは反対に、心にフタがされているみたいだった。それを開けてしまったら、目の前の瀧島君に泣いてすがりついてしまいそうで、怖かった。
(やっぱり、ムリだ。瀧島君といたら、サキヨミのことも、不安な気持ちも、ぜんぶぶちまけてしまいそう……)
拳をぎゅっと握る。瀧島君のネクタイのあたりを見ながら、私は口を開いた。
「瀧島君。今週……ううん、送る会が終わるまで、いっしょに帰るのやめない?」
え、と小さな声が彼の口からこぼれた。
何か言われる前に言ってしまわないと、と私は急いで言葉を継ぐ。
「それまでに、自分の気持ちが決まるかどうかわからない。でも、それくらいの時間が必要な気がするの」
勝手なこと言って、ごめん。
そう付け足そうとしたけれど、ガタッという音におどろいたせいで、それはかなわなかった。瀧島君が近くの机に手をついて出た音だった。
「──わかった。如月さんがそう言うなら、そうしよう」
そう言うと、瀧島君は静かに美術室から出ていった。
(これで、よかったんだよね)
そう、思ったのに。
心はそれとはうらはらに、きゅうっと音を立て、小さく縮んだような感じがした。