2 送る会の出し物
「ねえ、美羽ちゃん。どうしたの?」
「え?」
翌日の昼休み。
夕実ちゃんに声をかけられて、ぼーっとした頭でふりむく。
「やっぱり、今日の美羽ちゃんおかしいよ。朝から受け答えもとんちんかんだし、英語の時間に数学の教科書出してるし」
「あ、だからそれは、ちょっと寝不足で……」
「寝不足なのは、顔を見ればわかるよ。そうなった原因が、何かあるんじゃないの?」
心配そうに私の顔をのぞきこむ夕実ちゃん。その顔を見たとたん、鼻の奥がつんと熱くなる。
「あっ、美羽ちゃん!?」
「ごめん、夕実ちゃん」
指で涙をぬぐって、私はムリやり笑顔を作った。
「今日の放課後、ちょっと付き合ってもらえるかな。話したいことがあるんだ」
「もちろんだよ。でも……部活は、大丈夫? 行ける?」
心配そうに、眉を下げる夕実ちゃん。
夕実ちゃんはきっと、わかってるんだ。瀧島君と私の間で、何かがあったんだって。
「うん、大丈夫。部活は、行かなきゃ。今日は『三年生を送る会』の話し合いだもんね」
そう答えても、夕実ちゃんの表情は変わらないままだった。
「ムリしないでね。二人で部活休むくらい、なんでもないんだから。ヒサシ君にも話しとくよ」
「ううん、平気。逃げたくないの」
夕実ちゃんが、はっとしたように目を見開く。
「……うん。わかった。私、何がどうなっても、美羽ちゃんの味方だからね」
そう言って私の手を、ぎゅっと強くにぎってくれた。
「ありがとう、夕実ちゃん」
うれしくて、ありがたくて、ほっとして。
夕実ちゃんという親友がいる心強さに、自然と顔がほころんだ。
昨日はあの後、しばらくの間動くことができなかった。
瀧島君との会話が、なんだか現実のできごとだと思えなかったんだ。
なんとか家に帰る間も、気持ちはぐちゃぐちゃのままで。
まともに考えることなんて、ほとんどできなかった。
それでも私は、いつものように雪うさの動画の更新を待った。
瀧島君の考えが、変わったかもしれない。そもそもあれは聞き間違いだったのかもしれないって、祈るような気持ちで。
だけど、更新はなかった。動画のかわりに、文字だけのメッセージが投稿された。
「とつぜんのことで申し訳ありませんが、動画投稿はしばらくお休みします」って。
それを見てぼう然としていたら、瀧島君からメッセージが届いた。
そこには、「雪うさの未来チャンネル」のアカウントにログインするためのIDとパスワードだけが書かれていた。
「どうして……?」
声と同時に、涙がこぼれた。
だって。これじゃまるで、「もうおしまい」って言われてるみたいじゃない?
瀧島君との出会いから始まった、サキヨミという力をめぐる、私たち二人の物語。
それが、途中でぱたりと閉じられてしまった。そんなふうに思えたんだ。
サキヨミの力を手放して、雪うさもやめる。瀧島君は、そう決めたって言っていた。
瀧島君がサキヨミの力を失ったら、私たちのこれからはどうなるんだろう。
たとえば、私が何かのサキヨミを見たとしたら。
瀧島君はこれまでどおり、未来を変えるために私に協力してくれるだろう。
夕実ちゃんやレイラ先輩、叶井先輩やチバ先輩もいっしょに、作戦を考えたり、手分けしたりして、未来を変えていくことはできるはずだ。
(だけど……)
瀧島君は、特別な存在だ。
私がそう思っていたのは、瀧島君のことを好きだから──だけじゃなくて。
彼が私と同じサキヨミの力を持っているから、っていうこともあったのかもしれない。
同じ力を持って、同じ秘密を共有して。
だからこそ、こんな私でも、瀧島君のそばにいていいって思えた。
サキヨミの力があるから、いっしょにいられるんだって。そう思ってた。
だけど、瀧島君は、力を手放す決心をした。そして、私にも力を失ってほしいと思ってる。
瀧島君と私が、二人ともサキヨミの力を失う。
そうなったら、瀧島君にとって、私はどんな存在になるんだろう。
──如月さんのことは、僕が守るよ。
──僕の大切な人は、如月さんただひとりだ。
──僕の『運命の人』は、如月さんだけだよ。
今まで瀧島君が言ってくれた、たくさんのうれしい言葉たち。
それは、不安になったり、くじけそうになったりしたときに勇気をもらえる、私の大事な宝物だった。
でも。もし私が、はじめからサキヨミの力を持っていなかったとしても。
瀧島君は、同じことを言ってくれたのかな。
だって、瀧島君と私のこれまでは、サキヨミの力がなかったら成り立たない。
私からサキヨミの力を引いたら、何が残るの……?
「おーい、美羽。聞いてるか?」
はっとして、顔を上げる。
美術室の机に腰かけたチバ先輩が、私の顔をのぞきこんでいた。
「す、すみません。何でしょう?」
「『三年生を送る会』の出し物だよ。美羽は何か意見あるかって、聞いたところだったんだけど」
(まずい。ぼーっとしてた……!)
今日一日、授業の間も休み時間も、ずっと瀧島君のことを考えていたせいかな。
部活に来たのに、話し合いそっちのけで考えにふけってしまった。
ホワイトボードには、叶井先輩の字で「ダンス」「コント」「歌」と書かれている。
その横には、「装飾:入場ゲート(ダンボール製 デザイン:チバ)」とあった。
三年生を送る会は、卒業する三年生のために、一・二年生が主体になって企画する行事だ。
三月の第一週、つまり再来週に行われる予定なんだ。
「そんな急に聞かれても、すぐには思いつきませんよ。ねえ美羽ちゃん」
すぐそばに座っている夕実ちゃんが、フォローしてくれる。
「あっ、そ、そうだね。ごめんなさい、チバ先輩」
大事な話し合いの最中に考えごとをしてしまったことを反省し、頭を下げる。
「やはりダンスがいいのではないか? 『ミケネコ戦士』のダンスがネット上でにわかに流行っているらしいぞ」
「あっ、知ってる! みけストロベリーとエレンがエンディングで踊ってるやつだよね?」
立ち上がった夕実ちゃんが、叶井先輩とならんで腰に手を当てた。かと思うと、くるくると回りだす。
「あの二人、敵同士なのに妙に相性いいよねえ。戦いの最中でも、おたがいのことを思いやってるっていうか」
「さすが夕実、よくわかっているな。エレン、通称『漆黒の天使』は、ミケネコ戦士の中でも屈指の人気キャラだ。コスプレして踊るのも、盛り上がりそうじゃないか?」
ミケネコ戦士っていうのは、最近人気があるアニメのことだ。みけストロベリーもエレンも、たしかそこに出てくるキャラクターの名前だったはず。
「うーん。ダンスは、正直オレはあんまり気乗りしねえんだよなあ。コントも歌もだが、相当凝ったもんにしねえと映えないっつーか」
手をたたいて踊りを続けている夕実ちゃんたちの横で、チバ先輩が言う。すると、
「そもそもなんですが」
少し離れたところに座っていた瀧島君が、落ち着いた表情で口を開いた。
「去年の美術部は装飾だけで、出し物はしなかったっていう話でしたよね。他の部は、どんな出し物をしたんでしょうか?」
その顔がこちらに向きそうになって、私はあわてて視線をそらした。
部活で今日初めて瀧島君と会ってから、まだ一言も話していない。
話どころか、ろくに目も合わせられていないんだ。
「ダンス部がダンスして、野球部はコント。演劇部は、感動系の劇をやってたな。あとは……」
「たしか、有志の合唱もあったと記憶している」
華麗なターンを決めた叶井先輩が言った。そのとなりで、同じく踊り終わった夕実ちゃんが「うーん」と腕を組む。
「定番だけど、なんだかありきたりな感じもするような……どう、美羽ちゃん?」
名前を呼ばれた私は、すぐさま夕実ちゃんに顔を向けた。
「そうだね。レイラ先輩なら、なんでも喜んでくれるとは思うけど……どうせなら、少しびっくりしてほしいって思うかも」
「びっくり、っていうと?」
瀧島君に聞かれ、びくっと体が震える。
「え、えっと……何か、簡単には思いつかないような……これまでだれもやったことがないようなこと、とか?」
しどろもどろになりながら言うと、チバ先輩が「それいいな!」とひざを打った。
「じゃあ、過去二年間でやった出し物とかぶっちゃダメだな。レイラ先輩たちをあっと言わせるような、キバツで斬新なことを考えねえと」
「ちょっと待て。それじゃあ、ダンスもコントもナシか?」
「劇や歌もな」
「ぬぬ。ハードルが上がったな……」
叶井先輩が、眉間にシワを寄せる。
「ではまず、過去の出し物を調べるところから始めましょうか。たしか生徒会室に、過去の送る会のプログラムがあったと思いますが」
瀧島君の提案に、チバ先輩が「いや」と首をふった。
「こないだ書類整理をしたときに、ぜんぶ資料室に移したんだよ。二年前の出し物はオレも叶井も知らねえから、見にいく必要があるな」
資料室っていうのは、図書室のとなりにある部屋のこと。
昔の卒業アルバムも保管されてて、瀧島君といっしょに見にいったこともあるんだ。
あれは、二人で力を合わせて、咲田先輩に立ち向かおうとしてたときのことだった。
たくさん迷って、怖い思いや悲しい思いもしたけれど。あのときは瀧島君がそばにいてくれるっていう安心感のおかげで、勇気を出して行動することができていた。
(でも、今は……)
「よし。そうと決まれば善は急げだな。資料室に行くぞ!」
叶井先輩の言葉で、みんなが立ち上がった。
「美羽ちゃん、大丈夫?」
夕実ちゃんに小声で言われ、大きくうなずいた。
「うん。行こう」
背中に瀧島君の視線を感じながら、私は夕実ちゃんといっしょに美術室を出た。