
私、如月美羽は、未来が見える「サキヨミ」の力を持っているーーー!
角川つばさ文庫の大人気・学園ラブミステリー「サキヨミ!」シリーズが、6月11日発売予定の第15巻でついに完結! 発売を記念して、クライマックスにつづく11巻~14巻を大公開します! 期間限定でまるごと読めちゃう、このチャンスをお見逃しなく★
(公開期限:2025年7月25日(金)23:59まで)
※これまでのお話はコチラから
13 私たちの気持ち
あの後、お父さんが消防隊員やお母さんに状況説明をした。
現場を見た隊員さんによれば、火元はトースター。火はしっかりと消し止められており、結果的に部屋の一角を燃やしただけのボヤですんだということだった。
となりの部屋──瀧島君のお父さんの住んでいる部屋も、無事だ。
迅速に住人を助け出して消火活動をしたこともだけど、煙に巻かれないようにすぐに窓を開けたお父さんの行動も、消防隊員はほめていた。
火はもちろん、煙もとても怖いものらしい。一酸化炭素中毒になってしまったり、高温の煙を吸ってしまった場合は、気道や肺にやけどを負って窒息してしまうこともあるんだって。
学校での避難訓練のときにハンカチで口を押さえるのは、煙を吸わないためだってことは知ってたけど。
煙がそこまで怖いものだとは、今まで考えたことがなかった。
さっきはむやみに火事の現場に飛び込んじゃったけど、今考えたら本当に危なかったな。
ハルト君とリナちゃんのお母さんは、瀧島君のお父さんに何度も頭を下げていた。
車いすの女性も、瀧島君にお礼を言っていた。
たまたまご家族の方が留守のタイミングで火事が起きてしまい、階段を下りられなくて困っていたところに瀧島君が駆けつけたんだそうだ。
瀧島君が手を貸してくれたおかげで無事に避難することができた、本当にありがとうと、女性は涙ぐみながらお辞儀をしていた。
動き出したエレベーターで車いすの女性を部屋まで送り届けると、瀧島君とお父さん、私は、四階のお父さんの部屋へと向かった。
中のつくりは、私が住んでいるマンションとよく似ていた。
リビングに通された後、「シャワーを浴びて着がえる」と言ってお父さんは部屋を出ていった。
「疲れたよね。何か飲む? 緑茶と紅茶と、コーヒーもあるけど」
「あっ、えっと、じゃあ……緑茶、お願いしてもいいかな」
「わかった」
キッチンに入ると、瀧島君は慣れた動作でケトルに水を入れた。
お湯をわかす間に棚からティーポットを取り出し、茶筒からお茶っ葉を入れる。
「瀧島君は、去年までここに住んでたんだね」
ふかふかのソファに座りながら、なんとなく落ち着かない気持ちで部屋を見回す。
「うん。つい最近も、ここで寝泊まりしてたけどね」
あ、そうか……! 冬休みは、ずっとここにいたんだよね。
テレビ台に、いくつもの家族写真がならんでいる。
顔をくっつけるようにして笑っている四人は、とても仲が良さそうに見えた。
(瀧島君のお母さん、初めて見たけど……すごく、きれいな人なんだな)
ショートカットのお母さんには、どことなくヒナノさんの面影があった。きれいの中に、かわいいが隠れている感じ。
改めて見ると、お父さんも俳優さんみたいに渋くてかっこいいし。
まるでドラマに出てくるような、すてきな家族だな。
しばらくすると、お湯がわいたようだった。
瀧島君がマグカップに緑茶を注ぎ、持ってきてくれる。
「ありがとう」
ソファに座ると、瀧島君も自分のマグカップに口をつけた。
「瀧島君、大活躍だったね」
私に言われて、瀧島君は照れたように首をふった。
「いや……そんなことないよ。とにかく、必死だったんだ。自分にできることをしなきゃって、それしか考えられなかった。でもそれは……たぶん、父のおかげだ」
目を細めた瀧島君を前に、私は思い出す。たしかに瀧島君、「父さんがいるんだ」って言って、自分を奮い立たせているように見えた。
「渋滞を防げて、本当によかったよ。そうじゃなければ、火事が起きたとき、僕らはもちろん、父もマンションに戻ってきてはいなかっただろうからね」
「あっ……そうか!」
ハルト君たちを助けて消火活動をするというお父さんの行動がなければ、きっとこれだけではすんでいない。
もっと火が燃え広がって、もしかしたらリナちゃんも危なかったかもしれないし、この部屋にも火が燃え移ってしまっていたかもしれないんだ。
そのとき。
かちゃり、とリビングのドアが開いた。
服を着がえたお父さんが、半がわきの頭で入ってくる。
瀧島君はだまってキッチンに行くと、お父さんのぶんのお茶を淹れて戻ってきた。
「ああ……ありがとう」
お父さんは、テーブルを挟んだ向こう側のソファに腰かけた。
瀧島君は、私のとなり──お父さんの正面に座り、口を開いた。
「今日ここに来たのは、転校のことについて話し合うためだ」
(……いよいよだ)
緊張を感じて、きゅっと拳をにぎる。
「いいぞ。話してみろ」
そう言うと、お父さんは表情を変えずに緑茶をひと飲みした。
「僕は、如月さんと離れたくない。如月さんは、僕にとってなくてはならない存在だからだ」
「それは前にも聞いたな。単なる思いこみだと言っただろう。まだわからないのか?」
お父さんの相変わらずのかたくなな態度に、私は眉を寄せた。
でも、瀧島君は動揺しなかった。ペースを崩さずに続ける。
「如月さんは以前、小学校時代のことで悩む僕にこう言ってくれた。『過去は変えられないけど、過去の意味は変えられる。後悔する必要なんてない。どんなできごとも、今につながる大事な経験だ』って」
ぴくり、とお父さんの眉が動いた。同時に、私のほうへと視線が向けられる。
「……なるほど。それで?」
「如月さんがいたから、僕はいろいろなことに挑戦できた。中学に入ってからの出会いも、経験も、すべて如月さんがいなければ手に入れられなかったものだ。僕は……如月さんや美術部のみんなといっしょにいる自分も、ともに過ごす時間も、とても好きなんだ。彼らは自分にとって大きな意味がある存在だし、絶対に失いたくないと思ってる」
熱のこもったその言葉に、じわりと胸が熱くなる。
お父さんは、じっと瀧島君の顔を見つめた。
「つまり、おまえは如月さんに依存しているんだな」
「……依存?」
「心のどこかで、如月さんのことを頼ってしまっているんだよ。『自分には如月さんがいないとダメだ』と強く思いこんでしまっている。それは言い方を変えれば、『如月さんがいなければ何もできない』というのと同じことだ」
「違う、そうじゃない」
「違わない。そんな状態では、いつまで経っても成長できないだろう。過去にしがみつかず、前を見て生きろ。おまえの前には、たくさんの可能性が広がっているんだ。如月さんに執着していたら、その可能性をつぶすことになってしまう」
「逆だよ。如月さんがいるからこそ、たくさんの可能性が開けてくるんだよ」
「おまえがそう思いこんでいるだけだ。事実ではない」
お父さんは、わざと硬い音を立てるようにマグカップを素早くテーブルに置いた。
「幸都。私は、おまえの未来を大事に思っているんだ。現実を見てくれ。おまえは、まだ中学生だ。体は成長したかもしれないが、心はそうじゃない。だから私がそばにいて、おまえを導いてやる必要があるんだ」
「それは、違います!」
リビングに、私の声がひびいた。お父さんが、目を見開いて私を見ている。
「瀧島君は……瀧島君の心は、立派に成長しています。お父さんが思っているような子どもじゃありません」
瀧島君のいるほうから、はっと息をのむような音がした。ほほに、瀧島君の視線を感じる。
「私は、中学に入って瀧島君と再会しました。最初は、ユキちゃん──思い出の中の幼なじみと同じ人だって、わからなかったんです。それは、私の中にいたユキちゃんと、目の前に現れた瀧島君のイメージが、違っていたからだと思います」
私の言葉に、お父さんがふっと笑った。
「十年近く経てば、そりゃ見た目は変わるだろうね」
「父さん……!」
「もちろん、それもあったと思います。でも、それだけじゃありません」
ひざに置いた手に、ぐっと力をこめる。
「瀧島君は、人との関わりを避けていた私に大事なことを教えてくれました。『自分の気持ちを大事にする』ということです。そのおかげで顔を上げて笑えるようになった私は、たくさんの仲間に恵まれました。瀧島君がいなければ、私はいまだにだれとも関わらず、ひとりぼっちのままだったはずです」
一呼吸ほどの間を置いて、お父さんが「なるほど」とうなずく。
「君もだ。君も、幸都のおかげで現状がうまくいっていると思っている。でもそれは、一時のまぼろしに過ぎない。そもそも『気持ち』なんていう不安定なものをガイドにしたら、迷うだけだ。言っただろう、気持ち──感情は、ノイズなんだと」
「違います。ノイズなんかじゃありません」
すぐさま言葉を返した私を、お父さんは意外そうな表情で見た。
「瀧島君は、ユキちゃんだった頃から、ずっと変わらない優しさを持ち続けています。その優しさで、私だけでなく、たくさんの人を救ってきたんです。
今日だって、そうです。横断歩道で危ない目にあいそうだったお年寄りを、みずからの危険をかえりみずに助けました。さっきだって、車いすの女性に手を貸して避難をサポートしました。お父さんだって見ていたはずです」
車いす、という言葉で、お父さんの瞳がゆらめいたように見えた。
私は身を乗り出して続ける。
「それだけじゃありません。小さい頃に駐車場で危険な目にあったのは、みゅーちゃんを助けるためであり、みゅーちゃんを見つけて私を喜ばせるため。ジャングルジムでのことだって、私の弟のシュウを助けようとしたからなんです。瀧島君の行動の背後には、いつだって彼の優しさがあるんです」
そう言って、私は瀧島君に顔を向けた。
瀧島君はややうるんだ瞳で、じっと私を見つめている。
「こんなに優しくて、人のために行動できる瀧島君の優しい心を、幼いだなんて言ってほしくありません。気持ちがノイズだなんて、もっと言ってほしくありません。だれかを助けたいと思う気持ちがノイズだって言うなら、世の中の人のかかえる気持ちは、ぜんぶノイズです」
「だが、気持ちが思考をジャマすることだってあるだろう」
「それは、あるかもしれません。でも、その気持ちそのものが尊いっていうことに変わりはありません。お父さんの瀧島君に対する気持ちも、瀧島君がお父さんに理解してもらいたいと思う気持ちも、どっちも、かけがえのない大事なものです!」
すると、瀧島君が「父さん」と口を開いた。
「父さんは前に、『気持ちに流されて間違った行動を取ってしまう』って言ったよね。でも、間違ってるかどうかなんて、その場ですぐに判断できることじゃないと思う。どんな行動もできごとも、そのときどきの状況によって意味は変わる。災難でしかないと思えたことが思わぬ幸せにつながることだって、世の中にはあるはずだ」
私は瀧島君に賛同するように、何度もうなずいた。
今日のことだって、そうだ。
バスの急停車と渋滞を防いだことで、ハルちゃんは怪我をせずにすんで。
でも、そのせいでまずいところでお父さんと鉢合わせしてしまって。
だけどやっぱりそのおかげで、火事の規模を小さくして、たくさんの人を守ることができたんだから。
そのときは「よくない」とか「間違ってる」って思うことでも、時が経てば、その逆になることだってある。
むしろ、そうやってすぐに判断をすることで、自分の行動の幅をせばめてしまうことだってあるんじゃないかな。
それだと、お父さんが言っていた瀧島君の「可能性」を、逆に小さくしてしまうことになる。
「父さんは、大人だ。大人は、僕たちよりもたくさんのことを知っているし、いろんなことを経験している。だから、僕たちに教えられることもたくさんあるだろう。でも」
瀧島君が、キッとお父さんに鋭い視線を向けた。
「大人が常に正しいとは限らない」
お父さんは、虚をつかれたように目をしばたたいた。
そうだよ。私たちの感情が「ノイズ」かどうかなんて、きっとお父さんには判断できない。
瀧島君の気持ちも、お父さんの気持ちも、決してノイズなんかじゃない。
だって、その気持ちの芯にあるのは、「相手への愛」なんだから。
気持ちの表面じゃなくて、芯を見つめ直せばいい。そうして、それを相手に伝えるんだ。
愛をもって伝えれば、きっと通じる。心を通わせ合うことができる。
「お父さん。私の気持ちを、聞いてください」
一度瀧島君に顔を向けてから、私はお父さんの目を見て告げた。
「私は、これからも瀧島君といっしょにいたいです。瀧島君や美術部の仲間たちといろいろなことを経験して、いっしょに成長していきたいです」
われながら、芯の通った力強い声だった。
「父さん。僕の気持ちも言うよ」
瀧島君が、落ち着いた声で言う。
「父さんが僕のことを大事に思ってくれていることは、わかっているつもりだ。ありがたいとも思ってる。けど、僕は父さんの息子である前に、ひとりの人間だ。僕の意思を尊重してほしい。いっしょにいる人は、自分で選びたいんだ」
すると瀧島君は、ぐっと体を前に傾けた。
「僕は、如月さんたち美術部の仲間といっしょにいたい。離れたくないんだ。だから、転校のことは考え直してほしい。お願いだ」
そう言うと、瀧島君はお父さんに向かって頭を下げた。
「僕たちの気持ちを、見つめてほしい」
ひざの上でにぎられた瀧島君の拳は、かすかに震えているようだった。