3 ふたつの事件
「……まあ、素直に言うこと聞くわけないよねぇ」
夕実ちゃんが、小声で言った。
ここは、昇降口のポーチのはじっこだ。屋根を支える柱の陰で、夕実ちゃんと叶井先輩、そして瀧島君と私は、チバ先輩のいる花壇のほうを見つめていた。
部活の時間だからか、周辺に生徒の姿はない。
(こんなのぞき見みたいなこと、していいのかな……)
「どうしても気になる!」という叶井先輩と夕実ちゃんを追いかける形で、瀧島君と私もついてきてしまった。
意外だったのは、瀧島君も「見に行きたい」って言ったこと。
てっきり夕実ちゃんたちを止めるものだと思っていたから、びっくりしたんだ。
花壇の前に立ったチバ先輩は、のんきにあくびをしている。
瀧島君の言うように、告白の呼び出しじゃないのなら。いったい、だれが何のためにチバ先輩を呼び出したんだろう?
「……おかしいな。もう、四時半を過ぎたぞ」
叶井先輩が言った。ふりかえって壁にかけられている時計を見ると、たしかに四時半を二分ほど過ぎたところだった。
チバ先輩のまわりには、だれもいない。だれかがやって来る気配もなかった。
「もしかして、私たちがいるせいかな。気づかれちゃったのかも……」
私の言葉に、瀧島君が首をふった。
「いや、この場所は、どこからも見えないはずだ」
「それじゃあ……いたずら、だったとか?」
さっきまでワクワクと顔を輝かせていた夕実ちゃんが、ぎゅっと眉を寄せた。
「……もう少し、待ってみよう」
叶井先輩に言われて、ふたたびチバ先輩のほうに目を向ける。
そのとき、思いがけないことが起こった。
とつぜん、何か大きなものが上から降ってきたんだ。
──ぐしゃり。
鈍い音を立てて、それはチバ先輩の足元に落ちた。
「何だ!?」
叶井先輩が、柱の陰から飛び出す。私たちも、あわててその後を追った。
「おい、チバ、どうした!」
「……なんだ、オマエら。マジメに部活してろって言ったろ」
あきれた様子のチバ先輩に、私はおずおずとたずねた。
「チバ先輩、大丈夫でしたか?」
「ああ。まあ、おどろいたけどな。キケンなものじゃねえよ」
チバ先輩が見下ろした先にあったのは、ダンボール箱だった。中は空で、少しゆがんでいるけれども壊れてはいない。
すると、瀧島君がこわばった表情になった。
「これ……もしかして、チバ先輩が作ったものでは?」
(えっ!?)
おどろいてチバ先輩を見ると、彼は落ち着いた表情でうなずいた。
「ああ、そうだ。来週からペットボトルキャップ回収運動が始まるだろ? そのために作った回収箱だ」
そういえば、生徒会だよりで見た。集めたペットボトルキャップを業者に買い取ってもらって、世界の子どもたちへのワクチン代として寄付するっていう取り組みだ。
「少し汚れはしたけど、まあ問題はねえだろ」
チバ先輩がダンボール箱を持ち上げる。
その側面に貼られていたイラストは、一部土で汚れてしまっていた。
「これは、チバが描いたもの……なんだよな?」
「ああ」
叶井先輩が、校舎を見上げる。
「ちょうどこの真上は、生徒会室だよな」
「そうだな。おかしいな、窓は開いてなかったはずなんだが」
チバ先輩の言葉で見上げると、三階の生徒会室の窓が三十センチほど開いているのが見えた。
「……おい! 生徒会室の鍵は、開いてるのか!?」
「ああ。部活の途中で書類整理するつもりだったから、美術室に行く前に開けてきた。鍵はオレが持ってる」
チバ先輩がポケットから鍵を取り出したのとほぼ同時に、叶井先輩は昇降口へと駆けだした。
「──まだ犯人がいるかもしれん! 行くぞ!」
「えっ、ええ!? ちょっと待ってヒサシ君!」
夕実ちゃんがあわててその後を追いかけた。
「犯人って……大げさなやつだな。ひとまず、オレらも行くか。もう、だれも来なそうだしな」
チバ先輩は、回収箱を持って昇降口に歩いていった。
そのひょうひょうとした様子に、つきりと胸が痛む。
(チバ先輩……どうして、あんなに普通でいられるんだろう)
だって。手紙で呼び出されて時間どおりにやって来たら、自分が作ったものが上から落ちてくる、なんて。
これ、チバ先輩を困らせるための、いやがらせ……だったりしないかな。
もちろん、そんなことを考えて実行する人がいるなんて、考えたくないけど。
叶井先輩が「犯人」って言葉を使ったのも、きっと私と同じように考えたからだよね。
「如月さん、大丈夫だよ」
校舎の中に戻って中央階段を上がっていると、瀧島君がこそっと話しかけてきた。
「カンで悪いんだけど、これはたぶん、如月さんが心配しているようなことじゃないと思う」
「えっ、それって、いやが……」
いやがらせ、と言おうとしてはっと口をつぐむ。
小声だから、少し前を歩くチバ先輩には聞こえていないはずだけど、はっきりと口に出したくなかったんだ。
瀧島君は、私の考えを理解しているように優しくうなずいた。
「あの手紙の筆跡、どこかで見たことがある気がするんだ。さっきからずっと気になっているんだけど、思い出せなくて」
「えっ、筆跡? あの殴り書きで、わかるの?」
「殴り書きでも、独特のクセがあるように感じてね。僕が筆跡を覚えている人の数は、この学校内にそう多くない。僕が思う限りでは、その中にあんな卑劣なことをするような人間はいない」
「でも……それじゃあ、どうしてあのタイミングで回収箱が落ちてきたんだろう」
「それはまだ、ナゾだけどね。今はひとまず、生徒会室に急ごう」
うん、とうなずきながら、心が楽になるのを感じた。
瀧島君が言うのなら、きっと間違いないよね。
生徒会室は、三階に上がってすぐ正面にある。ちなみに美術室は、同じ三階の西端だ。
生徒会室のとなりにはPC室があって、生徒会室とつながるドアがある。PC室は新聞委員会やPC部の活動場所だけど、今日はどちらの活動日でもなく、三階は静かだった。
「生徒会室だけでなく、PC室にもだれもいなかった」
叶井先輩がむずかしい顔をして言った。
「さらに言えば、三階の教室で今現在出入りできるのは、三年生の教室と生徒会室、図書室と美術室のみ。他の特別教室はすべて施錠されていた。図書室には仕事中の図書委員のみで他の生徒はいなかったし、三年生の教室やトイレにも生徒の姿はなかった」
「あ、女子トイレは、私が確認しました」
夕実ちゃんが付け加える。
「そして、階段ではだれともすれ違わなかった。足音も聞こえなかったし、人の気配も感じなかった。おまえたちはどうだった?」
聞かれて、チバ先輩が首をふる。
「いや、オレたちも、だれともすれ違ってねえ」
すると、叶井先輩は腕組みをして首をひねった。
「不思議だ。素早く二階に逃げたのだとしても、気配くらいは感じていいはずなのに……犯人は、いったいどこに消えたんだ? やはり、まだどこかに隠れているのか?」
「でも、棚の中とかもひととおり見たけど、何もなかったよね」
夕実ちゃんが言う。この短時間の間に、ずいぶんいろいろと調べていたらしい。
「閉まっていた窓が開いているということは、確実にここに人がいたはずだ。やはり、もう一度調べよう」
「おい、叶井。オマエ、この状況を楽しんでねえか? べつに事件でもなんでもないし、シロート探偵は必要ねえぞ」
「何を言う! 明らかに不可解なできごとではないか。あらゆる可能性を考えて、徹底的に調べるべきだ!」
「もしそうだったとしても、べつにたいした被害じゃねえし。好きにさせときゃいいだろ」
回収箱の形を整えながらチバ先輩が言う。叶井先輩はいらだたしげに眉を寄せた。
「もしやとは思うが……倉元陣営が関係しているのか? サカキたち、口では応援すると言っておきながら、チバが生徒会長であることに納得していないのでは……」
倉元さんっていうのは、チバ先輩と生徒会長選挙を戦ったもうひとりの候補者、倉元かさねさんのこと。
サカキ先輩は倉元さんと同じ新聞委員で、彼女のことを応援していたメンバーのひとりだ。
「倉元は今日休みだし、サカキたちも帰るところを見たぞ。さっき靴箱を見たけど、全員靴なかったしな」
それに、とチバ先輩は付け加える。
「あいつらは、そんなくだらないことしねえよ。よくわからねえけど、偶然だろ」
言いながら、チバ先輩は回収箱を窓ぎわに戻した。そうして、開いた窓を静かに閉める。
その後、まだ納得していない様子の叶井先輩とともに、私たちは美術室へと戻った。
(でも、不思議だなあ……)
箱が落ちてきたのが偶然だったなら、あの手紙はいったい何だったんだろう。
チバ先輩を呼び出した人は、どうして花壇の前に現れなかったんだろう?
実は、呼び出したのは本当に告白するためだったけど。いざとなったらおじけづいてしまって、行く勇気が出なかった……とか?
そんなことを考えながら、美術室に入る。すると、
「あれ? なんだ、これ」
チバ先輩が、不思議そうな声を出した。机に置いてあった、自分のカバンをのぞきこんでいる。
「なんだ、異物か!? 危険物か!?」
「ちげえよ。これは……クッキー、だな」
チバ先輩がカバンから取り出したのは、ピンク色のリボンのついた透明の袋だった。中には、きつね色の丸いクッキーがたくさん入っている。
「だっ、だれからだ!?」
「あいにく、わからねえな。何も書いてねえし、カードとかも入ってねえ。ああもう、何なんだよ今日は……」
チバ先輩がため息をついたとき。
「う、うわあああ! これ、これですよ! あの手紙は、チバ先輩をカバンから引き離すためのものだったんですよ!!」
夕実ちゃんが興奮してぶんぶんと腕をふる。
「きっと、直接渡す勇気がなくて! でも教室だとたいてい人がいるし、そうじゃなくてもだれかに見られちゃうかもしれないから! 部活のときまで待って、だれもいなくなったスキにこうしてカバンにクッキーを忍び込ませる作戦だったんですよ!」
な、なるほど……!
「夕実、すごいぞ! 名推理だ!」
「いや、ちょっと待って。チバ先輩を呼び出したところで、僕たちまで美術室からいなくなるとはかぎらないよ」
瀧島君が言う。たしかに。今回はたまたまそうなった、ってだけかもしれない。
「そのとおりだ。オマエらのことをよく知ってなきゃ、そこまで見越せねえだろ」
そう言ってクッキーを見ていたチバ先輩の顔から、ふっと表情が消えた。ゆっくりとリボンをほどき、中のクッキーを一枚取り出す。
「これ……くるみ、か?」
「あっ、そうですね! くるみクッキーですよ。見た目とにおいからして、間違いありません」
夕実ちゃんが鼻をふんふんと動かしながら言う。
「おいしそうだな。食べてみたらどうだ、チバ。それとも、これもあやしくて食べられないか?」
「ああ。食べられねえな」
「え?」
叶井先輩がきょとんとする。
すると、チバ先輩が真剣な表情で言った。
「オレ、くるみアレルギーなんだよ」