15 真相・その2
月曜日。朝の教室で、夕実ちゃんが興奮ぎみに言った。
「もうすごかったんだよ、チバ先輩。絵だけじゃなくて歌もうまいなんて、知らなかったよ」
「へえ! 聞いてみたかったなあ」
「美羽ちゃんも、カラオケ来ればよかったのに。ムリに歌わせたりしないから、次からは瀧島君もいっしょにおいでよね」
「うん」と答えながら、私は瀧島君と食べたコロッケの味を思い出していた。
揚げたてサクサクの衣に、ホクホクのじゃがいも。お肉の香りが食欲をそそって、あっという間に食べてしまったんだ。
「──前住んでいたところも、近くに商店街があって。コウキたちと、よくそこのコロッケを食べてたんだ」
コロッケを食べながら、瀧島君はなつかしそうにそう言った。
「食べながら、如月さんもここにいたらいいのになって、よく思ってた。だから今日は、いっしょに食べることができてすごくうれしいよ」
そういうことだったんだ、と思いながら、私はほおが熱くなるのを感じていた。
コウキ君たちとコロッケを食べながら、瀧島君が私のことを考えてくれていたなんて。
うれしすぎて、その後はあんまり味わって食べることができなかった。
(ああ。でも、すてきな時間だったなあ……)
思い出にひたっていると、夕実ちゃんがふっと薄笑いを浮かべた。
「でも、美羽ちゃんがチョコのこと忘れて帰っちゃうとは思わなかったよ」
「あっ、それ、ほんとにごめん!」
そう。レイラ先輩のことや、瀧島君の言葉で頭がいっぱいになってしまった私は、作ったチョコのことをすっかり忘れたまま家に帰ってしまったんだ。
叶井先輩の家を出るときに、夕実ちゃんが気づいて冷蔵庫に入れておいてくれなかったら、溶けて台無しになっちゃってたかも。
昨日の別れぎわに夕実ちゃんが私を呼んだのは、チョコのことを伝えようとしていたんだって。
「私は、ヒサシ君の家に寄って昨日渡しちゃったんだけど。美羽ちゃんのぶんはうちに持って帰って保管してあるから、心配しないでね。放課後、お母さんが三角公園まで持ってきてくれることになってるから、部活のときに渡すね」
「本当にありがとう、夕実ちゃん! お母さんにまでご迷惑かけちゃって、ごめんね」
「いいんだよ! それより美羽ちゃん、がんばってね。応援してるよ!」
声を落とした夕実ちゃんの様子に、胸がドキンとした。
今日の帰りに、瀧島君にチョコを渡す。
一日おくれになっちゃったけど、瀧島君、喜んでくれるかな。
そのとき、「おはよう」と声をかけられた。アカネちゃんとすみれちゃんだ。
「あっ、おはよう! ねえねえすみれちゃん、聞きたいことがあるんだけど!」
夕実ちゃんがワクワクした声で言うと、
「もしかして、チバ先輩のことかしら」
すみれちゃんはこともなげに答えた。
「ああ、すみれのクッキーのことか? チバ先輩にも渡したっていう」
「そうだよ、アカネちゃん! ていうかチバ先輩と仲良しだったなんて、ぜんぜん聞いてなかったんだけど!」
「仲良し、か。まあ、たしかにそうかもな」
アカネちゃんがにやりとしてすみれちゃんをふりかえる。
「そんなんじゃないわよ。ミミふわや好きな漫画のファンアートを見せ合ったり、感想を言い合っているだけ。ただの推し友よ」
そう語るすみれちゃんの口調は、淡々としていた。表情も、ちらりとも変わらない。
「でも……バレンタインチョコのかわりじゃなかったの?」
「考え過ぎよ、美羽。たしかにバレンタインの贈り物ではあったけど、友チョコならぬ友クッキーに過ぎないわ。それ以上の意味はないわよ」
「ええ、そうなのぉ……?」
夕実ちゃんががっかりする横で、アカネちゃんがくすくすと笑った。
「すみれって、チバ先輩のこととなると口数が増えるよな。いつもチバ先輩と何を話した何を言われたって、うれしそうにあたしに報告してくるくせに」
「うれしそうに、っていうのは、単なるアカネの感想でしょう。事実ではないわ」
そう言ってぷいっとむこうを向いてしまったすみれちゃんは、なんだかすごくかわいくて。
私はうれしい気持ちで、にっこりとほほえんだ。
****
放課後の美術室。
「よし! さっそく、回収箱事件の真相をつきとめるぞ。まずは聞き込み調査だ」
意気込んで言う叶井先輩に、チバ先輩がため息をついた。
「いや、そんなんもういいって。それよりも、来月の『三年生を送る会』のことについて話し合おうぜ。まだ、何も決まってなかったよな」
「それについては、犯人を見つけた後でもおそくはない」
「叶井、オマエなぁ……」
チバ先輩が、ため息をついたとき。
コンコンと、ノックの音がした。全員で、ドアのほうをふりかえる。
静かに引き開けられたドアのむこうには、意外な人物が立っていた。
ゆるい二つ結びを肩の前に垂らした、ひとりの女子生徒。新聞委員会に所属する、かつてのチバ先輩のライバル──倉元さんだ。
「倉元? どうした、こんなとこまで」
チバ先輩に言われると、倉元さんは落ち着かない様子で手をもんだ。
「あの、私、その………………ごめんなさい!」
それは美術室どころか、廊下にも響きわたりそうな大声だった。直角に近い角度で頭を下げた勢いで、二つ結びが大きくはねる。
しばらくみんなでぽかんとした後で、瀧島君が「あの」と静かに歩みよった。
「頭を上げてください。いったい、どういうことなんですか?」
「私……チバ君に、ひどいことをしたんです。謝らなきゃってずっと思いながら、言い出せずにとうとう放課後になってしまって……」
「待ってくれ。それはもしや、生徒会室に置いてあったペットボトル回収箱と関係があることだったりしないか?」
叶井先輩が、興奮ぎみにメガネを押し上げる。すると、倉元さんの顔がよりいっそう青ざめた。
「……そのとおりです。あれは、私がしたことなんです。本当にごめんなさい」
「いや、待て。あの日、倉元は学校を休んでいたよな」
チバ先輩が、けげんそうな顔で言う。
「だから、オマエがしたっていうのは、ムリがあると思うぞ。だれかをかばってるのか?」
「違う、違うんです。本当に、私がしたことなんです……!」
言うなり、倉元さんは両手で顔をおおって肩を震わせ始めた。
あわてて駆けより、そばのイスに座ってもらう。夕実ちゃんからハンカチが差し出されると、倉元さんはそれを遠慮がちに受け取った。
「落ち着いて、ゆっくりでいいので話してもらえませんか」
瀧島君が、優しく話しかける。
「……あの日……家の用事で休んだんですが、午後には終わったんです。それで、学校に置きっぱなしだった新聞の原稿を取りに行くことにしました。そうすれば、週末に作業できると思って」
倉元さんは、職員室で事情を話し、PC室のカギを借りて三階に上がった。無事に原稿を手に入れて帰ろうとしたとき、美術室から大きな声が聞こえて、気になってこっそりドアの前で聞き耳を立てたのだと言う。
「告白とか、呼び出しとか聞こえて、つい気になって……」
そう言うと、倉元さんははっとしたように首をふった。
「これは、新聞委員としての記者魂がさせたことなんです。デリケートな話題については、もちろん記事にしたりはしません。けど、チバ君にそういうことが起こるなんて信じられなくて、どうしても気になってしまっただけで!」
「ずいぶんと失礼な物言いだな。まあ、わからなくもねえけど」
「あっ、その、ごめんなさい。そういう意味では……」
「べつにいいって。それで?」
チバ先輩に言われ、倉元さんは続けた。
「呼び出された場所に向かうために、チバ君が美術室から出てきそうになって。あわててPC室に戻って隠れたんです。だけど、あの部屋の窓からだと木がジャマで、花壇がよく見えなくて……となりの生徒会室に移動したら少しマシになったから、もっとよく見ようと思って窓を開けたんです。そのとき、そばにあった回収箱にぶつかってしまって……」
「それがチバ先輩のところに落ちた、というわけですか」
瀧島君が、すっきりとした表情で言った。
なんと。そういうことだったんだ……!
「すぐにPC室に戻ってカギをかけて、目立たないよう、東階段から下りて帰りました」
「そうか、東階段か。それで、すれ違わなかったんだな」
叶井先輩が納得したようにうなずいた。
「だけど、おかしい。靴はどうしたんだ? あのとき倉元の靴箱には、靴が入っていなかった」
「そんなところまで見てたんですか?」
チバ先輩の言葉に、倉元さんが目を丸くする。
「靴は、職員用玄関ですよ。下校後に再登校する場合は、事務室で理由を記入する必要があるでしょう?」
「……なるほど。律儀なやつだな」
職員用玄関は、一階の事務室のとなり。生徒が使う昇降口とは、少し離れたところにあるんだ。
「で、その……これはあくまで、新聞委員としての興味で聞くんですけど。いったい、だれに呼び出されて、どんな用だったんですか?」
倉元さんが、そわそわと視線を泳がせた。
それに答えて、チバ先輩が「いいや」と首をふる。
「呼び出されてねえよ。あれは、オレあての手紙じゃなかった。間違いだったんだ」
「間違い?」
倉元さんが、目をぱちくりとさせる。
「じゃあ、本当はだれあてだったんです?」
「レイラ先輩だ。手紙を託された一年生が、『美術部の元部長』を『美術部の部長』だとカン違いして、チバに渡してしまったというわけだ」
叶井先輩がなぜか胸を張って答える。
「なるほど……そう、だったんですか。なんだ……」
言ってから、倉元さんはほっとしたように息をついた。
それからすっくと立ち上がり、夕実ちゃんにハンカチを返してお礼を言うと、チバ先輩の前で再び頭を下げた。
「大変なことをしてしまって、本当にすみませんでした。回収箱については、私が責任を持って作り直します」
「いやべつに、いいって。穴が開いたわけでもねえし、拭いたらきれいになったし」
「でも……」
そのとき。
「──原田さん?」
瀧島君が、ドアのほうに向かって言った。見ると、そこには一年生の女子が立っている。
(あれ。この子、どこかで……?)
瀧島君と同じ、B組の子だ。
すごく見覚えがあるんだけど、いったいだれだったっけ……?
「あれ。おまえ、この間の、手紙の……?」
チバ先輩が言うと、一年生女子──原田さんは、びくっと飛び上がるように震えた。
もしかして。深谷先輩から受け取った手紙をチバ先輩に渡した一年生女子って、原田さんのことだったの?
「どうしたんだ、何か用か?」
「あ、あの……チバ先輩に、どうしても言いたいことがあって……」
その言葉を聞いた倉元さんが、はっとしたように表情を固まらせる。原田さんは続けた。
「私……チバ先輩の、ファンなんです! 先輩の描くイラストが大好きで、あこがれてます。それで、金曜に手紙を渡すよう頼まれたとき、どうしても気になって……その、中身を読んでしまったんです!」
そう言うと、原田さんは申し訳なさそうに目を伏せた。
「今日は、それを謝りに来ました。だれにも言っていないので、許してください。本当に、ごめんなさい!」
「……なんだか今日は、よく謝られる日だな」
チバ先輩は、苦笑いをして言った。
「問題はねえ。そもそもあの手紙は、オレあてのものじゃなかったんだ。だけど、気にすることはねえよ。もう解決済みだ」
「そ、そうだったんですか……?」
原田さんは、ほっとしたようにゆっくりと笑顔になった。そうして、二つ折りのメモ用紙をチバ先輩に差し出した。
「実は、私もSNSにイラストを投稿してるんです。これIDなんで、よかったら見てください!」
それじゃあ! と、原田さんはばたばたと廊下を駆けていってしまった。
「あ……わっ、私ももう、行かないと。それじゃあ、チバ君。また明日!」
ひかえめな笑顔をチバ先輩に向けると、倉元さんも美術室から出ていった。
「ファン……か」
チバ先輩は、薄い笑みを浮かべながらもらったメモ用紙をながめた。
「またメモ用紙なんだな。もしやと期待したが、やはり恋愛感情はなさそうだな」
叶井先輩ががっかり半分、うれしさ半分といった表情で言った。
「それに、倉元さんは新聞委員としての興味に駆られただけ。佐藤さんも、いわゆる推し友なわけだろう。チバはしばらく、恋愛には縁がなさそうだな」
「うるせえな、わかってるよ」
(んー。そうかな……?)
夕実ちゃんと瀧島君が、意味ありげな視線をこちらによこした。どうやら二人とも、私と同じことを考えているみたい。
倉元さんは、手紙のあて先がチバ先輩じゃなかったって知って、明らかにほっとしてた。
金曜日は、チバ先輩がだれかに告白されるんじゃないかって知って、いても立ってもいられなかったんだろう。
それってつまり、「チバ先輩のことが気になってる」ってことだよね。
すみれちゃんだって、アカネちゃんに「うれしそうに」報告するくらい、チバ先輩との時間を楽しんでいるみたいだし。
原田さんは本当に「ファン」ってだけかもしれないけど、IDを渡すときの顔が、ほんのり赤くなっていたような気がする。
本人(と叶井先輩)はぜんぜん気づいてないみたいだけど。
チバ先輩って、実はすごくモテるんじゃ……?
「じゃ、ようやく部活を始められるな。『送る会』での装飾と出し物について話し合うぞ!」
「出し物って、おれたちがステージに立つのか? 去年は装飾のみだったと思うが」
「どうせなら出たほうがおもしろいだろ? レイラ先輩と深谷先輩の思い出に残るような、インパクトのあることをしようぜ」
「となると、ダンスかコントだな」
「なんでそうなるんだよ」
チバ先輩と叶井先輩が言い合う中で、夕実ちゃんと瀧島君と私は、目を見合わせてくすりと笑い合った。