7 あやしい待ち合わせ
叶井先輩がおどろいたのは、チバ先輩が送ってきたチャットメッセージを見たからだった。
チバ先輩は、駅前の商店街でレイラ先輩を目撃したんだって。
そのレイラ先輩の様子がおかしいって言うんだ。
同じところをぐるぐる歩いたり、むずかしい顔で何かを考えこんだり。
どうもいつものレイラ先輩じゃないから、声をかけるのもためらわれて、ひとまず叶井先輩に連絡したっていうことだった。
「レイラ先輩、いったいどうしたんだろう。来週はもう、試験本番なんだよね?」
「そうだな、夕実。本番直前で、ナーバスになっているのだろうか」
「心配ですね……レイラ先輩もチバ先輩も、まだ商店街にいるんですか?」
私がたずねると、叶井先輩は「ああ」とうなずいた。
「レイラ先輩はずっと同じ場所──喫茶店の前にいるらしい。チバは物陰に隠れて、離れた場所から見守っているようだ」
「僕、行きますよ」
瀧島君が、縁側の隅に置かれていた上着を手に取った。
「金曜に先輩を見たとき、少し元気がないように見えたんです。何か、なやみごとがあるのかもしれません。様子を見て、場合によっては話を聞いてきます」
「あっ、待って瀧島君! 私も行く!」
「み、美羽ちゃん! じゃあ、私も!」
「もちろんおれも行くぞ!」
バッグを持って、玄関に向かう瀧島君の後を追う。部屋から出てきたおばあちゃんに、「急用ができたので失礼します」と二人で頭を下げた。
「ここからだとバスが早いぞ! バス停はむこうだ!」
庭から走ってきた叶井先輩、少しおくれて家を出てきた夕実ちゃんとともに、私たちはバス停へと急いだ。
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それから二十分ほどで、商店街近くのバス停に到着した。道路の先に、アーケードの入り口が見える。
「チバの言っていた喫茶店は、商店街の中ほどにある。急ごう」
叶井先輩の言葉にうなずき、私たちは小走りで喫茶店へと向かった。
(レイラ先輩、大丈夫かな……)
いつも元気で明るくて、なやみごとなんてなさそうに見えるけど。
レイラ先輩だって、人間なんだから。私と同じように、なやんだり迷ったりするはずだ。
何か、サキヨミが見えるといいな。きっと、レイラ先輩を助ける手がかりになるはず。
「おい、ここだここ!」
その声に、はっとする。
気づくと、喫茶店のすぐそばまで来ていた。その正面にあるメガネ屋さんの大きな看板の陰で、チバ先輩が手まねきをしている。
「チバ。レイラ先輩は?」
「店の中だ。運がいいことに、窓ぎわの席に座ってる」
チバ先輩の視線を追うと、たしかに喫茶店の窓ごしにレイラ先輩の姿が見えた。ボックス席にひとりで座り、うつむいたり顔を上げたり、なんだかそわそわしている。
「店に入ったのは、五分ほど前だ。あそこに座ってから、まだ何も注文してない」
「ということは、待ち合わせでしょうか。相手が来るのを待ってから、注文するつもりなのかも……」
小声で言った瀧島君に、夕実ちゃんが「エッ」と目を丸くした。
「ま、待ち合わせって……まさか、彼氏──」
「そっ、そうなのか、チバ!?」
興奮した様子の叶井先輩に、チバ先輩は「シッ」と指を立てた。
「そんなん、知るかよ。でもたしかに、待ち合わせっぽい感じはするな。今の時間は──三時半になるところか。もう少し待てば、相手が来るかもしれねえ。このまま、見張りを続けるぞ」
「あ、あの……こんなのぞき見みたいなことしちゃって、いいんでしょうか……?」
「これはレイラ先輩のためだ、如月さん」
叶井先輩が、メガネをきらりと光らせた。
「レイラ先輩の元気がなかったと、さっき瀧島が言っていただろう。待ち合わせ相手がどんな男なのかはわからないが、レイラ先輩にとって危険な人間という可能性もおおいにありえる」
「そうだよ、美羽ちゃん! 彼氏だったらすてきだけど、レイラ先輩、ちょっと様子がヘンだし。危ない男の人にひどい目にあわされる前に、私たちが守らなきゃ!」
「いや、まだ相手が男性だと決まったわけでは……」
瀧島君の言葉が、そこで止まった。
不思議に思って見ると、彼はレイラ先輩に目を向けたまま固まっていた。
その唇がかすかに震えるのを見て、はっとする。
「……瀧島君。もしかして、見えた? サキヨミ」
私の言葉に、チバ先輩たちも瀧島君を見た。
「ああ……レイラ先輩のサキヨミが見えた。……けど……」
そう言って、とまどったような表情になる。
「よく、わからない。いったい、どういうことなんだ……?」
瀧島君からサキヨミの内容を聞いた私たちは、しばらく言葉を失ってしまった。
「……ちょっと、待ってくれ。確認なんだが、サキヨミっていうのは『悪い未来』が見える力……なんだよな?」
チバ先輩に問われ、瀧島君と私は同時にうなずいた。
そう、サキヨミで見えるのは、その人にとっての「悪い未来」。
だから瀧島君が見たサキヨミは、レイラ先輩にとっての「悪い未来」のはずなんだけど……。
──深谷先輩が、レイラ先輩と向き合っている。
深谷先輩はしばらくうつむいていたが、意を決したように顔を上げる。
「ずっと、瀬戸のことが好きだった」
「ええっ!?」
レイラ先輩は大声を上げておどろき、困ったような表情で後ずさる。──
瀧島君の見たサキヨミは、次の日に必ず現実になる。
だから、深谷先輩がレイラ先輩に告白するのは、明日っていうことになる。
(やっぱり、この間の呼び出しの手紙は、レイラ先輩に告白するためのものだったのかも……!)
──だけど。
深谷先輩から告白されることが、レイラ先輩にとっての「悪い未来」っていうのは……いったい、どうしてなの?
「つまり……レイラ先輩は、深谷先輩のことが好きではない……ということか?」
叶井先輩の静かな言葉に、ぴしりと空気が凍る。
「そうとはかぎらないよ、ヒサシ君! たとえばホラ、レイラ先輩には他に好きな人がいるとか、それこそ付き合ってる人がいるとかで、断らなきゃいけなくって困っちゃったとか……!」
「どっちにしろ、サキヨミで見えたってことは、深谷先輩の告白が成功することはないってことになる……のか?」
首をかしげたチバ先輩に、瀧島君が答える。
「告白の結果までは、わかりませんが……少なくとも、深谷先輩に告白されることは、レイラ先輩にとって『いいこと』ではない、ということかと思います」
「そんな……!」
ショックで、思わず体がふらついた。
深谷先輩とレイラ先輩はすごく仲が良くて、相性だってばっちりに見えた。
だから、すぐにじゃないかもしれないけど、深谷先輩の思いはいつか届くって思ってた。
おどろきはしても、レイラ先輩はきっと、深谷先輩の気持ちを受け入れるんだろうなって。
それなのに、深谷先輩の告白がレイラ先輩にとって「いいこと」ではない……だなんて。
金曜日、「直接顔を見て話さなければ」と言った深谷先輩の思いつめたような表情を思い出し、胸がしめつけられる。
もしも瀧島君のサキヨミが現実になったら、その後、あの二人はどうなってしまうんだろう。
もう、元には戻れないのかな。二人が笑顔でいっしょに過ごす日は、二度と来ないのかな。
胸の鼓動が、どくんと重たくひびいた。
(……怖い)
「告白」は、二人の関係を進めることもあれば、壊してしまうこともある。
頭の中では、ずっとわかっていたことだ。
それでも私は、瀧島君に自分の気持ちを伝えたいって思ってた。
だけど……とたんに、怖くなってしまった。
伝えてしまったら、もう、伝える前には戻れない。
その後にどんな未来が待っていようとも、受け入れなくちゃならない。
「告白」は、大きく運命を変えてしまう。そんな大変なこと、私、できるのかな──……。
「あっ、おい、あれ!」
チバ先輩の声で、全員の目が喫茶店のほうへ向けられた。
(あっ……!?)
思わず、息をのんだ。
すらりとした背の高い男性が、レイラ先輩に話しかけている。髪には波のようなパーマがかかっており、セーターもパンツもコートもぜんぶ真っ黒の黒ずくめだ。
男性はそのまま先輩の向かい側の席につくと、手を上げて店員を呼ぶ仕草をした。
「ああああっ、あれ、ダレっ!?」
「彼氏か!? いや、それにしては年が離れているか……なんだか、あやしいな」
男性は店員に何かを伝えると、リラックスした様子でほおづえをついた。笑顔で、レイラ先輩に何か話しかけている。
「何を話してるんだろうな。ていうか、何歳だ? 高校……いや、大学生くらいに見えるが」
チバ先輩が言う。たしかに、相手の男性は服装も髪型も洗練されていて、すごく大人っぽい。
レイラ先輩はというと、両手をヒザの上に置いてもじもじしているように見えた。その顔は、少し赤らんでいる。
「なんだか……いい雰囲気だな」
叶井先輩の言葉に、チバ先輩がうなずく。
「少なくとも、おどされたりしてるワケじゃなさそうに見える。今のところは、だけどな」
「では、やはりあれは……」
「年上の彼氏……なのかな」
叶井先輩の言葉を受けて、夕実ちゃんがぼそりとつぶやいた。
「彼氏がいるから、深谷先輩の告白は断らなきゃいけなかったのかも。断れば傷つけることになっちゃうから、優しいレイラ先輩はそれが心苦しくて……だから、悪い未来として見えたのかな」
悲しそうな顔の夕実ちゃんに、きゅっと心が痛む。すると、瀧島君が首をふった。
「いや。まだ、わからない。もう少し、様子を見たほうがいい」
「そうだな。あれだけで、二人が付き合ってると決めつけるのは早すぎる」
チバ先輩の言葉に、そうだとうなずく。もしかしたら、親戚のお兄さんとかかもしれないし。
(でも、それにしては緊張しすぎてる?)
見ていると、男性のほうがずっとしゃべっているようだった。レイラ先輩はときおり何か言いたそうにするのだけど、どうもタイミングが合わないのか、男性にさえぎられてしまうのか、すぐに口を閉じてしまうんだ。
(なんだか、私たちがよく知っているレイラ先輩とは別人みたい……)
場の空気を作り、私たちをぐいぐい引っ張っていくのは、いつもレイラ先輩だった。
だけど今日の先輩は、男性のペースに完全にのまれてしまっているように見える。
「あっ、席を立ったよ!」
夕実ちゃんが言い、私たちはあわてて身をちぢめた。喫茶店から出てくる二人から見えないように、しっかりと看板の後ろに隠れる。
「おい、もうちょっとそっち行けないのか、叶井!」
「ええい、これで限界だっ!」
「お二人とも、落ち着いてください」
瀧島君が、先輩たちをなだめる。と、喫茶店の出入り口から、まず男性が、その後でレイラ先輩がうつむき加減に出てくるのが見えた。その顔に向かって、心の中で問いかける。
(レイラ先輩。その人は、だれなんですか? どうして、そんなにしずんだ表情をしているんですか……?)
男性に話しかけられて、レイラ先輩が静かに顔を上げた──そのとき。
じじじ、というノイズの音が、耳の中にひびいた。