17 伝えたい思い
委員会の仕事があるという瀧島君と別れ、私は夕実ちゃんといっしょに美術室を出た。
いつも夕実ちゃんといっしょに帰る叶井先輩は、今日は家の用事があるとかで一足先に帰っていた。
こんなふうに夕実ちゃんと二人で帰るのは、ひさしぶりのことだ。
(今日が、チャンスかも……)
私は心の中で「よし」と決意して、「夕実ちゃん」と声をかけた。
「二人で、話したいことがあるんだ。いいかな」
となりを歩く夕実ちゃんは、私を見て目をぱちくりさせた。そうして、にこっとうなずく。
「もちろんだよ。三角公園、行こっか」
三角公園は、学校の近くにある公園だ。その名の通り、フェンスで囲まれた敷地が三角形をしている。
「話って何、美羽ちゃん?」
ベンチに腰かけた夕実ちゃんが、笑顔でたずねてくる。
自分で決めたことながら、私は緊張してその顔を見返した。
私には、ずっと夕実ちゃんに話したいと思っていたことがある。
去年の秋に、瀧島君から言われた言葉──「好きだった」、という言葉のこと。
そして、私自身の、瀧島君への気持ちのことだ。
「あのね。去年、部活のみんなでハロウィンパーティしたでしょ。あの日に、私……瀧島君から、『好きだった』って言われたの」
夕実ちゃんが、大きな目を見開いた。ぽかんと口を開け、私を見つめる。
「えっ、えっ……えええっ!? それ、ほんと!?」
「う、うん」
「そ、それで、美羽ちゃん、それでなんて答えたの!?」
「えっと……『そうなんだ』って」
「ええっ!? それだけ!?」
「あと、『ごめんなさい』って」
「はぁぁぁいっ!?」
夕実ちゃんが、両手でがしっと私の肩をつかんだ。
「なんで、どうして!」
「なんでって……! だって、過去形だったんだよ。だから、瀧島君の気持ちに気づけなくて申し訳なかったなって思って……」
夕実ちゃんが、とたんに唇を引き結んでぴたりと止まる。
「待って、美羽ちゃん。もう一度、くわしく話してくれないかな。瀧島君は、どんな流れでなんて言ったの? 正確にお願い」
「ええっと……まず、咲田先輩のことを話してて。その後、瀧島君が『文化祭のときに話したいことがあるって言っただろう』って言ってきて、それで……」
「話したいこと?」
「うん。文化祭が終わった後、瀧島君から『話したいことがある』って言われたんだ。咲田先輩が来ていろいろあって、結局そのまま流れちゃったんだけど」
「なるほど。で、『話したいことがある』の次は? 瀧島君、なんて言ったの?」
「……『好きだったんだ。如月さんのことが』……って」
それを聞いた夕実ちゃんは、肩に置いた手を引っ込めて「うーん」と首をひねった。
「好きだった……か。たしかに、過去形なのは引っかかるね。美羽ちゃん、瀧島君は本当にそう言ったの? 『好きだったんだ』って」
「うん。そうだったと思うよ」
「そう、かぁ……」
そのまま腕を組み、夕実ちゃんは修行僧のように静かな表情で目を閉じた。
「うーん、不思議だなぁ。瀧島君のことだから、何か意味があってそう言ったと思うんだけど……」
「たぶん、サキヨミのことが関係あったんだと思うの。実はね、咲田先輩は、『恋をするとサキヨミが見えなくなる』っていう仮説を立てていたんだ」
「恋をすると?」
クリスマスイベントのとき、どうもその仮説は間違っていたらしいっていうことがわかった。
だけどハロウィンパーティのときは、まだそのことがわかっていなかったんだ。
だから瀧島君は、「サキヨミが見えなくなるのを防ぐために、私への気持ちをあきらめた」っていう意味で言ったんだと私は思ってる。
それを告げると、夕実ちゃんは「そっか……」と眉を下げた。
「瀧島君、マジメだもんね。たしかに、そういう意味だったのかも……」
「うん。でもね」
声に力をこめ、夕実ちゃんを見つめる。
「瀧島君にそう言われたことは、ひとまず置いておいて。私は、自分の気持ちを大事にしたいなって思ってるの」
「え? 美羽ちゃんの、気持ち?」
目をぱちくりとさせた夕実ちゃんに、私は覚悟を決めて口を開いた。
「私……瀧島君のことが、好きなの」
はっと、夕実ちゃんが大きく息を吸いこんだのがわかった。
「そ、それって、その『好き』って……」
うん、とうなずいてから答える。
「……恋愛の『好き』、だよ」
言ってから、かあっと顔が熱くなってうつむく。
そのまま夕実ちゃんからの反応を待つけれど、となりからは何の返事もなかった。
おそるおそる顔を上げると、夕実ちゃんが真っ赤な顔で私を見つめていた。大きな目をいっぱいに見開いて、ぷるぷると震えている。
と、その目から、涙がつーっと流れ出た。
「ゆ、夕実ちゃん!?」
あわててハンカチを取り出し、夕実ちゃんのほおを押さえる。
「どうしたの? 大丈夫?」
「……美羽ちゃん……!」
夕実ちゃんが、言うなりがばっと私に抱きついてきた。持っていたハンカチが、ぽろっとベンチに落ちる。
「よかったぁ……! やっと、やっとだ。うれしいよ───!」
耳元で、夕実ちゃんがずずっと鼻をすするのが聞こえる。
私から離れると、夕実ちゃんは涙顔でほほえんだ。
「ずっと、そうなんだろうって思ってた。でも美羽ちゃん優しいし、いろんなことに気をつかっちゃうし、ちょっと考えすぎちゃうところもあるし……美羽ちゃんがその気持ちに向き合うには、きっと時間がかかるんだろうなって思ってたの」
「夕実ちゃん……」
おどろきとともにつぶやく。
夕実ちゃん、私の瀧島君への気持ちに気づいてたんだ。
そのうえで、そんなふうに考えてくれてたんだ……。
「でも、もう大丈夫だね。美羽ちゃん、瀧島君を好きだっていう気持ちをしっかり受け入れたんだもん」
夕実ちゃんは、言いながら手の甲で涙をぬぐった。そうして、落ちたハンカチを私に返してくれる。
「それに、『恋をするとサキヨミが見えなくなる』っていうのは、間違ってたんでしょ? それなら、何の障害もないじゃない! 瀧島君の気持ちとか考えだって、ハロウィンの頃から変わってるかもしれないよ」
言われて、はっとする。
そうか。もうあれから、二か月以上経っている。
その間には、咲田先輩とのことや、お父さんとのことなど、いろいろなことがあった。
「そう、かな。変わってるかな」
「そうだよ! それで美羽ちゃん、どうするの?」
「えっ……どうする、って……」
「さっき、『気持ちを大事にしたい』って言ったよね。それって、大事にかかえこんでいたいって意味? それとも……」
夕実ちゃんが、真剣な表情でじっと私を見る。
「……うん。いつか、瀧島君に伝えたいと思ってる」
瀧島君のお父さんのことがあって、私は改めて、「気持ちを伝える」っていうことの大事さに思いいたったんだ。
気持ちを伝えるのは、むずかしいことだ。怖いことでもあると思う。
だけど。私はこの気持ちを、なかったことにしたくない。
時期はわからないけど、いつか絶対に瀧島君に伝えよう。
そう、決意したの。
「だけど、なやんでて。いつ伝えればいいんだろうって」
「そうだよね。タイミング、すごく大事だよね」
夕実ちゃんは、叶井先輩に告白するのを「文化祭のとき」って決めていた。
私は、どうしよう。一年生の間? それとも、二年生……ううん、もっと先、卒業するとき?
「瀧島君との関係が変わっちゃったらって思うと、すごく怖いんだ。私は、今の瀧島君との関係、すごく好きだから」
「わかるよ。美羽ちゃんと瀧島君、どんどんいい感じになってるもん。気まずいふんいきに、なりたくないよね」
夕実ちゃんの言葉に、ありがたさを感じながらうなずく。
友達って、すごいな。話すだけですごく楽になるし、もらえる言葉があたたかくて、緊張していた心がどんどんほぐれていく。
「あっ。じゃあさ、こういうのはどう?」
夕実ちゃんが、明るい声で言う。
「来月、バレンタインでしょ? いっしょにチョコ作ろうよ。それで、瀧島君に渡してみない?」
「えっ、バレンタイン?」
そうか。言われるまで、ぜんぜん頭になかった。
バレンタインって、私にとっては、お父さんがもらってきたチョコを家で食べるだけの日だった。小学校ではバレンタイン禁止で、チョコの持ち込みもできなかったんだ。
「いきなり気持ちを伝えなくても、チョコなら友達やお世話になった人にも渡すものだし、あんまり大げさにならずにすむんじゃない? まあ、他のチョコと違いを出すために、少し特別感を出すっていうのはアリかもしれないけど」
「そっか。それいいかも、夕実ちゃん! でも、うちの中学って、バレンタイン禁止じゃないのかな?」
「うーん。たぶん、チョコの持ち込みはダメだと思う。あっ、でも、今年のバレンタインって……そうだ、日曜だ!」
スマホを見た夕実ちゃんが、ぱっと笑顔になる。
「うちでいっしょに作って、その足で渡しに行こうよ! それか、どこかに呼び出してもいいし。私も、ヒサシ君に渡しに行く!」
「うん、いいね! そうしよう!」
私は、笑顔の夕実ちゃんとぽんぽん両手を合わせた。
いきなり気持ちを伝えるのは、まだ勇気がいるけれど。
バレンタインチョコを渡すことくらいなら、きっとできる。
(瀧島君、どんな反応するかな……?)
笑顔で「ありがとう」って言われて、終わりかもしれないけど。
それでも、「気持ちを伝える」っていう挑戦に向けて、一歩踏み出せる気がする。
ベンチから立ち上がった頃には、あたりはかなり暗くなり始めていた。
夕実ちゃんの家と私の家は、逆方向だ。
公園の入り口で別れを告げようとしたとき、夕実ちゃんがぐいっと顔を近づけてきた。
「ね。私、神社にお参りに行ったって、さっき言ったでしょ?」
「えっ? うん」
「あれ、ほんとはね。『美羽ちゃんと瀧島君がずっといっしょにいられますように』ってお願いしたの」
(……えっ!?)
おどろいた私に、夕実ちゃんがふふっと笑う。
「絶対、叶うよ。美羽ちゃん、応援してるからね!」
ばいばい、と手をふって、夕実ちゃんは帰り道を歩いていった。
「ありがとう、夕実ちゃん」
そうつぶやいてから、ふっと空を見上げる。
紺色の空には、星がまたたいていた。
(……叶うといいな)
公園に背を向けると、私は夕闇の道を家に向かって歩き出した。