6 日曜の昼下がり
バレンタイン当日の、日曜日。
お昼ごはんを食べた後、私は夕実ちゃんのおうちにおじゃましていた。
昨日は、夕実ちゃんといっしょに買い物に出かけた。チョコの材料だけでなく、ラッピング用品やメッセージカードも買ってきたんだ。
前にもテスト勉強のために来たことがあるけれど、キッチンに入らせてもらうのは初めてだ。
「美羽ちゃん、まぜるときは気泡が入らないように気をつけてね」
「わかった!」
お菓子作りが得意な夕実ちゃんに教えてもらいながら、ゴムべらを動かす。
今作っているのは、「ガナッシュ」っていうもの。
沸騰させた生クリームに、きざんだチョコレートをまぜたものだ。
私がこれから作るのは、ガナッシュを使ったカップチョコレート。
お菓子作りに慣れていない私でも作りやすいチョコを、夕実ちゃんが考えてくれたんだ。
夕実ちゃんはこのガナッシュを使って、トリュフを作るんだって。
「ガナッシュは、いろいろなお菓子に変身できるんだよ。そのまま固めたら生チョコだし、タルトやクッキー、ケーキにも使えるんだ。レシピによって、分量は変えなきゃだけどね」
「へえ……! 夕実ちゃん、作ったことあるの?」
「うん! 小学生のとき、お母さんといっしょにケーキを作ったよ。おいしかった!」
笑顔になる夕実ちゃんを見て、思わずほおがゆるむ。こんなにかわいくてお菓子作りが上手な彼女がいて、叶井先輩は幸せ者だなあ。
夕実ちゃんのおかげで、失敗することなくガナッシュができた。
スプーンを使ってアルミカップに入れていき、その上にナッツやアラザン、星形の砂糖菓子をのせていく。
あとは、冷蔵庫で一時間くらい冷やしたら完成だ。
夕実ちゃんはというと、溶かしたチョコレートの中に丸めたガナッシュを入れ、フォークで取り出して網の上にのせていった。
ガナッシュはあらかじめ冷やしてあったから、その周りについたチョコも冷やされてだんだん固まってくる。
夕実ちゃんはそれが固まりきる前に網の上でチョコを転がし、きれいなツノを作っていった。
(うわあ、すごい! 手つきがあざやか!)
こういうイガイガした形のトリュフ、お店で売ってるの見たことある。夕実ちゃん、ほんとに器用だなあ。
「さて、これで冷やせばできあがりだよ。思ってたより、時間かからなかったね!」
「夕実ちゃんのおかげだよ! いろいろ教えてくれてありがとう。カップチョコ、初めて作ったけど、すごく楽しかった」
「ほんと? それじゃあ、またいっしょに何か作ろうよ! クッキーとかいいかも!」
「うん、いいね!」
時計を見ると、時刻は二時をちょっと過ぎたところだった。
チョコが冷えるのを待つ間に、メッセージカードを書くことになった。
私が買ったのは、花柄の地に「Happy Valentine's Day」と書かれた、あわい水色のカードだ。
(……なんて書けばいいんだろう?)
ふと夕実ちゃんのほうを見ると、ピンク色のカードに「大好き」という文字が見えた。
(いや、さすがに「好き」とはまだ書けない……よね)
でも……「好き」を使わずに、どうやって気持ちを表現したらいいんだろう。
「いつもありがとう」だと、無難すぎるかな。
そもそも私、どうして瀧島君のことが好きなんだろう?
優しいから……だけじゃないよね。
いっしょにいると落ち着くし、安心できる。
でも逆にドキドキすることもあるし、うまく話せなくなっちゃうこともある。
とにかく瀧島君は、他の人とは違う、私にとって唯一の存在なんだ。
なんだろう。「特別」……ってことなのかな。
──瀧島君は、私の特別な人です。
そんな文面を考えたとたん、かあっと顔が熱くなる。
これじゃ、「好きです」って告白してるようなものだ。
(ひとまず、日頃の感謝を伝えて……あとは、「お口に合いますように」……かな)
できあがったカードを見て、ふうっと息をつく。
文字が少なくてちょっとさびしい感じもするけど、とりあえず今は、これくらいがせいいっぱいかな。
その後、冷えて固まったチョコを冷蔵庫から取り出した。ラッピングをして、リボンをかける。
メッセージカードといっしょに紙袋に入れて、準備は完了だ。
「それじゃあ……これから、渡しに行く?」
「うっ……うん」
ワクワクした様子の夕実ちゃんが、私の顔をのぞきこんだ。
「美羽ちゃん、大丈夫? すごく、緊張してるみたい。いっしょに行こうか?」
「だ、大丈夫だよ! 夕実ちゃんは、叶井先輩のところに行かなきゃ。約束してるんでしょ?」
「ううん。サプライズのつもりだったから、何も言ってないんだよ」
「えっ、そうなの?」
「だから、もしかしたら出かけちゃってるかも。一応、連絡して聞いてみるね」
そう言ってスマホを手に取り、文字を入力し始めた。
(私も、瀧島君に連絡しなきゃ……)
ソファの横に置かせてもらったままのバッグから、スマホを取り出す。その手が震えていることに気づき、思わず自分にあきれてしまう。
(チョコを渡すだけなのに、緊張しすぎでしょ……!)
「あっ、美羽ちゃん! 瀧島君に連絡した?」
「えっ? まだだけど、どうして?」
とつぜんの言葉にふりかえると、ほおを紅潮させた夕実ちゃんが走りよってきた。
「ヒサシ君、今家にいるらしいんだけどさ。なんと、瀧島君もいっしょなんだって!」
「……えっ!?」
叶井先輩の家に、瀧島君が?
いったい、どういうこと……!?
****
私は夕実ちゃんと二人、叶井先輩のおうちに向かっていた。
先輩の家は、夕実ちゃんの家からそう遠くないところにあった。
竹林に囲まれた和風の平屋で、イングリッシュガーデンのある夕実ちゃんのおうちとは、かなりふんいきが違う。
「美羽ちゃん、瀧島君に言ったの? チョコのこと」
玄関横のインターホンを押そうとした夕実ちゃんに問われ、私は首をふった。
「ううん、何も。ただ、『夕実ちゃんといっしょに行くね』ってだけ……」
あの後、私もチャットアプリで瀧島君にメッセージを送ったんだ。
「今夕実ちゃんといっしょにいるんだけど、瀧島君、叶井先輩といっしょなの?」って。
夕実ちゃんが叶井先輩に会いに行こうとしてるって知った瀧島君は、「よかったらいっしょにおいでよ」って言ってくれたんだ。
「そっか。おたがいにヒミツなんだね」
夕実ちゃんも私も、作ったばかりのチョコを持ってきている。
そのことは、叶井先輩も瀧島君も知らないんだ。
(でも瀧島君、叶井先輩のおうちで何をしていたんだろう……?)
瀧島君と叶井先輩がお休みの日に会っていたなんて、聞いたことがなかった。
夕実ちゃんも、「たぶん初めてのことなんじゃないかな」って言っていた。
「男子二人でいったい何してたのか、聞き出さないとだね」
いたずらっぽく笑ってそう言うと、夕実ちゃんはインターホンを押した。
ピンポーン、と音が鳴ると同時に、玄関の引き戸ががらりと開く。
出てきたのは、小柄なおばあさんだ。肩に、あたたかそうな藤色のケープをはおっている。
「こんにちは、おばあちゃん!」
「いらっしゃい、夕実ちゃん。と、あなたは、美術部の子だね?」
言われて、「はい!」とうなずく。
「如月です。文化祭以来ですね」
私の言葉に、おばあさんはにっこりとほほえんだ。
このおばあさんは、叶井先輩のおばあちゃんなんだ。文化祭で美術部の展示を見に来てくれて、そのときに一度会っているの。
「ヒサシが待ってるよ。おあがり」
「「おじゃまします」」
広い玄関に入り、靴を脱ぐ。すると、夕実ちゃんがこそっと耳打ちしてきた。
「美羽ちゃん、見た? ヒサシ君が編んだケープ」
「えっ、あれがそうなの……!?」
おどろいて、廊下の先を行くおばあちゃんの背中を見る。
叶井先輩は去年、おばあちゃんにケープを編んでプレゼントしたんだ。夕実ちゃんはその相談に乗ったり、お手伝いをしたんだよね。
編み目が細かくそろっていて、初めて作ったものとは思えない。ていねいに思いをこめて編む叶井先輩の姿が、目に浮かんでくるようだった。
そのとき、奥の部屋の戸がシュバッと開いた。
「夕実、如月さん、待っていたぞ!」
「ワン!」
部屋の中から現れたのは、私服姿の叶井先輩──と、ちぎれんばかりにシッポをふるワンちゃんだった。
「きゃー、チクワ! ひさしぶり!」
(……チクワ?)
「紹介する。柴犬のチクワだ。チクワみたいな色をしているだろう」
「あっ、なるほど! それで、チクワ……!」
「さあ、来てくれ。猫のドラとモナ、ウサギのユキとミミも紹介しよう。おばあちゃんは座っててくれ。ドラマ、途中なんだろう?」
「みなさんのお茶を淹れてくるよ」
「おれがやるからいいよ」
叶井先輩に言われ、おばあちゃんは別の部屋に入っていった。
「さあ行こう。こっちだ」
「あの、叶井先輩。瀧島君は……?」
「いるよ」
廊下の先からした声に、はっと顔を向ける。
すると、奥の部屋から顔を出した瀧島君の姿があった。
「こんにちは、如月さん」
そう言って、にっこりとほほえんでくれる。
「こ、こんにちは、瀧島君……!」
私は、チョコの入った紙袋をそっと背中のほうに回した。
(うわ、どうしよう。すっごく、緊張してきた……!)
瀧島君がいたお部屋に通される。畳敷きの、広いお部屋だった。
「ドラとモナはおどろいて別の部屋に行ってしまったらしいな。縁側に行こう。ユキとミミがひなたぼっこしている」
「あ、ヒサシ君!」
夕実ちゃんの呼びかけにかまわず、叶井先輩は障子を開けて出て行ってしまった。
「ああ、もう……! 瀧島君と美羽ちゃんがいるからかな。いつもよりテンション高いみたい」
夕実ちゃんは、チョコの袋をバッグといっしょに座卓の下へと置いた。そうして、こそっと私の耳に口を寄せる。
「ごめんね。ひとまずヒサシ君に付き合ってあげてくれる? あとで瀧島君と二人きりになるチャンス、作るから」
(えっ……!)
ドキッと胸がはねる。すると、障子のそばに立つ瀧島君がこちらをふりかえった。
「叶井先輩の家、本当に動物がたくさんいるんだね。おどろいたよ」
「そうなの。犬が三匹、猫とウサギが二匹ずつ。あとは亀が一匹かな。すっごくにぎやかなの」
夕実ちゃんが答える間に、私も夕実ちゃんのマネをして荷物を置いた。チョコの袋をバッグの後ろに隠すようにしながら、瀧島君にたずねる。
「えっと、瀧島君、どうして今日は叶井先輩のおうちに?」
「図書館でばったり会ってね。話しているうちに、ぜひうちに来いって誘われたんだ」
「図書館?」
「そっか。ヒサシ君、よく図書館で映画のDVD借りてるから。瀧島君は勉強してたの?」
「いや、その……苦手を克服する方法が何かないか、調べてたんだ」
「ニガテ?」
夕実ちゃんが目をぱちくりとさせる。
すると瀧島君は少し視線を泳がせ、縁側のほうを指さした。近づいて、その先を見やる。
縁側のむこうには、広い庭があった。いつの間にか庭に下りていた叶井先輩が、三匹の犬とたわむれているのが見える。
チクワの他に、大きな犬が二匹いた。一匹はクリーム色で耳が垂れていて、もう一匹は白くてモフモフしている。
(あっ、そうだ! 瀧島君は……)
「……実は、大きい犬が苦手なんだ」
「えっ! そうだったの!?」
夕実ちゃんがおどろく横で、私は納得していた。
小さい頃、瀧島君はドッグランで犬にかまれてしまったことがある。それがきっかけで、大きな犬が苦手になってしまったんだ。
「ゴールデンレトリバーのキナコと、サモエドのナルトだ! かわいいだろう!」
ぺろぺろと顔をなめられながら、叶井先輩が三匹をかわるがわるわしゃわしゃした。
「うちの犬は絶対に人をかんだりしないから、瀧島も安心して犬慣れの訓練ができるぞ。ほら、もう一度挑戦だ。まずは、ひとなでしてみるんだ!」
「ちょっとヒサシ君、いきなりそれじゃ強引すぎるってば! 瀧島君、ムリしなくていいからね!」
まったくもう、と夕実ちゃんが縁側を歩いて叶井先輩のほうへと向かう。
残された瀧島君と、なんとなく目が合う。彼はきまり悪そうに苦笑いをした。
「一時間くらい、がんばってみたんだけどね。まだ、近づくだけでせいいっぱいなんだ」
「じゅうぶん、すごいよ! 苦手を克服しようって思うだけでも、本当に立派だと思う」
私の言葉に、瀧島君は照れたように目を細めた。
「ありがとう。今のうちに、なんとかしておいたほうがいいって思って」
「今のうちに?」
あ、と瀧島君が口を押さえる。
「……言っても、笑わない?」
うん、とうなずくと、瀧島君は視線を横に流した。
「将来のことを考えたら、苦手なことは減らしておいたほうがいいと思って。その……いっしょに暮らす人とか、家族のためにも……」
(……いっしょに、暮らす……?)
まさかの言葉に、思わずぽかんとしてしまう。
たしかに「将来のこと」だけど、なんだかすごく具体的な話……!
「……引いた?」
「えっ、まさか! そこまでちゃんと考えてるなんて、すごいって思ったよ!」
まさか、瀧島君の「犬慣れ」のウラに、そんなことがからんでいたなんて。
ぜんぜん想像もしなかったから、すごくおどろいた。でも、さすが瀧島君だなって思う。
(大人になった瀧島君、すごくすてきだろうな……)
将来のことなんて、私にはうまく考えられないけれど。
大人になっても、私は瀧島君のそばにいられるのかな……。
(それはさすがに、高望みしすぎ……だよね)
「瀧島君といっしょにいられる人は、幸せだね」
ふともれ出たそんなつぶやきに、はっとわれに返る。
瀧島君が「えっ」と小さく声を出し、私を見つめていた。
あまりの恥ずかしさに、ばっとうつむく。
「え、えっと、今のは……!」
あわててそう言ったときだった。
「……何っ!? レイラ先輩が!?」
叶井先輩の大声に、チクワが「ワンっ」と一声鳴いた。